魔法少女エルフちゃん、挑む
紅の瞳が輝く。
エリオットは静かに嗤った。
「英雄、か。何とも陳腐な響きだ。いいだろう、敵同士である俺とお前に言葉はいらない。かつて、この場で戦った勇者たちがそうだったように、な」
私も良くその話は知っている。だって、教えてくれたのは他ならない目の前の同族だったから。
どうやら、エリオットはまだ私の正体に気付いてはないらしい。
でも、自ら告げるつもりはない。
その腐った性根を叩き直す為にも、エリオットに手加減して欲しくないからね。
「水をどっかん!」
私の言葉に呼応して、川が隆起する。
そのまま天高く突き上げられた水の槍は、『龍』を形成した。
「あらゆる魔法を言葉一つで扱う、ステッキ。何とも馬鹿げている」
「だが、それでは俺に勝てない。――異界の祠、闇の英雄。彼の宿敵を倒す為に、龍を喰らう龍を生み出せ」
私が作り出した水龍に対抗する、黒い龍が生み出される。
感じた事の無い力だ。強いて言うなら、『闇の魔力』といった表現がぴったりか。
杖に秘められている力の大きさは、あちらに分がある。
だけど、私のように一言ではなく、ご丁寧に詠唱を行っている以上、手数はこちらが優位だ。
「光よ貫け!」
高密度の魔力の塊が、黒龍に向かう。
「――滅却の瘴気」
エリオットが短く呟くと、黒龍が体を捻って口を大きく開いた。
彼も又、|"一言"《ワンワード》。予想とは、違う――!
瞬間、反射的に私は周囲に結界を形成した。
「グォオオオオオオオ!」
大気を震わせる咆哮と共に、闇を纏う魔力の咆哮が周囲を焼き尽くす。
かといって、木々を焼く訳でも地面を破壊する訳でもない。
まるで最初から『ゼロ』だったように、水龍が霧散して、並の大魔法なら防いでしまう筈の『結界』が呆気なく消失する。
防ぎきれなかった余波は、私の肌を――いや、ステッキを焼いた。
光り輝いていた星形のオブジェクトは、微かに黒に染まっていた。
馬鹿な私でも分かる。
あれは正真正銘、"魔法少女だけを殺す技"だ。
それはステッキの力も同様で、あの咆哮に触れると、どんな力も無になってしまう。
そしてあれは、外側に力が働く『魔力』では有り得る事の無い、完全に独立している『獣』。
ならば既に、詠唱は必要なく、圧倒的な手数でこちらを喰らい続ける。
「精々抗うといい。黒龍を前に、貴様の力など無に等しい」
紡がれる言葉の数々。
詠唱にしては余りに短すぎる程の、魔法が矢継ぎ早にエリオットを襲う。
しかし、彼の瞳は揺るがない。
昔ならカッコイイと呟いていたであろうその姿も、敵になった今では脅威に違いなかった。
私の魔法に対するは、黒龍が放つ咆哮の応酬。
先に、厄介な黒龍を討伐しようとしても、そもそもが私の力と相反する力で構成されているのだから、あらゆる攻撃を受け付けない。
それに唯一の勝機である『手数』も、私と殆ど差はなかった。
どころか、エリオットは状況を俯瞰して、黒龍に命令するだけでいいのだから、手数が緩む事はない。
一方、戦場の中心で意識を減らしている私は、時が経つ事に手数が減る。
ならば、戦場での私の位置が徐々に端に追い詰められていくのは当然だった。
直接魔法をぶちかましても駄目なら、あくまで魔法は補助に。
周囲の石や木々なら、黒龍を下せるのではないか。
そう思って実践したが、黒龍の体は魔力で出来ている。
ならば、魔力以外で滅する方法はない。かといってステッキは通用せず、私自身の純粋な魔力を頼ろうにも、余りに心もとない。
正に絶望だ。
「俺は別にお前を殺したい訳じゃない。――取引に応じるなら、助けてやるが?」
「はぁ、はぁ……私は魔法少女だから」
諦める選択肢何て、『知恵の祠』で魔法少女になった時に捨ててしまった。
「……脆いな」
残念そうに呟いたエリオットの視線が、心にぐさりと刺さる。
意味は分からなかった。ただ、失望はひしひしと感じる。
私は何か、間違っているのだろうか……?
そんな疑念を抱きながら、私はやるべきことをやった。
無我夢中でステッキを振って、黒龍の猛攻を防ぎ続けたのだ。
「――かぁ」
「どうやら、水の方が勝ったらしい」
気付けば、私の体は戦場から落ちて、川に仰向けに浸かっていた。
火照った体に沁みる敗北の冷水は、再び立ち上がる気力も奪っていく。
「貰うぞ、お前の命」
遂に動いたエリオットだったが、それは勝負が決したから。私は、戦いの土俵にも立っていなかったという事か。
彼の手が私に伸びる。その手が握っているのは黒いステッキで、万が一にも救済はない。
瞼が、ゆっくりと閉じて――、
「……何のつもりだ、3番。いや、裏切り者と言った方がいいか」
直後、私の頭の方向から影が伸びる。
不甲斐ない姉の救済に現われたのは、弟だった。
「魔法少女エルフちゃんに……僕の姉さんに手を出すな!」
突如立ちはだかった元部下に、エリオットは眉をピクリと動かす。
「姉……なるほど、あれだけの信念を持っていたお前が裏切ったのも納得がいく」
「姉だからじゃない。姉さんだったからこそ、だ。主も――いや、エリオットも真実を知ればそうなる」
「真実、だと?」
「……辞めて、リーン。こんなよわよわな私が、過去と会う事は――」
体を起こした私の言葉に耳を傾けたリーンだったが「このまま姉さんが死ぬくらいなら」と、翡翠の瞳でエリオットを強く睨む。
「僕の名前は、リーン・ウィンベール。姉さんの名は、スフィア――貴方の記憶に残る少女です」
「お前の姉さんがスフィア……?いや、お前はさっきこの魔法少女が姉だとーー」
「そうだ。だから、魔法少女エルフちゃんの正体こそ、魔法少女エルフちゃんです」
刹那、エリオットに動揺が走る。
暫くして、彼は思い耽るように蒼天を見上げた。
●●
エリオットは少し痛いエルフだった。
昔から好きだって英雄譚の登場人物のように、気丈にカッコ良くあろうとしたのだ。
しかし、たかだか同年代では優れているだけのエルフが演じるには、余りに鼻に付く振舞いだったらしく、周囲の視線が痛かった。
それでも自分を貫き続けたエリオットはある日、自分を受け入れてくれる同族の少女と出会った。
妖精らしくない紅の瞳の前では、更に気丈に振舞っていたのは、胸に秘める友達とは違う感情故だ。
エルフに限らず、多くの種族がそうであるように、エリオットは初めて恋をした。
日に日に魅力的になっていくスフィア・ウィンベールは、何時の日か、エリオットが『英雄』を目指す原動力となっていたのだ。
だがある日、スフィアと共に王国に出かけた際、奴隷商に襲われて、エリオットは何も出来ずに敗北した。
身を挺してスフィアを逃がす事に成功したとは言っても、自己犠牲の結果、好きな人を悲しませる自分等、到底英雄には成り得ない。
―俺は彼女に釣り合わない。
しかし、エリオットは其処で命を落とさなかった。
運よく生き延びて、奴隷商に売り払われ……そして、幸運な事に優しいお金持ちに逃がして貰った。
自分が生きている事を伝える為に、里に帰ろうかとも迷った。
だが、今更生きていたなど、それこそスフィアに合わせる顔がない。
だけど、どうしても彼女に会って……その白髪を昔のように撫でたかった。
そして、ある歪な考えに至ったのだ。
自分が悲しむのも苦しむのも、全てスフィア・ウィンベールの――あのかくも美しいエルフのせいだ。
なら、エリオットにとってのスフィアを、なんてことの無い只の友人に……『ゼロ』に戻せばいい。
あの暴力的な胸を小さくして、自身ではなくて彼女に対する見方を変容させればいいのだ。
彼の名は、エリオット・ローデウス。遠い日の記憶と共に、英雄願望を置いて来た男の名前。
只一つの目的の為に世界のシステム自体を変えようと企む、貧乳絶対教団の主。
言わば、人口の貧乳好きである。
●●
エリオットが一歩一歩と退いて、力強く拳を握る。
古い友人を傷付けてしまっていた事を、嘆いているのか――否だ。
「俺は……お前との思い出が俺をこうした!なのに、又こうやって俺を……!」
それは怒りだ。私が知らない、エリオットが過去の私に抱いていた強い怨念だった。
「エリオット……」
「俺はお前と話せない」
エリオットが目を背ける。
円満な再会を期待していた訳ではないが、これ以上にない最悪の結果。
あんなにも真っすぐ私を見てくれていたエリオットが……他ならない私のせいで、こうなって……。
魔法少女としてどうだこうだと、それ以前の問題だ。
「ずっと、そうだった。ほんと、私はダメね」
エルフの癖に魔法は苦手で、何かを成した事さえもない。
唯一、今の私を形作っている思い出も、偽りだった。
最初から、私は唯一無二に何て成り得なかったのだ。
「……僕は今や、世界的に見ても有名な魔道具制作の巨匠だ。――こうなれたのは、姉さんが居たから。魔法少女エルフちゃんじゃない、スフィア・ウィンベールが居たからだよ」
私と同じ目線で語る為に、リーンが川底に膝を付く。お高い魔導士のローブが濡れる何て、関係なしだ。
「民衆が貴方を支持しているのは、決して魔法少女だからじゃない。優しくて強い姉さんだからこそ、だよ」
「そんな事はない。実際、私は魔法少女の名前を使ってお金稼ぎを……」
「王都での公演、だよね。知ってるよ。だけど、その行動で姉さんは親しみをもたらしている。手の届く距離だと皆に認識させて、希望を与えている。――姉さんは気付かないの?」
私の手をリーンが握りしめる。
長く水に浸かっていた私の手の感覚は既になくなっている筈なのに、流れ込んで来る熱はとっても暖かい。
「少なくとも僕は姉さんが大好きだ。きっと皆も同じで、魔法少女エルフちゃんの正体は他ならない貴方じゃなきゃ務まらない」
情熱を失った灰色の瞳が、じわじわ疼く。
次いでリーンが正面切って言い放った言葉に、瞳が弾ける。
「姉さんは既に唯一無二なんだから」
一度は溶炉で溶け切った鉄が、再び強く打たれて『強固な鉄』になったように。
紅は更なる輝きを取り戻し、今までに無かった炎が心に宿る。
英雄になるには、『唯一無二』に成る必要があるとそう思っていた。
だが、そんな事はない。前提として、誰しもが誰かにとっての『唯一無二』だった。
聞こえの良い言葉で、ころっと納得して再起する。
自分ながら何とも、薄っぺらい。
でも、これでいい。これが私だ。
「待ちなさい、エリオット。確かに私は過去に酷い事をしたのかも知れない。だから、私が今の貴方を止める。もう一度、あの頃みたいに二人で笑おう!」
「言った筈だ。俺はお前と語るつもりはない。だが、立ちはだかるというならば、決着は着ける。――喰らえ、黒龍」
「ッ!姉さん、ここは一旦退避を……!」
奮起した。かといって、絶望的な実力差が私とエリオットにはある。
だけど、視界がクリアになった今は、微かな正解が分かる。
「大丈夫よ、リーン」
強くリーンの手を握り直して、覚悟を示す。
虚勢ではない、確固たる自信。
それを察したのか、リーンがもう騒ぎ立てる事はなかった。
只、立ち上がった私の背を見て零す。
「いけ、姉さん」
「……ごめんね。そしてありがとう。――私にはもう、必要ないの」
魔法少女である時は、片時も離さなかった力の源を黒龍に向かって放り投げる。
(正解ですよ!流石、俺が見込んだだけあるのです!)
何時もの"きらりん☆"の代わりに、そんな高くウザったらい声が聞こえる。
黒龍に当たる直前、象徴足る『一星の装飾』が白く発光して弾け飛ぶ。
生じた衝動破で、あれだけ強大だった黒龍は、そよ風に吹かれるみたいに消えてしまった。
エリオットが持っているステッキの本来の力が『闇』なら、こっちは『光』。
使いこなせないなら無理やりにでも……破壊という強硬手段を以て、真価を発揮すればいい。
「ば、ばかな!俺の黒龍を……いや、ステッキごと破壊するだと!?」
『闇』と『光』は対照的な位置に居る。
なら、100パーの光がエリオットの闇を晴らせない道理はない。
魔法少女の服装が剥がれていく。
間もなく、着慣れたエルフの装束衣装に戻った。
私は只のスフィア・ウィンベールとなったが、それがどうしたと。
「私の名前はスフィア・ウィンベール!、貴方を救う英雄よ!」