第十三話 鬼と龍
残酷な描写があります。ご注意ください。
鬼。
古来より日本各地に伝承があり、無名であり名も無き小鬼から、名前持ちの大鬼まで多数存在する。
だが伝承に残る名前持ちの鬼は例外なく恐ろしく、強力な力を持つ。
中には神通力を持つ者や悪逆非道の限りを尽くす鬼までいる。
悪毒王もその例に漏れず、巨大であり強固な肉体を持つ鬼であった。
かつて討伐されたことによる憎悪も相まって、目に映る退魔師達を怒りの感情を以て蹂躙する。
「ぎゃぁぁぁっっ!」
「ひぃぃぃっっ!」
「た、助け……」
颯史郎を始めとした武闘派の退魔師達は、必死の抵抗を試みていた。想定外の妖魔が出現した場合の、再封印も試みられたが、悪毒王の全力の抵抗に遭い成功することは無かった。
そこからは悲惨であった。この場の退魔師達との実力差は歴然であり、一人、また一人と抵抗むなしく殺されていく。いや、貪り喰われている。
一人の術者が身体をつかまれ、頭から食い殺された。逃げようとした者が押さえつけられ、身体を潰された後に喰われた。
本来であれば逃げるべきだ。勝てない妖魔から逃げるのは恥かもしれないが、無駄死にするよりはいい。
だが逃げられなかった。悪毒王はその膨大な妖気でこの周囲を囲い込み、結界のような空間を形成してしまった。
そこに取り込まれた者達は逃げようにも逃げられない。後方支援系の術者の大半もこの結界に閉じ込められた。例外はマニュアルに従い、万が一のために外部連絡員として離れた場所に待機していた二人のみで、彼らは応援と救援を本家へと緊急連絡したが、到着する頃にはすべてが終わっているだろう。
術者が殺され、喰われるたびに悪毒王の力が増していく。
人を喰らうことで妖魔は強くなる。無論、大きく力を増すためには数十人単位どころか数百人単位で人間を食べる必要があるし。すべての妖魔が人間を喰らったとしても極端に強くなるわけでは無い。
しかし例外は存在する。鬼と言う種族は人を喰らう事でも有名で在り、ヒトガタであるためか人間を食べた際の強さの上昇率が他の妖魔よりも高い。
加えてこの場にいるのは霊力の高い退魔師である。一般人十人食べるよりも並の退魔師を一人食べた方が効率も効果も高い。さらにこの場にいるのは一般的な退魔師よりも優秀な退魔師達であった。
一人食べるたびに、その力はどんどん増していく。先ほどまで超級下位だったはずが、すでに超級中位にまで成長している。
「ちくしょうどん! こんおいを甘う見っな! わいどん(お前ら)、一瞬で構わんで奴ん動きを止め! 死にたくなかなら、必死でやれ! マッマも援護を!」
そんな中、颯史郎は震える身体を奮い立たせ叫んだ。彼も風間宗家の人間であった。恐怖で泣き叫び這い蹲っているだけではない。
「そ、颯史郎ちゃんの言うとおりよ! 貴方たち、死にもの狂いで力をひねり出しなさい!」
爽香も恐ろしさのあまり震えていたが、颯史郎の言葉に奮い立つ。
生き残っている者達もこのままでは死ぬ、それも生きたまま喰われるだけだとわかっていた。
この場に集められていたのは、風間傘下でもそれなりに優秀な一族であり、死が目の前に迫っていることで、誰も彼もが死にたくない一心で行った術式行使。今までにない、それこそ火事場の馬鹿力のごとく、颯史郎を含めた全員の力を跳ね上げさせた。
戦闘系の術者含めて、全員が拘束の術式を展開し鬼の動きを止める。
「キィエェェェェェェイ!」
颯史郎の身体が浮かび上がり、鬼の眼前へと跳躍する。風の霊術と示現流を用いた最大の一刀両断斬り。颯史郎の持つ刀の刀身にはさらに爽香も自らの力を集め、威力と切れ味を増させる。
颯史郎の持つ風間の血が危機的状況において、彼の力を高めた。霊器使いでない人間としては最上位の一撃だ。今の颯史郎の一撃には、特級妖魔でも間違いなく倒せるだけの威力が込められていた。
鬼の頭部に刃が振り下ろされると、その頭部を半分に切り裂いた。
周囲から歓声が上がる。おおっ! やったか! 凄いわ、颯史郎ちゃん! などあちこちから声が上がる。
「今のうちに封印を行え!」
だが颯史郎は安心していなかった。自分の一撃で討伐しきれていないことを本能で理解していたのだ。事実、顔面は二つに分かれたが、首から下に刃が通らない。食い込んだ刀がどうやっても離れないのだ。
颯史郎は刀から手を離し、鬼から距離を取る。武器を失うのは痛手だが、霊刀が刺さっている方が妖魔にとっては痛手になる。
支援の術者達が再封印を行う。術式が悪毒王に絡みつき、その身を再びこの地に沈めようとする。
「ば、馬鹿な!」
悲鳴に似た叫びが上がる。封印の術式が絡まっているが、鬼は抵抗を続けている。それどころか術式が軋みだし、破られようとしている。
悪毒王の右手が顔の方に持ち上がり、顔面に刺さっている刀を無造作に掴むと手から肉を焼くような音がするが、それもすぐに収まる。そのまま引き抜くと力の限り握り潰す。霊刀が無残に砕け散り周囲に散らばる。
次の瞬間、悪毒王の切り裂かれた顔の裂け目から新たな顔が再生すると、左右に分かれた頭部はさらに新たな顔になり、頭部には三つの顔が出現した。
「「グオォォォォォォォッッッッ!!!!」」」
三つの顔から咆哮が放たれると、封印の術式がはじけ飛んだ。
鬼の巨体が跳躍する。狙いを付けたのは颯史郎だった。
迫る巨体を颯史郎は必死に回避する。しかし巨体は避けたが、悪毒王の手が颯史郎の腕を掴んだ。
「うわぁぁぁぁっっ!!!」
力任せに引き寄せられ、颯史郎の身体が宙を舞う。
(い、嫌じゃ! おいがこげん所で!)
颯史郎の眼前に口を大きく開けた鬼の顔が迫ると、彼の脳裏に今までの事が走馬灯の様に流れる。
ただ従兄弟の嵐に負けたくなかっただけだった。自分よりも年下の優秀な男に。憧れにすら似た感情を抱いていた。認めてもいた。
なのに、海外から帰ってきた嵐は豹変していた。認められなかった。自分が憧れ、認めてもいた男が女の姿になり、女のように振る舞う事が。
いや、違う。見惚れてしまったのだ。女の嵐に心奪われた。それだけは認められなかった。認めてはならないと思った。
だからそれを打ち払うために、今まで裡に秘めていた野望を表面化させ、このような暴挙に及んだ。
その結果、どうなるのか。後悔とは先に立たない。
(し、死にたくない! マッマ! 助けて! だ、誰か! あ、嵐ぃっ!)
最期に浮かび、助けを求めたのは女の姿の嵐。しかし彼の願いが叶うことは無かった。
鮮血が飛び散り、悪毒王の身体を赤く染める。颯史郎であった肉塊を、悪毒王は引き裂きそれぞれの顔でボリボリと貪った。
「そ、颯史郎ちゃぁぁぁぁん!!! いやぁぁぁぁぁぁっ!!!」
爽香の悲痛な叫びが木霊する。彼女もまさかこんな事になるとは思っていなかった。自分の息子の死に絶叫し錯乱したように叫び続ける。
さらに残された他の者達も恐怖のあまりに絶望し座り込んだり、錯乱し必死に逃げようとしたりする。
悪毒王は颯史郎の血肉をすべて喰らうと、次の獲物を求める。
悲鳴と絶叫がこの場に木霊し、程なくして静寂が訪れる。残されたのは彼らが使っていた道具とボロボロにちぎれた彼らの衣服と血の跡。そして超級から覇級へと力を増した悪毒王のみ。
「「「グオォォォォォォォッッッッ!!!」」」
退魔師達には悪夢となる覇級妖魔が同時に二体出現するという、最悪の日が訪れたのだった。
◆◆◆
風間家本邸とSCD宛てに、桜島上空に覇級妖魔とおぼしき龍が突如出現との報が入った。
桜島を観測していた観測所が龍の姿を捉えたのだ。その情報から近くの退魔師達が情報収集に向かったのだが、桜島上空に滞空している龍は彼らの想像を超える化け物だった。
覇級クラス。確認したその退魔師達だけではなく、九州にいる霊感の強い退魔師達は何かを気付くほどであった。
その情報は瞬く間に風間家やSCDを経由して各六家へと伝えられた。
昨年の罪業衆の一件や京極家、星守交流会でも覇級の報告はあった。
だが本来ならば封印されていた物が解き放たれない限り、こんなに短期間に覇級妖魔が出現することなどあり得ないはずだった。
ただここまで覇級妖魔の出現が続くと、SCD局長の枢木隼人も経験があるので六家などへの連絡や応援要請などに関しては即座に対応することが出来た。
しかしそれはもう一体の覇級妖魔の出現の報で、彼を含め六家の余裕は木っ端微塵に砕け散った。
壱岐島にて覇級妖魔が出現の報が入ると、隼人は表情を無くしたという。
隼人以上に動揺しているが風間の面々だった。
「どげんことね!? 爽香と颯史郎がうちらに秘密裏に封印しゃれとった妖魔ん討伐ばしとったちゃ!? しかも壱岐島で生死不明って!?」
強力な妖魔出現の気配を感じ取り、急ぎ風間の本邸に戻った涼子達が聞かされたのは、桜島で噴火と共にその上空に覇級妖魔とおぼしき龍が出現したということと、壱岐島にも覇級妖魔が出現したとの連絡だった。
しかもそこには自分達の身内が赴いており、救援要請が出されていた事も告げられる。
爽香達が動いていることを一切知らなかった涼子は、彼女達を監視しているはずの者を怒りと共に詰問した。
「そ、それがその……」
「はっきりとゆわんね! 覇級妖魔が出現した上に、彼女達も生死不明なんよ!?」
胸ぐらを掴み、凄まじい剣幕のまま締め上げると、事態が事態だけにその者は素直に白状した。
曰く、動いていることを涼子達に報告しなかったのは、一部の嵐に反発する長老や勢力が彼らの行動を秘匿していた。そのため涼子や莉子に報告が届く前に風間内部で情報が握りつぶされていた。
嵐の女装の件が無ければ、独断専行の彼らの報告はすぐに涼子達に伝えられただろうが、星守と共同での討伐や嵐の女装を認められない者達が爽香達の行動を秘匿するという、反発と当てつけを涼子達に行った。
その結果がこれであった。
「馬鹿な事をしてくれたね。この落とし前はどうつけるつもりだい?」
莉子はこの場に集まっていた長老衆を睨み付けると、秘匿に関わった者は震え上がった。壱岐島から連絡を送ってきた者は、自分達二人以外は全滅した可能性が高い事と鬼が街へと向かい人間を襲う可能性を示唆していた。
涼子達が本家に戻ったことで、今までは隠せていた情報がすべて知られた。今回の壱岐島での事も、生き残っていた二人からの情報である程度の事を把握していた。
だからこそ涼子も莉子も怒りを隠せないでいた。
現状、悪毒王は急激な成長で身体がなじんでいないため、妖気の渦の中で適応化のために休息を取っていた。
だが何時動き出すかはわからない。さらに覇級の放つ妖気は退魔師でも心折れるどころか、肉体にまで影響を及ぼす。一般人が近くでまともに浴びれば、それこそ老人や子供ならば即座に死に至るだろう。
壱岐島には二万人以上の人間がいる。逃げようにも二万人もの人間を即座に島外に避難させるなど不可能だ。
島外に避難させるより前に、鬼が活動を開始し大勢の人間が犠牲になる。
「すぐに壱岐島に向かいましょう」
「嵐さんの言うとおりです。鞍馬天狗なら僕達を短時間で壱岐島へと運べますよね?」
話を聞いていた嵐と真昼が即座に意見を述べる。人命を優先するのならば、壱岐島は放置できない。
「確かにその通りだが、桜島の龍も放置できない。そちらの方が被害の予測が付かない」
朝陽は二人の意見に賛同しつつも、迂闊に判断が出来なかった。桜島の龍も未だに目立った動きをしていないが、空を飛ぶ龍と陸を歩く鬼ではどちらが行動範囲が広いかなど一目瞭然だ。
さらに壱岐島は離島であり、言い方は悪いが鬼は隔離されている。島民には堪った物ではないが、島から出ても即座に他への被害には繋がらない。
対して龍の行動範囲は未知数であり、街から街へと飛翔し被害を拡大する可能性がある。
相手が超級ならば戦力の分散を行ってもある程度問題ないだろうが、覇級となればこの戦力で分散などもっての他。朝陽もだが明乃も被害を最小限に抑えるためにも、最善の方法を考えなければならない。
すでにSCDから他の六家や有力な退魔師一族にも連絡が行っているだろう。先日の星守の交流会での緊急時の対応も見直しがなされている。
遅くても二、三時間あれば他の六家からの救援がくるはずだ。
しかしそれまでに鬼や龍が動き出せば、どれだけの被害が生まれるか。
「駄目だ。真夜に連絡がつかん。渚も火野朱音もだ」
星守最大の戦力にして、強力な支援を行える真夜を呼び出そうとした明乃だったが、真夜はおろか渚や朱音まで連絡がつかない事態に顔をしかめている。
「そう言えば今日まで三人は沖縄旅行のはずです。もしかするとすでに帰りの飛行機に乗っているのでは?」
朝陽が予め仕入れていた情報を話すと、タイミングが悪いことに明乃は思わず舌打ちした。
「今どこを飛行しているかによって、今後の動きが変わるな」
「はい。緊急事態です。鞍馬に確認してもらい、空港に着いたタイミングでこちらに向かってもらいましょう。最悪は鞍馬にお願いします」
真夜がいれば覇級討伐の成功率が格段にあがる。今はとにかく戦力を集める必要がある。
「緊急連絡です! 龍が動き出しました! 高度を上げ、鹿児島湾を南下しているとの事です!」
朝陽達が話し合いを続けていると、慌てた様子で凜の父の謙介が報告に来た。その報告に一同は龍の行動に訝しむが、今のところ監視を続けている自衛隊などからは、人のいる場所へ向かうのでは無く、屋久島方面に向かっているとのことだ。
「父さん」
「ああ。龍の目的はわからないが、日本列島から離れてくれるのは幸いだ。目的地が屋久島ならば問題はあるが、そちらにはほかの六家の戦力で対応を願おう。まずは我々は壱岐島の鬼を討伐するべきだ」
今のところ、人口の多い都市を龍が攻撃する意図がないのであれば後回しにしても問題ない。
だからこそ、犠牲者が出る可能性が高い壱岐島の鬼を先に討伐すべきだと朝陽は涼子達に提案する。これは風間家がしでかした事の尻拭いを自分達で行わせることで、非難を抑えようという目的もある。
星守が協力することで、風間家単独での討伐には劣るが、真昼と凜の婚姻がこの場合は活きてくる。星守が参戦する大義名分も十分なのだ。
「星守に最大級の感謝ば。お母ちゃん、嵐、急ぎ準備するばい!」
人命がかかっているのだ。他の六家の到着を待っていては手遅れになる。涼子も莉子も風間だけで覇級を討伐できるなどと考えてはいないが、星守の協力があれば最悪足止めや封印に持ち込める。
風間も星守も行動を開始した。
だが彼らは知らなかった。龍が明確な目的を持って南下していることを。
太平洋上を関西に向けて飛行する一機の旅客機。そしてそこに乗り合わせている者こそが、今の龍の目的であることを。
星守の交流会にて、自爆した大口禍神の残滓。それが龍に混じり、その者を付け狙う事を本能のごとくすり込んでいる。
その者の名は星守真夜。
沖縄から関西に向けて飛行する、彼を含めた複数の乗客の乗る旅客機に、龍の魔の手が伸びるのだった。
那覇から関空のや伊丹の飛行ルート調べたら太平洋上なんですよね。
ですので真夜達との遭遇は桜島上空ではなく、太平洋上になります。
はい、割と詰んでます。飛行機に乗ったまま、どうやって戦えばいいの?




