第十二話 火野赤司
(俺は、なぜこんなことをしている……してしまったんだ……)
火野赤司は真夜を前に自問自答をしていた。
赤司は火野一族の当主の嫡男として生を受け、次代を担う退魔師として周囲の期待に応え、宗家の若手最年長として、皆の見本となるようにと努力を続けてきた。
豪快な性格の父に似ず、引っ込み思案な母親に似たと言われていた。赤司自身、口数が少なく表情筋が死んでいるのか、あまり表情が変わらないと妹に指摘されていた。
割とショックを受けたが、次期当主候補としてポーカーフェイスを、常日頃から身につけていると前向きに考えた。平均習得年齢が二十代半ばの霊器の顕現も、赤司は十七歳でできた。
本来であれば、火野の将来は安泰だと多くの者が持て囃しただろう。
しかし彼の不運は、同時期にそれも立て続けに他の六家や火野でも霊器使いが現れたことだろう。
赤司の妹の火織や従姉妹の朱音も、赤司よりも若い年齢で霊器を顕現させた。
その事に何も感じていなかったわけでは無いが、赤司は別段、持て囃されたいわけでも何が何でも自分が一番でありたいと思ってなどいなかった。
ただ妹や従姉妹に負けないように、誇れる年上の兄であれるように、父や火野一族の名に恥じぬようにと、実直に強くなることを誓い邁進してきた。
だがそんな赤司を追い込むような事が複数重なった。
火野、星守が共同で赴いた古墳での事件。赤司は何も出来ずに妖魔達に囚われ、何も出来ないまま従姉妹の朱音や真昼に救出されることになった。
自分の強さに疑問を持ち始めたのはこの頃からだった。火野の中でも父や四天王以外や、火織や中学卒業までの朱音にもよほどの事がなければ負けることは無く、自分は強いと思っていた。
だが朱音の活躍で、その自信は揺らいだ。それでも自分が不甲斐ないだけであり、天狗になっていたと自身を戒め、より一層鍛錬に励んだ。
しかしどれだけ鍛錬を詰んでも、以前のように自分を信じることが出来なくなった。
周囲から聞こえてくる他家の若者達の実力や活躍、実績を耳にするたびに、赤司の焦燥は大きくなった。
星守の交流会の話を報告書や妹から見聞きしたことも、彼を焦らせた。
水波流樹、雷坂彰、星守真昼。全員が自分よりも年下の高校生なのに、次期当主や次期当主候補に恥じない実力どころか、現当主と比べても遜色なく、先の交流会では最上級や特級妖魔を複数討伐し、覇級妖魔を前にしても生き残った。
これは凄まじい戦績である。赤司でさえ最上級妖魔は父や紅也のサポートとして関わった程度であり、主体となって倒したことなどない。特級以上など論外だ。
そして爆斎と真夜の戦い。赤司は二人の戦いに心を激しく揺さぶられた。
赤司が火野で憧れる爆斎と真っ正面から戦い、そして真夜は勝利した。
凄いと思った。自分よりも四つも年下の、かつて落ちこぼれと言われていた男が憧れの人に勝ったのだから。
二人の戦いに見入ってしまっていた。感動すら覚えた。真夜を心の底から賞賛した。
しかし心がざわついた。また一つ、自分の無力さをまた見せつけられたのだから。
それでも赤司は二人の戦いを見て、奮起しようとした。自分も爆斎に認められるほどの退魔師になろうと。
だが聞いてしまった。身内のはずの火野の長老達の一部が、自分の事をあしざまに話しているのを。
今までの張り詰めていた感情が、ぐちゃぐちゃになった。言われなくてもわかっていた。自分が弱いと。不甲斐ないと。近隣の若手に比べ、実力も実績も何もないと……。
赤司は真面目すぎた。陰口という形で、それも身内からの言葉を耳にしたことで、感情のコントロールが出来なくなった。
情緒不安定となり、一睡も出来ないまま、誰にも見られないように鍛錬をした。何かをしていなければ、嫌なことを考え続けてしまうから。だが心が晴れることは無い。止まってしまうと、嫌な考えばかり浮かんでくる。
身内の誰かに相談する事も考えたが、出来なかった。
父や叔父の紅也や爆斎に相談して、長老衆のように失望されてしまうのが怖かったから。
なまじ自分の実力で当主に就任し、実績を上げている彰を見てしまったから、比べられるのが怖くなってしまった。今までの期待を裏切る事になってしまうのが、恐ろしかった。
そして朝、紅也や美琴、朱音が星守に行くところを目撃し……、赤司は自分も星守へと赴こうと考えた。
(こんなこと、するべきじゃないはずだ。俺は、父や爆斎じい、紅也おじさんの顔に泥を塗った)
次期当主候補としてどころか、火野の一員としても恥ずべき行為をしている。
真夜と戦いたいなら、正式に焔に願い、星守と当人の合意を取り付けてから戦うべきなのだ。そのプロセスを踏まずに、自分勝手な行動を取る時点で、赤司は責められて当然のことをしている。
赤司は震えていた。それは自分が最悪の行為をしたと理解しているから。
一度口にした言葉は無かったことにできない。真夜が自分の言葉を受けても受けなくても、自分は終わりだと赤司は思った。
だがそれでもいいかと思ってしまった。期待が苦しいと思った時点で、自分は次期当主として火野を背負って立つ人物ではなかったのだ。こんな短絡的な行動を取ってしまうような、弱い男が火野を率いれるはずがないと。
赤司は焦点の定まらぬ目で、真夜を見据え、答えを待つ。
仮に、ここで真夜と赤司が戦ったところで、赤司に勝ち目は無いどころかまともな勝負になるかも怪しい精神状態だった。
赤司は自分自身が何をしたいのか、何をすればいいのかわからず迷走していた。
真夜に戦いを挑んだのも脅迫概念に駆られ、戦うことで自分を証明しようとしたのか、戦えば何かを得られると思ったからなのか、それとも自分の力を周囲に認めさせたかったのか、それすらわからない。
あるいは落ちこぼれだったにも関わらず、そこから這い上がり強くなった真夜から何かを見いだしたかったからなのかもしれない。赤司は一族の者でも彰でも無く、真夜との戦いに赴いた。まるでそれこそが正しいとばかりに。
そんな赤司に対して、真夜は無言で、ただじっと赤司を見据える。
赤司はまるで自分の内面を探られているかのように感じた。他にも朱音や渚の視線が赤司に突き刺さる。カタカタと震えが酷くなる。
赤司は以前に真夜に喧嘩を売った雷坂光太郎のような性格ではなく、真面目で礼儀や調和を重んじる人物だった。
だから他者からの失望や嘲り、蔑むような感情を向けられた時、他者へ怒りや憎しみを向けるのでは無く、自らの心をより一層に傷つけてしまう。
「星守真夜、俺は……。!?」
また何かを口走ろうとした。だがそれよりも前に真夜は動いた。
赤司には真夜の姿が一瞬ぶれたように見えた。戦えと口にしていた赤司だったが、臨戦態勢だったわけでもなく、精神状態もコンディションも最悪な状況であり、その動きを目で追うことが出来なかった。
気がつけば、真夜は赤司の真正面におり、自らの首筋に真夜の右手の手刀が添えられていた。
「動くな。動けば容赦しないし、戦いになる前に制圧する」
底冷えするような抑揚の無い声と真夜の目を見て、赤司はゾクリと身体が震えた。右手に収束した霊力の多さに赤司は気づいた。もし動けば真夜は容赦なく首を切り裂くだろう。そんな凄みがあった。
「……ここじゃマズイから場所を変えよう。言っとくが、拒否権はない」
真夜の言葉に赤司は何も言わずに、ただ無言で頷いた。
◆◆◆
真夜は朝陽達に赤司の事は告げずに、帰るのが遅くなると連絡すると人がほとんどいない、近くの喫茶店に赤司を連れて移動した。渚と朱音には少し離れた、こちらが見えない場所に座ってもらった。
赤司に対して聞きたいことや言いたいことはあるだろうが、真夜はまずは二人で話がしたいと言い、まずは赤司の話を聞くことにした。
今の赤司は先ほどよりも覇気が無く青ざめており、真夜と戦おうと言う気概は見られなかった。
すでに先ほどのやりとりで、赤司は真夜に心が折られていた。
「で、なんで俺と戦おうと? 喧嘩を売ってきたんだから、それくらいは聞きたいんですが」
注文した熱いコーヒーを飲みつつ、真夜は赤司に問う。虚偽は許さぬと鋭い視線を向ける。
「……わからない。ただ、君と戦えば、何かを掴めると、そう思ったから。だが、すまない。俺は、大変な事をした」
「まだ未遂だし、そっちから手を出してないから問題は無いと思うけどな。かなり追い詰められてるな。誰かに、それこそ火野の長老達辺りに何か言われたのか? 周りと比べられたとか」
年上なのだから敬語を使うべきなのだろうが、真夜は砕けた口調で言うと赤司は僅かに肩を震わせた。
(当たりか。どこにでもいるんだな、そう言う奴は。俺も言われてたからわかるが、こりゃよっぽどだな)
真夜は改めて赤司を観察する。俯く赤司はかつての自分を彷彿とさせる。
優秀な兄に比べられ続けた真夜。同じ兄弟なのになぜこうも違うのかと。明乃や時雨にも散々言われ続けてきた。
ただ赤司と真夜が違うのは、力があったか無かったか。赤司にとっての挫折の衝撃は、真夜にはわからない。
最初から真夜は何も持っていなかったのだから。
しかしその苦しみはわかる。自分を追い込むのも、理解できる。
(厄介ごとだが、俺の所に来てくれたのはまだ良かったか? ヤバいことに手を出されるよりはよっぽどマシだ)
なぜ真夜が赤司を庇うような行動を取っているのか。
厄介事はごめんだと先ほども朱音や渚に零したが、この赤司の様子からすると下手をすれば力を求めて暴走したり、彰を真似て妖魔の封印を解き放つ危険性があったからだ。
そうなれば火野は大混乱に陥る。
雷坂の場合、彰の台頭があり持ち直したが、今の火野にはそのような人物が存在しない。最悪の場合、朱音関連で真夜や星守の方へも飛び火するかもしれない。
婚姻の話はもはや誰も口出しできないとは言え、今のタイミングでは煩わしいことになりかねないし、朱音にも面倒が増えるかもしれない。
また未遂とはいえ、赤司が真夜に対して狼藉を働けば、火野一族という括りで、朱音の星守での立場や肩身が狭くなるかもしれない。
朱音に嫌な思いをさせないようにするためにも、対処できるなら対処したい。
赤司の事は軽くだが、朝陽や朱音からも聞いている。雷坂光太郎のような人物では無いことは間違いないので、何とか持ち直して欲しいと思うし、先ほどは力に訴えたが、話し合いで解決できる可能性もある。
何よりも赤司の姿が、かつての自分を彷彿とさせたからもある。かつての自分は異世界に行くまで、身内はもちろん、周囲の人間にその胸の内を吐き出せなかった。赤司も同じなのだろうと思う。
真夜は異世界で勇者パーティーの仲間に、その胸の内を吐き出させてもらった。だから真夜自身、あんな風に目の前で苦しんでいる赤司を見捨てられなかった。
朱音や渚に離れてもらったのは、こう言う話はデリケートであり、赤司が弱音をあまり朱音達に見せたくはないと考えたからだ。二人がいれば、赤司も上手く吐き出すことが出来ないかも知れない。
それに打算ももちろんある。火野の味方は多い方がいい。次期当主候補と接点を持てれば、将来的にも有益だ。仮に赤司が当主になれば、今恩を売っておくのは悪くない。
「身内に吐き出せない思いなら、赤の他人の俺なら丁度良いだろ? 俺も落ちこぼれ時代に、泣きわめいて理不尽な事を他に人に聞いてもらった。いや、ぶつけたって方が正しいか。楽になるもんだし、すっきりするぜ? それで俺は前を向けた。どうしたらいいのかわからないなら、まずは愚痴でも言えばいいさ。それに口にしなきゃ、他人は苦しみなんてわかっちゃくれないんだしよ」
人に話すことで、不思議と心が軽くなると言う事は在る。こういうのは話して吐き出してしまった方が良い。時間はあるし、朱音も最悪は泊まっていけばいい。むしろそうしろとまで考えている。
「……君は、強いな」
赤司はぽつりぽつりと話し出した。纏う雰囲気や気配、落ち着きから赤司が真夜を同い年か年上のように感じたと言うのもあるだろう。
赤司には父や叔父などの身近な人よりも、落ちこぼれから這い上がってきた真夜の方が話しやすかった。朱音との婚約で完全に他家の人間でもなくなり、爆斎も認めた相手なのも良かったのだろう。
赤司は少しずつ、自らの事を話す。
……。
………。
…………。
……………。
………………。
……………………。
「だから、俺は……必死に頑張って! ……強くなりたくて……! でも、連中は、俺の事なんて何も……。式神の事だって……!」
話し出してからの赤司は凄かった。いつも無口だったので、周囲への話し方がわからなかったのもあるだろう。しかし今はたがが外れたように時間を忘れて、苦悩を吐き出している。
今まで誰にも相談せず、出来なかった反動からか、涙を流し支離滅裂に近いくらい愚痴をこぼしている。
(昔の俺もこんなんだったんだよな)
真夜は真剣に話を聞き、その時々に相づちを打つ。
真夜など胸の内を吐露した時は、勇者とは喧嘩になり、周りにも罵詈雑言を言い放っていた。
それに比べれば、自分の苦しみを淡々と語る赤司は自分よりも大人に思えた。
二十歳の人間がみっともないと思うかもしれないが、人間はいくつになろうが心の限界は来る。
適切に対処できればいいが、赤司の抱える闇は思った以上に深すぎた。
だから真夜は赤司が落ち着くまで、溜まっていた物を吐き出しきるまで、静かに話を聞き続けるのだった。