73.誘拐の定義
誘拐の定義とは何だろうか。甘い言葉で騙したり、相手の意志を無視して強制的に連れ去ろうとするのは、明らかな誘拐行為だとして。逆に何の圧力もなく子供が自らついてきた場合、果たして誘拐だと言えるのか。そしてその責任は誰にあるのだろう。こんなの青信号で運転していたら、信号無視をした子供が突然飛び込んできたようなものだよ。つまり、避けようがなかったということだ。
私は重くなる頭を押さえて、できるだけ優しく聞いた。
「一応聞くけど、どうして君がここにいるの?」
「アリアがどこかに行くから……ついてきた……」
「……とりあえず元の場所まで送るから、今すぐ戻ろう」
私が手錠をかけられる前に。子供がいなくなったことに保護者が気付くよりも早く帰さなければいけないと焦る私とは反対に、少年はのんびりと口を開く。
「アリア……お腹空いた……」
「はぁ、分かった。何か食べさせてあげるから、その代わりに、もしも私が捕まった時は無罪になるように協力して。『アリア・ウォレスは優しくていい人でした』って言うの。分かった?」
「うん……アリアはいいひと……」
「そうだね」
頷いた私に、呆れた顔で「誰が相手だろうが、公女サマは公女サマだな」と呟くグレイたちの方を振り返った。
「じゃあ私はこの子に何か食べさせてくるから、皆は先に行ってて」
「待って!私もアリアと一緒に行くわ!」
「……うん、ありがとう」
できればアイリスには残っていてほしかったけど、これは自然の流れでもあったから私は諦めて受け入れた。どうして人生というのはこうも上手くいかないことの連続なのか。計画がガラガラと崩れていく感覚に私が少し落ち込んでいると、今度はグレイが割って入ってくる。
「なに水くせーこと言ってんだよ。わざわざ別行動をとる必要はないだろ」
「?」
「俺らも一緒に行きゃあいいじゃねえか。それに、セオドールの歓迎会だってまだしてなかったしな。なぁ、王子サマ」
「はい。お邪魔でなければ、ご一緒させてください。そうすれば、私たちの方からも保護者の方にご説明ができますし」
「だな。セオドールもいいか?」
「は、はい!僕は全然大丈夫です……!」
……もしグレイがヒーロー候補の一人としてひか恋に登場していたら、結構な人気キャラだったんじゃないかな。こんなに最高のアシスタントができる男が、ひか恋では名前すらない脇役だったなんてと惜しく感じていると、グレイは何を思ったのかひっそりと囁いてきた。
「念の為に確認なんだけどよ」
「うん?」
「本当に攫ってきたわけではないんだよな?」
「……」
私の信用がなさすぎる。「コイツならやりかねない」とグレイの瞳は語っていた。私は奴の顔面めがけて水を放つ。上がった好感度が、無に帰した瞬間だった。
***
結局全員で来た道を戻り、私と少年が会ったカフェ、Le Carrefourへと入った。ここはミシェル・ハーマンが通っている店だから本当なら別のお店の方が良かったけど、保護者が来た時に気付きやすいという理由でこの店になった。
「なんでも好きなのを頼んでいいよ」
ノクスとアイリスを隣の席に誘導することに成功した私は、気分がいいまま少年へと笑いかけた。
「セオドールも遠慮せずに好きなのを頼めよ。今日はお前の歓迎会でもあるんだから」
「ささやかですが、これから一緒にやっていく仲間として祝わせてください」
「グレイくん、それにノクス殿下も、ありがとうございます……お二人に報いるためにも、僕も精一杯頑張りますね……!」
セオドールが感動した表情で涙ぐむ。ところで今、ノクス殿下って聞こえたけどいつの間に名前で呼び合う仲になったのか。アイリスよりも先に進展している関係が気になって仕方ないのに、隣から少年が私を呼んでくるから聞くタイミングを逃してしまう。
「アリア……」
「もう決まったの?」
「うん……」
少年の呼び掛けに応じる私を見守っていたアイリスが、楽しそうに声をあげて微笑んだ。
「こうしているとなんだか姉弟のように見えてくるわ」
「お兄様が聞いたら怒りそう」
「それはもう、ずぅっと機嫌が悪くなるでしょうねっ。今日だって、もしこんな所を見られでもしたら大変だわ」
「言わなきゃバレないから大丈夫」
「ふふっ、悪い顔になってるわよっ!ところで、この子の名前はなんて言うの?」
そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。正直なところ、二度も会うと思わなかったから聞く必要もないと思ってたんだけど。今更ながら、私は名前を教えてもらうことにした。
「君の名前は?」
「いや今聞くのかよ!」
「あの、本当にお二人は知り合いなんですよね……?」
不安を滲ませるセオドールに、私は口角をあげる。
「察しが早いね。知ってしまったからには、もう共犯だよ。捕まる時は貴方も一緒だ」
「はわわわ……っ!そんなつもりはなかったんです!許してほしいです……!」
「ウォレス令嬢は楽しそうですね」
「あんまりセオドールをからかって遊ぶなよ。ソイツすぐ真に受けんだから」
「もうっ、アリアったら……」
私を疑うセオドールをからかっていると、三人から生暖な視線を浴びて急に我に返る。子供のようにはしゃいでしまったことが恥ずかしくて、私から意識を逸らすために話題を変えた。
「冗談は置いておいて、会うのはこれでもう二度目だし、知り合いだよね?」
「うん……アリアはいいひと……」
「ほらね」
「すげぇ言わせてる感あるけど」
「許容範囲だよ。それより注文は決まった?」
私の確認に「おー」「はい」「ええっ」と声が重なる。しかし天使の音色のような声が聞こえてこない。不思議に思い推しを見つめると、ノクスは視線を彷徨わせてから静かに口を開いた。
「その……ショートケーキといちごタルトのどちらにするか悩んでいまして」
今日も推しがこんなにも可愛い。心の中で100と書かれたボードを上げながら、私はなるべく平常心を装って伝えた。
「以前、持ち帰りで焼き菓子を食べたことがありますが、どれも結構甘めでした。だから多分どちらを選んでも、甘いものがお好きな殿下のお口に合うのではないでしょうか。悩むなら二つとも頼んで――」
「あの、ウォレス令嬢……」
「?はい」
以前食べたケーキの食レポをしている私の言葉を遮ったノクスが、戸惑うように、しかし真っ直ぐな声で問いかけてくる。
「――どうして、私は甘いものが好きだと知っていらっしゃるのですか?」
やばい。そう悟ったときにはもう全てが遅くて、私はその場に固まった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
アリアに水をかけられたグレイのことはノクスが「どうせお前が余計なことを言ったんだろ」と呆れながらも乾かしてくれました。




