95.ノア・ブライトン
中間試験の結果が張り出された翌日は学校が休みだったから、久しぶりに二日間は孤児院に泊まった。日中ははしゃぐ子供たちと遊んだり、孤児院の仕事を手伝ったりして過ごして。夜はステファンたちがエメルと話す練習に付き合ってくれた。
『ノア、少し落ち着きなさい!』
休み明けの登校日は朝からずっと落ち着かなくて、日中の授業はほとんど頭の中に入って来なかった。そわそわと身体を揺らしてしまい、先生から何度も注意を受けたほどだ。
『ノア、昼飯行こうぜ』
『すまん!先に食べててくれ!』
四限目の終了を告げる鐘が鳴ったと同時に俺は教室から飛び出す。勢いで貴族が学ぶ東の校舎まで行ったのはいいが、約束をしていた訳ではなかったからエメルがどこに居るのか分からずひたすら歩き回っていた。
『うぅむ。困ったな』
『何に困ってるんだい?』
きょろきょろと辺りを見回し一人呟いた俺へ、声を掛けてきた人物に目を奪われる。陶器のような白い肌に、光り輝く金色の髪。
孤児院の女の子たちが読んでいるような絵本から、王子が飛び出してきたのかと思った。
『カイル様、この男が中間二位のノア・ブライトンですよ』
『へぇ、君がブライトン君なんだ。一度会ってみたいと思っていたから嬉しいな』
側近のような男に囁かれた王子が目を瞬いてから柔らかく微笑む。そして俺もまた、目の前の生徒が本物の王子だと知り驚いた。同時に納得もする。王子は所作一つ一つが優雅で、纏うオーラにも気品があった。
改めて周りを見てみればこの校舎の生徒たちは皆が似たような佇まいで、俺たち平民の生徒たちとはまるで違う雰囲気に気圧されそうになってしまう。
『それで、今日はここまでどうしたんだい?』
『あ、ああ……実は人を探しているんだ』
『その言葉遣いはなんだ!このお方を誰だと思っている!少し試験の順位がいいからといって調子に乗るのも――』
『これくらい構わないよ。探している人の名前は?俺が知っている人なら……あ』
王子は途中で言葉を止め、ジッとどこかを見つめる。その瞳には少しの羨望と深い関心が混じっていた。一体何をそんなに熱心に見ているのか気になり、王子視線を追い――俺も一緒に釘付けになった。
後ろからエメルが歩いて来ていたのだ。それも割と目の前まで。
『ねえエメル聞いてよ。リアから手紙の返事が一週間に一回しか来ないんだけど、さすがに少なすぎない!?』
『面倒くさがりのアリアにしてはかなりの高頻度だと思うけど。ちなみにキオンはどのくらい出してるの?』
『三日に一回!』
『どう考えても出し過ぎでしょ……よくそんなに書くことあるよね』
『エメルは出さないでよ。ボクへの返事が減っちゃうから』
『アリアの手紙は数量限定か何かなの?』
呆れた口調でエメルは隣にいる生徒へ話しかけ、俺の横を通り過ぎていく。
こちらへ歩いてきた時から去っていくその瞬間まで、エメルが俺を見ることはただの一度もなかった。
***
「一瞬トんでいたようだな」
急激な体力の低下に意識を失っていたようだ。幸いにもまだ首の皮が繋がっているから、気を失っていたのも数秒程度だろう。
今までにない程に息が切れて、体力が底を尽きかけている。
既に決着は付いた。否、俺たちの前に、目の前の男が現れた瞬間から負けは決まっていたのだろう。相対するだけで感じる威圧感に肌が戦慄したのは初めての体験だった。
「ふぅ……」
アイツらは無事に逃げられただろうか。一息をつく間に思い浮かべる。しかしそれはほんの刹那の時間で、すぐに意識は引き戻された。
「鬼ごっこはそろそろおしまいかしら?」
疲労困憊の俺とは反対に、アレックスという男は涼しい顔で俺の頭上に現れた。宙に浮いた水を椅子代わりにして座り、アレックスは困ったように頬へ手をつく。
「もう魔力もほとんど残っていないし倒れてもおかしくないはずなのに、どうして立って居られるのか不思議ねぇ。そろそろ降参する気はないの?」
「当然、あるわけがないな」
「んもぉ強情なんだから!」
「貴方こそ、何故本気を出さない?それほどの力であれば俺なんかとっくに殺されててもおかしくないはずだ。貴方はルカを狙っているんじゃないのか?」
「アタシは人殺しは趣味じゃないの!慣れているからといって好きだとは限らないでしょう!ましてや子供相手はもっと嫌だし。そう考えるとアナタはとっても運がいいわよ。もしも他の人だったら、こうはならなかったわ。魔力を全部吸い取られたり、最悪一瞬で殺されていたでしょうね」
言われずとも分かっていた。今の俺の状況はかなり奇跡に近いということは。手持ち無沙汰のように指で水を操っているアレックスへ、俺は尋ねる。
「貴方はどうしてルカを狙っているんだ?出来ることなら……俺ではなく彼を見逃してはくれないか」
「ブランシュ男爵から直々に命令されちゃったからそれは無理よ。あの執着ぶりはホント気持ち悪いったらありゃしないんだけれど、アタシもボスを困らせる訳にはいかないし……好きな人が自分のせいで困る所なんて見たくないでしょう?」
「そうか。俺は誰かを好きになったことがないから分からないが、大事な人を想う気持ちは理解できる。……それならば、最後まで戦おう!」
既に限界を迎えている足を叩きつけ、俺はまた攻撃を仕掛ける。俺の攻撃を難なくいなしたアレックスが、溜息をついて魔法陣を発動させた。
「はぁ、本当に困っちゃうわねぇ。おいでなさい、リュシウス」
「クー!」
アレックスが何かの名前を呼ぶと浮かび上がった魔法陣から孔雀が現れ、バサバサと華麗な翼を広げて誇らしげに見せつけてくる。
「どんなに綺麗な花も、いつかは枯れて散るものよ。だけど自ら時期を早める必要はないわ。暫くの間、アタシの楽園で至福の時間を楽しんでなさい」
アレックスはそう言って使い魔である孔雀の首辺りを優しく撫でる。広がった羽に気を取られていた俺の耳に、突如として優しい声が届いた。
『ノア』
「……!?!?」
俺は自分の目を疑った。今、目の前にはずっと会いたくて仕方なかった母さんが居たのだから。
「母さんが、どうして……だって母さんは死んだはずじゃ……」
『いやねノアったら。もしかして寝惚けているの?怖い夢でも見たのね』
母さんは俺の頭を撫でながら、ふふっと声をあげて笑う。鼻の奥がツンとして、涙がとめどなく溢れた。泣き崩れる俺に母さんは困ったように呟く。
『子供の時ですら、ノアがこんなに泣いたことなんてなかったのに……何か仕事で嫌なことでもあったの?』
「仕事?」
『もう本当にどうしちゃったのよ。今は魔法省で働いているじゃない。昨日だってエメルくんと一緒に仕事をしたんでしょう?』
『散々人のことを振り回してるくせに、まさか忘れたわけじゃないよね』
「エメル……?」
どこからともなく現れたエメルが、不満そうな表情で俺のおでこをグッと人差し指で押した。
『お前が散々好き勝手にやらかすせいで、俺がどんだけ後処理をやらされてると思ってるの。はぁあ、また机に資料が溜まってると想像するだけで気が重いよ。たまにはじっと!黙って!座って!大人しくしててよね。こんなんじゃ百歳までなんて生きてられないって』
眉を顰めたエメルが俺に詰め寄り、魔法省の魔法使いのみが着ることのできる白いローブを手渡してくる。
『ほら、何ぐずぐずしてるの。早く行くよ』
『行ってらっしゃい、ノア』
――ああ、これは夢か。
元気な母さんが家にいて、エメルと一緒に魔法使いになる、俺がいつか描いた夢の続きだった。叶うことならば、ずっと見続けていたい幸福な夢想。
俺はその場に泣き伏しながら、大声で叫んだ。
「雷撃!」
次の瞬間、大広間の天井にかかったシャンデリアが落下して轟音と共に衝撃が走る。ガラスが砕け無数の破片が散らばり、再び現実へと引き戻される。その場に蹲りながら、孔雀を再び視界に入れないよう注意して、アレックスを苦々しく睨みつけた。
「ウソォ、信じられないわ。まさかこんなに早くアタシの魔法が解かれるだなんて。効果がなかったわけではないと思うけれど」
「ああ、今までのどの攻撃よりも効いたさ。あれは幻覚魔法か」
「そうよ。その人の最も奥深くにある願望を写し出してくれるの。だから大抵の人は解くのに時間がかかるのよ。辛い現実からは目を背けたくなるものでしょう?時々、戻って来れなくなる人がいるほどにね」
「確かに、叶うことならいつまでも見続けていたいほど幸福な時間だった。だが、過去にしがみつくということは、現在を……アイツらを軽視しているということだ」
家族も友人も夢も、全てを失った俺が出会った孤児院の子供たち。俺の後をついて回り、本当の兄のように慕ってくれる姿は、空いた心の穴を埋めてくれた。生まれて初めてできた兄弟。血は繋がらなくても、大事な家族だと胸を張って言える。
「久しぶりに母さんに会わせてくれたことは感謝しているが、このまま呑み込まれるわけにはいかない」
夢はもう跡形もなく消えた。
絶え間なく胸が痛み続けているが、それでいい。母さんやエメルが与えてくれる俺の一部ならば、この痛みごと抱えて立ち上がろう。
「これ以上は死ぬわよ」
最後の警告だった。
俺は笑って胸を張り、拳を心臓へと押し付ける。引きはしない。俺が俺である限り!
『諦めたのじゃなく、守ったのよ。貴方との未来を』
今なら分かるぞ。母さんの言葉の意味が。
俺は声をあげ、最後の力を振り絞って可能な限りの魔力を魔法陣へと流し込む。
「この身一つでアイツらを守れるのなら!未来へ送り出してやれるのなら!俺はそれを、誇りと呼ぼう!」
アレックスがほんの少しだけ苦しそうに顔を歪めながら巨大な水流を作り出す。空気中に渦巻く水面が音を立ててうねり、青く透き通る龍へと次第に形が変わっていく。
まるで本当に命を宿しているかのように、龍は生き生きと空を舞っていた。
「後悔はない?」
「生きていれば、当然一つや二つあるものだ」
「それもそうね」
アレックスが指先を折り曲げたと同時に龍が天を切り裂くかのような咆哮をあげた。周囲の空気が震え龍が空中を駆け抜ける。
俺は目を閉じて、自分の死を受け入れた。
「ノア!!!!」
荒らげた声と共に、気付けば俺の腕は誰かに掴まれていた。




