グループ発表 #2
選考会は十五時からだという。
自分が望んだわけではないのに、《メンバー補充》という そんな大事な場所に、何で呼ばれているのだろう。
プロジェクト責任者のリューイチに急に呼び出され、半ば 一方的に美容院に行かされ――――今、目の前のこの扉を開ければ もう逃げることはできない。
外の気温は、三十四度。うだるような暑さだ。
節電対策とはいえ、さすがにビルの中は冷房が効いていて、人によっては半袖では寒いこともある。
奏良は、いつも通りの 七分袖、普段着パーカー。色は 黒だ。
正面 ど真ん中、なかなかシュールなウサギのイラストが笑える。親指を下に向けて悪態ついてる顔は、まさに奏良の気持ちを代弁しているようだった。
* * * * * * * *
指定された 第三レッスン室は、訓練生や候補生がよく使用する部屋の中でも 大きい部類に入る。
床板には、これまでレッスンごとに使ったであろう場ミリ―――立ち位置の目印―――のテープ跡が色濃く残る。
壁一面の 大鏡に自分たちの姿を映し、どれほどの若者が歌ったり踊ったりしたのだろうか。
今回歌うのは、三人。
審査をするのは、三十人。
ブラック企業の圧迫面接か、とツッコミたくなるような数の差だ。ただでさえ曲者ばかりの音楽関係者やスタッフ――――歌い手を歓迎しているとは思えない。
けれど、プロジェクトでデビューを勝ち取ろうとしている候補生達は、このような選考会を繰り返し受け、勝ち上がってきているのだ。
この審査で選ばれた一人が配属されるのは《グループA》。
当然、奏良はプロジェクトチームのスタッフだから、すでに決定された《グループ編成》をすべて把握していた。
一大プロジェクトが始まって六ヶ月。
候補生すべての子のサポートを担当してきたのだ。彼ら一人一人の思いも決意も、もちろん痛いほど感じてきたから。
軽い気持ちでは、到底 できない。
その場のノリとか勢いなど、言語道断。
一生を左右する、大事な場面。
「奏良ちゃーん? 入っておいでー」
室内から、リューイチのよく通る声が聞こえてくる。
「奏良ちゃんで最後なんだから、入って来てー」
透明の扉からは はっきりと室内の状況がわかるだけに、正直入りたくはない。
入るということは、選考会の開始を表す。
この期に及んで―――――と言われるかもしれないが、今回の話を聞いたのは ほんの数時間前なのだ。
気持ちがついていかなくても 仕方がないことといえよう。
「………奏良ちゃん、入って下さい」
リューイチでは無理だと判断したのか、社長が直々にマイクで脅してくる。
「入ってくれないと、始められない」
「うっ…………」
学生アルバイト時代から、社長には何かとお世話になっている。
覆面で《仮歌シンガー》をやらせてもらえているのも、無理な要望を最終的には許可してくれるのも、何かあっても全面的に守ってもらえているのも―――――すべて社長のおかげだった。
その社長から『入れ』と言われてしまえば、行かないわけにはいかない。
「…………………失礼しまーす」
まだ完全に気持ちを固められないまま、そろりと扉を押し開ける。
室内に入った奏良の目に飛び込んできたのは。
審査するスタッフと、選考会を受ける他の二名の、ぽかーんとした顔だった。
「えっっ!?」
「奏良ちゃん!?」
「えぇっ!?」
スタッフは全員 顔見知り。
驚いていないのは、リューイチと社長だけ。
百八十度 変化した《見た目》に対して、誰もが驚きを隠せなかった。
あぁ……………見られたくなかった。
注目どころか、大勢で《ガン見》である。
サァッと 耳まで真っ赤に早変わり。
すぐさま回れ右をして 退出してしまいたい。
「おぉ、思い切ったオーダーしたな、リューイチ」
奏良が自らすすんで こんなことをするわけがない―――と 社長は知っている。リューイチプロデュースの《見た目改造》を、思いのほか 気に入った様子だった。
予想以上の、派手髪。
メガネが隠れるほどモッサリとした前髪を潔く切り、色はプラチナブロンドの中でも黄色みが少ない、白金に近い色だ。しっかりブリーチした かなりのハイトーンで、ライトが当たっていないのにキラキラと輝いている。
クセ毛を あえてカットだけで活かし、ゆるパーマをかけたようなニュアンスショート。誰がどう見ても 《派手》の一言につきるが、それが自然に見えるほど よく奏良に似合っていた。
これまで スキンケア以外に特にメイクをしてこなかった肌は、色白でシミ一つない。 誰もが触れたくなるような、もちもち赤ちゃん肌。
髪を切った後に、美容院で軽めのメイクを施された顔は、ネコ目を魅力的にする ヘルシー・ナチュラルメイク。
瓶底メガネをコンタクトに変えただけで、まつ毛の長さが際立つし、唇はほんのりピーチ色。歌わなくても その口元だけで視線を集めてしまう。
ナチュラルなのに、どこかクール。
童顔寄りの あどけなさと、反するセクシーさ。
少年のような 少女のような、《中性的な美》。
黒の普段着パーカーでも、充分すぎるほど 絵になる容姿。
雑誌の撮影ですか、と聞かれてもおかしくない、その抜群のルックス。今までどうして隠していたんだと、室内は騒然となる。
「や~奏良ちゃん、久しぶりにサッパリしたね。いいね、いいね、爆イケだね〜♬」
爆裂イケメン――――それは男性に使う褒め言葉では?
一人ニコニコ ご満悦のリューイチのことを、今すぐグーで殴りたい。
「すぐに真っ赤になっちゃうのが可愛いよね〜」
―――――――他人事だと思って!!
奏良はキッと リューイチを睨んだ。
大勢の人の前で、こんな目立つような格好をさせるなんて――――選考会会場だということを、一瞬 頭から忘れてしまいそうになる。
「……ケッ、場違いなんだよ」
わざと聞こえるように吐き捨てるのは、歌うために呼ばれた一人、『相馬』だ。
彼も奏良と同じ《仮歌シンガー》であり、経歴的にも ちょうど似たような位置にいる。
そのせいもあるのか、相馬は会うたびに《嫌い》という態度を全面に出してくる男だった。
「見た目で目立ったからって、いい気になるなよ」
見た目で………の部分は 物申したいが、間違いなく これは男性ヴォーカルグループの審査だ。
女性の奏良が参加することに異議を唱えるのは当然だと思う。
「…………」
何も、言い返せない。言い返すつもりもない。
こちらはこちらで、社長とリューイチの推薦という断れない事情があって、ここに来ている。社会人なら察しろよ、と内心毒づいたが 口には出さないでおいた。
「色々な意見はあると思うけど、この三人から選びたいと思います。揃ったから、さっそく始めましょう」
これ以上相馬が文句を言う前に、社長は話を進めた。
* * * * * * *
「審査スタッフのみんなは、もちろん三人のことを知っているだろうから、あえて紹介とかは省きます」
訓練生のアキト。仮歌シンガーの相馬。そしてスタッフの奏良。
横一列に並び、同じ課題曲をワンコーラスずつ順番に歌う。
「ワンコーラス終ったら、次の人が最初から歌えるように曲を編集してるから。タイミング遅れないように順番に歌って下さい。五曲すべて一気にやります。最後まで曲は止まらないので注意してね」
課題は五曲。
奏良は何の曲になるのかは知らされていない。
「急遽、こういうかたちでの選考会となりましたが、その中でハンデをつけさせてもらいました」
―――――ハンデ?
新たな情報に 周囲も初耳の様子で、にわかに ざわめく。
「アキトと相馬くんの二人には、昨日の昼に 課題曲を発表しました。昨日の昼からだから、ほぼ一日かな? 練習する時間が多少なりともあったと思います」
「…………」
審査員達は、顔を見合わせる。
そもそも、男性と競う時点で、奏良にとっては不利な状況であるというのに、それ以上 差をつける必要があるのか、……と思った人もいるだろう。
「奏良ちゃんには、選考会の話をしたのも 今日の昼前だし、曲も教えてません。全くの《準備期間無し》で 歌ってもらいます」
「だから、アキトと相馬くんの歌っているのを見て、歌詞を思い出して、最後 三番目に歌って下さい」
…………何となく、意図が読めた。
おそらく、課題曲はDHEアーティストの曲だろう。自分たちの先輩の曲を、どれだけ知っていて、どれだけ魅力的に歌えるか。
準備の時間を与えないというのは、いわば《抜き打ちテスト》と同じようなものだ。《普段の実力》を審査する、といったところだろう。
奏良にとって、他人が心配するほど 難しいことではなかった。
曲は いくらでも知っているし、歌詞も自然に出てくる。
候補生のようなレッスンを受けていないとはいえ、仮歌の仕事を貰えるまでは 散々師匠に教わってきたのだ。他人に負けない程度には歌い込んできている。
問題なのは、大勢の人の前で歌えるのか。それだけ。
超がつくほどの 緊張体質。
見られる、注目される、ということに不慣れだからこそ、たくさんの視線に耐えられるかどうか、である。
「人前で歌うのが苦手な奏良ちゃんも、申し訳ないけど 頑張って歌って下さい。必要だと思ったから、君も 候補の一人として呼びました」
社長の 飾らないストレートな言葉が、足に絡みつく。
いよいよ、身動きが取れなくなってしまった。
「………では、もうさっそく始めちゃいましょうか? 別室の候補生たちも、ちゃんとモニター見えてるかな?」
リューイチの一言で、カメラに映されていたのを 今更ながら思い出す。
「……………………っ」
喉の奥が、ヒュッと鳴りそうだった。
サポートスタッフとして これまで接してきたのに、どんな顔をして、どんな思いでモニターを見つめているのだろうか。
「候補生たちが見てるから、本気で歌って下さいね」
彼らはまだ知らないが、《グループAに配属される人》を選んでいる場だ。
グループA。
そのメンバーになるはずの《四人》にとって、自分は今、どのように見えているのだろう。
候補生たちが、見ている。
……………… あぁ、そうか。
今、自分の心を占めている《恐怖》は、人前で歌うことに対してだけ、ではなかった。
《彼らに嫌われること》―――――それが 今一番、心底 怖いのだ。
「奏良ちゃんは特に、いきなりだから 心の準備はできてないと思うけど。 ―――――録音するのと同じように歌って下さい」
「!!」
リューイチの言葉が、さらなる追い打ちをかける。
つまり、百パーセントを出せ、と言っているのだ。
ずっと頑張っている候補生に恥ずかしくないように、覚悟を持って歌え、と。
「………………」
耳まで赤く染まっていた熱が、急降下するのが自分でもわかった。
焦ったり、怖がったり、腹を立てている場合ではない。
すでに、戦場に立っていたのだ。
守られて、甘やかされていた環境の中で 忘れかけていた。
仮歌だろうと、一曲いくらで 賃金が発生する。
お金をもらうということは、歌い手として《プロ》なのだ。メジャーデビューをしていないだけで。
プロならば、求められていることに忠実に、無駄なく 成果を上げなければならない。
奏良の中で、見えなかったモノが段々と明確になっていく。モヤのかかっていた視界が、クリアになっていく。
自分が、この場で《求められていること》。
ここは、戦場。
――――自分が思う《最高の歌》を、届けること。
聴く側にとっては、いつだって歌い手の状況なんて関係ないのだ。
九十九なんて半端なことは、いらない。そんなのはプロとは呼ばない。
「奏良ちゃんの《いつもの歌》を出すだけでいいからね」
レコーディングで貫いてきたのは、いつだって《Oneschott》。いわゆる《一発録り》だ。
一瞬、一瞬に、すべてを懸ける。
やり直しなど きかない、明日もわからない世界。できることを、最大限 やり切ること。
今 この場で、それができるか。
候補生の前で、見せることができるのか。
できなければ、他の歌い手 二人の、どちらかに決まるのだろう。
――――――奏良ちゃんは、それでもいい?
リューイチが、瞳で問いかける。
アキトか、相馬か。
グループAに、そのどちらかを入れてもいいのか?
それで、デビューさせられるか?
ずっと応援してきた候補生にとって、それがベストなのか?
《彼らが それで輝けるか?》
「……………!」
自分が入ることが、候補生にとって良いことなのかは正直わからない。
けれど。
『できることを やらないのは恥ずかしい』とは、亡くなった母の口癖だ。
何事にも、全力。
実は、一番それが難しいことを 奏良はよく知っている。
ただ、気持ちで負けて できることの半分もできなかったり、中途半端になるほうが もっと恥ずかしい。
それくらいなら、最初から やらないほうがマシだ。
やるか、やらないか。
その二択しかなくて、やることしか選べないならば。
「………………」
スーッと、静かに長く息を吐く。
ドキドキと心臓がうるさいけれど、そんなことは言ってられない。
これが録音ブースなら?
やることは、ただ一つ。
全意識を、《歌うこと》に集中させる――――数秒 瞼閉じて、開けたら それで終り。準備完了だ。
かつてのトラウマがなんだ、候補生の未来と比べたら ちっぽけな問題でしかない。それぐらい彼らを応援してきたし、これからも そうでありたいと思うから。
その気持ちは、思いは、ウソじゃない。
「準備はいいかな?」
「「いいです」」
アキト、相馬がそろって答える。
「奏良ちゃんは?」
「………………はい、私も」
負けるのは、趣味じゃない。
舐められるのも、馬鹿にされるのも。
緊張や羞恥の熱ではない、別の炎が身体に灯る。
集中した奏良は、多分 この部屋の誰よりも無敵だった。