34.あの日からずっと
私の前で跪いている男に、まずはこれから尋ねたかった。……一体誰なのだと。
というのも、この男を目にすること自体が初めてだったからだ。ノアの仲間の中にこのような男がいた記憶が私にはなかった。
「アリアの知り合い?」
「いや……」
アイリスに横からこっそりと聞かれて、言葉を濁す。一人で出かけたことはこの数年数えるくらいしかない。だから誰か一人くらいは記憶に残っていると思ったけれど、アイリスだけじゃなくどうやらキオンたちも誰なのか分からない表情だった。
「……久しぶり?」
悩んだ末に平凡な言葉を捻り出す。とりあえず男に合わせることにしたというわけだ。
本当ならば誰なのかと尋ねたかったけれど、あまりにも期待に満ちた顔でこちらを見上げているせいで切り出しにくかった。
幸いにも久しぶりに会ったということは間違っていなかったのか、目にかかる程長い茜色の前髪から除く瞳が更にキラキラと輝いた。
「虫けらも同然の僕を、まさか覚えていてくださってたなんて……!」
「当然じゃない」
私は頷きながら必死に記憶を辿る。こんなことを言われてしまえば、もう誰なのかなんて聞くことはできなかった。
「女神様に救われたあの日からずっと、もう一度お会いして直接お礼を伝えたいと思っていたので、本当に夢のようです」
救ったって私が!?自分で言うのもなんだけど、私はそんな慈悲に満ちた人間ではない。困ったことに全く心当たりが無さすぎて、別の誰かと勘違いしている可能性が出始めた。「もしかしてお金でも握らせたの?」だなんて失礼なことを耳打ちしてきたエメルの言葉を無視して、目の前の男をじっと見つめる。
だけどやっぱりいくら考えてみても記憶になかった。
この男のことを考えるならすぐに訂正してあげた方がいいんだろうけど、注目が集まっている今はあまりいい選択ではない。またどんな噂が飛び交うか分かったもんじゃないから。一旦は適度にやり過ごすことに私は決めた。
「大したことはしてないから気にしなくていいよ。貴方が元気でいてくれた事が一番だから」
「ああ、なんて美しい人なんだ……はっ、そうだ!女神様にこれを……」
「?」
男が突然上着を漁り出す。そして一つの装飾品を取り出した。
「……!」
大きなルビーの宝石に金の線条細工が施されているブローチは、男の手には少し小さくて似合わない。けれど確かに見覚えのある物に、自分の目が見開かれていくのが分かる。キオンも気付いたのか「あっ!それって……!」と叫ぶ声が耳へ届いた。
そうだ。これは私がまだ幼かった頃に気に入っていたブローチだった。そしてようやく目の前の人物が誰なのか知る。
数年前に拉致事件が起きた時、檻の中で出会った男の子だった。
「……まだ持ってたんだ」
「当然です!何もかも嫌になってもこれを見る度に、まだ生きようと思えることができました」
そう言って男は笑う。初めて出会った時とは違い、やせ細った身体にはある程度の肉が付いていて、酷かったクマはもう消えていた。
あれから何年も経ってるうえ、完全に別人だったから気付かなかった。
二つ渡したうちの一つということは、もう片方は多分売ったのだろう。でもそれで良かったし、尋ねる気はなかった。
男が差し出すブローチを私は手に取った。
もう錆びれていてもおかしくないはずの線条細工には汚れ一つ付いてなく、彼が本当に大事にしてきたことが一目で分かる。
こんな形でまた自分の元へ帰って来るとは思わなかった。
「ありがとう大事にしてくれて」
「とんでもございません……!」
私がお礼を伝えれば、彼はぶんぶんと首を振る。そのままブローチをポケットへ入れようと――した手を、アイリスが引き止めた。
「ア、アリア待って!」
「?」
一体どうしたのだろうと首を傾ける。『わざわざ返してくれるなんて律儀だな』と呑気に考えていた私にアイリスは慎重に口を開いた。
「それは返したのではなく、見せてくれただけなんじゃないかしら」
「……」
私はそっと手を持ち上げて、元の位置にブローチを戻した。
「もしお金に困った時は遠慮なく売って」
「は、はい!」
既にあげた物だからどうしようと勝手だけど、本当に困った時は思い出よりも衣食住を優先するべきだ。私の言葉に彼は首を縦に振った。
「そういえば、貴方の名前は?」
「ステファン……といいます」
「ステファン・ブライトンだ」
「ちょっとノア、恥ずかしいって!」
「何を恥ずかしがる必要がある?俺たちは家族だろう」
突然別の人物が割り込んできて、ステファンが慌てた。ところでノアと同じ姓で、家族というのはどういう意味だろう。私の疑問を解決するかのように、ステファンが説明してくれる。
「その、僕には姓がないのでノアが『俺の姓を使えばいい』と言ってくれて……」
「俺はノア・ブライトンだ!君の話はステファンからよく聞いていた。俺の家族を助けてくれてありがとう!」
「女神様に対して馴れ馴れしすぎるから……!」
気さくに私へ話しかけてくるノアに、ステファンは「やめて」と頭を抱えて叫ぶ。私はどちらかというと、その恥ずかしい名称の方をやめて欲しかった。
「……その女神様って呼び方やめない?」
「ああ、気が付かなくてすみません!聖女様とお呼びするべきでしたね」
それはもっと駄目だって。本気で勘違いする人が出てきても困るし、聖女を詐称したと牢獄に入れられたら洒落にならない。
「そうじゃなくて、普通にアリアでいいよ」
「え、ええ!?女神様に対してそんな失礼な」
「分かった、よろしくアリア嬢!俺のこともノアと気軽に呼んでくれ!」
ステファンに言ったはずなのに、なぜかノアが頷く。正直ノアと私はまだ名前呼びし合う関係値じゃないと思うのだけど、ここで拒否するのもおかしいから「はい、ノア様」と容認した。
「あの〜お話中すみません……」
「おお、どうした?ラウラ」
「そろそろ魔力測定が始まる時間でして……」
「もうそんな時間か」
「話が長すぎるのよ。ていうかいつも根暗のソイツがこんなに明るいとこ初めて見たわ」
眼鏡をかけた少女――ラウラが小さく手を上げてノアへと話しかける。それに便乗するように同じく様子を伺っていたもう一人の少女も前に出てきた。彼女もひか恋で見たことがある。ルカの双子の妹でもあるルナだ。
「ルカも待たせて悪かったな。ではそろそろ行くか」
「うん……」
ノアの言葉にステファンは渋々ながらも立ち上がる。足を運ぶ直前、彼はもう一度こちらへ振り返り声をかけてきた。
「ア、アリア様……!」
「?」
「僕も絶対に特待生になってみせます。だから、その……」
「もうハッキリしなさいよ!」
直前までの勢いはどこへいったのか、もじもじと指先を弄るステファンにルナが呆れたように叫ぶ。小さく息を吐いて、今度は私から伝えた。
「うん、待ってるね」
「……!はい!」
特に激励や気の利くことは言っていないが、それでも満足したのかステファンは夢見心地な足取りでノアたちの方へ向かっていく。
「……」
果たして彼が本当に特待生になれるのだろうか。ラウラ、ルナ、ルカ。ひか恋でノアの仲間だったメンバーはその三人だけだった。つまりそれは――
「どうしたんだい?難しい顔をして」
「いいえ何でもありません」
カイルの声が思考を割く。そうだね、今何かを悩んだところでどうにかなるわけじゃないのだから、余計な考えはやめよう。私は首を振った。
「さっきの子は友達?」
「似たようなものです」
「彼が言ってた話、聞きたいな。後で俺にも教えてくれないかな?」
「……」
大したことじゃないですよと断ろうとしたけれど、長年封印してきた黒歴史がふと頭の中に浮かんだ。アイリスたちの誰かに説明を任せた場合、あれをカイルにまで知られる可能性がある。
「そんなに大したことじゃないですけど、殿下が知りたいのであれば勿論」
「本当に?楽しみだな」
仕方ないと同意した私に、カイルは嬉しそうに微笑んだ。




