思いの丈
楽しんでいただければ幸いです。
夢なのか現実なのか、ぼんやりとふわふわとした感覚のまま三神に背後から抱えられるように湯船に浸かった。
「大丈夫か?」
左耳から囁くような三神の声に力なく頷く。
「今日な、全部終わったんだ」
史佳は何を言われているか分からず、虚な思考で三神の予定を思い出そうとしたが、うまく思い出せずに黙っていると三神が続けた。
「妻と話がついて、離婚が成立した」
ぼんやりとした頭で言葉の意味を理解して反応するまでに間ができてしまった。
「嬉しくないか…もう遅いよな」
頭の後ろで聞こえる弱々しい三神の声とやっと届いた言葉の意味に、史佳は気だるい身体を起こして三神のほうへ振り向いた。
「え?なに、どういうこと?終わったって…離婚したって…」
「そのままの通りだよ。正式に離婚が成立した」
三神は申し訳なさそうな表情で小さく微笑みながら史佳を見た。驚きが大き過ぎて言葉も探せない史佳は表情すら作れなかった。
「急に…なんで?」
出てきた言葉はあまりに素っ気なく感情を乗せられない言葉だった。
「急なことじゃない。前々から妻とは話をしていたんだが…すまない、俺だけが君のことに夢中になってしまっていたのかな」
三神の表情がますます申し訳なさそうに悲しげになっていくことに史佳は気づいた。
「違うの、嬉しいの。いやとか困るとか遅いとか、そんなことあるはずない」
三神の目を見ながら勢いよく言葉を発した。
「私にとっては急なことだったから、あまりにもびっくりしてしまって…だって離婚とか…」
(全然しらなかった)と続く言葉を飲み込んだ。この3年で獲得したのは、言葉を飲み込む能力かもしれない。
「すまない」
三神は史佳を抱き寄せ、話し始めた。
「3年前、君と宇佐美くんを送ったあの日、妻に初めて離婚の話をしたんだ。君と働くようになって、年甲斐もなくずっと惹かれていたから、一度きちんとするべきだと思った」
三神は史佳の頬をそっと撫でた。
「君が好意をもってくれているのは気づいていたから、このままにしておくのはどうしても我慢できなくなってしまったんだ」
史佳の頬を撫でながら、覗き込むように三神が微笑んだ。
「長い間、苦しめてしまっていることも申し訳なくて限界だった。ごめんな」
史佳の目からは、溢れる寸前の涙がかろうじてまつ毛に堰き止められている。三神は親指でその涙を拭うように史佳のまつ毛を撫でた。
「のぼせそうだな、出るか」
史佳を促し、二人で風呂から出る。
寝巻きにしているスウェットを着て、タオルドライだけの髪の毛をそのままに、三神と並んでソファに座る。
ふぅ…と小さくため息を吐いた後、三神は史佳の肩を抱き自分の方へ引き寄せた。
「本当に離婚するの?」
思わず出た言葉が目の前でふわふわ浮いているような感覚がした。
「ああ、そうだよ。ごめん」
今日の三神は謝ってばかりだ。史佳はなんだか可笑しくなってふふっと小さく笑った。
「今日は謝ってばかり」
「ごめん…」
「ほら、また」
「ごめ…あ、悪い」
「ふふふ。ごめんも悪いも一緒だよ」
「そうだな…」
並んでいる史佳には三神の表情は見えないが、微笑んでいるのは分かる。三神に身体を預けながら、史佳は幸福感に満たされた。
「もう、奥さんとのことに気を揉む必要はないのね。いつでも連絡できるし、人目を気にしながら出かけることもないのよね」
確認するように口に出した。
「ああ、そうだよ」
三神が静かにはっきりとした口調で答える。史佳は、まるで子供のような無邪気な幸福感を感じた。
もう少しお付き合いください