File1 少女を取り巻く陰影:4
外の街並みに変わりはなく、人の行き交いもあるが、通りに佇む店は次々と明かりを灯していた。
もう暗いからとそうしているが、時間的にはまだ夕方に差し掛かる頃だった。
大通りへと出ると、識黎嘉が緊張が解けたようで大きく息を吐いた。
「あそこの空気にでも中てられたか? まっ、ガキだから仕方ないとは思うけどな」
「……ああいう所は初めてでしたので。その、少し居心地が悪かったですね」
「悪かったよ。一応悪用されてないか端っこでも情報を得ておこうと思って寄ったんだ。
だが、お前はさっさと家に帰しておくべきだったか?」
「いいえ、このくらい人生経験が増えたと思えばどうってことはありません。
それに、悪用されていないと判ったので少しは安心できましたから、わたしとしても良かったです」
まだ悪用されていないとかは微妙なんだが、敢えて掘り返すことでもないか。
こいつも面倒なほどにしたたかだからな。また面倒になんのも面倒臭い。
「んじゃま、こっからは――」
「よぉ、ショーイン! こんな時間に会うとはなぁ!」
気付くと直ぐ傍まで来ていた知り合いらしい訛りのある口調の男が珀十に声を掛けてきた。
目は開いているのか怪しいくらいの細目で、青み掛かった天然パーマの眼鏡を掛けたイケメン風な男。
顔を綻ばせる所を見ると、今度は悪い仲ではないようでいつも交わしているように同じく、よぉ、と返している。
「仕事は順調なのかよおっさん」
「おっさんて、そんな年変わらんのにそういう言い方やめてぇな」
「六も違えば高校生からしたら変わるんだよ」
「また、知り合いですか?」
また蚊帳の外になってしまった識黎嘉が恐る恐る顔を出す。
それを街の中の宝石を見つけたような当然の反応を関西弁の男はするのだった。
「おいおいおいおい……まさか、おま、マジ……べっぴんさんやないか。
ほへー……どこで捕まえたん、こんなお人形さんみたいな子ぉ」
「勘違いすんなよ、依頼人だ。
面倒事はごめんだから、俺が仕事をしている内は手を出すなよ」
「はん? オレ、そんな安い男ちゃうからな。誤解してんとしめてまうぞ?」
「……悪いな。お前みたいな色男だと、俺のような影の男は詮索しちまうんだよ」
「それは詮索やのーて妄想やろーが。
すまんなぁ嬢ちゃん。オレは記者やってる周防秀作ってもんや。このガキとは仕事で度々世話してやってんねや」
「あ、初めまして佐伯シリカです……」
気楽な自己紹介に物怖じしながら応える識黎嘉は珀十の後ろに隠れながら会釈していた。
「最近は俺が世話する方が多くねえか?」
「そうかぁ? まぁ、別にいいんやけど」
「それより、これから仕事か? どっかの張り込みとかしに行くのか?」
「あぁん、今日の仕事はショーインの手を借りるような玉やない。気にせんといてええわ。
それよりも……」
「今はやめておこうぜ。
子守しながらじゃできねえ話だろ」
珀十は、識黎嘉に聞かれないように秀作の傍で耳打ちする。
識黎嘉は、それを大事な要件だと思って身を引いた。
「ショーインも偉くなったもんやな。まぁ特に急ぐ件でもないし、また後日で構わん。
ほんじゃ、サエキの嬢ちゃん、ショウインが子守してくれる言うてるから気楽に任せとったらええよ」
「あ、はい……」
秀作は、手を振ってまた通りの人ごみの中へと身を潜めていくのだった。
識黎嘉は、捉えどころのない雰囲気だけを見ればどことなく珀十に似たものを感じており、
また、珀十の顔の広さに感服していた。
「じゃあ今度こそ――」
帰る、そう言おうとするのを遮るように珀十の右耳に付けたイヤホンから報せが来る。
(検知装置No.1に反応アリ!
シャドウが出現の準備を始めたようよ)
珀十は識黎嘉を見てほくそ笑む。
それにはどこか余裕を感じて識黎嘉は首を傾げた。識黎嘉には珀十がイヤホンから聞いた報せが来たこと自体知らずに急にどうしたのだろうかと不安になる。
「今うちのAIから報告があってな。さっきの廃ビルに今日シャドウが出る可能性が高まった。
夜になったら俺は廃ビルに出向くが――残念だが、お前はここまでだ。後はプロの俺に任せてこのまま帰って貰うぜ」
「…………そうですか、仕方ありませんね」
僅かながら肩を落とし、残念そうな表情をするのを流石に今回はダメだろうと沈黙する。
しかし、眉を上げて元気な調子を識黎嘉は見せるのだった。
「ですが、一人で帰れます。もう光ヶ丘ですし」
「そういやお前、家って光ヶ丘なのか?」
「え? そうですけど……?」
「じゃあなんでお前、一昨日は和光市まで行ったんだよ? 光ケ丘からだったら歩きで一時間近く掛かるんじゃねえか?」
「あの日は午前で終わりだったので、友達に家で遊ぼうと誘われまして。わたしは確かに歩きでしたけど、友達と話していたらすぐでしたよ?」
うわぁ、リア充の時間感覚すげぇ……。往復で一時間半くらいな道を苦にもしないあたりは流石だな。
時は金なりで仕込まれてきた俺の感覚とは全く違うわ。これが一般人と社会人の違いか?
「今、なにか失礼なこと考えてませんか?」
「んな訳ねえだろ。それじゃあ俺は行くから、暗くならない内に帰れよな」
そう言って珀十はポン、と微笑みながらに識黎嘉の艶のある髪の上に手を乗せる。
不意を取られた識黎嘉は唖然して何も返せなかったが、その内に珀十は振り返って秀作同様に街の中へと溶け込んでいくのだった。
「また子供扱い……。わたしだって高校生なのに」
拗ねる彼女の呟きは街の騒がしさの中に消えていく。
◇◇◇
夕日が沈もうとしている薄暮。
夜のお店が開店しようとする時間の変わり目に珀十は外より薄暗い廃ビルの中の古びた椅子に座して状況の変化を待っていた。
偶に吹き抜ける風だけが音を語る中、珀十は考え事をしていた。
俺は今、依頼を受けた身として最善を尽くしているのか?
シャドウが物を持ちながら影の中に籠るなんて聞いたことはない。もし見つからなければ骨折り損。
当たりならラッキーだが、もっと物自体を探すっていう手もあったんじゃあ……。
――って、俺らしくないな。自分の行動に自信が持てなくなっているってのは。
やめだやめ。独りで何もすることがないと変な考えをしちまうのが俺のダメなところだよな。
こいつに色々言われるのは釈だが、今日は構ってやらなかったしな。起動してやるとするか。
珀十は左腕のブレスレット型コネクション端末を操作し、エッジから映写機のように3D映像を投影させる。
すると、サファイアのように美しく輝く蒼いショートボブと瞳、脇腹や肩が切り取られた煽情的な衣装をした頭部にAが模られた髪飾りをしている本物と大差ない少女が神々しく光の泡を放って現れた。
その子はどこかしらやんちゃそうなのを容姿から想像できるが――
それとは逆に現れて直ぐに床に縮こまるように体育座りをした。
「AIM……拗ねてんのか?」
「……ハクトの薄情者……」
頬を膨らませる拗ねた少女に近づき、視線を合わせるように胡坐を搔くと手を合わせて謝罪しているような仕草を見せる。
AIMは、平たく言えば人工知能――AIである。
しかし、普通の人工知能と違って感情豊かで人懐っこいというか、人間味が強くて結構甘やかしてやらないといじけてしまう。
それもコンピュータ内のようなパターンがなく、都度反応も違うし、偶にこうやって面倒な時もある。
「悪かったって、まぁそう怒んなよ。仕事の時はこれくらい出してやれないって解ってんだろ?」
「あの依頼人、可愛かったね」
「あ? まぁ……そうか?」
「鼻の下を伸ばしてたんじゃないの?」
「……はぁ? んなことある訳ないだろ。
てか、なんでお前、俺の彼女面なんだよ」
「むぅ……ハクトのケチ」
「ケチってどういう意味だよ」
「あの子の事、好きなの?」
「だぁから…………もしかしてお前、それで拗ねてんのか?」
エイムはそっぽを向いて答えようとしない。
思えば、こいつが俺の下に来たのは叔母さんが失踪して直ぐ後だったか。
今ではこいつが叔母さんの失踪に関係が深いと思っているのだが、最初は全くの感情が無く、記憶もなく、初期化されたのか稼働したばかりのものなのか。
暫くの年月の間、俺の相棒をしながら懐いてしまい性格も変わってしまったけれど、俺はこいつがきっと叔母さんの下に連れて行ってくれると信じている。
「何をしたら許してくれるんだ?」
ピキーンとエイムの目が光る。まるでその言葉を待っていたかのように。
振り返り元気に前がかりに成ると、触れられない手をさも触れているかのように珀十の胸に乗せる。
「あのねあのね、前に面白そうなゲーム見つけたの。一緒にプレイしよう!」
「ふっ、それでいいのか?」
他愛無い事にほくそ笑んでしまい、エイムの唇が尖っていく。
「むぅ~、それなら一杯遊んでよ! 一日中ずぅ――っと!」
「――まっ、一日中ってのは仕事があるから無理だけど、善処するよ」
「やった!」
ぱぁっと明るくなるエイムを見て和んだように顔を綻ばせていた。
そんな時、珀十の後ろからの声があった。
「随分と感情豊かなAIなんですね」
「だろー」
それまでの雰囲気が良く、同じことを思ってつい反応してしまったが、冷静になるとなんてことを言っているのだろうかと客観的に自分を見てしまい、顔を羞恥に染める。
「っっっ……ってえ、誰だ!?」
珀十が振り返ると、お茶目な笑みを浮かべる識黎嘉がいた。
珀十は、まるで幽霊でも見たかのように鳥肌を立たせ立ち上がった。
「なん、なんでお前ここに……!? 帰ったんじゃねーのかよ!」
「すみません、戻って来てしまいました……」
苦笑しながらに答える様は、少しばかりの罪悪感からのものだった。
だがしかし、彼女の瞳にはそれ相応の覚悟があるように、奥深くに宿す熱意があり、上目遣いで珀十へと向けられていた。
「お前なぁ……もうすぐ夜なんだ。シャドウが出るかもっつったろ!
一度シャドウを見てるなら分かるだろ! シャドウは人間にとって本当に危険なんだよ!
お前は高校生でシャドウに対する対抗策を何一つ持たない一般人だ。ただの好奇心だっていうのなら、即刻帰れ!」
珀十が叱咤するもののその表情に変わりの色はなく、依然見上げる瞳に淀みはない。むしろ珀十の言葉を聞いて目の光が強まった。
そのせいで珀十はどうすればいいのかと頭を悩ませて溜息をつく始末。
「ホント、何しに来たんだお前……」
「わたしも知りたいんです。自分の身近に危険が潜んでいる。それを見て見ぬフリをして、他人任せで解決して貰って――そんなの、ダメだって思ったんです。
あなたも言っていたじゃないですか。わたしたち表の人間も裏の事を知るべきだって。それって、いざっていう時になんとかしようとする、なんとかできるようにする為でしょう?
危険だってことは百も承知です。自分の身は自分で何とかします! せめて、わたしに知る為の機会を与えてはくれないでしょうか!」
「はぁ……まぁ確かに俺もできるならそうした方がいいと思っているが……偉い人はこんな感じの事を考えているのかね」
珀十は暫く悩む様子を見せていたが、何かを諦めたように口を開いた。
「分かったよ。仕方ないから俺が守ってやる。
これでお前の視界が広がるというのなら、それはそれで俺の理想の第一歩なのかもしれないしな」
「――はい!
あ、いいえ。やはりここは自分のことは自分でなんとかします。あなたの厄介になったとあれば、それは足手纏いとして仕事ができていない証拠。端の方で見守るだけにします」
熱く語るように拳を握るので、つい勢いに付いていけなかった珀十はたじろぎ、引いてしまう。
「あ、ああ……そこまで武士道、みたいな雰囲気は出さなくていいんだが。
まっ、死ぬ気で感覚を研ぎ澄ませておけ、とだけ言っておく。多分それくらいしかお前にできることはないだろうからな。
あとは俺に任せてくれたら、どうにかしてみせっから」
「はい」
識黎嘉は安堵するような笑みを零し、珀十はやれやれと度肝を抜かれたように肩を落とすのであった。
二人が会話を進めていた中、一人その様子を見て終始怒りを増幅させていた者がいた。
「ハクト! ちょっとそこになおりなさい!!」
「どうしたエイム? そんなに怒って」
「エイムさんと言うんですか?」
「早くしないと、ハクトの情報を面白おかしく世に広めるわよ!」
「バカやめろっ!」
急に豹変したエイムによってバロウは説教されるのであった。