第十四話 機上での戦い
真夜が龍の誕生に気付いたのは、彼らを乗せた飛行機が沖縄を出発して少ししてからのことだった。
「真夜? どうかしたの?」
突然、考え込むような顔をした真夜に朱音は訝しげに尋ねる。まだ沖縄付近であり、九州とは距離があったのと、広域探知が苦手だった朱音は、まだ龍の存在を認識できずにいた。
だが九州に近づけば近づくほど朱音でも感じるだろうし、渚も明確にでは無いが真夜に遅れてしばらくしてから、朱音よりも早く龍の存在を認識した。
「真夜君も感じましたか?」
「ああ、距離はかなり離れてるが、ヤバい奴が現れたみたいだな」
どんどんと感じる気配が強くなってきたため、渚が真夜に尋ねる。
「えっ、えっ? 何? 何かあったの? っ!?」
自分だけ蚊帳の外になっていた朱音だったが、飛行機が九州に近づくほどに朱音も何か、恐ろしい気配を敏感に感じ取るようになった。
「これって、まさか覇級クラス?」
「多分な。正確な位置まではわからねえが、飛行機が進むごとに感じる気配が強くなってる」
周りの乗客に知られないように、声を落として真夜達は会話する。真夜も気配は感じ取れるが、どこにいるかまで正確に把握できるわけではない。
「親父に連絡を取るべきだろうが、今は飛行機の中だし連絡もできねえからな。仮に出来たとしても、飛行機の中じゃ俺達に出来ることは無いだろ」
真夜としても何が起こったのか確認したいが、連絡したところでここから現場まで向かうことなどできない。
飛行機に乗っていなければまだ何かしらの対応も出来ただろうが、空港に着くまではどうしようもなかった。
それに下手に騒げば、他の乗客を不安に晒したり混乱を招きかねない。
真夜達以外にも、満席ではないが春休みということで子供連れやカップル、高齢夫婦など多くの乗客が乗り合わせている。
警戒や緊張感は持つが、常に張り詰めているわけにもいかず、まだ距離が離れている事と機内では出来ることがほとんど無いこともあり、真夜はこの時点では積極的に何かをしようとは思わなかった。
だがそれも覇級クラスの妖気の気配が強くなると同時に、こちらに向かっているのを感じるまでのことだった。
(あり得ないだろ? まさかこっちに向かってるのか!? それにこいつは覇級でも上位クラスだってのか!?)
真夜の霊感が今までに無いほどの警鐘を鳴らす。どんどん強くなる妖魔の気配。距離が近づくにつれ、相手の気配が強くなる速度から、向こうが空を飛んでいる事やその強さを鮮明に把握できるようになる。封印状態のルフの本体や空亡よりも上。あの京極での六道幻那に匹敵する気配を感じる。
相手の目的はわからないが、こちらに向かっていることから、この飛行機が襲われないと楽観視することはできない。最悪の事態を想定して動く必要がある。
近づいてくる龍の気配は渚も朱音も感じており、青ざめた顔をしている。当然だ。ただでさえ遙か格上の化け物が近づいているのに、今いるのはまともに戦うことも逃げることも出来ない、高度一万メートルの飛行機の中。襲われれば何も出来ずに終わりだ。
真夜も京極の時以上の焦りを抱いている。真夜にも対応策がほとんど無いからだ。
もし相手が超級であればルフの本体を召喚すれば何とかなる。物理的な制限の無い真夜の十二星霊符やルフの召喚は、壁一枚隔てた飛行機の外でも可能であるため、ルフを召喚して飛行機を霊符で守れば対処できる。
しかし相手が覇級では話が変わってくる。ルフの方が強ければ覇級でも何とか出来たかも知れないし、真夜も弱体化しておらず、十二星霊符も十二枚使えればギリギリ飛行機を守り切れる自信もあった。
だがそれができない。戦おうにも朱音達と同じく飛行機の中では真夜にもどうしようもできない。
(くそっ! 異世界でも似たような経験はあったが、俺一人で対処はできなかった!)
異世界でも飛行船のような物に乗っていた時に襲撃を受けた経験はあった。その時は真夜一人でなく、聖女や大魔道士が主体となり協力することで難を逃れたが、今彼女達はいない。
ルフの封印を解けば倒せるが、彼女の影響を五枚の霊符で抑えきれないし、異世界の神にも警告されている。
もし相手の目的が真夜とわかっていれば、あるいは別の対処を考えたかも知れないが、それを実行するには場所が悪すぎる。
高度一万メートルの太平洋上を飛行している飛行機から、機体や乗客に影響を与えずに外に出ることも出来ず、出れたとしても近くに無人島がなければ、陸地にたどり着く前に相手に捕捉される。そうなれば戦うどころではない。
「不味いですね。このままでは飛行中に接敵する可能性があります。退魔師として緊急事態を告げて、沖縄に引き返してもらうか、近くの着陸できる飛行場に緊急着陸してもらうしか方法はありません」
青ざめた顔で告げる渚に真夜も同意する。出来るかどうかはわからないが、この場でただ何もしないでいるよりはマシだ。
「そう、ね。あたしの霊感が凄く嫌な気配を感じてる。たぶん、この飛行機が狙われてる」
嫌な汗が流れるのを朱音は止められなかった。距離は何百キロも離れているはずなのに、ここまで恐ろしさを感じてしまうのは、地に足を着けていない事も関係しているかもしれない。
「とにかく出来ることからするぞ。俺は霊符を展開してできる限りの事をする。ルフも喚ぶから、朱音も渚も協力してくれ」
「わかりました。気休めですが、私も障壁を展開します」
「あたしも協力するわ。他の人も守らないと駄目だしね」
外に出ることが出来ない今、出来ることは限られている。それでも座して待つ事はしなかった。
だが流石に真夜達の必死の訴えは、即座に乗務員やパイロットを説得し、納得させることは出来なかった。
直接的に被害が出ていたなら、彼らも直ぐに真夜達の言葉を信じただろうが、飛行機のレーダーにもまだそれらしい影が映っていなかった事もあり、妖魔が近づいてくると言われても納得できるものではなかった。
機長には安全に飛行機を運行する義務があるが、同時に時間通りに目的地にたどり着く義務もある。それでも機長は真夜達の言葉を頭ごなしに否定はしなかったが、引き返すにしても、どこかへ着陸するにしても状況の把握や相手側に連絡する必要もあった。ただ事態は彼らの想像よりも早く悪化した。
桜島を飛び立ち、高度を上げた龍は時間が経つにつれ、周囲に急激な変化をもたらしていた。龍の持つ強大な妖気が大気を刺激し、巨大な積乱雲を生み出したのだ。龍は水を司る神とも言われており水や雨の象徴ともされ、その中でも覇級の龍の作り出した積乱雲は水平規模がすでに数十キロを超えた。
中心の龍に近づけば近づくほど、雷雨と暴風が増し監視していた自衛隊機が帰還を余儀なくされるほどだった。
また龍の飛行速度は鹿児島湾を抜ける段階で音速を超え、自衛隊の戦闘機を凌駕する速度に到達していた。
積乱雲は真夜達の乗る旅客機の進行方向に向けて移動を続け、その範囲に飛行機は入り込んでしまう。
旅客機の機長はベテランであったが、旅客機の速度よりも早く移動する積乱雲に対処することが出来なかった。
窓の外には先ほどまで晴天が広がっていたはずなのに、急速に変化した天候は大粒の雨と黒い雲と雷を発生させた。
だが機体は驚くほど静かだった。真夜が予め霊符を展開していたため、衝撃のほとんどが散らされている。
しかし龍が近づくにつれ、機体の振動は徐々に高まることになる。
「グルルゥゥゥゥゥゥッ」
うなり声が響き渡る。声は霊符が遮断しているため、機内には聞こえていないが龍は間違いなく旅客機に近づいている。暴風も雷雨も激しさを増しており、真夜の結界が無ければ旅客機はすでに墜落していたことだろう。
「皆様落ち着いてください! ただいま積乱雲の中を通過しております。急な揺れがある可能性があるのでお席に座り、シートベルトを締めてください」
乗務員が客を落ち着かせるように伝える。
霊符に守られているはずの機内の乗客達も、ただならぬ気配を感じ取っていた。窓から見る外の光景に、乗客達の喧騒が増してくる。
幾筋も現れる雷。不思議と大粒の雨の機体を叩きつける音も雷鳴もしない。薄らと機体が光り輝いているのを、窓側に座る乗客達は気がついた。
そんな中にあって、真夜達は決死の覚悟だった。
すでに機長とは話をしていた。レーダーに映る巨大な積乱雲。すでに戻ることも出来ず、さりとて近くに着陸可能な空港も存在しない南に逃げることは出来ない。種子島や九州方面に進むのも、積乱雲に突っ込むことになる。だから当初の予定通りこのまま速度を上げ、関西を目指して飛ぶしか無い。
(何とか持ちこたえてくれよ!)
真夜は最後尾の三列席の中央に座りながら機体の防御に専念するために精神を集中させていた。右と左の席に座る朱音と渚は両手でそれぞれ真夜の右手と左手を握り、できる限り真夜に霊力を譲渡していた。真夜が十二星霊符五枚で機体を完全に長時間防御するためだ。
積乱雲が発生させる暴風や雷ならば五枚の防御で十分に対処できる。
朱音と渚の手と身体が僅かに震えている。彼女達も恐怖はある。
「大丈夫だ。絶対に俺が二人を守る」
真夜は二人を安心させるように言う。それは守護者としての矜持。最愛の二人を何があっても守るという誓い。そんな真夜の姿に朱音も渚も落ち着きを取り戻す。
「ほんと、真夜ってこんな時でも自信満々よね。怖がってるあたしが馬鹿みたいじゃないの」
「そうですね。真夜君に頼るばかりで心苦しいですが、真夜君の言葉なら信じられます」
「あたしだってそうよ。真夜を信じてるから。真夜がそう言うなら、絶対大丈夫よね」
「はい。真夜君はいつも私達を助けて守ってくれました。そんな真夜君が言うなら、きっと大丈夫です」
「ああ、任せろ。何せ俺は異世界を救った勇者パーティーの守護者だからな」
軽口を言う真夜の言葉が気休めであると朱音も渚もわかっている。この状況はあまりにも真夜に取っても不利すぎる。
それでも真夜の言葉を信じている。仮に駄目でも真夜を恨みなどしない。口にはしないが、死ぬ時は一緒だと思っているし、最悪は真夜だけでも生き延びてもらう行動を取ることを、朱音と渚はお互いに視線を交差させ確認し合った。
真夜も自分が死ぬことになろうとも、絶対に二人を守り切ると決意を固める。
すでに龍は旅客機を視認できる距離まで近づいていた。迫り来る最悪の敵である龍と相対するのはルフの本体だった。
「Aaaaaaaaaaa!!!!」
結界による隔離は無いが、幸いな事にここは太平洋上の高度一万メートルの場所であり結界が無くとも周囲への影響は少ない。
ルフは激しい暴風の中、積乱雲の中を進み龍の姿を捉える。向こうもルフをすでに認識しており、敵意を向けてくる。
真夜と離れすぎるとルフはこの世界での制約もあり、強制的に真夜の中に戻ってしまうため、ルフだけが殿として足止めに残ることができない。飛行機に付かず離れずにルフは龍と戦う必要がある。
制約があまりにもあり、空亡との戦い以上に厳しい戦いになると予想しながらも、ルフは必ず飛行機を守り切ると彼女もまた決死の覚悟で龍へと戦いを挑む。
龍もルフを手強い相手と認識しているが、大口禍神の残滓の影響で彼女よりもその背後にいる真夜を殺すべきだと殺意をその背後に向ける。
ルフを完全に無視するつもりはないが、龍は彼女を攻撃しつつも後方の旅客機を目標に定める。口に妖気を集め、いくつもの妖気の塊を吐き出すと旅客機の方へと放つ。
「Aaaaaaaaaaaaa!!!!」
させるものかとルフも周囲に無数の魔法陣を展開すると、収束させた霊力をレーザーのように打ち出しす。破壊できなくてもいい。逸らすだけでもいい。最悪威力さえ弱めれば真夜が何とかしてくれる。
妖気の塊が次々に爆発する中、ルフは翼をはためかせ、無数の羽を打ち出す。だが龍はその程度の攻撃を物ともせず、その中を突き進んでくる。ルフは回避するべきかと考え、即座にその考えを打ち消す。
下手に避ければ、そのままルフの後ろを飛ぶ旅客機に接近される。龍の飛行速度は旅客機よりも速い。ルフの方が最大速度は速いだろうが、リスクがありすぎる。両手に霊力の刃を作り出し、ルフは龍に接近戦を挑む。
二つの強大な力がぶつかり合う。結界が無いために、広範囲に衝撃波をまき散らし、積乱雲の一部を吹き飛ばす。
覇級同士の全力の戦いは凄まじく、遠く離れた日本本島でもその力を一部の者達は感じ取っていた。
三体目の覇級妖魔の出現。真夜達はこの時知るよしも無いが、SCDも日本政府も半ばパニック状態となっていた。
だがそんな事お構いなしに、龍とルフは戦いを加速させていくのだった。




