第十三話 助言
どれだけ愚痴をこぼしていただろうか。
溜まっていた物をすべて吐き出した――途中から話が何度かループしていた――赤司。物心ついた時から泣くこともなく、良い兄として、若手の最年長として振る舞ってきた赤司だったが、初めて心の底から涙した時だろう。
「―――本当に、すまない。俺のこんな話に、長々と付き合わせて」
「いや、別に構わないって。で、少しはすっきりしたのか?」
「―――ああ。さっきよりは随分と落ち着いた。……ありがとう」
赤司は心の底から、真夜に感謝し頭を下げた。
泣いた事と言いたかったことをすべて吐き出したことで、赤司は心を落ち着けることが出来た。泣くことは自己防衛手段でもあり、医学的にも様々な効果があることが証明されている。
さらに今まで誰にも打ち明けられなかった事を聞いてもらえた事が、赤司の心の苦しみを和らげていた。
「まだ、何が変わったわけでもないが、もう一度、頑張って見ようと思えるようにはなれた」
泣きはらし、目が充血しているが、その顔は先ほどまでとは違いどこか晴れやかだった。
「それはよかった。ここからはお節介な俺の意見だが、あんまり自分を追い込まない方が良いと思う。俺は火野の先代に勝ったが、自分が最強だなんて思っちゃいない。そりゃ、自分の強さに自信はあるが、上には上がいるし、下からの追い上げも当然あるからな」
異世界の全盛期の時でさえ、真夜は自分が最強などと口にすることはなかった。勇者パーティーのメンバーは、誰もが違うベクトルで真夜を凌駕しており、戦闘でも絶対に勝てる保証などなかった。
「ここからは助言というか、耳が痛い事も言うかもしれないが、聞くか?」
落ち着いたので、そろそろ真夜も自分の考えを伝えても良いかと赤司に尋ねる。
「頼む。君の言葉なら、どれだけ辛辣でも、受け入れられると思う」
赤司は真剣な面持ちで言うと、頭を下げて続きを促した。
「わかった。俺が言うと上から目線って思うかもしれないが、あんた霊器使いなんだから十分に才能があるだろ。そりゃ、周りの実力がおかしすぎて、自分に自信が持てなかったり、迷走したりするのは俺も経験があるからわかるけどな」
異世界の一年目など真夜は弱すぎて話にならなかった。勇者パーティーと己を比べ、強くなっているはずなのに強くなればなるほど、その力の差を理解できるようになると言う悪循環。
だから真夜はその過程で、今の赤司のように落ちこぼれ時代の事も重なり、感情が爆発してしまった。
思えば思うほど、今の赤司は自分も通った道だと思えてしまう。
「けど、そこで腐らずに正しい努力を続けりゃ、いつかは結果が出る。俺は師匠にそう言われたし、実際その通りになった。落ちこぼれから這い上がった俺が言うんだ。火野当主の嫡男で、十代で霊器を顕現できた男が出来ないはずがないだろ?」
「……そんな事はない。君は、凄いと思う。俺なら、君の境遇であれば、おそらく前を向けなかったと思う」
赤司は真夜に尊敬の念すら抱いていた。いくら従姉妹の朱音の婚約者になったとは言え、ほとんど良くも知らない赤の他人の自分に対して、ここまで親身になって話を聞いてくれるなど、普通ならあり得ないと思っていた。
だが真夜の言葉は、不思議と赤司の胸に響いた。父や叔父、爆斎や他の火野一族の者に同じ事を言われても、ここまで赤司は素直に受け入れられなかっただろう。
真夜の言葉には重みがあり、経験からの実感が込められている事が理解できた。
「俺は別に自分が凄いとは思ってない。自分一人じゃ、絶対に前を向けなかったしここまで来れなかった。俺はただ人に、人との縁に恵まれた。俺の境遇は他人から見れば悲惨かもしれないが、俺には支えてくれる人が、導いてくれる人が、寄り添ってくれる人がいた。だから今の俺がある」
父や母だけではない。異世界の神との縁。勇者パーティーとの縁。朱音や渚との縁。
これまで関わってきたすべての人達がいたからこそ、自分はここまで来ることが出来たと思っている。信頼できる仲間がいたから、自分は強くなれたと真夜は理解している。
「自分一人で強くなろう、強くなったと言う奴は、何もわかってねえか自惚れてるだけだ。たぶん、兄貴や流樹、雷坂も自分だけで強くなったなんて思ってねえだろうからな」
真夜が名前を挙げた三人も、成長の裏には挫折や壁にぶち当たったり、他人との縁により強くなった。
流樹は朝陽に、真昼や彰は真夜に影響を受けてだ。
赤司にはまだ、そんな縁が足りないだけだと真夜は言う。
「他人の陰口は確かに辛いし、腹も立つ。けどな、そんな雑音に何の価値もなけりゃ、ただの枷で邪魔なだけだ。無視しとけばいいし、鬱陶しいならやかましい、黙ってろて言ってやればいい。それを言えるだけの力はあんたにはあるんだ」
「……俺も、君のような縁が出来て、強くなることが、出来るだろうか……」
「昔の名言にもあるだろ? 自分を信じてやれなくて、誰が自分を信じるんだって。俺も師匠に自分を信じられない者が、強くなどなれるはずがない、ってよく言われていたよ。虚勢でも自己満足でも何でも良い。とにかく自分は強くなれると思い込め。まずはそこからだとよ。それに少なくとも俺との縁はできただろ?」
昔を懐かしみ、真夜はどこか朗らかに笑う。赤司にはその顔が、壁を乗り越えた男の余裕にも思えると同時に、憧れすら抱いた。真夜は年下のはずなのに、自分よりも年上に思える気持ちが強くなった。
「君に喧嘩を売りに来たような、こんな俺でも、君は縁と言ってくれるのか?」
「良縁も悪縁も同じ縁だし、その後にどうなるかはお互い次第だ。最初は最悪の出会いでも、その後に良い関係に落ち着いた経験はあるし、腐れ縁ってのもあるからな」
彰との関係はまさにそれであろう。流樹との関係も似たような物だ。
だがその縁が悪いとは真夜は思っていない。赤司とも真夜は良い関係を築けると感じていた。
「俺で良ければ、話し相手くらいにはなるし、きちんと手順を踏んでくれたら手合わせもする。切磋琢磨する相手が多い方が俺も強くなれると思うからな」
「君はまだ、強くなるつもりなのか?」
赤司からすれば、あれほどまでの力がありながら、さらに上を目指す真夜に驚きを隠せなかった。
「今の自分に満足したら、停滞じゃなく後退か衰退するだけだからな。別に最強を目指すってほどじゃないけど、もっと強くなりたい。いや、違うか。ただ俺は守りたいんだ。自分の大切な人達を守り切るために。そのために、俺はもっと強くなりたい」
真夜が強くなる理由の根底はただ大切な人を守りたいから。
最初は違った。強くなりたかったのは、周りに認めて欲しかったから。見返したかったから。褒められたかったから。自分はこんなに凄いんだと、自慢したかったから。
だが異世界に召喚され、仲間と共に戦い、強くなるうちに、そんな考えは消え失せた。
異世界で多くの死を見てきた。仲間を守ろうと死んでいく者を、守れずに苦しむ者を、守られて大切な人を失った人。そして弱かった自分は守られていた。仲間に、異世界の大勢の人に。
仲間が傷つくのが、死にそうになるのが辛かった。苦しかった。嫌だった。
だから強くなった。自分が死にたくないという思いもあったが、それ以上に、仲間達を死なせたくなかった。守りたかった。
だから十二星霊符が顕現し、守護者として覚醒した。
弱かったら何も守れない。魔王との戦いでも、自分の弱さを突きつけられた。
六道幻那との戦いの時も、危うく渚を失いかけた。
あんな思いを二度としたくない。大切な人を守り抜きたい。だから真夜は今以上の、それこそ全盛期を超えるほどの力が欲しい。失わないためにも、守るためにも、もっと強くなりたい。
「……自分が、情けないな。俺は、何もかも、君に及ばないどころか、こんな事で悩む自分が恥ずかしい」
赤司はどこか真夜の言葉に感銘を受けているようだった。
「君の強さの理由が、よくわかった」
赤司にも真夜の気持ちがわかる。妹の火織や多くの火野一族を守るために、赤司も強くなりたいと思っていた。だがいつから、その気持ちが薄れてきたのだろうか。
火織や朱音が霊器を顕現してから? 他の六家から同年代で霊器使いが多く現れだしてから? 周囲が実績を積み上げだしてから?
赤司は自問する。何のために強くなろうとしていたのか。その目的を見失っていなかったかと。
守りたいから? 負けたくないから? 周りに置いて行かれたくないから? 一族から失望されたくないから?
真夜は強さと強くなる理由に一本の太く強い芯を持っている。それに対して自分はどうか。周りからの評価、期待などに翻弄され、自分を見失っていなかったかと。強い芯どころか、真夜のように強くなりたい理由を、他人にはっきりと言えるだろうかと。
(こんなことで、強くなれるはずが、ない。当たり前のことだったじゃないか)
強さに自信を無くし、足踏みし、他人の陰口で心乱れる程度の芯では、真夜のようになることが出来るはずが無い。
「まっ、強くなる理由は人それぞれだから、俺の理由が正しいわけでも絶対でもない。雷坂みたいに、ただ最強になりたい、強い奴と戦って勝ちたいって奴もいる」
「それでも、俺には君が、眩しく見える」
「受け売りもあるけどな。俺もすぐには見つけられなかったから、急ぐ必要はないとは思う。立ち止まって、自分を見つめ直すのも大切だろうし。ただ同年代や年下がどんどん強くなって、置いて行かれて焦る気持ちは俺もよくわかるんだが」
離されていく恐怖。真昼と差や従姉妹の海や空や陸、分家との差が広がっていく事の焦燥。異世界での足手まといであった時の無力感。経験した者でしか、その気持ちは理解できないだろう。
「……恥の上塗りのようで、申し訳ないが、教えて欲しい。俺は、どうしたらいいんだろうか……。どうすれば、君みたいに、強くなれるのか」
「そうだな……。まずはどうして強くなりたいかの理由を、明確にする事からかな。なんで強くなりたいと思ったのか思い返すとか、新しく見据えるとか。そこを明確にしないと、他人からの言葉で簡単に揺らいじまうし、モチベーションも維持できない」
自分が異世界で師匠や仲間から言われたことを、そのまま赤司に真夜は伝える。丸々同じように出来ないだろうが、とっかかりになれば良いだろう。
「それとどんな方向性で強くなりたいのか。どこまでの強さを目指すのか。それを決めることから始めればいいと思う。目標が決まれば、それに向かって突き進むだけだからな。あとは期限を区切って身近な目標を定める。すぐに結果が出なくても腐らず、周りと自分を比べない。この技が使えるようになるようにするとか、この人には勝てるようになるとか、目標は明確な方が良いな」
一朝一夕で階段飛ばしのように強くなれることなどあり得ない。真昼や彰は真夜から見ても例外中の例外。
他にもバグってる奴は多いが、誰もが自分の強みを強化していると感じている。
もし朱音や渚がいれば、真夜が一番規格外だと言うだろうが。
「他にはありきたりだが、理想の自分を想像するだな。これはある程度の実力がついてきてからの話だが、霊器を使えるなら最低限の実力はあるから、強くなった自分を想像するってのは十分にありだと思う」
「理想の自分……」
「自分と戦闘スタイルが似た奴や、自分が憧れた術者の戦い方を真似て、しっくり来るのを取り込むでもいい。霊器使いとしての実力を高めるのか、式神を増やすのか。一撃を極めるのか、使える札を増やすのか。とにかく自分の戦いのスタイルを確立することだな」
愚直に一つの技だけを極めるスタイルでもいい。使える術や技、式神を増やしそれを戦術として組み立てるスタイルでも良い。感覚型の朱音とは違い、赤司は理論型に思えたので、細かくいくつもの道を提示する。
朱音の場合は、間違いなく手数よりも一撃の強化の方が適切だろうが、赤司の場合はどちらを選んでも進めると真夜は感じていた。
「あとは式神の運用だな。兄貴や親父、雷坂彰は例外だが、普通は霊器使いは強力な式神を持たない方が良いって言われてるからな。式神に霊力のリソースを使うくらいなら、霊器で増幅して霊術を強化した方が楽だし」
弱い式神ならともかく、強い式神は術者の消耗が激しい。霊器を顕現できるならば、そちらの才能を伸ばした方が有益であり、六家の退魔師は基本的に二十代の後半までは、霊器を顕現できるように修行を積み、顕現できた者は、霊器の運用に重きを置く。
式神との同時運用は、どっちつかずの中途半端な結果を生み出しかねず、強い式神と契約できたとしても、両立できなければ意味がない。手数や出来る事を増やすという点では、式神の運用も悪くはないのだが。
「いや、俺もすでに、式神は持っている。昔からの、相棒なんだ。だから新しい式神は、必要ない」
赤司はすでに一体、式神を持っていた。昔に契約した上級クラスの式神。長年の相棒であり、共に戦ってきた存在だという。
だが長老衆はその式神では弱いため、強力な式神が確保でき次第、他の式神を使役するように赤司に命じるつもりだと耳にしたことも、赤司を追い詰める一因となったようだ。
「強い式神よりも、俺はそいつと一緒に、戦いたい。星守の守護霊獣のように、強くなり続けるのは無理でも、俺の、大切な式神なんだ」
「だったらその式神を使役し続ければいい。それに式神に頼らず、自分で強くなるのは火野の先代も同じだから、そっちを目指せばいいし、もう式神がいるなら連携や他にも出来る事を考えていけば、戦術の幅も広がる。単純に力を付けるだけが、強くなることじゃないだろ」
真夜は赤司の言葉を否定せず、むしろそれを伸ばす方が良いとアドバイスする。火野の長老達の言葉よりも、よっぽど赤司の心に響く。
「そう、だな。少し考えてみる。君に相談できて、本当によかった。ありがとう」
晴れやかな顔で、赤司は真夜に礼を言う。
「いや、そこまで感謝されるほどでもないだろ。それに強くなれるかどうかは、結局の所本人次第だ。俺に出来るのは愚痴を聞くのとアドバイスを送るだけ。本人の努力無くして、結果は出ないからな」
「それでも、だ。イメージを完全に固めることは出来なくても、道筋が見えただけでも、値千金の至言だから」
この後も真夜と赤司はしばらくの間、話し合いを続ける。
ちなみに数時間、待ちぼうけを食らっている朱音と渚には、絶対に埋め合わせはすると真夜は心に誓うのだった。