第十八話 封印
積乱雲の荒れ狂う暴風雨と雷の中、龍とルフの攻防は続く。
浄化の術やルフの攻撃で怒り心頭の龍は、その力のすべてを以てルフを倒そうとする。それを受け流し、反撃を行うルフ。先ほどのダメージがあり、ルフは次第に押され始めている。
これ以上は付き合ってられぬとばかりに、龍は再びルフを振り切り旅客機へと接近しようとする。
「グルッ!?」
旅客機に再度近づこうとした龍の周囲に十二星霊符のうちの五枚が浮かぶと、それぞれが光の線を結び五芒星を描く。さらに龍の周辺を二枚の十二星霊符が飛翔する。
十二星霊符は真夜が任意に消したり呼び出せたりする。龍の方へ向けても即座に呼び戻せるため、真夜は元々防御に使っていた物以外はすべて援護に回したのだ。
渚が無数の式神を使って相手を翻弄する戦術のように、二枚の霊符は龍の周囲を飛び交う事で相手の注意を逸らす。
龍に取って厄介な事は五芒星の陣により僅かばかりでも弱体化を余儀なくされていることと、飛翔している霊符に触れれば、僅かばかりでもダメージを負うことであろう。
ルフは己が万全であれば倒すことも視野にいれたが、彼女にもダメージが蓄積し、消耗も無視できなくなっている。さらに結界も無しにルフを召喚したことで、この世界からの制約が思った以上にルフを蝕んでいた。
今、真夜が五芒星の結界を展開したのでその制約は解消されたが、それでも現状は龍を相手にするには無視できないほどの消耗だった。
だが先ほどに比べればルフには余裕があった。
真夜の力が戻ったことと幻那を喚び出せたこと。この二つは確実にこの戦いを有利に進める。
そしてルフにも真夜と幻那の策は伝わっている。
「Aaaaaaaaaaaa!!!!」
ルフも最後の勝負に出るために、力を解放する。五枚の霊符の結界で世界への影響を与えない最大限の力である。もっとも世界の影響を考えるだけで無く、ルフは己の力を別の相手にも貸さなければならない。
―――では、私もやるとしようか―――
ルフの近くに薄らと光る人影が出現する。幻那だ。その姿はスーツに帽子をかぶったもので、生前に真夜達が遭遇したのと同じだった。
彼はルフから力を供給されることにより、準備を行い始める。元々の術は入念な準備や手間を必要といるが、幻那はこの場で術式の再構築を行い、そのプロセスを省略できるところは省略していく。これには戦闘を行いながら、ルフが幻那の支援を行っている事も大きい。
―――やはり規格外だな、あの堕天使は。だが味方であれば頼もしい限りだ―――
ルフの規格外さを改めて実感する幻那だが、その間も術式の構築を止めることも遅延させることもしない。
時間との勝負もあるが、真夜と約束した通り、確実に龍を異界へと転移させるための前準備を進めていく。
真夜も目を閉じたまま、機内よりルフと視界を共有し龍へと対処を行う。
今の真夜に出来ることは限られている。直接の戦闘は出来ないが、十二星霊符を操作しルフや幻那の援護は出来る。
真夜に焦りは無い。恐怖も無い。絶望などもっと無い。自分に出来る事は少ないが、ルフだけで無く幻那もおり、打開策も見つかった。あとはそれを確実に実行するのみ。
(大丈夫だ。朱音も渚も絶対に守る。誰も死なせない! 絶対に守り通してみせる!)
二人と繋がる手のぬくもりを感じつつ、彼女達から文字通り力を受け取る。
彼女達の霊力との混じり合いは、さらに真夜の霊力の流れを安定させる。本来ならばあり得ない現象ではあるが、彼女達との精神的、肉体的な繋がりがそれを可能にした。
―――真夜―――
―――真夜君―――
二人の声が、想いが伝わる。それがより真夜を強くする。
―――さあ、終わらせるぞ!―――
真夜の言葉にルフも幻那も頷くと、彼らは行動を開始した。
「Aaaaaaaa!!!」
弾かれたようにルフは龍へと向かうと肉弾戦を龍へと仕掛ける。龍の方もルフがいい加減に鬱陶しかったので、彼女を全力で排除しようと巨大な口を開き、妖気を収束した息吹を解き放つ。
極太のレーザーのような龍の息吹は、周囲の雲を含めたすべてを吹き飛ばしていく。もし旅客機が直線上にあれば、撃墜は免れないだろう。だがルフは旅客機の位置を確認して動いており、被害は無い。
龍は獣程度の知能しかない相手。怒りなどで興奮状態の相手をいなし、矛先を誘導するのは難しくない。
ただその分、力が増しておりラッキーパンチの一つでも受ければルフとてタダでは済まないだろう。
ルフは笑みを浮かべる。真夜の二枚の霊符が龍を牽制し、ルフの援護を続ける。真夜の姿が無くとも、共に戦っている。先ほどまで伝わってきていた真夜の焦燥感や絶望感は消え失せている。
今あるのは絶対に守るという気迫と信念。ルフも真夜の感情に触発されるかのように力がわいてくるような気がした。ルフがすべきことは時間稼ぎ。倒す必要は無い。
だがそれはそれとして、今までの鬱憤もある。真夜の分も含めて、時間稼ぎも兼ねて、少しでも溜飲を下げるためにルフは龍へと果敢に攻撃を繰り返す。
真夜もその都度その都度、ルフを援護すべく霊符を操作し、時には結界の浄化の威力を一時的に高めたりと龍を翻弄する。
時間にして五分程度。朱音や渚を含め旅客機の乗客達からすれば果てしなく長い五分だったかもしれないが、ついに準備が整った。
―――こちらは準備が整った! いつでも構わん!―――
幻那が声を上げる。満足のいく構築が完成した。あとは龍を確実に異界へと転移させるだけだ。
―――わかった! こっちもやるぞ、ルフ!―――
真夜は旅客機の防御を霊符一枚に任せると、最後の仕上げに取りかかる。
五芒星を展開している五枚の霊符以外の六枚が龍へと飛来する。六枚の霊符は龍の周辺を円を描くように飛翔する。霊符を起点に円環が出現し、六つの霊符がさらなる線で繋がる。
「グロォォォォォッッッ!!!!」
描く軌跡は六芒星。陣の中心に捕らえられた龍は、悲鳴にも似た咆哮を上げる。
しばらくすると徐々に光の輪の直径が縮まっていく。
封印術。未完成に近く、半永久的に封じられはしないがそれでも龍の動きが完全に止まる。
「Aaaaaaaaa!!!」
ルフもここぞとばかりに強化を行う。光の剣が出現し龍の上下の口を縫い合わせるように貫くと深々と突き刺さる。
「グルルルルルルルルッッッッ!!!!!!」
動きを止めていた龍が最後の悪あがきとばかりにうなり声を上げる。だがうなり声を上げることしかできない。
―――これで決める!―――
真夜が完全に龍を封印するための行動に出る。続けて五芒星が一層の輝きを見せると、十二面体の結界が内部へと龍を閉じ込める。表面上には変化は無いが、凍るように、あるいは石化するかのように、ピシピシと龍の身体が固まっていく。
―――今だ!―――
―――さあ、いけ!―――
真夜の言葉に反応し、幻那が術式を展開する。ルフと幻那の魂は六枚の十二星霊符と共に龍を閉じ込めた十二面体ごと異界へと消える。
転移した場所は幻那の予測していた地点。まだ転移の術式は消えていないが、帰還するためには僅かな時間しか無い。
だが短い時間の中で、ルフも幻那も視界を共有している真夜も異界において、最後の仕上げを成す。
―――時間はあまりないぞ!―――
―――わかってる!―――
六枚の十二星霊符が龍を封印するために大地へと十二面体を沈める。
「Aaaaaaaa!!」
残った力を出すように、ルフが剣を物質化して大地へと突き刺す。剣を起点に龍を完全に封印するつもりだ。
光が収束し、剣の下に十二星霊符の絵柄に似た紋様が刻まれる。
龍の封印の証。よほどの相手、それこそルフクラスでもなければ、剣を抜くことも封印を破ることも出来ないだろう。
―――急げ! 転移術式が消える!―――
幻那の言葉にルフは急ぎ異界を去る。それに続くように幻那も十二星霊符も現世へと帰還する。
異界に残されたのは封印された龍と大地に突き刺さった一本の剣だけだった。
―――境界の修復をする!―――
ルフや幻那の魂が現世へと戻ったのを確認すると、真夜は以前のように境界を安定させるための術式を展開する。さらに万一を考えて、反転の術式も施す。
神業のような術式の連続使用。真夜の霊力も体力も精神力も限界は疾うに過ぎている。
だがそれでも守るべき者達のために、真夜も限界を超えて術を行使する。
術式が施されると、今までの積乱雲が嘘のように消え失せ、青い空が広がった。
―――どうやら終わったようだな―――
警戒を続けながらも、龍が再び戻ってくる兆候もないことを確認した幻那は、どこか安堵したように呟いた。
―――みたいだな。正直助かった。ありがとう。―――
―――ふっ。礼など不要だ。さて、私もそろそろ消えるとしよう。どうやらお前も堕天使も限界のようだ―――
真夜も疲労困憊であり、ルフも顕現の限界はとっくに過ぎている。十二星霊符も展開したままであり、このままでは真夜の身も危ないと判断した幻那は、早々に封印に戻ると伝える。
助けて貰ったというのに、再び幻那を封じ続けることに真夜は僅かばかりの後ろめたさや罪悪感を覚えた。
―――悪いな―――
―――気にするな。ではさらばだ星守真夜。出来れば、二度と私が喚ばれる事が無いことを願う―――
別に構わぬと幻那は全く悲壮感の無い声色で真夜に伝えると、ルフの導きで再び魂を封印された。
ルフの顕現も限界のようで、彼女もまたいつものような微笑を浮かべ、そのまま姿を消した。
最後に守れてよかったねと、真夜はルフの声が聞こえた気がした。
真夜は無事に龍の脅威を切り抜けたと判断し、十二星霊符をすべて消すと身体から力が抜けた。
「お、終わったぞ。龍は、異界に封印した。もう……大丈夫だ」
真夜は酷く汗をかいており、顔色も悪い。意識は失ってないが、息も荒く途切れ途切れで疲労困憊だった。
「真夜! 大丈夫なの!?」
「飲み物は飲めますか!? これを!」
心配そうに声をかける朱音と脱水症状も起こしそうな真夜を見かね、飲み物の入ったペットボトルを取り出す渚。腕も上がらず渚に口元までペットボトルの口を持って行ってもらい、何とか飲める状態だった。
「……わ、悪い。少しマシになった。けどこれで……っ!?」
その時、機内がガタガタと揺れ出した。まさかまた龍がと真夜達は身構えるが、妖気の反応も境界が揺らぐ気配も無い。問題は旅客機の方だった。
「き、機長! 左右のエンジンが停止しました!」
「くそっ! 他の計器にも異常が!?」
コックピット内では機長達の悲鳴にも似た叫びが上がる。真夜の霊符で守られていた機体だったが、妖気の積乱雲の中を進み、龍に噛み付かれ巻き付かれた影響は皆無ではなかった。
真夜の霊符が消失した後、機体の両エンジンが故障しただけではなく、他の電気系統にも異常が発生しだし、ほとんど操縦不能の状態に陥った。
まるで龍の置き土産だ。死なば諸共。何としても真夜は殺すと言わんばかりの悪意。
龍の危機が去り、高知空港までもう少しの所で、飛行機は墜落の危機を迎えていた。
徐々に高度が下がっていく旅客機。空港まではもう持たない。海面への緊急着水も操縦不能ではできるはずもない。
先ほどまで落ち着いていた機内が、再びパニックになる。
真夜はもはや疲労困憊で動けず、ルフも再度喚ぶこともできない。朱音も渚も真夜に霊力を譲渡してほとんど残っていない。仮に残っていたとしても、彼女達に墜落を止める術は何も無く、彼女達の有する式神もこの危機を脱することは出来ない。
「渚! 真夜だけでも守るわよ!」
「はい!」
朱音と渚はほとんど残っていない霊力をひねりだし、真夜だけでも生き残らせようと奮起する。
「や、やめろ、二人とも。俺の事はいい…!」
もはや指一本動かせない真夜はそんな二人を止めようとする。
守れたと思ったのに、結局は守れないのかと悲痛な表情を浮かべる真夜。思わず真夜は神へと祈る。
彼女達を助けてくれと。
と、今まで降下を続けていた飛行機が急に安定しだした。まるで見えない何かに支えられているかのようだった。朱音は思わず窓の外を見る。
「あっ! あ、あれって!」
朱音の声に釣られて真夜も窓の外を見ると、旅客機の側を飛ぶ存在に気付く。
「く、鞍馬天狗!」
それは真夜達のよく知る、朝陽の守護霊獣の鞍馬天狗だった。鞍馬天狗は己の神通力で旅客機を持ち上げて、空港へと運んでいた。
(まったく、世話がかかる)
鞍馬天狗は内心でそう思いながらも、ぎりぎり間に合って良かったと安堵した。
ここに来るまで遠見の術や気配察知でルフと龍の戦いを感じていた。自分が割って入ったとして、何が出来るかわからぬ格上同士の戦い。それでも急ぎ向かっていたが、まさかこんな形で役に立つとは思いもしなかった。真昼や朝陽が鞍馬天狗を単独で向かわせる判断をしたのは、決して無駄では無かった。
むしろ、彼は十分に真夜達を救うのに役立ってくれた、命の恩人であろう。
「ははっ、助かったな。……おっと」
力なく笑う真夜に思わず抱きつく朱音と渚。二人とも今度こそ助かった事で、感極まったようだ。
真夜はそんな二人に優しく微笑むと、鞍馬天狗に誘導される旅客機の中で、二人を守れたことを誇りに思いながら、しばらくの間、彼女達のぬくもりを感じ続けたのだった。




