File1 少女を取り巻く陰影:1
さくら色と白の縞々模様のボーダーを着た茶髪の少女が自室らしい場所で何やらノートパソコンのキーボードを叩いていた。
置物が少ない質素なおよそ八帖の部屋の中に何度もパシパシとボタンの叩く音が響き渡る。
白いテーブルに正座しながら熱心に何か調べものをしているらしい少女はぶつぶつと小言を呟いていた。
「……確かに何度調べても出てこない。
正規の検索方法では出てこない、という彼の仰っていた事が本当だったってこと?
でも、うーん……裏のやり方はしたくないけど…………」
PCの画面を検索画面に戻すと、「Zingle」という文字が画面の端から流れるように現れエフェクトが光るとその下にテキストフィールドが現れる。
「確か……」
そのテキストフィールドに少女は「株式会社SSS」と入力し、エンターボタンを叩いた。
暫く操作を続けていると、少しの驚きが孕む声が漏れる。
「――本当にあった……」
彼女が視るパソコンのディスプレイには灰色をバックに「Decode」と題名のように大きく書いてある文字とどこかの住所があった。
◇◇◇
2042年4月26日土曜日――。
紺色のブレザーと赤のスカートという高校の制服を着用した可憐な美少女が他人の視線を、主に男性の視線を引き付けながら歩いている。
しかし、彼女は慣れているかのようにそれら全てを気にせず清楚な佇まいで光ケ丘の煉瓦でできたような道のオシャレな街を歩き、とある建物を見上げて足を止めた。
その建物は店を上と下で分けているらしく、下にはオシャレな看板に『三ノ輪カフェ』とあり、端の階段と路地を区切る壁には『及川探偵事務所』と書かれた小さい看板があった。
少女はそれらを流れるように眺めて息を呑むと、神妙な面持ちで階段の方へと足を進める。
壁に様々なチラシが掛けられた階段を上った先にある鈴付きの扉の前に立つと、一度深呼吸をする。
その所作は泰然としたものだが、表には見せない緊張が彼女の行動から読み取れる。
少女は落ち着くように肩を戻すと、その扉をゆっくりと開いていった。
中は、窓が開き靡くカーテンの隙間から風や光が入ってきているものの薄闇に包まれた事務所。
一つの机の上にノートパソコンがあり、それに付随するような無人の立派な黒くて柔らかそうな座椅子。その机の前には客が来た時用であろう黒いソファーが二つ。幾らかの書類や書物が端の棚に飾られ、何か物足りなさのある部屋。
少女は呆気にとられ、言葉を失いながらも何かに取り憑かれたように部屋の中を舐めるように見回していく。
そんな中、部屋の中にもう一つあった扉がガチャと音を鳴らして開かれた。
「あ、すみません、何も言わず入ってしまって! 実は依頼がありまして…………」
扉の開く音に驚きながら言い訳らしい言葉を早口で並べる彼女の顔が、扉の向こう側から現れ眠そうな声を出す人物を見て羞恥に染まった。
「あ? やっぱり誰か来てたか。
どうりでなんか臭いと思った……香水か?」
「っ〰〰〰〰!!?」
少女は、両手で目を隠すように覆い逆方向を向く。いきなりの状況によく対応できていた。
「その制服は……桜瀬高校の生徒か。
学生がこんな場所に来てどうした~?」
出て来たのは、寝癖で跳ねあがったような黒髪をした少年。
上は青い下着、下は蒼と白の縞々の縦線が入ったパンツというプライベートな姿で現れたのだった。
「なんて格好をしてるんですか! ふ、服を着てくださいっ!!」
少年は自分の格好を見て気づき、「あ……」と声が漏れる。
◇◇◇
三ノ輪カフェ。
東京都練馬区光ケ丘の街の一角に佇む、夫婦が営むこじんまりとしたオシャレ風のカフェである。
朝は会社に出勤する人達に、お昼にはランチでそこそこ賑わい、昼過ぎは定年退職した老人達の会合の場やテレワークの場としても有用されている。
また、上の階で探偵として事務所を構える及川探偵事務所の依頼人との打ち合わせとしても利用されていた。
「うちは基本的に依頼は選ぶ訳なんだが……一応それは依頼を訊く前に言っておく。
あと依頼料の方は依頼によるけど、成功報酬とは別に時間料金貰う場合があるから。勿論、依頼料に不正はないから安心しろ。ちゃんと明確な領収書も出すし。
あとはまぁ……依頼中の云々(うんぬん)があれば変わるが、それは後回しでいいだろ。
つー訳で、質問が無ければ依頼の方を訊かせて貰うが――どうした?」
コーヒーを嗜みながら依頼についての説明を進めていた少年が三ノ輪カフェ内のソファのようにフカフカした席のテーブルを挟んで向かい側に座る少女のモジモジのしようを見て目を細めた。
「あ、あんな姿で出て来た人に、さっきの今で普通に話せる訳ないじゃないですか……」
そっぽを向く彼女にそんな事もあったな、とでも言いたげな面倒そうな顔でまたコーヒーを啜る。
「――悪かったよ。俺、週末は夜行性になるから」
「人間に夜行性とか…………。
それより貴方、わたしと同じ高校生じゃないですか。本当にわたしの依頼を解決してくれるんですか!?」
訝しむようにして指を差す少女。
クラウンハーフアップのように編み込まれた艶やかな腰まである長い茶髪と涼し気な瞳、長いまつ毛。引き締まったボディも相まって主張を強める豊満そうな胸、すらっとした手足。そして何より、彼女を見た全ての人が顔を赤らめるほど顔のパーツが整っている。
制服の着こなしは清楚なもので、スカートの丈は短くも黒タイツで素足は見せず、乱れた部分は一つも無い。
少年の方は、真黒のシャツとジャケットを着こなしてはいるが、切れ長で死んだ魚のような目と右下顎骨辺りから頬に伸びる痣があるだけで平凡な容姿であり、直したらしい寝癖のあった髪は今でも少しくせっ毛が跳ねている。
「無論だ。それに、俺は所長じゃないから安心しろ。
まぁ、お前の依頼を受けるのは俺だし、解決するのも俺な訳だが」
自信あり気な雰囲気により疑念が過る少女は、眉を顰める。
「……デコード、と言えば解るでしょうか」
「ああ、うちの稼業の裏の名だ。つまり、あんたはただの探偵に用はない訳だ」
「――そうです。
ですから、いち高校生である貴方では――」
「おい、俺の目の前で侮辱がしたかっただけなんだったらそう言えよ。喧嘩ならいくらでも買ってやる。
それに、こっちの世界に歳なんて関係ないんだよ。一般人のあんたじゃ知る由もない事だろうけどな」
少女は、迫力が増した鋭い目に圧倒されていた。
おかげで言葉を失い生まれた沈黙の間に少年はまたコーヒーに口を付ける。
「申し訳ありません。そんなつもりはなかったのですが……」
少女は粛々と謝罪し、深々と頭を下げた。
それを受け入れたらしい少年はコーヒーカップを置き、体勢を直して話を続けることにする。
「とりあえず、依頼の内容を訊こうか。訳アリだってのはデコードの一言で判る。
まずは訊いてみないことには何も判断できないからな」
「き、訊いて頂けるんですか……?」
意外だったようで少女は目を丸くし、食い入るように前がかりとなる。
それに少し驚くも、再びコーヒーを口に付け自身の挙動の変わり目を隠した。
「高校生相手に頼み込むのが嫌だってのは、学生なら普通の反応だろ。さっきの出逢いが悪く、こっちにも不手際はあった。
なんとなく、あんたの考えそうな事は理解しているつもりだ」
「――ありがとうございます!」
「あと、嫌だったら敬語はやめてもらって構わないからな。嫌々畏まれるは、こっちも嫌なんでな」
「――いえ、このままで大丈夫です」
少女は、ピンと背筋を伸ばし元気に応答する。
急に畏まったな。さっきまでの強気な態度が嘘のようだ。
まぁ依頼者だからな、別にどっちでも構わないな。
「わたしは、佐伯識黎嘉と言います。桜瀬高校の一年生です」
私立桜瀬高等学校――割と近場の進学校で、ここら辺でもこの制服の生徒はよく見かける。
一年生ってことは、最近高校生になったばかりのひよっこ、ってところか。
「依頼なんですが――先日、その、信じられないかもしれないんですが……黒い……その、何て言えばいいのか……」
言葉詰まりに要件を上手く説明できそうにない少女の反応と言葉を訊き、おおよその察しがついた少年は代わりに言いたいらしい言葉を出すことにする。
「シャドウだ。こっちの界隈ではそう呼ばれるのが主流になってる」
「シャドウ……ですか」
「日本語では陰影。まるで影が形をもって具現化したような存在からそんな呼ばれ方をされるようになったらしい。
姿形がはっきりしなく、銃や麻酔薬といった武器が効かないとされ、世界各国で目撃情報が多数ある厄介な奴等だ」
「そ、そこまで知っているんですね……」
「まぁ、裏の本業だからな。つっても、このくらいはこっちの界隈じゃ基本的な情報。特段詳しい事は何も話していない」
得意になって話し続けるのを識黎嘉は理解が追い付かなく戸惑っていたようで苦笑するも、その目は笑っている感じでないのは明らかだった。
「あはは……すみません。あまりに話が早くて…………」
「いや、あんたはどう見ても一般人だし、知らなくて当然だ。逆に俺からしたら当たり前の知識。
そして、あんたがシャドウと出くわして何か面倒事を抱え込んだっていう事も、今の話の流れで解ってる」
「――…………貴方が探偵というのが本当の事のように思えてきました」
「本当なんだっつーの!
……それで、本題は何なんだ? うちを訪ねたってことは、それの報告って訳じゃないんだろ?」
「あ、はい! 依頼というのは、一昨日その……シャドウ、というのに遭遇しまして、逃げる最中に大事な『ウェアラブルドライバー』を失くしてしまったので、それの捜索をして頂きたいと……」
「ウェアラブルドライバー」という言葉に反応して唖然した珀十は口をパクパクさせて上手く言葉が出ないようだった。
「う……ウェアラブルドライバーだぁ!?」
「は……はい……」
大袈裟な反応に識黎嘉は物怖じして苦笑いを浮かべる。
ウェアラブルドライバーとは、電話などの便利な機能からゲームなどもできる昔からあるブレスレット型コネクション端末と同じ機能を備えていると同時にIoT電子機器への容易なハッキングを実現した市場に出回っていない上に一般人に周知されていない革命機器。通常のコネクション端末と見た目が変わらないことから判別が付かないという利点も持っている。
つまり、それを知っているだけでなく持っていたということは、この少女がただの一般人ではないという証明でもあった。
「なんでお前、そんな物騒なもんを持ってたんだよ……」
「わたしのお爺様が研究者でして。分野は違ったのですが……その伝手で譲り受けたものなので、お爺様は肌身離さず持っておけと。
今は形見のような物なので、絶対に取り戻したいんです」
「そ、そうか……。これ以上はプライベートの話になるだろうし、俺も訊かないが。
当然もう現場は探したんだろ?」
「はい……」
項垂れる識黎嘉を見かねた少年は顔を綻ばせ、もう意志は決したらようで右手を前へと出した。
「――その依頼を受ける」
「……へ? ですが、ただの探し物で……杞憂に終わる可能性も…………」
「心配ない。どっちにしても貰うもんは貰うし、シャドウが関わっているとなると気になるからな」
「あ、ありがとうございます!
最初は胡散臭い、とか思ってしまいましたけど……こうして最後まで話を訊いて頂いただけでなく、変な依頼を受けてくれるなんて」
そんな風に思ってたのかよ、と少年は愛想笑いをしながら契約成立の握手を交わした。
「んじゃ、これからその現場に行ってみるか」
「はい!」
席を立つ少年に合わせ、覇気のある返事をして立ち上がる。
既に最初にあった軋轢はなくなっており、少女の微笑みには揺らぎも緊張も無くなっていた。
「あ、お名前は何というのでしょうか?」
「――松蔭珀十。高校生にして探偵。
そして――シャドウクルセイダーだ」
早速現場へ向かうと店を出ようとする際に問われ、珀十は振り返り飄々(ひょうひょう)とした笑みを返した。