レコーディングに向けて #2
九月十六日、時刻は 十二時四十分。
時間も時間だし、お昼を食べてからにしようか、となり。
本社ビル近くのコーヒーショップに、奏良、尊、ルーカスの三人で入る。
入り口が開いた瞬間、鼻腔をくすぐるコーヒーの香りがたまらない。
「あー、いい香り」
「コーヒーって香りがいいよな」
「……そういえば二人とも、朝ごはんは食べたんですか?」
ルーカスの問に、奏良と尊は同時に答える。
「「……食べてない」」
「え、ダメじゃないですか!」
世話焼きオカンよろしく、ルーカスはもっともなことを 注意する。
「社会人たるもの、規則正しい生活習慣が大事って、ボクに教えてくれたのは 奏良さんですよ?」
「………はーい、気を付けます……」
「……眠れなかった、とかですか?」
うかがうような、遠慮がちな視線。
明るくて騒がしくて、周囲を盛り上げるムードメーカーな彼は、その分人一倍 周囲に気を遣う面を持つ。
「そりゃあ、まぁね。一夜にして、候補生になったんだもの」
レジ前のメニュー表を眺めながら、奏良は正直に答えた。
スタッフとしての仕事のことや、アーティスト活動のこと、これからのこと。
考えることも やることも多すぎて、何から手を付けようか 優先順位が難しい。
よく考えて。けれど、グズグズしていても 時間が足りなくなる。
「俺は、Aセット。ドリンクはホットで、ブレンド」
「ボクはCセットで、カフェラテのホット!」
「私は……やっぱAセットにしよう。カプチーノのホットで、すべてテイクアウトでお願いします」
外は暑いが、食べるのは室内の冷房が効いたレッスン室だ。
普段から、身体のためにコールドドリンクを なるべく控えている三人は、みんなホットを注文した。
「俺が払うって」
「いえいえ、ボクが払いますよ」
「何言ってるの、年上が払うもんでしょ」
ごちゃごちゃしている間に、奏良がさっさと会計を済ませる。
「……あ」
「もう、奏良さーん」
「黙って 奢られときなさい」
尊と比べたって、自分の方が 八歳も年齢が上になる。
硬派な感じが強い 尊は、《男が払うもの》とでも思っているのだろうか?
まあ、そういうことはプライベートで、可愛い彼女にでもやってあげなさい。
「………じゃあ次は、俺が払うから」
「こだわるね、次男」
「ボクもボクも!」
これでは、当番制になるではないか。
「これからは多分、ご飯とか一緒になるでしょ?」
「まぁ、そうなるよな」
イヤでも、同じ時間で動いていかなくてはならない。
「次は誰、とかしてたらキリがなくなるでしょ。この次からは、ちゃんと自分で払うようにしよう」
「……えー」
「今日は、休みの日に頑張ろうとしてる《良い子》に、お姉ちゃんからのご褒美です。わかった?」
「……OK」
でも 次は払う―――と尊は言いたげな顔だ。
男の面子とかあるのだろうか。
だとしたら悪いが、はっきりいってどうでもいい……とドライに切って捨てる。
出来上がった商品を 右手で受け取り、まだブツブツとぼやく尊の手を 左手で取って、横断歩道に向かう。
「!?」
「ルーくんも、行くよー」
「あ、尊くんだけ、ずるい!」
すぐに追いついたルーカスは 商品を奪い取り、そのまま 奏良の右手を自分と繋ぐ
「………ルーくん?」
「ボクたち、仲良しですから!」
いい歳した大人三人が、みんなで手を繋いで 歩いている。
しかも、どれも 見惚れるほどのビジュアルの持ち主。
『DHEの若い子たちで、手を繋いで歩いているグループがいるんだって』
『すごい、なかなか そんな仲いいのっていないよね』
『可愛い〜』『見たーい』『会えるかなぁ〜』
『探してみる〜?』
この界隈に そういったグループが出没する―――と噂が立つのは、それからすぐのことである。
何気ない奏良の行動は、一種のブームを引き起こす原因となり――――振り回される男たちは、それに慣れていくしかなかったのである。
* * * * * * * *
昼食後の、練習。
オリジナル曲のパート分けのために、まずはフルコーラスを歌ってみる。
サビ:I'm crazy about you
I can't see anything but you
Woo Woo……
〜♪♬〜〜♪♫〜♬♪♬〜〜
Aメロ:もう忘れよう これが最後だと
こぼれる涙 苦しくて
歩き出し また戻る
何度 自分に問いかけても
There is only one answer
君がいい 君しかいらない
「アカペラのサビから始まるから、出だしは大事だよね」
ホワイトボードに歌詞の書いてある紙を貼り付けて、注意ポイントを書き込んでいく。
「ここは、やっぱ全員の方がいいよな?」
「そうだね、その方が グループとしてアピールできそう」
サビのあと、流れ出す前奏。
続くAメロは、曲の雰囲気を決定づける、重要な部分だ。
「ここのメロディ、歌うと難しい」
尊は歌いながら、がっくりと項垂れる。
一般的に、サビやサビ前のメロディは 盛り上がるパートになるから、割と歌いやすくできているものだ。
そこにいくまでの、物語の序盤。
雰囲気を作りつつ、何よりも音程の正確さが求められる。ここが崩れると、曲の完成度が台無しになるのだ。
「……クッソ」
自分の 実力不足がイタイ。
それでも、嘆いていても 仕方がないから、前を向く。
「奏良さん、一回フルコーラスで歌ってくれません? ボク、お手本が聴きたいです」
「……俺も」
サンプルで聴いた 《仮歌シンガー》の歌声は、確かに上手かったのだが。
この曲―――My Treasureは、なんとなく 奏良の歌声で聴きたい。
「………いいけど」
作曲者本人なのだから、音程も歌詞も、当然 問題はない。
それはまだ秘密だが、最初から躓いているメンバーのために、とりあえず歌ってみることにする。
《全員》I'm crazy about you
I can't see anything but you
Woo Woo……
〜♪♬〜♬♪〜〜♪♬〜
《一》もう忘れよう これが最後だと
こぼれる涙 苦しくて
歩き出し また戻る
《二》何度 自分に問いかけても
There is only one answer
君がいい 君しかいらない
《三》We gotta hurry
機会は作るもの
怖がらずに
《四》Trust your heart
なんだって できる
失うものは何もない
《五》君への想いが 僕を強くする
あきらめない その場所へ
《一、二》何万回ダメでも
《三、四》終わりなんてない
《全員》I'm crazy about you
I can't see anything but you
Woo Woo……
《二、四》胸 しめつける
The only treasure
《一、三》ゆずれない
You are my treasure ……
※二番へ続く
「…………はぁ。やっぱ違うな」
「めちゃくちゃ、イイ!!」
奏良の歌声は、曲のイメージを 膨らませてくれる。
「とりあえずサラッと歌ってみたけど、雰囲気とか歌い方とか、これから相談して決めていかなくちゃね」
曲の解釈などがズレると、一曲として完成しない。
全員で合わせてこそ、だ。
「―――――――今のイメージで、概ね いいんじゃない?」
「!?」
いるはずのない唯織の声に、三人は一斉に驚く。
「オハヨウゴザイマス。……って、何でそんなに驚いてんだよ」
「……そりゃ、驚くだろ」
「唯織くん、今日は休みですよ!?」
「お前もだろ、ルーカス」
幽霊にでも会ったような顔とは、まさにこのことだろう。
「……明日は雨か? 台風か?」
「オレをなんだと思ってるんだよ」
「え、だって休みの日は 絶対に外に出ないとか言ってなかったっけ?」
「人を引きこもりみたいに……用があればオレだって出かけるし。出かけなければ、家で歌いこんでんだよ」
パフォーマンスに関してウルサイ唯織は、当然 遊んでいるわけではない。
負けず嫌いなところからきているが、どうすれば良くなるか、どう魅せるか。
器用さだけでは 成り立たない。研究して、練習するからこそ、人よりも上に行ける。
「ってか、お前らこそ、来てたのかよ」
「だって、一人で歌おうとしても、なんか難しいと思って」
ここに来れば、奏良がいる。
奏良がいれば、何かが変わる。
そう信じているから。
「ボクが一番乗りで、次に尊くんが来ましたよ」
「オレは 出遅れた三番目なわけね。今 下に、春音も来てる」
「春くんも?」
「あいつのIDカードの磁気がおかしいらしくて、下で止められてた」
「なに、置いてきたのか?」
冷たい男だなぁ。尊は非難するが、唯織らしいな……と奏良とルーカスは思った。
なんだかんだ、休みだというのに、結局は全員で集まっている。
「おはようございまーす。あれ? みんないる?」
遅れて顔を出した末っ子を見て、同時に吹き出す。
「……なんかさ、示し合わせたみたい」
「ボクたち、やっぱり通じ合ってますね!」
「休みじゃないじゃん」
「休みたかったけど、オレ 真面目だから」
「……真面目だったら、もっと早くに起きていそうですけど。僕と同じくらいだし」
「春、お前にだけは言われたくねぇ」
「春音も起きねぇもんな」
合宿を思い出し、尊は げんなりした。
「起こすの大変だったよねぇ」
スタッフとして合宿に参加していた奏良も、思い出したように笑う。
「第三期の候補生中で、起きない人 トップスリーですもんね」
どんなに疲れていても、尊やルーカスは時間に遅れないように起きるが、あとの二人は それができない。
「………まぁ起きられないってのは、私もわかるけど」
自分も起きられなくて、目覚ましアラームを六回セットしている奏良は、強くは言えない。
「え、奏良さんも起きられない派ですか?」
「意外です……」
「一人で住んでたら、遅刻するかもっていうレベルだよ」
幸い、弟と二人暮らし。
「弟がね、朝から全力でウルサイから、家だったら確実に起きられるんだけどね」
合宿や、外での起床には不安がある。
「え、そういう時 どうしてます?」
「………王子様のモーニングコール?」
「!」
「!」
「………冗談だから、そこは突っ込んでよ」
「ボク、マジでビビりました!」
昨夜、恋人いない云々を語ったはずなのだ。
「お兄ちゃん、頼めば電話で起こしてくれるから。甘えてるの」
「えー、優しい!」
「優しいよー、ちょっとヤバいくらい」
奏良は四人兄弟になる。
兄の碧海、弟の陸、末っ子の陽。
男ばかり三人もいるから、男だらけのプロジェクトでも 気にせずやっていけるのだ。
「……奏良さんと似てます?」
「あー、血が繋がってるのは、末っ子だけなんだ。ウチ、親が再婚同士だから」
長男、次男は父の連れ子で、母と自分が一緒になって、末っ子が生まれた。
「まさかの、複雑家庭……」
「……なんか、ごめんなさい」
「あ、全然。むしろ、どこの家より 仲いいって思ってるし」
奏良にとって、血の繋がりがどうでもいいと思えるほど、家族仲は強固だ。
「お父さんもお兄ちゃんも 激甘だし、上の弟はしっかり者で」
多分、一番気が合うのは 次男の陸だろう。
「三男は―――歳が離れてて。春くんと同じ二十歳なんだ」
「え、僕と同じ歳なんですか?」
赤ちゃんの時に 母が亡くなっているからか。
とにかく、超がつくほど奴は《甘えん坊》。
「朝から晩まで……寝る直前まで 全力でウルサイの。ずっと引っ付いてくるし、今みたいな夏場は 地獄よ?」
慢性的な寝不足の原因の一端は、弟にあるともいえる。
弟―――陽はDHEでデビューしているアーティストだ。仕事への利便性を考えて、本社に近い今のマンションに 一緒に住んでいるのだが。
「………ボクも弟いますけど、そんな感じの子じゃないですね」
「オレも弟いるけど、絶対 違うわ。ケンカしかしねぇもん」
「俺のとこも違うな。歳は離れてるけど」
そもそも、二十歳を過ぎても 姉にベッタリなんて。
「俺は姉ちゃんもいるけど、とても そういう風にはなれねぇな。……怖いし」
メンバーの中で唯一 姉を持つ尊は、自分の姉を思い出して 首を振る。考えただけでもゾッとするではないか。
「……奏良さんがお姉ちゃんだったら、ボク 気持ちわかるかも」
「…………お前、今日すげぇ ひっ付いてたよな?」
ここぞとばかり、尊がミサイルを放つ。
「え、何、どういうこと?」
「俺が来たとき、すげぇ二人でイチャイチャしてんの」
「ほぉ~」
「し、してませんよ!」
「………んー、怪しいです」
末っ子にまで詰め寄られ、ルーカスは苦し紛れに 次男を巻きこんだ。
「み、尊くんだって、奏良さんと 手を繋いでたじゃないですかぁ!」
「っ!?」
追い詰められて、まさかのロケットランチャー弾、炸裂。
「えぇっ!?」
「何してんの、お前ら!?」
歌の練習のために集まったはずなのに。
話はどこまでも、違う方向へと広がっていく。
「えー、そんな問題?」
奏良一人――――どこかズレているのは、育った環境が《特殊》だからかもしれない。
スキンシップが激しすぎる兄弟を持つせいで、ルーカスに対して 何の違和感も抱かないときている。
「奏良さん………やっぱヤバいわ」
「………超、危ねぇ」
「まさか、誰にでもやってないですよね!?」
「………これは、想像以上でしたね」
「??」
無自覚 女王を前に、何か対策はないのか。他のグループには わからない、STELLA独特の問題。
「………よくわからないけど、とにかく練習するよー。準備して?」
芯をしっかりと持つ、仕事では《やり手》な大人なのに。
プライベートな部分に関しては、妙に危なっかしい。
「……歌うか」
「そうしましょう。この問題は、掘り下げてはいけない気がします」
「…………だな」
「練習しないと」
こうして、オリジナル曲の レコーディングへ向けての第一歩は、他のグループよりも 一日早く始まったのである。
* * * * * * * *
グループ発足から、三日後。
九月 十八日。
「じゃあ、グループ毎に《レッスン着》配りまーす」
奏良の代わりにサポートスタッフとして働く川口が 段ボール箱で運んできたモノは、グループ独自のレッスン着だった。
DHE MUSICは、候補生以上になると オリジナルのレッスン着を作成してもらえる。
グループが決まっていないうちは、全員がお揃いの ライトグレー色で、半袖、長袖、トレーナーの三種類が支給される。個人の名前入りというだけでも テンションが上がるのだが。
「Infinityは 爽やかブルーです。いいですねぇ」
今回は これから秋、冬を迎えるにあたって、半袖、長袖、トレーナー、パーカー、キャップの五種類で、背面には個人名、正面にはグループ名がプリントされていた。
上着とセットのパンツも四種類あり、それぞれ腿の辺りにグループ名が入っている。
Infinityは、スカイブルー。
The One and Onlyは、シックな ブラック。
STELLA LOVE HAPPINESSは、ピオニーピンク。
「ピオニーって?」
「牡丹って意味だろ」
雑学好きの唯織が当然のように答え、そこに川口が補足する。
「和名でいくと《牡丹色》ってことらしいですよ〜。日本の伝統色って、趣がありますよねぇ」
紫がかった、ピンク色。
濃いめの《赤紫色》よりは落ち着いた、表情のある色だ。
明るすぎず、暗すぎない、ほどよい大人感が漂う。
そこに、キラキラと反射する、ホワイト系シルバーの文字。
「STELLAは元々星がイメージだもんな」
グループのロゴは、大きな手書きハートの枠があり、そこに英文字が入る。
周りにキラキラ《輝き》のマークと、ハピネスを表す 音符の文字。
「STELLA=星、LOVE=ハート、HAPPINESS=音符。 ………そっか、絵文字に変換できて面白いね」
「色も可愛いな」
「僕、こういう色って 自分で選んで着たことないです」
「STELLAのみんなは 肌が白い人が多いから、ピンク系が似合うと思いますよ〜」
一番の色白は ダントツで奏良だが、他の四人も男にしては白いか、標準だ。色黒はいない。
なんたって、抜群のビジュアルを誇る五人だ。
ピンクという あえてクールから外した色でも、可愛さとセクシーさを持つ彼らなら 余裕で着こなすだろう。
奏良にとっては、初のレッスン着。
これまで私服で浮いていたのが、ようやく候補生らしくなれるというべきか。
「せっかくだから、みんなで着替えよう!」
三グループ全員で、新しいレッスン着に袖を通し、
改めて集合する。
「おぉー、みんな着替えたな?」
そこに、カメラマンを連れたリューイチが入ってきた。
「超かっこいいでーす」
「嬉しい!」
「みんな似合ってるなぁ!」
「リューイチさん、ありがとうございます!」
興奮を隠せない候補生たちが、口々に喜びの声を上げる。
グループ毎にそれぞれ写真を撮り、最後は全員集合での記念撮影。
その様子も テレビカメラで撮影されていて、後日 放送されるのだろう。
どのグループも仲良さそうに戯れ合いながら、自分たちの個人携帯でも 撮り合いをして。
それから、グループの枠を超えて、様々な人たちと入り乱れての撮影会。
「…………これから、本格的になっていくんですねぇ」
サポートスタッフ川口の 何気ない言葉に、奏良は お腹のあたりが じんわりと重くなる気がした。
決して、一人ではない。
グループなのだ。心強いメンバーが いる。
わかってはいるのに―――。
拭いきれない、漠然とした不安はなんだろう。
スタッフとしてではなく、アーティストとして歩む未来の景色が、まだ完全に思い描けていないのか。
「………奏良さん?」
ルーカスの言葉に、うまく返事が返せない。
デビュー前、全国行脚がどんなものかを 知っているからこそ。
奏良はみんなのように、素直には 喜べなかったのである。
牡丹色。綺麗で可愛い色です。