59.進む道
――初めの一歩は軽かった。
「あーあ、今日から暫くリアに会えないのかぁ」
一年生の春。入学式が終わり、最初に呟いた言葉だ。気落ちしているボクに向かって、隣にいるエメルが呆れた顔をする。
「首都に来てから毎日言ってるくせに、今日からも何もないでしょ。この機にいい加減、妹離れしなよ」
「そういうエメルだって、実はアイリスと離れて寂しいんじゃないの?」
唇を尖らせながら目を細めると、エメルは「キオンと一緒にしないでよね」と肩を竦めた。
「そんなに離れるのが嫌なら、公女にも一緒に首都に来てもらえば良かったのに」
「まったく、エメルは何も分かってないんだから。当然言ったに決まってるじゃん!」
ボクは胸を張りながら、自信満々に答える。世界で一番大切で大好きな妹と離れ離れになってしまうのだ。当然「リアも一緒に行こうよ!」と誘ったに決まっているのに!
「で、断られたわけね」
「うっ……」
エメルに鼻で笑われ、言葉が詰まる。エメルの言う通り、一緒に行こうと誘ったボクに対して、リアは即座に「行かない」と首を振った。
「まぁどうせ来年には公女とアイリスもこっちに来ることになるわけだし」
「それ、リアも言ってた……」
「アイリスも俺たちの休みの日に合わせて公女と一緒に遊びに来るって言ってたから、公女の好きそうな場所を案内してあげれば喜ぶんじゃない?」
その通りとはいえ素直に納得するのは悔しいボクに、エメルは「ああ、でも」と続けた。
「妹に現を抜かしていれば、試験で俺に負けても公女に言い訳が立つかもよ?」
「はぁ??」
にっこり笑って言い放つエメルに苛立ちが込み上げてくる。ひくりと震える口角を、ボクは無理やり持ち上げた。
「言ってくれるじゃん。エメルの方こそ負けた時の言い訳でも考えておいた方がいいんじゃないの」
「うーん、でも俺には必要ない気がするけど」
「それだとボクには必要だって言ってるみたいなんだけど喧嘩売ってる?」
「嫌だな、キオンの考え過ぎだよ」
エメルがやれやれと首を横に振る。ほんっとムカつくんだから!ボクが言い返そうとした時だった。
ざわりと空気が揺れる。
「ご入学おめでとうございます、カイル様!ご在学中、何か不便がありましたらいつでも僕に仰っていただければ……」
「カイル様と同じクラスになれず残念です。兄の話によると、合同授業などがあるらしいのでその際は是非ご一緒させてください!」
「カイル様、今日この後ご予定はございますか?無ければ是非私と――」
「うわっ……何あれ」
一人の生徒に群がるようにどんどんと人が集まっている。ボクはエメルへの怒りも忘れ、ドン引きした。
「中心に居るのは第一王子殿下かな。凄い人気だね」
第一王子殿下の周りには同級生から上級生まで様々な人が押し寄せてきている。人だかりの隙間から見えた殿下は、慣れた様子で受け答えしていた。きっとこういうことは、彼にとって日常茶飯事なのだろう。
「人気なんて言葉じゃ収まらなそうだけど。凄い通り越して怖い」
「もし第一王子殿下が王位に就くとしたら、今から歓心を買っておいた方がいいだろうからね。彼らの行動も間違ってないと思うよ」
「ふーん」
王子様って大変みたい。嘘か本当か分からない言葉が飛び交う中で、ずっと笑顔を絶やさずにいるだなんて。ボクなら息が詰まっちゃいそう。
「キオン?」
「あっ、待って。今行く!」
スタスタとボクより先を歩いていたエメルが振り返り、首を傾げる。エメルは第一王子殿下には興味ないらしい。こういうところ、リアに似てるんだよね。
ボクも殿下に背中を向けて、後を追いかけた。
――鮮烈な強さに憧れた。
「すごい……」
初めての実技授業。巨大な水流を前に、自分でも知らないうちに言葉が零れた。
第一王子殿下が手を動かす度、水の粒一つ一つが弧を描く。柔らかな微笑みを浮かべながら、意のまま水を操る姿にボクは思わず見惚れてしまう。
「さすがカイル様です……!」
殿下を称賛している人たちに同意せざるを得なかった。圧倒的な才能を前に畏怖を感じて。同時に、その煌めきに憧れる。
あんな風になりたいと、理想を抱いた。
「もー!魔力って一体どうすれば増えるの!?成長や鍛錬によって向上させることができるって、曖昧すぎなんだけど!」
魔法の訓練中、ボクは耐えきれず叫ぶ。基礎である体力作りから数式の勉強まで毎日色々なことを試しているのに、一向に魔力が増える気配はない。
「そんな簡単に増えるわけないでしょ。気長にやっていくしかないんじゃない?」
エメルが氷の結晶を指で器用に作りながら呟く。確かにその通りではあるんだけど、エメルに言われると素直に頷けなかった。
殿下の魔力は七で、いつもムカつくエメルは六。そしてボクは――五。
魔法は魔力が全てではないけれど、それでも魔力の差というものは大きい。たった一つ数字が違うだけで、使える魔法だって幾つも変わるのだ。
「う〜……考えてても仕方ない。とにかく頑張るのみ!」
蹲り、だけどすぐに立ち上がる。腕を上げて叫んだボクにエメルが「立ち直り早すぎじゃない?」と呆れて笑う。
「いいでしょ!エメル相手してよ!」
「えー、今日は俺、疲れてるんだけど。ていうか実技の授業が連続であったのに、何でキオンはそこまで元気なわけ?」
「あれくらい全然平気だもん!」
「山の中を駆けずり回ったっていうのに……?」
信じられないと呟きつつも、エメルは重い腰をゆっくりあげた。
「三回までね。それ以上は本当に死ぬから」
「うん!」
エメルと向き合い、ボクは魔法陣を展開させた。頑張るのは楽しくて、わくわくする。
どこまでも走っていける気がした。
――まるで暗い闇の中に迷い込んでしまったみたいに。
一年目はあっという間に過ぎ去り、二年目の春。リアとアイリスが入学してきた。
エメルやカイル様ともまた同じクラスになれて、順調な日々だった。
「お兄様、また遅くまで起きてたの?」
学校へ向かう馬車の中で欠伸をしたボクに、リアが怪訝そうな顔で問いかけてきた。
「す、少しだけ……」
バツが悪くなり、ボクはリアから目を逸らして答える。課題が終わらず寝れなかっただなんて、格好悪くて口に出せるわけない。
二年生になってからというもの、学ぶことが一気に増えた。一年の授業がどれほど易しかったかと思うほど。
「……あんまり無理はし過ぎないでね」
「うん!今日は早く寝るから大丈夫!」
怪しげに目を細めるリアに「本当だって!」と伝えれば、ようやく安心したように表情を緩ませてくれる。
大丈夫、今日も頑張ろうとボクは心の中で呟いた。
「退学者ですか?」
六月下旬。一人の退学者が現れたとカイル様が教えてくれた。どうやら隣のクラスの人らしい。
「うん。詳細までは分からないけれど、どうやら自主退学みたいだよ」
「とうとう出たって感じですね。二年に上がってから、授業についていけてない人がちらほら居るようでしたし」
特に驚く様子もなく、エメルが話す。なんだか自分のことを言われているみたいで、ボクは内心ドキリとした。
「学費を払えば誰でも学べるなんて言ってますけど、実際はそんな甘くないってことですね」
「基礎以外のことも学ぶようになった分、難易度が一気に上がったからね……って、キオン?」
「え?」
「どうかしたのかい?ぼーっとして」
漠然とした焦燥感と不安が押し寄せてくる。
そんな気持ちがバレないように、ボクの顔を覗き込むカイル様とエメルへ向かって無理やり笑った。
「えっと、テストの返却がそろそろだな〜って考えてました!」
「ああ、確かにそうだね」
「どうしたの、もしかして自信ないとか?」
「はぁっ!?誰に言ってんの!そんな訳ないでしょ。実技だけじゃなく、そろそろ座学でもエメルに勝つから今から覚悟しててよね!」
ふんっとボクは顔を背けて強がる。二人の前で弱音なんて吐けなかったし、吐きたくもなかった。
大丈夫だと、心の中で唱える。
だってボクはずっと頑張ってきたから。寝る間も惜しんで、沢山の努力をしてきた。だから――
逸る気持ちを抑えて、掲示板に目を通していく。今までは何とか十位以内をキープしてきたから、普段通り上から順に確認する。
一位から五位に名前はないけど、まだ大丈夫だ。
十位を過ぎて、十五位も過ぎて、二十位が過ぎる。心臓がバクバクと嫌な音を立てて、変な汗が流れた。上手く息を吸えているのかも分からないまま、視線だけを下に向かって動かしていく。
三十二位 キオン・ウォレス
目の前が真っ暗になった。
前後も、左右も、自分の進む道が分からなくなって。あんなに頑張ったのに、全部無駄だと突きつけられた気がした。お前の限界はここなんだと、言われたみたいだった。
上を向くと、一位にはカイル様、五位にはエメルの名前がある。
置いていかれるような、ボクだけ取り残されてしまうような、そんな感覚だった。




