84.お兄様の意地っ張り!馬鹿!馬鹿!
『中間試験の結果が出たらしいぞ。もう見に行ったか?』
『カイル殿下が一位に決まっていますわ。実技の試験でも大変素晴らしかったですもの』
『試験の結果は平民の生徒も一緒に張り出されるらしいが、わざわざ混ぜる必要はあるのか?どうせ結果は分かりきっているのに』
すれ違う人たちが口々に会話を交える声が聞こえてくる。そんな彼らの言葉を耳に流しながら、先日行われた中間試験の結果を見に行くために俺はキオンと廊下を歩いていた。
「うわっ……人だかりが凄すぎて酔いそう。ちょっとエメル、ボクの代わりに見てきてよ」
「結果は自分で確認した方がいいんじゃないの?俺の口から、キオンの順位が俺より低いって聞かされるのは嫌でしょ」
「はぁ?喧嘩売ってんの?ボクがエメルに負けるわけないんですけど?」
大広間の掲示板前。試験結果を見に来た生徒たちに紛れ、俺とキオンは顔を顰めて言い合う。多分、一年生徒の殆どが今この場所に集まっているはずだ。普段は別々の校舎で学んでいる貴族と平民の生徒が一堂に会しているため、キオンの言葉通り物凄い人数だった。
「おい、聞いたか!?二位のやつは平民の生徒らしいぞ!」
掲示板に中々近付けずにいた時、耳に入ってきた声に俺は反射的に振り向いた。まさか、と心臓が速まる。突然立ち止まった俺にキオンが「エメル何してんの?」と怪訝そうに尋ねてきたけれど、返事が出来ないまま男の言葉に集中した。
「平民だって?まさか、そんなはずはないだろう。平民なら学校に入学するまでは文字も読めなかったはずだろ。勘違いじゃないのか」
「いや本当なんだって。疑うならこっちに来て見てみろよ。カイル殿下の下に書いてある名前が見えるだろ。ほら――ノア・ブライトンって名前が!」
俺は今度こそ目を瞠り、その場に固まった。まるで時が全てが止まってしまったかのように息をするのも忘れ、その名前から目が離せなかった。
「うげぇ、ボク五位だ。絶対エメルには勝てると思ってたのに」
悔しげに言葉を零しているキオンの声に意識を引き戻され、視界が動く。キオンの一つ上には俺の名前がある。普段ならばキオンを揶揄っていた場面だったけれど、今はそれどころではなかった。
「ちょっと、さっきからぼーっとしてどうしたの?」
「え、ああ……少し見知った名前を見つけて」
「へぇ友達?ボク以外にもいたんだ」
「うーん、まぁ……」
「そんなに気になるなら会いに行って来れば?ボクは先に戻ってるから」
普段は人が多いところへ積極的にアリアを連れ出すくせに、今は一刻もこの場から離れたいと言うような顔で、煮え切らない態度の俺をキオンは促す。
……会いに行ってみようかな?
いつかアイツが特待生として上がってきた時に会うことになると思っていたから、心の準備をしていなかった。相手はノアだというのに変に緊張する。
それでも早く会いたい気持ちの方が強くて、キオンへ「先に戻ってて」と伝えかけたその時だった。
「ノア!見たか!?お前学年二位だってよ!」
ざわりと、空気が揺れる。
第一王子殿下と同じくらい、もしくはそれ以上に注目を浴びているであろう存在が大広間へやって来て、周囲の視線が集中した。
「おお!それは本当か!?一位を取るつもりでいたんだが、残念だ!」
「素で言ってるんだから腹立つなー」
「やっぱり第一王子殿下は流石というか、当然というか……お前も十分頑張ったんだから、あんまり落ち込むなよ」
「ああ!次は負けない!」
「うわぁあデカい声で喧嘩を売るような発言はやめろ!」
周囲に励まされながらも、ノアは明るく頷く。妙な自信に溢れた、子供の頃から全く変わっていない姿に肩の力が抜けていくのが分かる。
ノアから目を離せないでいれば、アイツの友人たちが教室へ戻るために踵を返した。
「試験結果も確認したし、そろそろ戻ろうぜ。ここにずっと居たらノアがまた余計な発言をしそうだ」
「なに!?一体いつ俺が――」
不意に合わさった視線。ノアは燦然と輝く瞳を見開き、俺を見て固まった。時間にすればきっと数秒程度だろう。先に動いたのはノアの方だった。
「おいノア、何してんだよ。行こうぜ」
「――ああ」
「……!」
ふいっと、逸らされた視線に俺は踏み出しかけた足を元の位置に戻す。
ノアは確実に俺のことに気が付いていた。しかし顔を逸らしたということは、アイツは俺との再会を望んでいなかったという意味だ。
当然のことだった。俺はノアが一番辛かった時に何もしてやれなかったんだから。
そんなことも忘れて会いに行こうとしてただなんて、自分が恥ずかしかった。
「今のがノア・ブライトン?あんな阿呆そうな奴が二位だなんて意外。人は見かけによらないもんだね」
「……」
「ちょっとエメル聞いてる?エメルも早く行くなら行ってきなよ」
眉を寄せて返事を催促してくるキオンよりも先に、ノアが歩いていった道とは反対方向に進んだ。
「俺たちも戻ろう」
「は?結局行かなくていいわけ?」
「もういいよ。……俺の勘違いだったみたいだから」
キオンと来た道を引き返している時も、瞼の裏には先程会ったノアの顔が焼き付いていた。胸が軋むように痛んだが、それ以上に俺の中を締めていたのは紛れもない安堵だった。
――良かった。アイツが一人じゃなくて。あの太陽のような笑顔が失われていなくて、本当に良かった。ただ、それだけで十分だった。
***
「それでアリアったらノア様の走ってくる音が聞こえる度に、びっくりして飛び上がるから可愛くって……!」
口元に手を当て、くすくすと笑うアイリスの話を俺は聞き流す。
ただでさえ今年はノアと同じクラスになってしまい悩まされていたというのに、よりによってアリアとノアが同じチームだなんて一体何の因果だろうか。そのせいで最近は毎日のようにアイリスからアイツの話を聞かされる羽目になっていた。
「お兄様!ねぇ聞いてるっ!?」
「……聞いてるよ。アリアが猫みたいに足音に警戒してるんでしょ」
きちんと答えたというのに、アイリスの顔が晴れない。それどころか余計にむっと唇を尖らせながら詰め寄ってきた。
「最近のお兄様は変よ。一体何をそんなに焦っているの?」
「焦ってるって、俺が?」
「とぼけても無駄よっ、アリアたちを誤魔化せても、私のことは誤魔化せないんだから!」
「とぼけてるつもりはないんだけど……」
考えてもいなかった指摘に虚をつかれる。困惑している俺にアイリスは頬を膨らませ、拗ねた表情で呟いた。
「お兄様が言いたくないのなら、無理には聞かないわ。だけど、私が力になれることがあるなら話してほしいの。お兄様は大事な家族なんだから……っ」
「アイリス……その愛嬌に絆されるのはアリアくらいだからね。いつもそうやって取り入ってるの?」
「もう!私は本当にお兄様を心配してるっていうのに、取り入るだなんて失礼しちゃうわ!」
アイリスは心底不満そうな表情で丸い瞳を細めた。アイリスに弱いアリアなら簡単に口を割ってしまうのだろう。
「本当に何でもないから」
しかし俺は違う。実際アイリスが計算でやっているわけじゃないことは分かっているけど、流されるほど単純でもなかった。
「〜〜〜っ、お兄様の意地っ張り!馬鹿!馬鹿!」
「悪口のレパートリー少なすぎない?もっとキオンから教えてもらった方がいいよ」
「そうやってすぐに誤魔化さないで!いつか教えてくれるって約束したじゃない!」
「……」
まだ幼かった頃にした約束が頭に浮かぶ。まさかそんな昔の約束をアイリスが今でも覚えているとは思わなかったから驚いた。
「何年前の話?もう時効でしょ」
「お兄様はいつも勝手なんだから!そんなに私には言いたくないことなのっ?」
「そういうわけじゃないけど。別に言う必要がないだけで」
俺はあの日、背を向けたノアを追うことはしなかった。すぐにでも謝ればノアなら許してくれたかもしれなかったけれど、それは結局、俺の心が楽になるだけだろう。
だから諦めた。そしてノアを諦めたということは、俺たちの関係が終わることを意味していた。
「そんなの分かんないじゃない!言ってくれたら、教えてくれたら何かできるかも……」
「アイリス」
それでも中々引き下がらないアイリスを俺は少し強めの口調で呼ぶ。
「俺が養子になってから何年経ったか覚えてる?」
「えっ?ええっと、九年くらい?かしら」
「その間、俺は結構変わったと思わない?」
「ええ、とっても。昔はもっと距離を感じていたけれど、今は違うものっ!」
「そうだね。良くも悪くも人は変わるんだよ。それこそ十年近くも経てば。それは俺だけじゃなくて……アイツも同じだよ」
昔のノアは正義感が強くて、負けず嫌いで、向こう見ずな性格だった。驚異的な行動力と怖いもの知らずの度胸は、リスクや失敗を考えもしない楽観的な性格と相まって常にトラブルメーカーでもあって。
今のノアのことはそれほど知っているわけではないけれど、十年も経ったのだから変わっていて当然だった。
「アイリスが心配してくれるのは嬉しいけど、この世にはどうにもならないこともあるんだから」
予測できないような出来事は人生にはいくつもやってくる。それは両親の死だったり、ノアとの別れだったり、身が引き裂かれるような耐えがたい痛みだったりするだろう。
しかし、過去を引き摺ったところで両親が戻ってくるわけではなく、幼かった日に帰れるわけでもない。
「だから子供みたいに癇癪を起こすのは、いい加減やめて」
「……お兄様の気持ちはよーく分かったわ」
アイリスが膨れながら呟く。ようやく納得してくれたと安心したのも束の間のことだった。
「それならもういいわよっ、お兄様がそのつもりなら、私だって勝手にするんだから……っ!」
「ちょっ、アイリス!?」
「お兄様が話してくれる気になるまで、朝も昼も夜も一日中付きまとって離れないわ!」
アイリスは突然叫んだかと思うと、俺の身体にぶら下がった。文字通り、俺の腰辺りを腕で掴んでそのまま体重をかけてきたのだ。
これはキオンがアリアに自分の要望を無理やり通そうとする時……じゃなくて、切実にお願いする時にする行為だった。
「アイリス、キオンの幼稚な真似なんかしてないで早く離して。こんな格好で歩いて父上や母上に見られたらどうするの」
「その時はお兄様も一緒に怒られましょうっ!」
「はぁ……」
いつもキオンに根気負けしていたアリアの気持ちが、ようやく分かった気がする。
意地でも離れようとしないアイリスを引き摺って歩くわけにもいかず、結局俺は負けを認めるしかなかった。




