魔法少女エルフちゃん、膝を付く
魔法書だと思っていた"それ"は、確かに私が『知恵の祠』で見た『漫画』だった。
―魔法少女エルフちゃんの日常は波乱万丈である。
漫画はその一文と共に始まって、最初は私が悪をばったばったと打ち倒す、まるで伝記のような内容だ。
しかし三頁には一変する。
―魔法少女エルフちゃんは、人々に勇気と希望を与える。そして"夜"になると、その意味は『歪』を孕む。
何やら雲行きが怪しくなって来たわね。
今の所、"魔法少女エルフちゃんを殺す"と言う目的には沿っていない気がするけれど、答えはこの頁をめくった先にあるのか。
少し汗ばむ指で、一枚の紙を捲る。
二頁見開きで描かれているのは、魔法少女エルフちゃん――だったが、やけに露出が多い。
頬は赤らんで、あられもない姿を曝け出して――、
「なっ……な!?」
そこで私はやっと理解する。
これは何と言うか……その大人の本だ。未熟な私の理解の範疇では収まる事の無い、健全な少年少女には見せられない『呪物』だった。
しかも、描かれている対象は魔法少女エルフちゃん。自ら告げなければ、スフィア・ウィンベールとは違う姿に見えるらしいが、私にとっては『私』でしかない。
そうか、魔法少女エルフちゃんを殺すというのは――、
「やっと気付きましたか。その本を流通させる事で、社会の貴方に対する印象を変える。勇気と希望とはかけ離れる聖女もビックリな、はしたない印象を!」
「確かに真偽はどうあっても、確実に世間の印象は変わる……エルフPTA教会や、健全な男の子を育成する聖女の集いが許すわけがない……」
聞いた事の無い組織をリーンが呟いている。
私は全く耳に挟んだことがないけれど、どうして知っているのだろう。ああそうか、魔道具の研究で大成したらしいその過程だね。
ともかくこれが流通すると、確かに私はピンチだ。
元々、魔法少女とは謎の存在。このドウジンシとやらは異世界の文化らしいし、もしかしたら魔法少女エルフちゃんの本性だと勘違いする人も出てくるかもしれない。
そうすれば噂が流布されて、段々と私は民衆に受け入れられなくなる。
やがては誰からも痴女呼ばわりされて、心が錆びれて……勇気と希望を失った半グレエルフの完成だ。
「何て なんて酷い事を……正に極悪。ライジングと言う組織はここまで腐りきっているのかッ!」
膝を付いて、何も出来ない悲憤と共に私は地面を叩く。
ステッキによる『願い』は基本的に何でもできるが、多くの事象が絡み合う場合は不可能だ。既に商人の手に渡ってしまっているのなら成す統べはないし、回収しようにも黒服達が素直に口を割る訳がない。
「……待って、姉さん!諦めるのは、まだ早い!」
「もういいのよ、リーン。私はこれから、破廉恥な痴女エルフとして名を馳せていくのだわ……。きっともう私に誰の見方もしてくれない。でも、心が完全に錆びれるまでは頑張って――」
「違うよ、姉さん。このドウジンシに描かれているのは、魔法少女エルフちゃんでも、ましてや貴方でもない!」
ドウジンシを拾ったリーンが、ババっと私に見せ付けて来る。――ん?見ないって言ってたのに、どうして……それに鼻血が出ているけれど……まぁいいか。
さっきとは違う頁を開いたのに、当然の如く魔法少女エルフちゃんのあられもない姿が描かれている。
付け足しておくと、今度は胸が強調されて……む、ね?
「姉さんも気付いたかい。そうさ、このドウジンシに描かれている胸の大きさは、Aカップ程度!魔法少女効果で、今はFカップの貴方には遠く及ばない!誰がどう見ても、これは別人だ」
「た、たしかに……!ん?と言うか、どうして私の胸の大きさを知って……」
「胸の大きさだけじゃ、確かに一つだけの相違点に過ぎない。だけど、姉さんが思ってるよりもずっと、魔法少女エルフちゃんは民衆の支持を得ている。貴方が与えた勇気と希望が、その些細なヒビを亀裂に昇華させる!――抜かったな、2番、7番!」
「なっ、どういうことですか7番!」
「俺はその本を流通させただけだ!書いたのは、あくまで主で――」
「そんな事も分からないか、貴様ら」
月光が届かない薄暗い路地に、明瞭な声が鳴り響く。
直後、降り立ったのは、黒服の上からでも分かるほどの大物感を漂わせる人物だった。
2番と7番が一歩下がったのを鑑みるに、恐らく彼が組織の主なのだろう。
「どういうことですか、主」
「俺がやろうと思えば、胸を大きく書く事も出来た。だがそれをしなかったのは、我々の信念に背く事になるからだ」
「では何のためにこのような事を……?はっ、まさか!」
「そもそも不名誉を着せる事は、所詮二の次に過ぎない。一番の目的は、我々の信念をより多くの者に伝える為に。来たる最終決戦を前に、戦力を備蓄する為だ」
ハッと黒服達が肩を震わせる。
胸の大小が其処まで組織に影響するとは、ふざけているのだろうか。いいや、何か深い意味が含まれているに違いない。
もしそんな愚かな理由だったなら、私の弟がかどわかされる訳ないもの。
「でも、丁度良いわ。貴方が親玉なら、ここで終わりにしてあげる」
指揮者が演奏を終わらせるときのように、ステッキを振ってピタリと止める。
「ここで決めるつもりはない。しかし、悲願を前にこれ以上、戦力の喪失は避けたい。明日、ラルガ渓谷にて、決着を付けよう。勿論、一対一でだ」
「主、それは幾らなんでも驕り過ぎじゃないか?」
「貴様らに、魔法少女は手に負えない。――この"ステッキ"を持つ俺なら、話は別だ」
虚空から引っ張り出したのは、黒い星が中央に飾られているステッキ。私とは正反対な、正に闇を司る代物だ。
動くたびに闇の瘴気が漏れ出ていて、魔法少女キラーの名に間違いはない。
「"それ"を壊せば、明日まで待つ必要はないのでしょう?」
「猛るな、魔法少女如きが。キラーの名を保有する俺の方が一枚上手だ。言わば俺とお前は水と火の関係、勝敗の予想は容易い」
「あら、強い『炎』が水を蒸発させることを知らないのかしら」
熱を孕む紅の視線で、深淵を覗かせる主に対峙する。が、仰け反る素振りすらも見せない。
流石、組織の長と言った所か。
「フードくらい、外したら」
「貴様がやればいいだろう」
「なら、望みどおりにっ!」
突風が駆ける。
大魔法にも匹敵する一方通行な風は、壁に阻まれる路地裏で行き場を亡くして、天高く舞い上がった。
「おわぁあ!?」
リーンが壁の取っ手に捕まって、黒服達が咄嗟に魔法で反応する。
そんな状況でも、やはり毅然と佇んでいるのは主だった。
黒いステッキを使ってすらない。
これが、闇の組織を牛耳るに相応しい『資格』か。
しかし、布で出来ているフードは別だ。あっさりと捲れて、主の容貌が露になる。
どれだけ凶悪な悪人面かと思いきや、意外と整った顔立ち……というか、同胞だった。
私とは対照的な、金髪に……片目が眼帯で覆われている蒼色の瞳。
色素が薄い自然的な色を有するエルフらしい特徴だが、何処か懐かしさを感じる。
「どうした?エルフだった事が意外か?」
記憶の底で眠っていた声と容姿が結びつく。
瞬間、私の眦が弾けた。
「エリオット、なの?」
それは忘れもしない友人の名前。私を守って命を落とし、私が憧れた英雄。
「どうして俺の名を……?真名まで暴くとは厄介なステッキだ。――語るべき事は告げた、さらばだ」
「まっ――」
静止の手が届く事はなく、エリオットは黒服達共々姿を消してしまった。
どうして彼が生きているのか。どうして私が尊敬する英雄が、悪に染まっているのか。
どうして……私に気付いてくれないのか。
溢れ出す疑問は沢山ある。
ただ、懇願は一つだった。
「エリオットと、話したかったなぁ」
◇◇
懐かしい記憶が蘇る。
あれはまだ私が11歳の頃だったか。
魔法に関して長けている妖精の一族だが、当然、才だけで使いこなせる程、魔法は甘くない。
エルフの幼子は、15歳の頃までに森の試練を受ける事を義務付けられていて、文句を言いながらも、私は日々勉学に励んでいた。
その息抜きに、よく彼と遊んでいたわね。
エリオット・ローデウス、私より一つ上の男の子だ。
12歳にして既に試練を突破して、同族の中でも一つ抜けていた彼は『英雄譚』が好きだった。
しかし同族はともかく、人間の英雄譚を好むエリオットは余り周囲から良い印象を抱かれておらず、だからこそ、エルフとしてはお転婆過ぎる私と彼は何時の間にか仲良くなったのだろう。
「エリオットはさ、将来、英雄さんになるの?」
「ああ、なるさ。エルフでもとびっきりの戦士として、本に名を刻んでやる」
「いいなー。その時は、私の名前も本に書いてね」
「本の価値が下がる」
「いいもーんだ。なら、私がエリオットの本を書いてあげる。それで、勝手にスフィア・ウィンベールって書いてやるわ」
「何と言う強硬手段……」
楽しかった日々を、私は覚えている。
エリオットは本当にカッコ良くて、優しくて……でも、呆気なく命を落としてしまった。
出会って二年が経った頃、王都で奴隷商に襲われてしまった私を助ける為に……。
でも、生きていた。虚栄じゃない、あれは確かにエリオットだった。
なのに、どうして……。最後に顔を見てから10年が経った今、彼が生きる世界は『闇』なのか。
英雄に憧れていた少年は、何処に行ってしまったのだろう。
だけど、悲しまない。あの時、エリオットが私を助けてくれたように、今度はこっちが助ける番だ。
覚悟を胸に、ステッキを力強く握る。
場所はラルガ渓谷、雄大な山に挟まれる大きな川の上には、無数の小石によって戦場が形成されている。
両端には、男の剣士と女の魔族を形どった石像。
初代の勇者が魔王と雌雄を決した場所、それこそがラルガ渓谷なのである。
皮肉な事に、今の私とエリオットの状況はピッタリだ。
既に魔法少女には変身済み。後は、エリオットの到着を待つだけ。
万が一彼が約束を破って、数十人で奇襲して来た場合に備えて、背後の森ではリーンが目を凝らしている。
魔道具によって、即座に逃げる手筈だ。
勿論、そんな汚い真似をエリオットがする筈はないと信じたいが……。
「――来たわね」
悪の気配を即座に感じ取る。
濃厚な闇の瘴気が、どんどんこっちに近付いて来ているのだ。
やがて空中に現われたのは、エルフの戦士が良く着ている機動性に優れている装備……それを漆黒に塗りたくった、言わばラスボス仕様だ。
地面に降り立つ時もあくまで静かで、その静寂さが恐ろしくもある。
強者の余裕……エリオットは事実、私よりずっと強かったから。でも、エルフだって成長するのだ。
エリオットが口を開くよりも先に、私は白髪を靡かせると、
「私は魔法少女エルフちゃん!貴方を倒す、英雄の名前よ」