第一話 鍛え直し
「今度のGWに私と朱音さんは比叡山に修行へ行こうと思います」
鞍馬天狗とルフとの鍛錬を終え、マンションに戻った真夜に渚が切り出した。突然の言葉に真夜は僅かに言葉に詰まった。
「えっと、どういうことだ?」
「どうもこうもないわよ。ただでさえ真夜との差が開いてたのに、ここにきてまた実力差が大きくなったでしょ? だから纏まった休みにもう一度鍛え直すって話よ」
聞き返した真夜に朱音が補足するように伝える。
「現状、今の私達では特級ならばまだしも、超級より上の妖魔が相手ではどうすることもできません」
「あたしも超級に有効な技はあるけど、実戦じゃまともに使えそうにもないでしょ? だから地力を上げるしかないって渚と話をしたの」
今の二人なら真夜の霊符の援護があれば、特級ならば倒せる。無くとも二人がかりなら勝利を収めることも可能だろう。
「いや、二人は強いだろ? 六家や星守でも二人に勝てる相手は限られてる」
「その限られてる相手が最近は同年代にも多いのよ。火織から聞いたけど、赤司さんも凄い速さで強くなってるって言ってたわ。本気の爆斎おじいちゃんと勝負が出来るようになってきたって。真昼だって協力したとはいえ、真夜の援護無く覇級に致命傷を負わせたって話だし」
「他にも風間家では次期当主候補の嵐さんの台頭や他の六家、何でしたら星守の方々も随分と強くなっているようです。今の私達の強さなど、他の人達はすでに超えた、あるいは超えられる程度のものです」
かつてならば今の朱音や渚の強さでも十分だっただろう。六家や星守でも以前ならば霊器を持ち、特級を倒せる人材ならば上澄みも上澄みであった。
しかし今は退魔師達のレベルがかつて無いほどに高まっている。特級どころか超級、果ては覇級まで倒せる人材が現れ始めた。
超級など一昔前ならば各家が一族総出で対応する相手だったのに、今だと個人で対応できる人間が複数人いるのだ。
真夜などルフの協力があれば個人で覇級を倒せる始末。いやルフの協力が無くても今の真夜ならば覇級下位ならば倒せるだろう。そんな恋人を持つ朱音と渚は優越感や安心感とは別に、言い知れぬ焦燥感を抱いている。
つまり自分達は真夜の隣に立つ資格があるのかと。
二人は守られるだけの女にはなりたくなかった。真夜の隣に立ち、彼の役に立ちたいと常に願っている。
真夜の庇護下で満足し、与えてもらうばかりの存在に朱音も渚もなりたくなかった。
幼い頃に真夜に心を救われた。成長してからも何度も何度も命の危険を助けてもらった。
そんな彼に、自分達は何かを返せたのだろうかと二人は疑問を抱き、悔しく思っていた。
先日の龍の一件でも改めて思い知らされた。真夜の負担を軽減するためにも、もっと強くなりたいと言う感情は大きくなっていた。
ただ真夜は同時に二人を恋人にする我が儘を受け入れてもらったり、様々な面で二人に手助けをしてもらっていることや、側にいてくれるだけで満たされており、これ以上望むのは罰が当たると思っている。二人も一年前に比べれば、凄まじい成長を遂げているのだから。
言わばすれ違いなのだが、どちらも相手を大切に思っているからこその相違であった。
「だからもう一度鍛え直すの。遠くに出かける用事もいれてなかったしね」
「比叡山には京極家だけが使える修行場もいくつかあります。すでに京極から養子に出た身ですが、お父様にお願いすれば許可は下りると思います」
三大霊地の一つの比叡山。渚はその中でも京極家が修行に使う穴場を使用しようと朱音に提案していた。
今彼女達が住んでいる場所からもそこまで極端に遠いわけでは無く、電車を使えば数時間で行ける。
その修行場は京極家の人員の数が減り、現役世代が慌ただしく動いていたりリハビリなどで使用者が激減しているという。
さらに渚が目を付けたのは、修行場の中でも比較的難易度が高い所である。
今の京極と星守の関係ならば、間違いなく許可が下りると渚は言う。
「この埋め合わせはまたどっかでするから」
「ですから今回は私達の我が儘を許してください」
「いや、別に埋め合わせもしなくていいし、我が儘でもないから気にしなくていいが、その修行は俺は付いて行っても良いのか? それとも行かない方がいいのか?」
二人がここまで言っている事に対して、真夜は止めるつもりはないのだが、自分がその時はどうすればいいのかわからず、二人に問い返した。
「もちろん、真夜が良かったら一緒に来てもらいたいわ。修行を見たり、手伝ったりもしてもらいたいし」
「今回は観光などはせず、修行だけに打ち込むつもりですので、真夜君にはあまり面白くないとは思いますが」
「別にそれは構わねえよ。二人が本気なら邪魔するわけにもいかないからな。もちろん修行の手伝いも喜んでするさ」
二人は真夜にも一緒に修行しようとは言わない。今の真夜の実力を考えれば、自分達がするような修行などあまり意味が無いと思うからだ。
基礎どころか応用や戦闘技術などはすでに高いレベルであり、今は勘を取り戻す鍛錬をしているのに、朱音や渚に併せて行う修行など意味が無いだろう。
ただやはり真夜に来て欲しい気持ちはあるので、そこは否定しない。それに真夜が来てくれるのなら、頼みたいこともあったからだ。
真夜もそんな二人に協力するのは当然と考えている。
「それよりも渚はいいのか? 京極のお膝元なら、面倒もあるんじゃねえか?」
「私は大丈夫です。養子に出た身ですし、今の私に何かしたり言えば、面倒なことになるのは京極の方ですからね。知り合いがいたとしても、積極的に何かをしてくるとは思えませんし」
京極家に所属している時の渚ならばまだしも、星守の当主夫妻の養子になり、さらに名を上げた真夜の恋人であり婚約者の立場の渚にいらぬちょっかいをかければ、それだけで大問題になりかねない。
立場も権力も今の渚の方が上である。仮に感情にかまけて何かをしてくる輩がいれば、渚は対処するつもりだし、今後の京極家のためにもそう言った類いの輩を見つけ父である清彦に報告だけすれば、あとは勝手に処理してくれるだろう。
「あと真夜が来てくれるなら、そこでルフさんとも戦わせて欲しいの」
「ルフと?」
朱音の言葉に真夜が聞き返すと、朱音は真剣な面持ちで頷く。
「分体のルフさんが相手でも、今のあたし達じゃどうにもならないけど、色々と試したいことがあるの」
「真夜君では私達相手にそこまで全力で来れませんよね? 彼女なら無用な手加減はしないでしょうし。それに色々とお願いしたいこともありますから」
「それと真夜にも回復とかお願いしたいの。結構本気でキツめの鍛錬をするつもりだから」
真夜は二人が何か色々と無茶な修行をしそうな気がして、内心穏やかでは無かった。
「あたし達が無茶な修行をしても、真夜には文句を言われたくないからね?」
「真夜君はいつも無茶してますからね。私達も多少の無茶や無理をしなければ到底追いつけないですから」
真夜の考えていることを見透かされ釘を刺してくる二人に、今のままでも十分だという言葉を真夜は言おうとしたが、その言葉を飲み込んだ。
それは二人に対する侮辱であり、恋人達の思いや信念を踏みにじる行為に他ならなかったからだ。
心配は心配だが、見守る事も大切であり、二人のしようとしていることを否定してはいけないと真夜はかぶりを振るった。
「……わかった。けど本当に無茶はするなよ? 俺も二人の事が心配なのはわかってくれ」
「ありがとう、真夜。でもそれ、いつもあたし達が真夜に思ってることだからね?」
「真夜君はここぞと言う時に無茶をしますからね。私達も心配しているからこそ、強くなりたい事をわかってくださいね」
口では女に勝てないなと、真夜は苦笑いする。ただこれも自分の普段の行いゆえの反論ゆえに何も言えないので、真夜は両手を挙げて降参のポーズを取る。
「了解。二人の修行に口を出さないようにする」
そんな真夜に朱音も渚も笑顔を浮かべる。
「っと。GWに比叡山に行くなら、親父にも伝えないとな。一々事前報告しないと駄目なのは面倒だな」
「仕方ないわよ。どっか行く度に事件に巻き込まれてるんだもの」
「こればかりはすみませんが、真夜君を擁護できませんね」
「ひでぇな、ほんと。俺もマジで何も言い返せないのが最悪なんだよな」
龍の事件で朝陽には当主としても父親としても、かなり負担を強いた。真夜のせいではないのだが、真夜が行動するたびに事件に巻き込まれるから、朝陽としては息子の自由な行動や意思は尊重したいのだが、また何か起こるのではと戦々恐々している。これは祖母の明乃も同じだ。
事件が真夜を呼んでいるのか、真夜が行くから事件が起こるのか。卵が先か鶏が先かのようなものだが、朝陽や明乃としては何か起こる前に身構えていたいので、真夜にはどこか遠出するのならば、予め必ず連絡をしてくれと言われた。そうすることで何かあっても星守としてスムーズに動けるようにするためである。
真夜としてはまったく笑えないのだが、迷惑や面倒ごとをかけていることも自覚しているので、素直に従うことにしている。
(旅行中は何もなかったが、その後にドデカい厄が来たからな。本当にもう少し何とかならねえかな)
異世界の神様に願い続ければ、少しは御利益を頂戴できるか。あるいはこちらの神に願うか。
一瞬、真夜の脳裏に渋い顔を浮かべる異世界の神の姿が浮かぶ。ここ最近、よく頭に浮かぶが、本当に何とかして欲しいと切に願う。
(異世界じゃ異世界の神の声は、聖女始め一部の人間が神託でしか聞けなかったが、偶には俺にも良い神託を授けて欲しいもんだな)
一応異世界を救ってるし、こちらでも人助けはしているのでそれなりの徳は積んでいるはずなので、もう少しこのトラブル体質を何とかしてもらいたい。たぶん難しいだろうが。
「まっ、トラブルが起こっても今の俺なら、よほどの事じゃ無い限り対処できるからな。二人の修行の手伝いもしっかりとさせてもらうさ」
「決まりね。じゃあ宿泊先の手配とかするわ。トラブルは起きないに限るんだけど」
「起きる前提で備えておけば、何かあっても気負いしなくてもいいですから。では修行場や父の方には私から連絡しておきますね」
「頼む。俺は……トラブルが起きないように祈ってる」
朱音や渚に比べ、何とも頼りなくむなしい発言をする真夜。
こうして三人はGWの比叡山での修行のプランを練るのだった。
◆◆◆
京極家当主の弟であり、京極家最強の右京はとある地を訪れていた。この地を訪れるのは久しぶりである。
山の中腹に建てられた神社へと右京は向かうために、二百段以上もある長い階段を登る。
階段の途中にある鳥居をくぐると、右京の身体に微かな違和感が生まれる。ここに来る時に必ず体感する、鳥居に施されている特殊な結界の作用によるものだ。
この結界は悪意ある者や招かれざる者を別の道へと誘い、この先の神社へは決してたどり着くことが出来ない。右京は結界に拒まれること無く、その中へと進んでいく。
階段を登りきると広い境内に出る。清浄な空気や霊気が満ちており、鳥のさえずりなども聞こえる。
右京が進むとそこには、巫女服を着た長い紺色の髪を背中まで伸ばした糸目の一人の女性がいた。年の頃は二十代後半だろうか。箒を持ってせっせと掃除をしている。
「澄佳。お久しゅう。相変わらず別嬪やな」
「右京はん! お久しゅう! そっちこそ相変わらずお世辞がお上手やわぁ」
右京に声をかけられた女性――澄佳は嬉しそうに右京の下へと駆け寄ってくる。
「お世辞と違うで。まあともかく堪忍な。しばらく来れんと」
「構しまへんよ。こないして会いに来てくれるだけでも嬉しいおす」
二人はしばらくの間、仲睦まじく会話を続ける。
「名残惜しいけど、僕もお仕事しいひんとだめやさかい、そろそろ行くわ」
「わかりました。ご飯の準備はしときます」
「おおきに」
右京は礼を述べると、そのまま本堂の方へと向かっていく。
本堂に入ると、そこには一人の少女が胡座をかき、瞑想をしている。
年の頃は十代半ばから後半の間だろか。紺色の長い髪をポニーテールにしており、道着に身を包んでいる。座っているため正確な身長はわかりにくいが、それでも百六十半ばはありそうだ。
完全に集中しており、右京が背後に近づいても反応もしない。
だが無防備では決して無い。彼女の側には守るように薄らとたたずむ何かがいる。右京はその姿を確認すると、軽く頭を下げる。
すると今まで目を閉じていた少女がゆっくりと瞼を開ける。
そして霊力を解放すると、周囲の建物が軽く揺れる。
「調子は良さそうやな、雫」
「あっ! 久しぶり! おとうはん! うん! 私はこの通り、調子がいいぞ!」
立ち上がると嬉しそうに彼女は右京に対して、そう答えるのだった。




