61.お兄様
号砲が鳴る。それは大会の開始を告げる合図だった。
始まるまでの時間、余裕がある観客の私たちとは違い、準備があるキオンはここから別行動だ。溢れんばかりの人混みの中で、立ち止まりキオンを見送る。
「キオン頑張ってね!応援してるから!」
「やれることは全部やったでしょ。出し惜しみなんてしないでよね」
「キオンがずっと頑張ってきたことを、俺たちは知っているよ。一人じゃないってことを忘れないで。キオンらしく、戦ってきてほしいな」
前のめりに伝えるアイリスに続いて、エメル、カイルもエールを贈る。笑いながら三人へ頷いたキオンの視線が私の方に向いた。
「……怪我はしないでね」
「うん。ありがとう、リア」
いつになく静かで、穏やかな声色だった。
キオンが見えなくなるまで見送ってから、私たちも会場へと歩いていく。
「そんな不安そうな顔をしなくても、キオンならきっと大丈夫さ」
一体何を言い出すのか。何故か突然カイルから元気づけられ、私はすぐ否定した。
「…………してません」
「おや、外したかな。大分アリアのことは分かってきたつもりだったけれど、どうやらまだ理解不足のようだね」
カイルが残念そうに呟く。常に無表情で口数も少ないノクスとは違い、人当たりがよく社交的なカイルだけど、こういう思考回路が読めないところはそっくりだった。
「今度は一体何を考えているんだい?」
そういえば今日はノクスも試合を見に来ているのかな……なんて考えていると、カイルが不思議そうに首を傾げながら私の顔を覗き込む。
さらりと金髪が触れそうな程の至近距離に驚いて、失礼にならないようさり気なく半歩下がった。パーソナルスペースは守るべきだ。
それにもし縦ロール先輩辺りに見られていたらまた面倒なことになりそうだと、私は辺りを警戒した。
「さぁさぁ皆の者、こちらに注目したまえ!今日は特別に、この私が占いにきたのだよ!今ならたった銀貨一枚で、どんな事でも占おうではないか!」
「……」
縦ロール先輩とは違うベクトルの厄介な人を見つけてしまった。競技場の前には沢山の露店が並んでいて、その中でもミシェル・ハーマンの声は一際響いていた。横には、看板を持たされているジェイクが横に立っている。
「アリア?急にどうしたの?」
「ちょっと会いたくない人が……」
試合を見るためにはミシェル・ハーマンの前を通らなければいけない。私はエメルの陰に隠れながら歩いた。
「ジェイク、看板はもう少し高めに……そう、その位置だよ!」
「……」
「何?エルネストに許可はもらったのかって?許可なんてとっていないに決まっているだろう」
「……」
「ふんっ、エルネストの事だ。何かにつけて拒否するだろうからね」
詳細までは聞こえないけど、ジェイクがミシェル・ハーマンに振り回されているのだけは分かる。
「今の人って知り合い?」
「ううん、知らない人」
私の盾になったエメルから問いかけられる。ジェイクを気の毒に思いつつも、私の知ったことではないのでそのまま素通りした。
***
魔法大会はトーナメント式で、一年生から順にスタートするらしい。準々決勝まで終わったら次の学年へと移り、準決勝と決勝は一番最後に纏めて行われるようだ。
「もうっ!キオンの事が気になりすぎて集中できないわ……!」
一年生の試合が終盤に差し掛かる頃、アイリスが手のひらで顔を覆いながら叫んだ。周囲は目の前の試合に白熱しているからアイリスの叫びは殆どかき消されたけど、近くに居る私たちの耳にはしっかりと届いた。
「そろそろだと思うよ。ほら、今戦ってる子はさっきからずっと防戦一方だし、もう魔力がないんじゃないかな」
確かに。防御しながら攻撃していた先程とは違い、今はもう攻撃を防ぐので精一杯という感じだ。もし私が出場していたら、二回戦にあがる前に魔力切れを起こしていたかも。
魔法は魔力量によって使える時間や魔法が変わる。私は魔力量が三だから第三章の魔法までしか使用できないし、ノクスの半分以下の時間しかもたない。そのうえ威力も劣るときた。
「……」
一瞬だけ魔力の多い人たちが羨ましくなったけど、すぐに考えを振り払う。
無いものを嘆いたところで魔力量が増えるわけでもないから、余計な思考だった。
そうこうしている内に一学年の試合が終わり、アナウンスが流れる。
「これから十分の休憩を挟み、二学年の試合を開始いたします」
気を張っているせいか、まだ試合も始まっていないのに疲れてしまった。数日前からそわそわしているアイリスなんてもっとだろう。
「名前も知らない人の試合を見続けるのも大変だね」
「ふふっ、次は二学年だから知った顔も多いはずだよ。それに、そう待つことなく決着はつきそうだ」
カイルが目を細めながら下を眺める。今回の元凶であるグレーの髪の男――オディロン・ルヴェルが自信満々な表情で入場してきていた。
「……お兄様は確か二試合目ですよね」
「そうだよ。だから、勝ち進めば二回戦でぶつかるみたい」
「まぁ後に行くにつれて魔力も減っていきますし、遅いよりかは早い方がいいんじゃないでしょうか」
「うーん、でもそれは相手も同じだから難しい所だよね」
エメルとカイルが私とアイリスを挟んだまま話し合う。どうせなら二人が隣になった方がいいのではと、エメルと席を交換しようか悩んでいたら、アイリスが会話を遮った。
「お兄様も殿下も、さっきからどうしてそこまで落ち着いていられるの……!?」
「そう言われてもねぇ。俺たちが慌てたところで試合の結果が変わるわけではないでしょ」
「だからって――」
アイリスがエメルに言い返そうとした時だ。丁度、二学年の第一試合が始まり、アイリスは口を閉じた。
オディロン・ルヴェルは闇属性のようだった。
黒い影のようなものが形を作り、彼のサポートをしている。補助魔法と攻撃魔法を組み合わせながらも余裕で戦える辺り、口先だけではなかったみたいだ。
そのままオディロン・ルヴェルは難なく一勝した。まずいね。アイリスが余計不安そうになっている。
「お兄様なら大丈夫だよ」
「こういう時でも〝絶対〟とか〝必ず〟なんて言わないのはアリアらしいね」
「……」
ちょっと静かにしてて。背中を擦りながら、アイリスを励ます私に水を差してきたエメルを睨む。
「この世に絶対なんてものはないからね。もちろん俺はキオンが勝つと信じているけど……それでも、もしキオンが負けたとしても、それは仕方のないことだと思うよ」
「ですね。全力で戦った結果が負けなら、どうしようもありませんしね」
「……っ、でもっ、もしキオンが負けたら、もう一緒には居られなくなるのよ……!そんなの私は絶対に嫌!」
まったく、この男たちには人の心というものはないのか?アイリスの泣きそうな表情を見るまでは同意見だった自分のことは棚に上げて私は呆れた。
「アイリスは別に一緒に居られなくなる訳じゃないでしょ」
「ならお兄様たちは平気だって言うの!?もしっ、もしも、キオンが負けたら……」
「その時は待つさ」
柔らかな声でカイルが答える。躊躇いなく、まるでそれが当然のことであるかのように。
「キオンがまた俺たちの所に戻って来てくれるまで、待ってるよ」
一見冷たく見えるかもしれない言葉には、確かな信頼が込められていた。
アイリスがむぅと頬を膨らませる。先程よりは落ち着いたようだけど、完全に納得した訳ではない表情だ。
「なら万が一そうなった時は、私とアリアがずっとキオンの側にいるので安心してくださいっ」
悪くないね。ひか恋のノクスがカイルに負けた要因の一つは、過ごす時間の長さだと思っていた。公爵家という立場やエメルやキオンとの関係のことを考えれば、私の都合でアイリスとカイルを引き離すべきではないと諦めていたけど、一時的になら有りではないだろうか。
「それはキオンの立場的に微妙じゃない?」
「だったらキオンを一人にしろって言うの!?」
「そうは言ってないでしょ。もっと他にやりようはあるんじゃないかってだけで」
私の左隣で、唐突にオルレアン兄妹の言い合いが始まった。右隣のカイルは「仲良しだね」と呑気に微笑んでいる。
ひか恋のアイリスとエメルはこんな風に口喧嘩したりすることはなかったんだけどな。
「……そろそろ始まるから二人とも落ち着いて」
しかし今は考えている時間ではない。
入場してくるキオンを前に、私は気を引き締めた。
***
「勝者、キオン・ウォレス!」
「やったわ!キオンが勝ったわ!」
審判の判定が下り、アイリスが嬉しそうに顔を輝かせた。ぶんぶんと肩を揺らされながら私もほっと胸を撫で下ろす。
「女の子が相手だからか、少しやりにくそうだったね。結構長引いてたけど大丈夫かな?」
「キオンはそういうの割り切れないタイプですからね。でも大丈夫だと思いますよ。体力だけは人一倍ありますし」
カイルの言葉通り、キオンの一回戦の相手は女子生徒だった。いくら試合とはいえ性格上、異性を攻撃するのに抵抗があるのか躊躇いが感じられた。普通に戦うよりよっぽど疲れそうだ。次の試合までに少しでも長く休めればいいんだけど。
そう願う間にも、一つまた一つ試合が過ぎていく。先程とは違い私たちの間に会話はなく、ただ静かに二試合目が始まるのを待っていた。
「それではこれより第二試合を始めます。両者前へ」
「キオン頑張ってー!」
審判の合図にアイリスが大きな声で叫ぶ。「ほら、アリアも!」と期待を込められた眼差しで見つめられ、私は視線を避けた。
応援はともかく、叫ぶのはちょっと。残念ながら私は熱血なタイプではない。しかし無視する訳にもいかないので、代わりにアイリスの反対側に座っているカイルの方へ話しかけた。
「……こういう時は友人である殿下の出番じゃないですか」
「それなら俺よりもエメルの方が付き合いは長いんじゃないかな」
「いやいや、どう考えても俺たちより妹であるアリアの方が適任でしょ」
なすりつけ合う私たちにアイリスが「もうっ」と頬を膨らませた時だ。試合開始のベルがなった。
「こんなに早く対戦できるとはな。約束を忘れたとは言わせないぞ」
「当然覚えてるから。そっちこそ地べたに這いつくばりながらボクに謝罪する準備はできたわけ?」
「ふんっ、そんな準備は必要ない。負けるのはお前の方なのだから。出でよ、闇人形」
オディロン・ルヴェルは第一試合の時と同じく、黒い人形を三体作り出した。ぐねぐねとスライムのように動いている物体に、キオンは顔を顰める。
「うわっ、何それ趣味わる。風刀!」
風の斬撃が人形を斬る。ぼたり、音を立てて物体は崩れるけど、すぐにまた一つに集まって元の形に戻っていく。オディロン・ルヴェルは得意げに鼻を鳴らした。
「俺より下位の魔力では、いくら斬った所で無駄だ」
人形がぼとりと再度崩れ落ちるが、言葉通り何度壊れてもすぐに再生されてしまう。キオンが直接オディロン・ルヴェルへ攻撃しようとすれば、蘇った人形により無力化された。
「キオン・ウォレス、お前の攻撃はいつも単調過ぎるんだ。馬鹿の一つ覚えみたいに同じことを何度も繰り返して。それで強くなれた気でいるのか?」
「たとえその言葉が事実だとしても、君には関係ないでしょ」
人形が再生される前にキオンが連続で攻撃を繰り出すも、オディロン・ルヴェルは無詠唱で魔法を放ち相殺した。
「確かに、お前がどうしようが俺には関係のない事だ。だが、俺より下の奴が不相応な場所に居座り、才能もないくせに勘違いしている様を見るのは不愉快なんだ。だから俺の前から消えてくれ」
状況を打破する方法を模索するキオンに向かって、オディロン・ルヴェルは手を翳す。
「闇穴」
「…………っ」
直後、キオンの足元に真っ黒い影が広がった。それは禍々しい渦となり、ゆっくりとキオンの身体を引きずり込もうとする。重力を失ったかのように、キオンの身体が前方へと崩れた。
――キオンが膝をついた瞬間、その場にいる誰もが彼の負けを悟った。
「お兄様!!」
――ただ、一人を除いて。




