心酔
前回からの続きです
三神からの短いバースデーコールが終わり、史佳はスマホをテーブルに置いた。週末の夜の気怠い身体をソファに預けてテレビをつけると、今朝、出勤前に観ていたニュース番組のチャンネルからはお笑い番組の笑い声が響いた。リモコンを手に取り何回かボタンを押したが、これと言って惹かれる番組はなかった。テレビを消すと、お風呂の湯が張り終わったと知らせる音が鳴った。普段は三神からいつ連絡があってもいいように、浴室にスマホを持ち込むようにしていた。でも今日はもう三神からの連絡はないような気がしていた。疲れと睡魔に支配された身体はとても重くて、ソファに預けた身体から力が抜けていくような感覚を覚えた。
インターフォンがなった。
21時前。
こんな時間に訪ねてくる予定の人はいない。
親元を出てそれなりの年月、ひとり暮らしだからこその居留守が自衛になることも当然分かっている。そのまま無視していると、もう一度インターフォンが鳴った。できるだけ気配を消してドアに近づいてドアスコープを覗くと、意外な人物が見えて、思わずドアを開けた。
目の前に三神が立っていた。
「どうしたの?」
史佳は驚きを隠さず言った。
「突然すまない。顔が見たくなったんだ」
申し訳なさそうに三神が言った。史佳はその様子に、甘える子犬のような小動物の可愛らしさを感じた。あざといのか天然なのか、この男はよくこうやって普段の仕事中からは想像もできないようなギャップを見せる。
「とりあえず入って」
史佳は玄関を塞ぐようにしていた身体の片方を後ろに引いた。その横を三神がすり抜けるように通る瞬間、ふわりと香りが立った。普段の三神の香りではなく、時々感じる柔軟剤の香りでもない。フローラルなエレガントな女性ものの香水の香り。おそらく彼の妻が好んで使っている香水の香り。
史佳の心に暗く重たい嫉妬が芽生えた。つい今しがたまで奥さんといたのに、どうして来たの?奥さんとの時間より私を選んでくれたの?こんな時間に外出して奥さんにバレたりしない?矢継ぎ早に頭に浮かんだ言葉たちが、口から漏れ出してしまわないように、少しだけ下唇を噛んで口元に力を入れた。
三神はいつも通りに部屋に入って、リビングにあるクリーム色のソファに腰掛けた。ジャケットを預かろうとしたが、襟のボタンを外したワイシャツだけでネクタイもしていない。
「お茶にする?コーヒーがいい?」
史佳は玄関から直行したキッチンのカウンター越しに声をかけた。
「ああ…そうだな、ビールあるかな?」
「え、あ…あるけど」
史佳は驚いた。この関係が始まってから、三神は1度も史佳の部屋に泊まったことはない。いつも近くのパーキングに車を停めて、史佳の部屋で過ごした後は例え明け方であろうと帰宅する。史佳はそれが彼なりの不貞行為のルールなのだろうと、帰宅する三神を引き留めることはしなかった。当然、今日もそうであると思っていた。
「大丈夫?車でしょ?」
「いや…」
三神は目線を目の前にローテーブルに伏せたまま答えた。
史佳は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、三神の前に置いた。そのまま三神の隣に座り遠慮がちに三神の顔を覗き込んだ。
「ん?どうした?」
史佳の仕草に気づいた三神は、いつもの優しい笑顔で聞いた。
「お酒…珍しいなと思って」
史佳は三神の返事が予測できずに恐る恐る声をかけた。
「今日は車じゃないんだ。もしよければ、このまま泊まってもいいか?」
三神は甘える子どものように、はにかんだ表情だ史佳を見た。
私の家に泊まっていいの?今まで泊まったことがなかったのにどうして?この関係を終わらせる最後の思い出つくり?もしかしてもっと居てほしい私の気持ちに気づいてた?思考を巡らせたが、三神には悟られないよう、嬉しい気持ちが溢れないように表情を作った。
「泊まるのは構わないけど」
少し素っ気なくなってしまった言葉が出た。
「突然で悪かったな…迷惑だったかな」
三神も素っ気なく感じたようで、申し訳なさそうにテーブルと缶ビールに視線を落とした。
「違うの。いやとかじゃなくて。驚いて…いつも帰った行くから、いいのかなって思って」
史佳は慌てて答えた。
「そうだな。なぜか帰らないといけない気がしてた。寂しい思いをさせていることは分かっていたんだが、こんな関係で君を繋ぎ止めている自分が不甲斐なくて」
普段の三神は余裕のある大人で、大きな包容力を感じる頼もしい男だが、今の姿をみて史佳は目頭が熱くなった。
愛情と嫉妬、三神の妻への羨望、三神が目の前にいる優越感がごちゃ混ぜになり、言葉にならない気持ちが史佳の胸を締め付けた。いつもより小さく感じる三神に何かを伝えたい衝動が抑えられず、三神の腕に絡みつくように身体を寄せた。三神は絡みついた史佳の腕を優しく解いて、そのまま史佳を抱き寄せた。右手で史佳の頬を寄せて近づいた唇が重なった。史佳も受け入れやすい角度に顔を傾けた。角度を変えながら触れるだけのキスを繰り返すと、当たり前のように三神の舌が史佳の口内に滑り込んできて口の中をなぞる。それだけで史佳は自分の理性を剥ぎ取られる感覚に酔う。口の中をなぞられたまま三神の身体の重みがかかり、史佳はソファに倒れ込むように身体を預けた。ブラウスの上から、史佳の身体の線を確かめるように三神の手が滑る。半袖から出ている腕を直に触られると、鳥肌が立つような感覚を覚えた。三神の手が腰から胸元に滑り、ブラウスのボタンが簡単に外されていく。行為が進むたびに自分の理性が剥ぎ取られる感覚が増して、史佳の気持ちはさらに昂っていく。
三神の唇が離れ、首筋から身体を撫ではじめる。同時にスカートの裾を捉えた手が素肌と薄いストッキングの上を這い回る。全身を隈なく這う唇と撫でる手に翻弄され、絆されて一気に押し上げられた快感と繰り返される刺激。あとはもう溺れるように堕ちていくだけだった。
史佳は三神に抱かれてるようになって初めて女としての快感や何度も達した後の疲労を知った。
三神から与えられる快楽に現実と夢の狭間のような恍惚とした時間が史佳を支配していった。
もう少しお付き合いください