第三話 接触
比叡山。延暦寺や信長の焼き討ち、鉄鼠などの伝承もある国内でも有数の霊地である。
高野山同様、観光地としても有名であり、GWということもあり大勢の観光客で賑わっている。
退魔師関係では以前は京極家のお膝元ということで、他の六家などの影響力や拠点はさほど大きくはなかったが、昨年の事件以降京極家の力が落ちたこともあり、勢力図は大きく変わってきている。
とはいえ、修行でこの地を訪れている真夜達にはあまり関係の無い話だ。
すでに京極家には話を通しているし、星守としてもできる限り真夜達がトラブルに巻き込まれないように先手を打っている。
朝陽や明乃はこの日のために信用のおける外部の人間を、複数人比叡山に派遣して何か異変があれば、即座に星守に伝わるようにしている。異変がなくても、真夜達に不埒な事を働く人間がいないか警戒の意味もあった。
もちろん、派遣された者達には真夜達の監視や護衛は含まれていない。あくまで比叡山全体。もっと言えば真夜達が行う修行場周辺や立ち寄る場所を重点的に警戒する役目だ。
比叡山の事前調査の内容や、今回の人員の配置については真夜には予め伝えられていたが、そこまでするかと思わず電話越しに零すと明乃から「自分の胸に聞いてみろ。これまでに遭遇したトラブルをよく思い出せ」と言われ何も言い返せなくなった。
(まあ婆さんや親父には感謝だが、マジで納得いかねえ。これでトラブルが起こったら、それ見たことかって言われそうだけど)
逆にこれだけ調査して警戒して大きなトラブルが起こったら、真夜は自分の身が本当にトラブルを引き寄せているのだろう。もしもう一度異世界の神に会えたなら、本気で相談したいと思う。
詮無きことを考えながら、真夜は意識を切り替える。辟易していても仕方がないし、もしトラブルが起きたならば全力で対処するだけだ。突然の妖魔の出現があろうが、打ち砕くのみ。
そんな事よりも今は朱音と渚の修行の方が重要だ。
真夜が見る先は比叡山の京極家が管理する寺院の一つ。庭が一望できる部屋の中で作務衣を来た二人が座禅を行っている。高野山では瞑想も行っていたが、こちらでは座禅である。
この座禅は今から行う修行の前段階で、これをきちんとこなさなければ次に進めないと説明された。
ちなみに真夜も参加しようかと考えたが、二人から真夜が参加すると逆に気が削がれると言われ不参加となった。
確かに圧倒的に強い存在が同じ修行を行うのは、横で一緒に行う未熟者にとっては雑念になりかねない。
異世界で例えるなら、高レベルの武王と剣聖が初期の真夜と同じ修行をするようなものである。
自分が四苦八苦する修行を隣で、余裕綽々でこなされるのを目の当たりにすればどうしても焦りが生まれる。
その焦りが良くない結果や悪循環を生むこともある。脳裏に武王と剣聖の顔が浮かぶ。やれやれとため息を吐く武王と呆れて可哀想な奴を見る目を向ける剣聖。
こちらに戻ってきて一年以上経つが、今でも鮮明に思い出せる。腹立たしいことこの上ない顔だが。
(俺なら確実にキレるな。つうか、色々と煽られたからな。今思い出しても腹立つ)
懐かしく、今となっては笑い話だがそれはそれである。だから真夜もただ見守るだけに留める。
遠目に見る限り、朱音も渚もよく集中できてる。若干、朱音の方がこういう修行は苦手なようでムラが生まれる時もあるが、以前のような不安定さはまったく無い。二人も成長しているということだ。
(まあ二人の邪魔をするのも悪いからな。俺は俺ですることをしようか)
真夜は軽く庭を散策しながら、周囲から霊力を取り込む訓練を行う。瞑想でならばかなり楽に出来るが、何かを行っている状態ではかなりの難易度である。
戦闘中に周囲の霊力を取り込む事ができれば、継戦能力が飛躍的に上がる。ただ自然発生する霊力や自分が放った霊力の残滓ならば吸収もしやすいが、戦闘中では他者や妖魔の妖気が混ざり合うために取り込むことは実質的に不可能に近い。
それでもこのような鍛錬を続けていれば、何かしらの効果が得られる可能性もある。星守の交流会で明乃が取った戦法のように。
(力は戻ったし、ルフと鞍馬天狗のおかげで勘も取り戻してきた。けどまだ上に行ける)
真夜は自分の成長に手応えを感じていた。肉体的成長はまだ続いている。異世界での全盛期並の強さにも近い。だからこそ、さらなる強さを得る事が見えてきていた。
異世界の仲間だけではない。この世界でも真昼や彰を始め、真夜に追いつこうとする同年代は何人もいる。朱音や渚もそうだ。そんな彼ら、彼女達に真夜も触発されていたのだった。
そんな真夜に少しでも追いつこうと、朱音と渚は座禅に取り組んでいる。
座禅中は雑念を捨て、ただ無心になる。
他者の強さに起因する事で強くなりたいと言う雑念に囚われていては、本当の意味で強くなれないという初代京極家当主の当主が言ったとされる言葉が、二人のいる部屋の掛け軸に書かれている。
ここからの修行は初代京極家当主も行ったとされる修行で、その困難さからこれまでの京極家当主でも、すべての行程を終えられた者は、一握りと言われている。それに二人は挑もうとしていた。
元々京極家は彼らだけの儀式である秘中の儀で強くなれる可能性が高いため、敢えて最難関の試練に挑もうとする者が皆無だった。
さらに京極家は強さにだけ重きを置いているわけではなく、試練に失敗すれば付けいる隙を与えかねないので、よほどの物好きでなければ挑もうとさえしなかった。
挑む者がいなくなって久しい修行場。それでもきちんと管理が行き届いていたからこそ、二人が挑むことが出来るのだ。ただ本格的な修行が始まるのは、明日以降。今日は一日座禅に費やされる。
真夜は二人の邪魔をしないように、そっと寺院の周辺を散策することにした。
朝陽達が手配してくれた者達も異変が無いか調べているが、自分自身も調べたりトラブルが起こりそうなら、二人に害が及ばないように対処するために、空いている時間は周囲を調べることに費やすことにした。
しばらく周囲を歩いていると、不意に真夜は知った気配を感じた。
「奇遇やな、こないな所で会うなんて。こないだぶりやね、真夜君」
真夜に対して気さくに声をかけてきたのは、京極右京だった。いつものような笑みを浮かべ、フレンドリーな態度で真夜に近づいてくる。
「お久しぶりですね、右京さん。本当に奇遇ですね」
一瞬、訝しむ真夜だがすぐに愛想の良い笑みを浮かべ挨拶を返す。ただ内心は、なぜ右京がここにいるのかと言う疑問を抱いていた。
(本人が言うような奇遇じゃなく、狙って来てるんだろうけど)
京極家の管理している比叡山の修行場に右京がいることには不思議はない。だが真夜はたまたま自分達が修行に来ている時に来て、偶然自分に出会った等と安易に考えられない。
どうにも面倒ごとの気配がする。こういう時は大抵、何かしらの思惑があって自分に近づいて来たと考えるのが自然だ。
右京にどんな思惑があり、どのような考えで自分に接触してきたのか。ただ下手に自分を巻き込めば京極家もタダでは済まない。それを右京が理解していないはずがない。
警戒は怠らないが、最初から剣呑な雰囲気も出さずにできるだけ穏便に対応することに決めた。
「いやー、いきなり声をかけて堪忍よ」
「別に構いませんよ。それで俺に何か用ですか?」
「そうや。君、今時間あるかいな? ちょっと僕とお茶でもしいひん? 全部僕の奢りやさかい」
「……構いませんよ。好きな物を好きなだけ選ばせて貰えるのなら」
突然の提案に真夜はそう答えるのだった。
◆◆◆
寺院からそれなりに離れた場所にある喫茶店に入った二人は、それぞれに好きな物を注文する。
朱音と渚の二人が修行しているのに、自分一人が好きな物を食べているのは若干気が引けるが、相手の奢りなので遠慮せずに注文することにした。
「で、俺に声をかけてきた理由を聞いても? 出来れば単刀直入に、本音と事実だけを聞きたいんですが」
注文したコーヒーが届き、砂糖とシロップを入れて一口飲んだ真夜が切り出した。
どうにも腹に一物ありそうな右京が相手だと言うこともあり、ストレートに尋ねる。これが明乃や朝陽ならば遠回しに聞いたり、会話で相手の思惑を上手く引き出すことをしただろうが、生憎と真夜はそこま
で話術に自信が無い。
それにこう言う手合いとの腹の探り合いは面倒であり、碌な事にならないと思っているので最初から聞くことにした。
「もう少しオブラートに包んで尋ねてくると思うとったんやけど、なんやはっきりと言うんやな」
「前回の俺と京極家の当主との話し合いの場にいたんですから、俺がどんな人間かある程度はわかっていたと思いますが? 正直、相手の裏の読み合いは好きじゃないんで」
同じくブラックコーヒーを口にしつつ、言葉を返してくる右京に真夜は少し辛辣に言い返した。
「朱音と渚が修行でいないこのタイミングで、俺に接触して時間を取ろうとしてきたってことは、面倒ごとか渚に関わることだと考えますが」
「そやね。下手に星守と揉めたくないし、君を敵に回しとうもあらへんから僕も正直に話すわ」
右京も真夜を簡単に利用できるなんて思っていない。真夜の情報は右京も掴んでいる。退魔師としての実力も高く、後ろ盾の星守家は今の京極家ではどうにも出来ず、と言うよりも支援してもらっているので、迂闊な事が出来ない。それでも右京は真夜を何かに巻き込もうとしていた。
「身内の話で申し訳あらへんけど、今の京極家は色々と困りごとが絶えへんねん」
「それはわかります。昨年から色々とあって、大変ですね」
割と他人事であり、幻那の本心や過去を知るからこそ、身から出た錆であるからの発言である。
確かに現役世代や次世代からすれば、その上がやらかしたことであり、自分達に直接関係ない事が原因で起こった悲劇であるゆえに、真夜としても同情の余地はあるが、それはそれ、これはこれである。
真夜は渚のためだが、幻那を倒し、生き残った者達の呪いを解除したことで十分に京極家を手助けしたのだから。
「特に兄さん、ああ、京極家の当主の話や。兄さんも家族の事とか次世代の京極家の事で苦労しとるんや」
真夜の言葉に別段、気を悪くしたわけでもなく淡々と語り続ける。
清彦の渚以外の三人の子供達が、今も後遺症で苦しんでおり、後継者候補の件で難儀していると。
雷坂家は言うに及ばず、近隣の火野では赤司が、水波では流樹が、風間では嵐が、そして星守では真昼と真夜が名を上げている。氷室はすでに代替わりしており、当主の氷菓の実力も高いし、妹の志乃も星守の交流会でデビュー以降、さらに実力が向上しているらしい。
翻って京極家は若手がほぼ壊滅状態。実力の上がったまだ若い右京はいるが、代替わりではどうしても今の若手よりも先に引退してしまうし、その下が育っていないのが問題だ。
京極家次期当主にはあまり興味はないが、清彦の他の子供達と言うことは渚の異母兄姉に関しては違う。
渚からは兄姉仲は良くなかったと聞いている。ただ渚はもう星守の養子になったのと、仕返しなどをしたいとも考えていない。だから真夜自身、渚の異母兄姉相手に何かをしたり、関わりを持とうとも考えていなかった。
「で、その渚の異母兄姉が渚に何かをしようとしていると?」
「そんなんあらへん。ただ精神的に不安定になったら、けったいな事をしかねへんやろ? それとまあ君には関係あらへんけど、京極家も前に進まなあかんのや。それに兄姉仲はええ方がええやろ?」
君も和解したし、と付け加える右京にこれは完全に自分を巻き込むつもりだと当たりを付ける。確かに自分も真昼と和解したし、兄弟仲や家族仲が良いのはその通りだ。
しかし他人の家族の事情に他人が下手に首を突っ込んでも碌なことにならない。
さらにただ真夜を利用するつもりにしてはあまりにもお粗末すぎる。
(何を考えてるんだ? 仮に俺を利用しようとしたなら、星守が完全に敵に回るぞ)
コーヒーをもう一口飲みつつ、右京の真意を推し量ろうとする。渚と異母兄姉の関係を改善するのは、本人が望んでもいないのに、真夜がしゃしゃり出るのは余計なお世話である。
京極家の問題を後ろ盾になっている星守の人間ではあるが、真夜が首を突っ込む必要があるのか。
「……まあ長々と話したけど、ここからが本題や」
そんな真夜の疑念をわかっているのか、右京が一呼吸置き、ある提案を口にする。
それは……。
「君、このGW中、僕に個人的に雇われる気はあらへん? もちろん報酬は弾ませてもらうよ?」
右京の言葉に真夜は僅かに表情を険しくするのだった。




