379話
「キン、頼みがある」
「お側は離れません」
「キン、ここは安全だ。私は急にくたばったりしない。ミアが腹を空かせているし、産まれたばかりだからちゃんと医者を呼んで調べた方がいい。分かるだろう?」
「医者に見せるのですか……」
「カール様、この先の事を考えたら見せた方がいいしキチンと調べた方がいい。女王陛下の子で間違いないか検査もしたいのではないですか? 子ども洋服も、哺乳瓶の一本すらないこのエルフ族大使館で子育てするなら外から人を呼ぶしかありません。ミアの存在をあまり知られたくはないのでしょう? ミアの事を相談出来る専門医なら人員が1人で済みます」
《何の話をしてるのですか?》
《その赤子の今後の事だ。カイザス国に医者の知り合いなど……》
「カール様、一応の医者ですが魔物の生体にも詳しくて色んな資格や免許を持ってる顔見知りがいるじゃないですか。保育士や助産師の資格も持ってました」
《皐月がいれば……》
「いつ帰国するか分からないような医者を待っていても仕方がありません。何より、皐月殿は子育て経験ほぼ皆無だと思います。知識はあるでしょうが、下手したらカール様とそんなに変わらない経験値ですよ。それなら花子殿の方がいい。あの方は自分の子ども4人育てています。キン、手紙を書くから本人を急いで連れて来てくれ。場所は分かるな? ついでにミルクだけでも飲ませられるようにしたい」
「許可した覚えはありませんよ。勝手にしないでいただきたい」
「結果は見えている。悩んでる場合じゃない。カール様、ハッキリ言うと無理に取り上げる事も出来るのですよ。申し訳ないが、コレが私の精一杯の譲歩だ。私が軍に戻る前に今後の方針を決めましょう……何処まで公開されますか? ヌシの討伐成功は話します。ハイルング国の女王陛下がヌシだと言いますか? 生まれた子どもが魔族だったと公表しても構いませんか?」
カール様はそのまま押し黙った。凄い怒ってるし、悔しがっている。
本当はハイルング国だけで何とかしたい事柄なんだろうが、今の現状それが出来なくて歯痒い思いをされている。
「カール様、緊急時で今だけです。貴方も城壁結界の魔力補充などでお疲れでしょう? 食事もですが、いつもより睡眠も少しは取らないと参ってしまう。明確にゴブリンのスタンピードが終わるのがいつか分からない状態で、長期間子どもの世話を2人だけでするのは難しいと思います。いつハイルング国に戻れるかも分からない」
グールが湧き始め、多数のゴブリンとこれから増えるグールを掻い潜ってハイルング国に戻るのは無理だし、元がハイルング国の発信源ではあちらに移動したら危ない。
何より、カール様はカイザス国民で徴兵の義務が発生している。
ここに王太子しかいないと言う事は、王太子の妃も既に亡くなったんだろう。
王太子も、ハイルング国の代表者としていつかは軍に出向いて貰わないと困る。
そう説明するとカール様は頷くしかなかった。何だか弱い者イジメしてるみたいたたまれないが、現状どうにかするには他に手はない。
指をしゃぶって暫くは大人しくしていたミアだが、流石に腹ペコでご機嫌斜めな様子でアワアワし始めた王太子にかわって私があやして大好きな歌を歌っていると、キンが戻って来た。
「『お茶屋の娘』は必要な物を持ってコチラにいらたしゃるそうです。ミルクだけ先にもらって来ました」
「分かった。キン、手が離せないので厨房をお借りしてミルク作って来てくれ」
「かしこまりました」
《んぎゃー!!》
(おとうさまー!お唄!)
《はいはい……》
キンが用意してくれたミルクをミアに哺乳瓶で与えていると、凄い勢いで飲み始めた。
ミアはもう歯が生えかけているので、恐らくミルク卒業は遠くないな。
ゲップを出させて、満足したのか……プリプリブリュッとお尻から音がした。
このオムツをハイルング城で当てたの私だが、魔道具で出来ているのか浄化作用があるのか、後はマジックバッグみたいなんだろうな。
ミアはオムツ交換しなくてもお尻快適サラサラだ。
お腹もいっぱい。出すものを出してスッキリしたのかミアはスヤスヤ眠りについた。
私は王太子にミアをお返しする。洋服が届くまで身体を温めてやって欲しい。
ぎこちない王太子の腕に抱かれて、ローブの裾を掛け布団代わりにされたミアは当分は起きないだろう。
しばらくは寝てると思うと説明してから後は王太子に任せて、別室でカール様と話し合い。
キンはミルクとは別に果物などを持って来てくれたようで、カール様に桃を剥きながら私は話を進める。
執事さんがまた紅茶を淹れてくれたが、先にカール様の食事が優先だ。
私の口に一切れ入れてから、カール様に用意した皿に桃をのせて行く。私も剥きながら食べる。
「空腹では、身体が持ちません。少しでも召し上がって下さい。後で王太子にも食べて貰います」
「…………王族は同席者がいないと食事出来ないのです。赤子は食事の席につけるどころか部屋から出せない」
「存じ上げています。ミアはその間花子殿と見ていますから、王太子に食事をさせて下さい。キン、持って来た物で何かお作りしてくれ。カール様、厨房またお借りします」
「準備して参ります」
カール様は多分前はユリエルと食べていたんだろう。私が取り上げてしまったから、ずっと満足に食事出来ていない。
王太子が来てからはそちらと食べてるんだろうが、ミアが来てから1食も口にしてない。
結界の魔力補充でかなり疲弊してるが……少食を美徳とするハイルング国王族なんで、今は使う魔力と食べて補充される魔力が全然釣り合ってない。
「本当は1日1食は人族並みに食べないと……菓子が手に入ればいいが、緊急時なんで沢山は難しいのです。今のカール様の場合は睡眠も1日3時間以上取るのが理想です。今のままだと1週間持たない。貴方が倒れてしまう……料理人は徴兵されてしまったのでしょう?」
「……首輪をつけて欲しい」
「駄目です。私はここにはいられません。貴方の国を何としても存続させたい。その為に軍に行くのです。ご理解下さい」
首輪をつけられたら最後、子守の為にここに残れと命令されてしまう。
ハイルング国の姫を任せて貰えるくらい信用されてるのは喜ばしいとは思うが、私の身は今は国に尽くさねばならない。
「討ち取ったヌシが女王陛下だと公表はしないでよろしいですか? 後はミアの出生を秘匿。ミアの事は喋らないかわりに、女王陛下がヌシだったのは軍の一部や他国の代表者には話します。今後の対策で必要だ……恐らく後期に産まれたオーガはかなり手強い。オーガに効く毒物の開発が急務です。女王陛下から産まれたなら何が有効でどれくらいの量が致死量になるのか女王陛下本人を調べなければならはません」
カール様に用意していた皿が割れた。ナイフの力の入れ具合間違えたんだれはう。ハイルング国のカトラリーは魔道具だが……皿は普通のだ。
これで優雅に皿を傷付けずに食べれるようにならないと、大人の仲間入り出来ないらしい。凄い国だなハイルング国。
私からしたら剣と槍の付加武器で、普通の皿に食べ物乗せて食えと言ってるようなものだな。
新しい皿にヘタを取った苺を乗せて、割れた皿は片付ける。桃が2口分駄目になったが、私が食べた。
「取り乱すほど、カール様は今身体がお疲れだ。普通の状態ではない……自分じゃお気付きではないだろうが、かなり顔色も悪いし体重が減っている。カール様だけでも1日1回以上一人で食事をして下さい。まだ食べられそうだと思ったら間食でも普通の食事でも構いませんから増やして下さい。貴方が倒れたら城壁結界の維持もそうだが、王太子やミア……ハイルング国民の今後も危ういのです」
まだ返事をしてくれないカール様に私は残酷な言葉を言わなければならない。
「カール様、貴方は本来なら王族の末端の人間でした。しかし、今『王族』と名の付く方々は残り少ない。本来なら責務を分散されるはずが、カール様に集中してのしかかっている。その重責に耐えるためには、常識を曲げて人数分食わねばなりません。辱めや不名誉を被っても、ハイルング国の今後のために生き残るしかありません……あの、カール様にそっくりな子どもを生かすなら、貴方が荊の道を掻き分けて、道を作るしかない」
ミアは子どもながらも……父親のシャルルにそっくりだ。シャルルはカール様に瓜二つ。カール様も疑問に思っていたんだろう。妹の愛妾みたいな扱いの自分と顔のそっくりなシャルルの存在や、自分の生まれに。
「私を、王族だと言うのですか?」
「断言します。女王陛下より、貴方は王に相応しい。ここまで気高く誇り高い王を私は他に知りません。少なくとも、貴方が王位に着いていればこんな事態にはならなかったと今なら分かる……今更言っても遅いですし、その気高さをへし折る要求を私がしているのも確かだ。本当はこんな事貴方に言いたくないのです」
ハイルング国はこの先存続しても当面明るい未来はないだろう。
しかし、当面の先の未来の選択肢を増やす事は今我々生きている人間の行動にかかっている。
「選択肢の与えられない未来より、とてつもなく苦痛な時代と、多少苦痛な時代を取るくらいの選択肢はハイルング国民に残してあげたいのです。幸せは人それぞれだ。ちょっと苦痛でマシな時代を切り開くためにカール様をかなり険しい道に放り込むのが私ですね……立ってる者は親でも使う私です、酷い男だと罵ってくれて構いません」
「……損な役回りですね。軍人とは難儀な仕事です」
「立つどころが、飛び回り始めたのでこき使われてるオヤジには申し訳ない。王族たるカール様もですね。権力万歳と私は言って差し上げたいが、その分軍人より難儀な仕事ですよ」
緩くなった紅茶に口をつけていると、カール様は険しい道を選択した。
高い誇りをへし折って粉々にしてごめんとしか言いようがないな。カール様のために私も頑張らないといけない。




