第十五話 式神
鞍馬天狗の神通力と似たような力を用いて、ルフは四人を目的地まで運ぶ。尤も本体ではない分体では鞍馬天狗ほどに優れているわけではなく、長距離移動は無理であり、人数が多くなれば多くなるほど消耗も激しいので、四人を運ぶのは数キロから最大でも十キロが関の山であろう。それでも今回の現場には何とか時間をおかずに到着することが出来た。
現場に到着した真夜達が目にしたのは、一体の最上級妖魔とそれを前にして腰を抜かす修験者の男二人だった。
「あれって河童!? しかも雌っぽいけど!」
「カッパでこれほどの力を持つのは限られています。おそらく禰々子だと思われます!」
朱音と渚が妖魔の姿を見て、驚いたように声を上げる。
河童は日本ではかなり有名な妖魔であり、頭に皿を乗せ背中には甲羅を背負い、水かきのような手足を持つ妖怪だ。
禰々子は祢々子河童とも呼ばれ北関東の利根川の支流に住んでいたとされる雌の河童であり、多くの手下を従える河童の女親分でもあった。その力は凄まじく関東だけでなく、西や九州の名だたる河童達でさえ手を出せないほどと言われていた。
体長は百六十センチ前後だろうか。低くうなり声を上げながら、男二人を睨んでいる。
「ひっ、ひぃぃぃぃぃっっ!」
「お、お助けぇぇぇぅっっ!」
抱き合いながら、ガタガタと震える二人。三流以下の霊能力者でしかない二人では、最上級クラスの威圧に堪えられるはずもない。逆にまだ意識を保っているだけでも大した物であろう。
「助けるわよ!」
「はい!」
朱音と渚は霊器を顕現させると、禰々子に向かい駆け出す。
「はぁぁぁっっ!」
朱音が槍で突きを放つと禰々子は即座に回避行動を取るが、逃げた先には渚が回り込み、雷の属性の刀身を出現させて斬りかかる。
『キィィィィッィィッッ!』
触れれば危険だと感じたのだろう。何とか飛び退き、地面を転がり二人と距離を取ろうとする。
「逃がさないわよ!」
「動きを止めます!」
朱音は周囲に炎で創られた槍を、渚は複数の式神を召喚して禰々子に向けて解き放つ。
『ゲッゲッ!』
禰々子は逃げ切れないと判断したのか周囲に大量の水を生み出し、防御膜のように自らを包み込む。朱音の炎の槍が水に触れると、水は次々に蒸発していく。周囲には渚の式神が飛び回り、逃げ道を塞いでいる。
一体一体は大したことはない式神だが、気を取られれば渚は刀身から雷の属性の斬撃を放つつもりだった。
属性の相性からも、まともに受ければ大ダメージは否めない。
最上級妖魔が相手とは言え、今の朱音と渚ならば真夜の霊符の援護がなくても渡り合えるどころか、二人がかりならば圧倒すら出来るし、一対一でも余裕を持って勝てるかもしれない。
「す、すごい……」
二人の戦いを見て、赤司は思わず言葉が漏れた。赤司は交流会での朱音や渚の戦いを報告書や火織の話でしかしらない。百聞は一見にしかずのことわざのように、赤司は実際に二人の戦いぶりに驚愕していた。
最上級妖魔が防戦一方である。しかも二人は戦いに慣れており、危うさのようなものを感じない。
あまりよく知らない渚はまだしも、昔からよく知る朱音の成長は著しく、戦えば負けかねないと思うほどの強さを見せている。
(俺も、負けていられないな)
悔しい思いはあるが、真夜に話を聞いてもらう前までのような焦燥感はない。真夜の影響で朱音も強くなったのは理解できる。ならば自分もと己を鼓舞する。
だが二人の戦いを見ていると、赤司は違和感を感じた。それは二人ではなく妖魔の方だ。
(動きが、おかしい?)
朱音と渚の力量が高く、妖魔が防戦一方になっているのだから当然なのだが、どうにも禰々子には攻撃をしようとする気概が見受けられない。むしろ何かを訴えているかのように、声を上げているようにも見える。
その事に気付いたのか、朱音も渚も訝しげに禰々子を観察している。
「真夜君……。あれは」
「ああ、ルフ、頼めるか?」
「Aaaaaaaaa」
二人に任せていた真夜だったが、何かに気付いたようでルフに頼み事をする。ルフも頷くと、即座にその姿がかき消えた。
『!?』
真夜以外はまるで瞬間移動したかのように感じられるほどの高速移動で、禰々子の背後に回り込んだルフが右手をかざすと、禰々子の身体に霊力で創られた鎖が雁字搦めに絡みついた。
超級クラスの力の拘束では、力自慢の禰々子と言えどもどうしようもできない。ジタバタと暴れ抜け出そうとするが、拘束が解けることはなくルフや近づいてくる真夜を必死に睨んでいる。
「真夜、どうするの?」
拘束されているとは言え、戦闘態勢を崩さないまま朱音が真夜に尋ねる。
「ちょっとおかしいなって感じてるし、どうにも普通の妖魔って感じじゃないからな。事情を知ってそうな奴に聞くか。ルフ、周囲の警戒は続けてくれ」
真夜はルフに指示を出すと、近くで震えたままの男二人に視線を向ける。その間、ルフは周辺を警戒し、術を発動し警戒範囲を広げていく。分体では広範囲は無理でも、数キロ程度はカバーできる。
「俺は星守一族当主・星守朝陽の息子で星守真夜って者だが、この妖魔の事について事情を知りたい。ちなみに虚偽は許さない。もし偽れば、のちのち不利になると思え」
どうにも胡散臭そうな相手なので、真夜は語気を強め軽く威圧する。ルフも同じように真夜の方へ移動してプレッシャーをかける。
「ほ、星守真夜?」
「た、確か星守の落ちこぼれとの噂の……」
落ちこぼれと言う言葉に朱音と渚は露骨に不快な顔をする。ルフもどこか不機嫌そうに見える。
「いや、落ち着けよ。俺の事は別にいいから」
最近になって落ちこぼれというレッテルは払拭したが、もぐりの術者達にはまだ浸透していないようだ。
真夜としてはどうでもいい話なのだが、朱音や渚にとっては不愉快極まりなかった。
ルフまで怒っているのは新鮮に思える。どうやら分体を出せるようになって、今まで以上に感情が表に出るようになったようだ。ただルフが本気で怒れば色々とマズイので、ほどほどにして欲しいが。
(朱音と渚は後でフォローするとして、ルフも何とかしないとな)
と考える真夜だが問題はそこではない。
「俺のことはどうでもいい。落ちこぼれだろうが、星守の一員だ。俺に対しての虚偽は星守一族への虚偽だ。どうなるか考えて答えてくれ。で、どうしてあんた達はこんな所で妖魔に襲われていたんだ? 霊的にも安定している星守のお膝元で突然、こんな最上級妖魔が出現することなんてありえないはずだ」
ここに到着してから真夜は周囲を警戒している。事情を聞くまで判断できないが、六道幻那の事件のように、何者かが暗躍している可能性もあるからだ。
朱音達が禰々子が拘束されても気を抜かないのはそのためでもある。まさか星守本邸の目と鼻の先でと思わなくもないが、油断や慢心は死に直結する。一瞬の判断ミスが、大きな被害を生む。
弥勒狂司のような妖魔が潜んでいる危険もあるからこそ、早急に事情を明らかにして対処する必要があるのだ。地元で何かあれば、星守に対する非難は免れない。
男二人は顔を見合わせると、顔を青ざめさせながら、こくりこくりと頷くと話し出した。
「お、俺達は偶然手に入れた特級の式神の霊符を、星守に売ろうと思って……」
「そ、それがいきなり光り出して、あ、あいつが出てきたんだ」
式神の霊符を盗んだことは言わずに、二人はここまで来た経緯と復活した話をする。
「あいつ式神だったんだ。でもそれが何で妖魔みたいな妖気を放ってるのよ?」
「術者と未契約の式神は、強力な妖気に浸食されると妖魔に戻ることはありますが、それほどまでになるのはかなりの力の差がある場合に限ります。特級を浸食するほどとなると、超級以上となりますが」
「そんな奴が、近くにいたのか? その霊符、どこで手に入れた? 俺は、退魔六家の一つ、火野一族当主の嫡男だ。嘘はすぐにわかる。正直に答えるんだ」
朱音の疑問に渚が答えると、赤司も不思議に思ったのか二人に問い詰める。
「そ、それは……」
虚偽を許さぬと言われたため、嘘も言えず、さりとて盗み出したと言うわけにもいかないためしどろもどろになる二人。
その様子に真夜達は疑念を深める。
「……出来るかわからねぇが、まだ時間もそう経っていないなら、浄化で何とか出来るかもしれねえな」
二人が中々喋らない事にしびれを切らした真夜は、十二星霊符を一枚出現させるとおもむろに禰々子に向かって投擲する。
『グッ、ゲッ!?』
額に密着する霊符から光が溢れると、禰々子の妖気を浄化していく。式神や守護霊獣のように退魔師との繋がりがない妖魔の場合、浄化の術は毒にしかならない。
禰々子も下手をすれば浄化される可能性もあるが、真夜は賭に出る。式神の術式が完全に崩壊していなければ、再度式神化出来る可能性があるからだ。
果たしてその目論見は………。
「妖気が減っていっていますね。これなら!」
渚は禰々子の抵抗力が弱まったのを見計らうと、彼女に対して術式を施していく。
すべての術式に適性が高い京極家の血を引く渚。さらに彼女自身、亡き母の才覚を受け継いでいるのか、式神に関しての適性も高い。綻び消えかけていた式神の術式を再構築し、祝詞を唱え一時的に式神との契約を結ぶ。
「簡易契約ですが、禰々子と一時的に式神の契約を結ぶことができました」
「ほんと、渚も十分に多才よね。嫉妬しちゃうわ」
呆れ半分、嫉妬半分で朱音はぼやく。渚が優秀な事はわかっているが、こうも自分には無い力を見せつけられると嫉妬してしまうのは人としては当然の感情だろう。
「何度も言ってるけど自分を卑下するなよ、朱音。朱音には朱音の良さがあるんだからよ」
「……わかってるわよ、もう」
真夜のフォローに口を尖らせる朱音だったが、渚が申し訳なさそうな顔をする。
「渚も気にすんなって。いつものことだろ。それよりも大丈夫か?」
「はい。一時的な契約ですので、負担はそこまで大きくありませんし、目的が果たせれば契約を解除します」
渚が式神の契約を結んだ理由は、情報を聞き出すため。禰々子は知能も高い妖怪であり、契約させ出来ればきちんと話が出来ると考えたからだ。
「そうか。けど無理はするなよ」
「はい。ではさっそくお話を聞きましょう」
渚の言葉に皆が頷くと、一時的に自らの式神にした禰々子に向かい、渚は質問を投げかけるのだった。
◆◆◆
「火野の管轄地域に近い寺院にて火事があり、その中から妖魔が出現したとの連絡がありました! 詳細はまだ不明だそうですが、特級クラスの可能性があるそうです!」
火野の本邸に夜も遅くに突如舞い込んだ妖魔出現の報。付き人から連絡を受けた焔は、特級妖魔と言う単語に顔をしかめる。
「なぜそのような妖魔が突然現れたのか。いや、問題はそこではない。それはどこからの連絡だ?」
「はい! 寺院の所有者からですが、妖魔の存在が確認されたためSCDに一報を入れた後に、火野へと連絡をしたようです」
「なるほど。確かに特級クラスではSCDでは荷が重いどころではない」
SCDが余裕を持って対処できるのは上級クラスまでであろう。局長の枢木隼人ならば最上級を相手取れるだろうが、局長であるために気軽に動けず、仮に動けたとしても特級が相手では難しい。
それならば被害の拡大を抑えるためにも、近隣で尤も近く動ける六家に即座に連絡するのは道理である。星守の交流会の時のような、強力な妖魔の対処においてはすでにSCDと六家や星守での協定が通ってあるため、面子などにこだわることもない。
「星守よりもうちが近いようだが、私以外で今すぐに動ける者はいるか?」
焔は報告に来た者や、すでに呼び出していた側近などに尋ねるが、彼らは首を横に振る。
「即座となると難しいかと。爆斎様は昨日の影響もあり動けず、紅也様も星守におられます。他の四天王も今は不在ですし……」
焔一人でも特級妖魔が一体ならば確実に勝てるが、戦いに絶対はなく妖魔の能力によっては厄介な状況にもなりうる。当主に何かあれば大問題なので、特級の場合は当主や四天王が同時に二人以上で対処することが火野では決まっている。
そもそも特級妖魔など一年前には、火野の管轄では十年に一度出現するかしないか程度の頻度だったし、出現には予兆があったりしたのだが、このように突然の出現は極めて稀であったはずなのだが。
「仕方あるまい。赤司も朝から出かけているようだし、俺が主体で火織を随伴させる」
万が一何かあっても、赤司が無事であるならば火野の直系が途絶えることはない。
「赤司には連絡だけを入れておけ。動ける支援系の術者にすぐに準備を。特級であるならば、星守に支援を要求するほどでもないだろう」
妖魔が急速に強くなる可能性はほとんどない。それに仮に超級クラスに成長しても焔ならば対処可能だ。
(それに特級クラスが相手で星守に支援を要求すれば、長老共がうるさいだろうからな。ただでさえ昨日の事で一部の長老共が何か画策しているようだし、これ以上面倒ごとを増やされては困る)
覇級や超級ならばまだしも、特級程度でいちいち救援要請を出しては六家の沽券に関わるし、長老達もこれ以上星守に華を持たせてはならぬと騒ぐだろう。
紅也や爆斎がいないのが悔やまれるが、焔も日頃のストレスもあり、たまには大暴れしたいと思っていた。さらに昨日の真夜と爆斎の戦いを見てから、焔も身体のうずきが止まらない。戦いたい衝動に駆られている。
(いかんな。当主として恥ずべき事だ。それに妖魔との戦いに楽しみを見いだすなど言語道断。気を引き締めねば)
雑念を振り払い、焔は一族の者達に的確に指示を出すと、自らも火織を伴って現場へと向かうのだった。




