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あの日

楽しんでいただければ幸いです。

三神と出会ったのは史佳が28歳の時だった。

大学卒業後、すぐに勤めた商社が企業買収された。多くの社員は雇用条件がそのままに買収先企業に引き取られた。史佳も今まで通りの処遇で良いからと打診され、二つ返事で受け入れた。新会社で早々に、海外事業部なるものが発足した。史佳もその部署に移動となり、『チーフ』と呼ばれる立場になった。そこに新しく部長として就任したのが三神であった。

新事業部の発足、そこにやってくる買収先からの部長という期待や不安から、史佳の周囲ではまだ見ぬ部長への噂が絶えなかった。

40歳、妻帯者。入職後すぐに頭角を表し、30代は海外支社を取り仕切っていたやり手。今回の企業買収にも一役買っていて、新事業の立ち上げに伴い新部署を任されることになった。

耳を塞いでいても聞こえるくらい、とこに行っても三神の話題で持ちきりだった。

実際の三神は、一見40歳に見えない程度に若さが感じられた。穏やかな語り口と低音の響く声、ほのかに香るアンバーのような香りが色気を感じさせる男だった。相手の年齢性別を問わずコミニュケーションがうまく、先の見えない新事業に浮き足だった社員たちを良好な形でまとめていった。社員たちが、三神を信頼するまで時間はかからなかった。史佳も三神の仕事に対する姿勢や対応の仕方、コミニュケーションの取り方に尊敬を抱いた。とりわけ役職のついた史佳は三神と仕事をすることが多く、三神のスケジュールも把握できるほどの関係性となった。三神からの指示で入職したばかりの社員の教育指導も受け持った。正直、時間的にタイトな時もあったが、三神の的確な助言やタイミングを逃さないサポートに助けられたと感じることが殆どだった。史佳の中で、三神への尊敬の想いがますます強くなった。

それが、恋愛感情になるまでに時間はかからなかった。

(この人は妻帯者)

自分に言い聞かせては、かなわない想いに苦しくなった。


上司と一部下に過ぎなかった関係が変わったのは、三上と出会って1年半がだったころだった。



史佳は新事業立ち上げの際に新規採用された、宇佐美広大の指導を任されていた。宇佐美は、入社初日から積極的に自ら挨拶に回り、豊富な知識と快活な性格で、あっという間に環境適応していった。地元の大学を卒業後、1年間の就職浪人をしていたと本人が話してくれた。今期の入社は、本人曰く「ラッキーでした」と謙遜していたが、ともに働くようになり、宇佐美の人間性や知識量は自社の採用担当者に賛辞を伝えたいと感じるほどだった。入社2年目にして、史佳のサポートはあるものの、営業担当として表立って他者との商談を行うのは異例のことであった。

その日も2ヶ月前から進めていた商談の最終契約確認の返答を待っていた。過去に取引経験のある企業ではあったが、海外が拠点であることや大口の定期契約であったため、先方の都合が優先となってしまい大幅な残業となった。ただ、この取引が決まれば十分に宇佐美の実績として誇れるものになると確信していた史佳は、できるだけのサポートに務めていた。

「瀬尾さん、最終確認だけなので、よければ先に上がってください」

宇佐美はクリアファイルに入った書類の確認項目を指しながら史佳に声をかけた。

「宇佐美くんの気持ちはありがたいけど、最終確認は一緒にするよう部長に言われてるから同席させてね。宇佐美くんを信頼してないわけじゃないよ。私が見届けたいとおもってるの」

「わかりました」

宇佐美は聞き分けよく返事をした。

三上からは常々、先方の都合に無理して自分たちを合わせてばかりはよくないと言われていた。今回の残業についての事前申請に対しても、三神は承認を渋る様子があった。三神のスケジュールを知る史佳にとっては、昼も夜もなく予定の詰まっている三神が、部下にはプライベートを犠牲にするなと言っていることが疑問で尋ねたことがあった。

「僕は仕事が趣味みたいなものだから。もう若くないことはわかってるし、無理がきかなくなってきてるからね。君も知っての通り、休日はちゃんと休んでいるよ。昼夜なくスケジュールが詰まっていても、土日は仕事入れてないだろ」

少し屁理屈のような印象も受けたが、土日に仕事を入れないようにしているのは史佳も知っていたから、納得はできた。一方で、三神は愛妻家なのかもしれないと、嫉妬の感情は生まれたが、自分の気持ちにブレーキをかけるきっかけをもらったようにも感じた。


宇佐美は手持ち無沙汰になったのか

「何か飲むもの買ってきます」

史佳に声をかけてきた。緊張もあるのかもしれないと感じた。500円硬貨を差し出して自分の分も買ってきてほしいと伝えた。

「ゴチになります」

子どものような笑顔で史佳の手からお金を掴み取って、足早に扉へ向かう宇佐美を目線だけで見送った。自動ドアが閉まる音が聞こえたところで、目線を手元の書類に戻すと、すぐにドアの開閉音が聞こえて、思わず身体ごと振り向いた。

社員証を胸のポケットにしまいながら入ってくる三神と目が合った。史佳は反射的に椅子から腰を浮かせていたようで、三神は片手をあげて小さく笑みを浮かべながら挨拶してきた。

「お疲れ様。連絡待ち?」

「はい。もうすぐご連絡いただける時間です」

「宇佐美くんは?」

三神がいい終わるのを図ったように自動ドアが開いた。

「あ、部長。お疲れ様です」

片手に缶コーヒーを2本持ち、社員証をズボンの後ろポケットにしまいながら宇佐美が戻ってきたら。

宇佐美へも声をかけ、三神は史佳のデスクを通り過ぎ、フロア奥の自分のデスクへ向かった。

「部長がこの時間に帰社されるのは珍しいですね。今日は直帰だと思ってました」

「ああ、一度帰宅したのだけどね。確認しておきたい資料があるのを思い出して」

把握しているスケジュールに急ぐ案件はなかったはずと史佳は記憶を巡ったが、三神の仕事の全容を把握しているわけではないため、すぐに自分の仕事に思考を切り替えた。


先方からの電話連絡を待つ間、史佳と宇佐美は冗談まじりに職場の現状や将来の展望などを話していた。話題の尽きない宇佐美は、普段、自分のことをあまり積極的に話さない史佳に対して、ここぞとばかりに聞き出そうとしているように思った。嫌味なく話を引き出そうとする宇佐美は、やはり営業職の才能があるのだろうと感じた。

午後11時を過ぎたところで電話がなった。

2コール目を聞き終えないくらいの速さで宇佐美が受話器を取った。当然、取引先からの連絡で、宇佐美は用意していた紙にメモを取りながら、流暢な言葉で会話を進めていく。史佳も隣でメモを確認しながら宇佐美の言葉を聞いていた。時折、宇佐美の手元の紙に筆談で指示や確認事項を書き込んだ。20分ほどやり取りを交わし、後日、取りまとめた内容をメールで送付し最終合意となったが、取引自体は円満に成功したと言える。電話を切った宇佐美は、史佳のほうに満面の笑みを浮かべて振り返った。

「瀬尾さん、今の内容で契約はほぼ成立したと思っていいですよね」

「ええ、もちろん。しっかり確認して進められていたわ」

史佳もつられて笑顔になった。

「瀬尾さんのおかげです。緊張したけど、ずっとサポートしてくれたから、ここまで来られました。ありがとうございます」

「宇佐美くんの頑張りの成果だよ。あとは、メールが届き次第、部長承認をもらってコンプラ確認したら完了だから、最後まで気を抜かずにいこうね」

史佳は宇佐美の左肩を軽く2回叩いた。

「了解しました。これでひとまず明日の休みはぐっすり寝られます」

無邪気な笑顔を向けた宇佐美は初々しく、史佳は目を細めた。そして、三神のほうへ振り返った。

「部長、詳細のご報告は週明けになりますが、ひとまず問題なく完了しました」

三神は手元の書類から目を離し、柔和な笑みを浮かべた。

「聞いていたよ。よく頑張ったな」

きっと宇佐美に向けられたであろうその言葉に、史佳はまるで自分に向けられたのように満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」

宇佐美の声をきっかけに帰宅の準備を始めた。

「さあ、目の前のものをとりあえず片付けて、帰りましょう。土日はゆっくり休んで。週明けからまた忙しくなるよ。まぁ今日のうちに帰れるかはさておき…ね」

『マジか』と呟いて宇佐美も帰り支度を始める。

時計は0時近くを指していた。

史佳が粗方、荷物をまとめ終えるタイミングで三神から車で送ると提案された。

ギリギリ終電を狙えるかもしれない時間、ダメでもタクシーを使えばいい。そもそも、彼の車に乗るということが憚られた。仕事上の関係であれば、彼のプライベートを感じず好き勝手に想いを育てられる。だが、車内というプライベート空間は知らなくてもいいことに気づいてしまうかもしれない。

そんな史佳思考を他所に宇佐美が答える。

「いいですか?ありがとうございます」

思わず宇佐美を軽く睨んだ。

「部長、私は結構ですので、宇佐美くんをお願いします」

そう断りをいれたが、良識ある大人の男2人からありえないと言わんばかりに抗議されてしまった。

「瀬尾さん、オレが送られて女性の貴女を1人で帰すって、オレを悪者にしたいんですか?」

「瀬尾さん、上司からの命令ってことで受けてくれるかい?」

稚拙な文章にお付き合いいただきありがとうございました。

もう少し続きます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 重い現実の物語、慎重に読む価値がある。 [気になる点] これは筆者が経験したものなのかな? [一言] 次の物語を楽しみにしています!
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