第四話 交渉成立
「俺を、雇うですか」
「そやで。報酬は日当十万円でどない? 他にも色々と手当はつけんで。前金と他にも出来高で報酬も上乗せすんで」
「……内容にもよりますね。後は拘束時間や待遇も」
日当十万円は一般的な感覚からすれば破格どころか、怪しさ満載の内容であろう。普通なら闇バイトを疑うところだ。
ただ退魔師関連はその限りではない。危険な妖魔相手の戦いであり、時に野生の熊以上の存在と戦うこともあるので、決して高すぎるという話ではない。
真夜や一部の退魔師にすれば雑魚も良いところの上級妖魔でも、一般的な退魔師であれば複数人で対応しなければならない相手であり、その場合では日当十万円でも危険度や諸々の経費を考えれば赤字になりかねない水準なのだ。
さらに高位の退魔師を直接雇うなら十万円でも安い。仮に朝陽や明乃を個人的に雇おうと思えば、それこそ百万はくだらないだろう。
尤も十万が安すぎるという話でもない。上級などは一般的な退魔師はほとんど対応しないし出来ない。そんな場合は六家や星守などの大手に話が行くだろう。ほとんどの退魔師は日当十万円で中級以下の妖魔を相手にする。経費も上級ほど掛かるわけではなく、成功報酬も加えられるのならば十分黒字になる。
真夜の場合はその実力は朝陽以上だが、まだ若く表だった実績が少ないため、十万円でも内容によっては低すぎることはないだろう。
安く買いたたかれるようならば断るつもりだが、一応内容だけは聞くことにする。下手に拒否すると後々面倒な事になりかねないような気がしたからだ。
「依頼内容は比叡山でこれから起こるであろう、京極宗家のいざこざに関して僕の手伝いやフォロー。時間的拘束は何とも言えへんけど、時間外手当とかもつけるさかい」
右京曰く、これから宗家の人間が比叡山にやってくるとの事。そこで色々の話し合いや、後遺症による霊力の不安定化の改善や修行などを行うとの事だ。
ちなみに渚は関わらせる気は無いとのことだ。渚も入れば、色々とややこしいことになりかねないし、修行に来ているのに、余計な事に気を遣う暇はない。
真夜は様々な補助の術を使えると京極家にも伝わっている。治癒や他の術を後遺症に悩む渚の異母兄姉にも試してもらいたいと言うことだ。
「割と大盤振る舞いですね。何が何でも、俺を巻き込みたいと言う思惑はわかりました」
「まっ、そうなるわなぁ。僕が胡散臭いと言うのも重々承知や」
警戒心を隠そうともしない真夜に、右京は苦笑しつつもそれが正しいと肯定的に接する。
「で、何でまたそこまでして京極宗家の仲を取り持とうと? はっきり言って、俺にも星守の養子であり俺の婚約者の立場にある渚にもメリットが一切ないです。渚が兄姉仲を改善したいと思っていたり、京極家や異母兄姉に恩があるならともかく、それも無いのなら俺からすればそっちで勝手にしてくれとしか思えませんが。別に俺も金に困っているわけじゃないですしね」
話は聞いたが乗り気はしない。それに相手に金で動く人間だとか、簡単に動かせると思われるのも癪である。
「そりゃそうや。でも僕としては手を貸してくれるとありがたいんよ。正直、このままやと京極家は緩やかに衰退して消える可能性が高いんやんな」
現役世代と次世代の減少。さらに次々世代の存在が危ぶまれている。
京極家の血は渚もいるので途絶えることはないだろうが、京極家存続の見通しはよろしくない。
「他の六家や星守の協力のおかげさんで、今のところは京極家はたち行けてるけど、どこまで協力してくれるか不透明やしね。後々になっても京極家が没落すると、絶対に他にしわ寄せが行くと思うで」
右京の言葉は半分正しく、半分は間違っている。京極家が没落すれば、他の六家への負担が大きくなることで昨年の話し合いでは京極家を支援する事で纏まった。
しかしゆっくりと時間をかけさえすれば、少しずつ京極家の地盤を得て京極家が没落しても、混乱を最小限にいくことは難しくない。
近隣の水波、氷室、火野は当主と次期当主のラインがすでに安定し始めているし、星守も真昼と真夜がおりその婚姻も決まっているため、次世代にも期待が持てし、次次世代で人員が確保できれば、京極家の地盤を分割できるだろう
しかし雷坂彰が京極家の封印している妖魔に目を付ければ、飛び地になろうがその前に京極家の勢力圏を取りにいきかねない。彰が動けば、間違いなく他の六家も動くだろう。
あくまで昨年は急激な変化での影響を懸念してのことであり、それが抑えられるなら雷坂の台頭を良しとしない他の六家や新興勢力が勢力圏の拡大を画策してもおかしくはない。
(まあ僕は京極家自体が没落してもええんやけど、そうなると別の問題が出てくるんやんな)
もっとも右京は別に京極家が没落しようがそれこそ滅びようが、自分や近しい者が無事ならば構わないとさえ思っており、京極の勢力圏が他の六家や星守、新興勢力の狩り場になろうとも本音としてはどうでも良かった。ただ右京にものっぴきならない事情があった。
(そないなったら、僕らにも悪い影響が多いんや)
右京の持つ特殊な能力。彼に憑いている特殊な座敷童子による不完全な未来予知が、京極家が没落することで訪れる最悪の未来を告げていた。
京極家に取っては最悪の、六道幻那の事件の時のような京極一族の虐殺事件が起こる未来だった。
右京が座敷童子によりもたらされた未来は、京極が衰退し跡継ぎ問題や若手の衰退など様々な原因により勢力圏の妖魔の封印の維持管理が行き届かなくなっていた。
そのため発言力を高めていた彰が妖魔の封印の地を得る目的で動いたことで、他の六家やさらに新興の退魔師一族も同じように行動をした。
京極家が抱えていた複数の封印のうち、ほとんどが六家が管理することになったのだが、そのうちのいくつかが新興退魔師一族に廻ることになる。
そこで討伐に失敗したり、さらに把握し切れていなかった封印が時を同じくして効力を失い、何体かの妖魔が解き放たれて大きな被害をもたらすという物だった。
さらに封印から解放された妖魔の中には、六道幻那とは違い完全な逆恨みだが、彼並みに京極家に恨みを持つモノも存在した。
しかも右京が座敷童子に見せられた予知には覇級や超級も複数体おり、それらが解き放たれたことで、京極家は幻那の時以上の被害が生じ、右京やそれに近しい者、さらに清彦やその子供達も命を落とすという今までに無いほどに鮮明ではっきりした予知だった。
これは昨年の秘中の儀により右京が強くなったことで、当人や影響を受けた座敷童子の予知の精度などが上がったことにも起因していた。
余談だが右京が知り得なかったその先において、渚を狙った妖魔は真夜に即座に撃破され、他の物達も京極家に被害が出た後にではあるが、彰や真昼が片っ端から滅ぼしていた。
とはいえ、そんな未来は右京も御免被る。それを回避するための方法が、京極家の存続であり、次世代と次々代へと繋ぐこと。
そのために右京は今、危ない橋を渡っている。
(ほんま、恐ろしい子やで。抑えてるみたいやけど、半年ほどで信じられへんほど強ぉなっとる)
右京は飄々としているように見えるが、内心では緊張と綱渡りの連続だった。前に清彦と渚との話し合いの場にいた真夜も十分に強いとは思っていたが、今右京が感じている強さは桁違いと思わせるほどだった。
真夜個人だけでも敵に回せば脅威どころか手に負えないのに、その後ろの星守家も完全に敵になる。
だが右京も予知の内容を話すわけにはいかない。話してしまえば未来が変わってしまい、さらに悪い方に変化してしまうのだ。
だからこそできる限り相手の逆鱗に触れないように、真実を隠して交渉するしかない。
「それに兄さんも今は渚ちゃん以外の子供達としっかりと向き合おうとしてるんや。今までが冷め切ってかなり難儀しとるけど」
ここで右京は清彦の話題を出す。先日の件で真夜は清彦に少なくない情を向けている。渚が和解したことで真夜も清彦を身内と捉えている。
真夜には甘さはほとんどないが、非情でもない。むしろ情に厚い人間である。だからこそ、情に訴える事も出来る。
「君が協力してくれたら、兄さんも助かる思うんやで。あっ、今回の君へのこの話は、兄さんは一切知らんさかい」
清彦には知らせていないが、清彦も家族仲が改善されれば心労も少しはマシになるだろうし、そこから京極家の次世代も立て直しが可能であると右京は言う。
清彦と渚の仲を知るからこそ、兄の名前を出せば真夜も警戒心は薄れないだろうが、少しは協力しようと考えてくれる可能性が出る。
利と理、さらに情。まともな人間ならば、この三つで訴えれば無碍にしようとはしない。
右京は真夜を何が何でも懐柔しようとする。
その理由は、座敷童子が伝えてくれるキーワード。
六道幻那の事件の折は、真夜中に輝く星という謎々のようなキーワードだった。
しかし今回はあまりにも明確だった。
【星守真夜】
それが今回、右京に伝えられたキーワード。だから右京は真夜に積極的に接触しているのだ。
(ここでこの子に断られると、絶望の未来や)
右京はどうやろか? と真夜に尋ねる。当の真夜はコーヒーを飲みながら、僅かに考えつつ自らの考えを口にする。
「報酬総額一億円」
「はっ?」
「時給も出来高も、特別手当もボーナスも込みで一億円。それで右京さんに協力しますよ」
真夜は不敵な笑みを浮かべながら、右京にそう返す。金の亡者と思われるかもしれないが、これで相手がどう動くか確かめる意味もあった。
「……えらいふっかけるなぁ」
「そうでしょうか? 京極家なら、まあ高級外車に乗っている右京さんなら、無理なく払える額だと思ますが? それにどうせかなりの面倒ごとだろうし、京極家のゴタゴタに巻き込まれるならそれくらいは欲しいですしね。あとやるからには全力で対応しますが、失敗しても責任の所在は問わないとしてもらいます」
顔を引きつらせる右京に真夜はあっさりと返す。真夜自身、どんな事をするかわからないが、下手をすればヤバい相手と戦う羽目にもなるだろうし、人間関係の修復は妖魔を倒す以上に面倒だ。他にもどんな裏があるかもわからない。だからふっかける。
「あと正式な依頼として、星守当主には連絡を入れさせてもらいます。ああ、別に右京さんを悪く言うつもりはありません。ただきちんと報連相はしないと駄目ですからね。俺もまだ未成年の学生なので、高額の報酬を得る場合はきちんとしておかないと」
さらに畳みかけるように伝える。これで受け入れるなら、警戒度を上げつつ協力するつもりだ。清彦の名を出されたことも大きい。
他の兄姉ならばどうでもいいが、清彦は渚に取って別だ。渚の為にも清彦の手助けになるのならば協力するのはやぶさかではないし、未来の義父のために一肌脱ぐのも悪くないと真夜は思っている。
清彦が他の子供達との関係が上手くいっていない所で、渚と個人的に会っていれば、余計に仲が拗れるだろう。和解した今、渚も清彦に心労が重なるのを心苦しく思うだろう。だから出来ることをしようと真夜は思う。
右京の思惑に乗せられた感はあるが、真夜の霊感もここで断るのは何となく不味いと訴えているので、できる限り条件を付けて協力する方向に持って行く方がいい。
それに断って右京を始め、比叡山にやってくるであろう京極家の宗家の人間を放置すれば渚に害があるかもしれない。
渚と朱音がきちんと修行に没頭できるように、真夜自身が動くことで彼女達を守るようにしよう考えたのだ。
朝陽の名前を出すことで右京を牽制も出来るし、先に連絡しておけば何かあった時にはフォローもして貰える。政治的な部分が絡む場合は、朝陽や明乃の協力が必要不可欠だし、失敗した時の事も考えて予め予防線も張った。
(さあ、どう出るかな)
右京の出方を真夜は伺う。相手は話にならないと怒るか、それとも感情に訴えてくるか。
「……はぁ、ほんまに君も手強いわぁ。流石朝陽さんの息子や。その条件で頼むで。朝陽さんにも伝えてくれたらええ。こっちもかなり面倒な依頼の自覚はあるから」
あっさりと白旗を揚げて、その条件で頼むわと言う右京に真夜はわかりましたと伝える。
「契約内容は書面でお願いします。あとはそれをこちらでコピーさせてもらって、星守に送ってそのあとで正式に署名します」
「ええよ、すぐに用意するさかい」
右京も真夜もにこやかに対応する。だが目端の利く第三者が見ればわかるだろう。それは張り付けた笑みであり、二人とも目が笑っていなかったのだから。
こうして真夜は右京の依頼を受けることになるのだった。




