90.枕が変わると眠れないタイプ
「あーあ、男のくせに泣いちゃってかっこ悪〜」
「うるさい!泣いてないし、アリア様の前で余計なこと言うなよ!」
「もう、ルナもステファンもすぐ喧嘩するんだから……」
ラウラが困ったように呟く。どんなコミュニティにも、こういう二人はいるんだね。特に仲裁などはせずに、口喧嘩してる二人を余所に私はルカとラウラに声をかけた。
「じゃあ話も終わったことだし、私は戻ろうかな。今日のことはノア様に口を滑らさないようにとステファンとルナ様に伝えておいてください」
「はい、伝えておきますね」
「魔法競技大会までに何かあれば、ルカ様が私の伝言をラウラさんたちに伝えてもらえますか?」
「わ、分かった……!で、でも、どうして……魔法、きょ、競技大会が……終わってからなの……?」
「……大会に向けてノア様はとても気合いが入っているじゃないですか。もし今伝えたら、動揺して大会に集中できなくなるかもしれません」
「そ、それは、……」
「大会までもう二週間もありません。私とルカ様だって沢山頑張ってきましたし、大会が終わるまではこちらに集中しませんか?」
「う、うん……!ぼ、僕も、それがいいと思う……は、はやくノアに、げ、元気になってほしいけど……ま、毎日がんばってきたから……!」
涙ぐましい私の特訓の日々が、ここで効力を発揮してくれるとは。毎日の地獄に耐えた甲斐があったというものだ。
それにルカも中々侮れない。普段は綿毛のようにぽやぽやしているのに、こういう時は鋭いだなんて。
実は、魔法競技大会が終わってから席を設けると言った理由は『ノアに集中してほしいから』なんかではなかった。
「ノア様、そろそろ一度休憩にしませんか?」
「まだ始めてから一時間しか経っていないではないか!アリア嬢ならまだまだ頑張れるはずだ!」
「たまには親睦を深めるのも大切でしょう。先日、アイリスとは長い付き合いなのかと聞いてきましたよね。実際は家族ぐるみの付き合いなんですが……」
「……!ア、アリア嬢の言う通りだ!少し休憩にしよう!」
「はい」
そわそわと落ち着かない様子で私が話し出すのを待っているノアを前に、笑いを耐えるのを必死で我慢した。
そうだ。話し合いを魔法競技大会後まで引き伸ばした理由は単純に、私が適度な休憩を合法的に得るためだった。
ただでさえ私がぶっ倒れそうになる直前まで休憩を取らせてくれなかったノアは、大会が近づき始めると更にハードな特訓を追加してきた。何度ボイコットしようと思ったか数え切れないほどに。
だから今はもう手段を選んでいる場合ではなかった。
「――アイリスとエメルは毎日のように家に来てました。庭園でお茶を飲んだり、外に出たりもします」
普段の元気さは完全になりを潜め、ノアは聞き逃すまいとでも言うように私の話に集中していた。普段からこのくらい静かだと嬉しいんだけどな。
「アイリスとお兄様は外出が好きなので、外に行く時は大体どちらかの提案です」
「そ、そうか」
エメルはどうなのか知りたいけど聞けないって顔だね。そわそわと落ち着かない様子で身体を揺らすノアに、私は情報を分けてあげる。鞭ばかりではなく時々は飴をあげて、休憩時間を更に伸ばそうという魂胆だ。
「本人は口にしませんが、エメルも結構外出が好きだと思います。出掛ける時に意見が分かれたら多数決で決めるんですけど、大抵はエメルも賛成しますから。そういえば、ステファンと私が初めて会った時の話は聞いたんですよね?あの時はアイリスたちもいたんですよ」
「そうだったのか!?け、怪我はしなかったか?」
「はい。五体満足で全員無事でした」
飴の効果は絶大で、一時間の特訓を終えたら十分程度の休憩を継続的にもらえるようになった。ノアは休憩の度に私の話を熱心に聞き、何故かルカも一生懸命頷いていて。
それは魔法競技大会の前日まで続いた。
***
「ノア様、手を出してもらえますか?」
「うん?どうしたんだ、急に」
魔法競技大会前日。ついに最後の特訓を終え、長い地獄を抜け出した私はノアを呼び止めた。
突然の私の要望にノアは首を傾げつつも、素直に手を出してくれる。私は細く巻かれた巻物を、差し出された手の上へと乗せた。
「これは……?」
「移動魔法スクロールです。いつか必要になるかもしれないので、持っておいてください」
この二週間、ノアに渡すべきか悩み続けた末に、私は渡すことを決めた。ひか恋のノアは未来で魔力を失っていたから、もし同じことが起こればきっと役に立つはずだ。
「一回しか使えないので、ここぞという時に使ってくださいね」
本当に大事に使ってよね。私の千ゴールド。
まだ本番と、その後にやるべきことは残ってるけど、峠は越えた。この喧しい男とももうすぐお別れだと思えば、少し寂しく……は特になく、寧ろ最高の気分だけど。とにかく一応、友達の友達ではあるから、魔法スクロールは別れの餞別のつもりで渡した。
「こ、こんな貴重な物を貰ってしまっていいのか……?」
「今までのお礼だと思ってください。実はつい先日、ノア様のおかげで魔力が四に増えたんです。魔力アップの代金だと思えば、妥当な金額ですよ」
「そうなのか!?どうしてすぐに教えてくれなかったんだ!教えてくれたらすぐに祝ったのに!」
やっぱり言わなくて良かった……心の底から安心した表情がバレないように気をつけながら、話を終わらせる。
「気にしないでください。だから、ノア様には感謝しているってことで。受け取って貰えますよね?」
「ああ、では有難く受け取らせてもらおう。そうだ!今日は寮ではなく孤児院に帰る予定なのだが、アリア嬢も来ないか?」
どう考えても場違いにしかならないのに、行くわけがない。ルナはあからさまに嫌がるだろうし、身内だけで過ごした方がいいに決まってる。
この男の空気の読めなさは一級品だなと感服しながら、私は丁重にお断りした。
「すみません。枕が変わると眠れないタイプなので」
「それは残念だ。だが睡眠は大切だからな!俺も毎日、八時間は寝るぞ!」
「そうなんですね。ところでルカ様はどちらに?」
「ルカなら用事が出来て先に帰ったぞ」
ノアとエメルが話し合う前に、アイリスたちにも事情を話していいか聞こうと思っていたのに。肩を落としたけど、明日でも大して変わらないかと、すぐに気を取り直す。
このままノアと二人で居れば、何か面倒事に巻き込まれそうな気配がしたので私はさっさと帰ることにした。
「ノア様……本当にやばいと思った時は逃げてくださいね。逃げるのは恥ずかしいことではありません」
やり直しやリベンジができるのは、あくまでも元と同じ能力がある前提だ。逃げるのを躊躇い無くしてしまえば、やり直す機会すらも失ってしまうのだから。
「いや、俺は逃げないぞ。逃げるのは俺らしくないからな!」
同じ言語を話しているからといって、必ずしも対話が通じるわけではないことを、よく覚えておこう。
「ノア様らしいですね。それではまた明日」
「ああ!明日は頑張ろう!!!!」
特訓後だというのに元気だね。耳が痛くなるほどの声量に呆れながらノアと別れた。




