第三話 思惑
火野一族先代当主である火野爆斎は、腕を組みながら座ったまま真夜達の方へと体を向ける。
「叔父上。今の言葉はどういうつもりで?」
「知れたこと。その小僧がどれだけのものか、この場で直接見たのは紅也達を含めて四人だけ。大勢の者は見ておらぬゆえ、本当にそれほどまでの力があるのか、疑問に思っておる。それに気づかぬ訳ではあるまい。若手は不満も募っておる。その小僧が、本当に朱音にふさわしいのかと」
憮然としながら答える爆斎は、焔まで睨み付ける。
爆斎は明乃よりも年上だが、全盛期は明乃を超える術者として名を馳せており、衰えたとは言え今でも火野では五指に入るほどの現役の退魔師である。
焔や紅也から見れば叔父に当たる人物だが、彼らの父が早くに亡くなった後から二人は何かと世話になっており、一族内で腫れ物扱いされていた朱音にも気をかけていた人物だ。
しかし一度言い出したら聞かない意固地で頑固な性格であり、他の六家の当主や明乃、また一族内でもよく他者と衝突していた。
この婚姻の話でも朱音を正妻にと強く主張していた人物でもある。
「退魔師は確かに一夫多妻制が認められておるが、今はそんな事をする者は少ない。朱音を蔑ろにするのではないかと懸念もある」
「いや、叔父さん。真夜君は……」
「紅也は黙っておれ。儂は今、そやつと話をしておる」
反論しようとした紅也を黙らせると、爆斎は改めて真夜を睨み付ける。真夜も反論すべきかと考えるが、まずは黙って相手の話を最後まで聞くことにし、朱音にも口を出すなと小声で伝える。それは朝陽や渚も同じだ。
「穏やかに談笑しておったが、儂は逆に気に食わん。急に強くなって増長するよりはマシだが、可愛げがない。ここまで堂々としているのは、余裕かそれとも何もわかっておらんのか。焔、お主もこの場の多くの者が不満を持っているのには気づいておろう。その小僧は気づいていてあえて涼しい顔をしておるのか、それとも気づかぬほど愚鈍なのか、ここで見極める必要がある」
「なるほど。つまり朱音に本当に相応しいのか、この場で証明すればいいと?」
「その通りだ」
真夜と爆斎の視線が交差すると、真夜は不敵に笑い釣られるように爆斎もニヤリと口元を歪めた。
「わかりました。ではどのようにすれば? この場のどなたかと一戦交えればよろしいですか?」
「儂が直接相手をしてやろう。正月の余興だ。それと儂相手にそのすました言葉遣いは不要。お主が本当に朱音を欲するのならば、儂の屍を乗り越える覚悟で挑め! もしこちらが認められるほどの力を示さなければ、朱音との婚姻は白紙とは言わぬが、こちらの要望をある程度は聞き入れてもらう」
ゴオッと周囲が驚くほどの霊力が爆斎の体から解き放たれる。宗家でも焔や紅也、朱音や赤司、火織などの一部の霊器使いを除く者達や分家の大多数が萎縮するほどだ。現役を離れて久しい長老衆の大半も身を縮こまらせている。
「目上の人にそこまでの態度は取れませんが、ではお言葉に甘えて。俺も全力で挑ませてもらいます。そちらの条件はわかりました。俺が勝てば、この話において火野は朱音以外誰も一切の口出ししないと約束してもらいますが、構いませんね?」
「よかろう! では食事が終わってしばらくした後に、儂と一戦交えようではないか!」
「わかりました。親父、それでいいな?」
念のため真夜は朝陽に確認を取ると、朝陽は苦笑するでも無く真剣な面持ちで頷く。半ば望んだ展開になった事もあり、好都合と思っているようだ。
「この後、特に予定も入っていないし問題はないさ。存分にやりなさい。焔殿もそれでいいかな?」
「こちらとしては朝陽殿や真夜君が良いのなら構わぬが……。紅也も本当にいいのか?」
「ああ、構わんさ、兄者。真夜君の好きにさせる。美琴も朱音もいいな?」
話を振られた紅也は反対すること無く同意し、聞かれた美琴も朱音も特に反対することも無かった。
紅也も美琴も以前の討伐依頼の代行や交流会で直接、真夜の戦いや強さを目にしている。二人は爆斎がいかに火野の中で上位の強さでも、真夜を倒すのは難しいと考えていた。
それに今の真夜には明乃と戦った時とは違い、超級クラスの守護霊獣までいるのだ。これで負ける姿が想像できない。
朱音は何かを言いたげで、少し不機嫌だったが、真夜が必ず勝つと思っており、またここで白黒付けた方が後腐れ無いだろうと言う考えから、口を挟むこともせず、小声で真夜、頑張ってとエールを送る。
焔は何かを言いたげだったが、爆斎を一瞥するとはぁとため息をつくと諦め気味な顔をする。
「皆の者も聞いたな。この後、本邸の鍛錬場を解放する。準備をしてくれ」
「は、はい!」
焔に言われると、鍛錬場を管理している者が頷き、急ぎ準備に取りかかる。
「それと俺からも一つだけ良いでしょうか」
慌ただしく喧騒に包まれた広間で、どこか吹っ切れた様子の真夜が挙手して発言の許可を求める。
「何かな? 真夜君」
「先代以外にも俺のことが認められない方がいれば、できる限りお相手します。朱音の件は思うところもあるでしょうから。ただし、こっちも朱音と渚の事で譲歩する気はありませんから、本気でいかせてもらいます」
言うやいなや、真夜も霊力を解放した。
真夜から解き放たれる霊力は、爆斎と遜色無いどころか、むしろそれよりも上にも感じられた。爆斎は一瞬、驚愕に目を見開くが、すぐに楽しそうな笑みを浮かべる。
だが真夜の実力を見ていない者達は違う。直接向けられているわけではないにも関わらず、分家はもちろん宗家や長老衆も息を飲むほどの威圧だった。
赤司も額から一筋の汗を流し、焔も真夜の霊力に感嘆しているほどだ。
爆斎もこれからの戦いが楽しみなのか、笑みが深くなっている。
(どういう思惑かはわからないが、これを利用しない手は無い。若手なら手心を加えようかとも思ったが、先代当主が相手なら、別にそこまで気を遣う必要も無いからな。先に手を出してきたんだ。文句はないはずだ)
真夜も若手では無く、先代当主が絡んできてくれたおかげで気兼ねなく利用できる。
どこまでやるかは状況次第だが、これで朱音と渚の仲を火野に受け入れさせることが出来ると、真夜はかなり乗り気になっていた。
火野一族の大半はこの戦い、どうなるかわからないと考えているようだが、真夜の実力を知っている者達は爆斎がどこまで食い下がれるか、そして真夜はどこまで実力を見せるのかと考える。
(ルフさんを出すのかな? 分体でも超級クラスだから、爆斎おじいちゃん一人じゃ、どうやっても勝てないのよね。それにしても爆斎おじいちゃんが絡んでくるとはね)
朱音もどうなるのか些か不安だった。
大多数の長老衆が朱音の見た目や外国人の血が流れていることが理由で、昔から当たりがキツかったが、爆斎は数少ない朱音の味方であった。よく修行も見てくれていた。
今回の婚姻に関しても賛成してくれていたみたいだが、やはり色々と思うところはあるのだろうが、こんな大勢の前で不満を口にすれば、やり玉に挙げられると言うのに。
もし他の長老や分家ならば、気兼ねなく真夜を応援できたのだが、爆斎だとそうもいかない。
(真夜にはああ言ったけど、出来れば手心を加えてもらいたいな)
真夜単独との戦いでも、爆斎が勝つのは難しい。明乃よりも強いかどうかは朱音にはわからないが、圧倒的に強いとは思えないし、明乃には八咫烏がいての敗北である。
真夜が自身の力を見せつけるためにルフまで喚べば、星守での大和の時以上に一方的な戦いと呼べるものでさえなくなり、爆斎が醜態を晒す事になりかねない。
自分の婚姻の話でケチを付けられたのは腹立たしいが、身内で良くしてくれている相手だけに朱音はどうしても心配してしまう。
(さて。こちらとしてはありがたい展開だが、火野の先代はどうお考えか)
朝陽も爆斎の行動を訝しんでいた。朝陽が当主になる前から、紅也を通じて少なくない交流をしていたこともあり、爆斎の人となりはある程度わかっていたし、話も紅也を通してであるが伝えていた。
朱音と真夜の婚姻には前向きであると聞いていたが、このような場で声高らかに不満を口にした事が不思議であった。
(真夜の力を直接見定めたいのと、本人の気質的に母様に勝った真夜と戦いたいのかな? それ以外にも思惑がありそうだが……。まあ真ちゃんも乗り気だが、もしかすれば爆斎殿は……)
朝陽は利用できるのなら利用しようと様々な思惑を巡らせるが、爆斎の考えを推し量ろうとする。
そして、そんな当の爆斎本人は……。
(うむ。マズイ。挑発しすぎた。こりゃ本気で戦っても負ける可能性が高いどころか、守護霊獣を出されたら、手も足も出ないかもしれんぞ)
内心で冷や汗を流していた。
爆斎も真夜のことは噂や星守の交流会の報告書や火織からも話を聞いていたが、先ほどの霊力の解放で真夜の強さが誇張された物では無いと思い知り、今の自分との差を感じてしまった。
報告書では明乃クラスの実力者で、さらに超級クラスの女天狗を守護霊獣に従えたとあった。
元々報告書が嘘であるとも誇張されているとも思わなかったが、正直にすべてをそのまま受け入れることは爆斎にも難しかった。
自分でこれなのだから一族の他の者はより疑うだろう。いくら火織や紅也達が言ったところで、真夜を思っての言葉ではと思う輩はいた。
だから自分が泥をかぶってもいいので、この場で真夜の実力や人となりをもっと見極めたかった。
(何よりも孫のように可愛がっている朱音ちゃんが、望んでいたとは言え、二人も妻を持とうとする奴の嫁になど赦せん!)
爆斎が気に食わないのは、真夜が二人も妻を持とうとしていることである。爆斎は子供がおらず、早くに妻を亡くしたが、それまでもそれからも妻一筋で再婚もしなかった。
当主として後妻を薦められたが頑なに固辞した。当時すでに焔や紅也が生まれていたこともあり、当主として最前線で戦うことを優先した結果でもある。
だが弟の子供である二人を実の子供のように可愛がり、その孫である赤司や火織だけでなく、腫れ物扱いされていた朱音も実の孫のように可愛がった。
ただ一族内でのパワーバランスは爆斎一強とまでいかなかったため、朱音には辛い思いをさせたことも多く、爆斎は苦い思いをしていたため、できる限り朱音のためになることをしてやりたかった。
朱音の婚約は喜ばしいことではあったが、どうしても相手が妻を二人持つ男というのは気に食わなかった。
なまじ近隣で二人の妻を持つ京極家の当主である清彦が夫婦仲がよろしくなく、正妻と側室との間で確執があったと聞き及んでいたため、星守に養子入りしたとはいえ、京極家の人間が同じ妻になるのも問題ではと考える。
あらかじめ真夜と渚を呼んで話をすればと思われるが、先代当主とはいえ、当主の子供でない朱音の婚姻でもあり、二人を呼び出せる立場でもないため、それも叶わなかった。
(だからこそ、この場で見極め朱音ちゃんに相応しい男なら認めた上で、一族の前でそれを見せれば納得すると思ったのだが……)
思惑通りに進んでいるが、報告書以上の強さがありそうな真夜に爆斎はどうしたものかと考える。
(こやつ、口先だけではない。先ほどから、すかした態度で緊張した様子も無いから、よほどの豪胆か状況を見ることも出来ない奴かと思っておったが、儂も耄碌したか。これでは火野四天王も引退するべきかもな)
火野四天王。火野一族において、当主の次ぎに実力のある四人の事であり、爆斎や紅也がそれにあたる。
皆が霊器使いで他家からは一目置かれているが、それがあっさり倒されたのでは問題だろう。
(いや、どうせ恥をかくなら老いぼれの方がよい。儂ならば恥の上塗りになるが衰えたとか何とか言っておけばそれで済むしの。だが最初から諦めているようでは、火野の先代当主として情けないどころではない!)
最初から負ける気で挑むなど以ての外。勝てない戦いはもちろんあるだろう。爆斎とてその経験はある。だが勝ちを諦めていい戦いはない。
妖魔との戦いは特にそうだ。撤退するしか無い状況は間違いなくあるが、退魔師ならば勝つ気概を捨てるなど論外だ。
勝たねばならない。どのような相手であろうとも。格上であろうとも。それが退魔師という存在だ。
それにこれほどの相手と戦うのはいかほどぶりか。爆斎も昔は最強の最強を目指して邁進し、全盛期には現在の朝陽のように、短い間だったが最強の退魔師として名を馳せた事もあった。
衰えた今、当主の焔や紅也にも負け越す老体だが、まだまだすんなりと若い奴に負けてなるものかと、気合いが入る。
格上に挑む高揚感。久しく忘れていた血の沸くような感覚がふつふつと戻ってきた。
だがそんな時、一人の女中が慌てたように部屋にやって来て、当主の焔に何事かを耳打ちする。
「何? それは本当か?」
「は、はい! 今は表で待機されております」
「わかった。すぐに行こう。朝陽殿、皆もしばらく待っていてくれ」
慌てるように焔が席を立つと、女中と共に急ぎ玄関の方へと向かっていく。
「あんなに慌てて、何があったのかしら?」
「さあな。急な来訪っぽいけど……まさかな」
朱音の言葉に真夜はそう答えたが、真夜はどこかざらつく感覚を覚えたのだった。
◆◆◆
火野の本邸の前には高級な大型のリムジンが止まっていた。
「やはり急な訪問は問題があるんじゃないですか? アポも取ってないですし」
七人は乗れるリムジンの中には、三人の人物がいた。その中の一人がおずおずと室内に置かれた軽食に手を付けている人物に苦言を呈す。
「別に無理なら無理で帰るさ。けどまあ、相手をしないって事はねえだろ。突然とは言え、同じ六家の当主が訪ねてきてるんだからな」
「お前は普段から当主の仕事が面倒だと公言しているのに、こういう所だけは腰が軽いな」
「はっ! いいじゃねえか親父殿。挨拶は大事じゃねえか。まあ色々と思惑はあるがな」
軽食を食べつつスマホを弄る彼は、画面に映し出されたとある人物とのやりとりを見て、獰猛な笑みを浮かべる。
「星守も来てるんだ。絶対に面白いことになってるはずだからよ」
新年と共に雷坂一族の当主に正式に就任した男・雷坂彰は楽しそうに呟くのだった。
なかなか一週間更新も難しいくらい、色々と立て込んでます。
続きも気長にお待ちください。
そして火野編と言いつつ、彰登場。
火野編がどうなるのか、今後もお楽しみに。