第十三話 絶望と呪い
幻那の放った霊力はまるで光の矢のように京極一族へと襲いかかった。
次々に霊力の矢に貫かれ倒れていく退魔師達。威力は抑えられていたのか、その攻撃での死者は出ていないが、ほぼすべての者が戦闘不能にされた。
後方に避難して結界を張り、戦えない女子供を守っていた先代の清丸や長老衆も、その一撃により地面へと倒れ伏した。戦えない女子供達も攻撃の衝撃で吹き飛ばされた上に、幻那から放たれている妖気に触れることで意識を手放した。
超級妖魔と戦っていた清彦達や右京も幻那の猛攻に晒されることになる。
渚と清羅以外の三人は霊器使いであった。清彦は弓、清貴は薙刀、清治は金棒と強力な霊器で京極家でも指折りの実力者とされているが、幻那の攻撃はそんな彼らをもってしても防ぎきれるものでは無かった。
彼らに対しては、他の者よりもさらに多くの霊力の矢が降り注いだ。
渚は無数に飛来する光の矢がコマ送りのように遅く見えた。ただそれは思考が圧縮された、走馬灯のような感覚であったためであり、渚にはその攻撃を回避することも防御することも間に合いそうに無かった。
真夜の霊符はあるが、どこまで耐えきれるかわからない。
動くこともままならない。このまま終わるのかと渚は死を覚悟した。
その時、彼女の前に何者かが飛び出してきた。それは渚の父である清彦だった。彼は渚を突き飛ばすと、彼女を庇うように自ら幻那の攻撃に身をさらした。
「えっ、あっ……」
突き飛ばされ、大地に倒れた渚の目には幻那の攻撃が直撃し、血まみれになり前のめりに倒れる父の姿が飛び込んできた。
(なぜ、どうして……)
渚の胸中に渦巻くのはどうして父がそんな行動に出たのかと言う疑問だった。なぜ自分を庇うように、父は攻撃に身をさらしたのかと。
(どうして私を……)
渚は父になんとも思われていないと思っていた。どれだけ努力しても、どれだけ父の期待に応えても、お褒めの言葉一つかけてくれなかった。今までずっと。だから父には嫌われていると思っていた。
なのにどうして、今、唐突に自分を助けようとしたのだ。
わからない。わかるはずがない。父が自分をどう思っているかなどわかりようも無い。
でも心が痛い。締め付けられるように、苦しくなる。涙があふれてくる。
どうして今更、こんなタイミングでそんな行動に出たんですか? あなたは私の事をなんとも思っていなかったのではなかったのですか? こんな時なのに疑問ばかりが湧き上がる。
しかし今の自分は問いかけることも、父に駆け寄ることも、ましてや自分の代わりに受けた傷を癒やすことも出来ない。すでに霊力は底を突きかけている。頼みの綱の真夜の霊符もそのほとんどの霊力を消失させている。
戦うことも逃げることも、時間を稼ぐことさえもできない。
涙が止まらない。今の渚は様々な感情が入り乱れていた。
あの日以来、涙は流さないと決めたのに。あの日、もう泣かないと約束したのに。
―――俺はな、絶対に諦めない! 俺は絶対に強くなってやる。みんなに認めさせてやるんだ! 俺も諦めずに頑張るから、お前ももう泣くなよ! 絶対諦めるなよ! 約束だからな!―――
幼い頃にかけられた言葉が脳裏に浮かんだ。泣いていた自分に自らの境遇を話した後、励ますかのように諦めないと豪語した少年の声と姿が。
(真夜君……!)
最愛の人のかつてと今の顔が渚の脳裏に浮かぶ。初めて真夜に会った時、彼は忘れているが渚は確かに真夜と約束したのだ。もう泣かないと。諦めないと。
こんな状況だというのに、それともこんな状況だからか。彼に会いたいと思った。真夜だけではない。朱音にももう一度会いたい。また三人で一緒の時間を過ごしたい。
だから……!
(私は諦めません。絶対にっ!)
父も助ける。聞きたいことが出来たのだ。生きて、きちんと話をしたい。必ず生き残って、真夜と朱音と一緒に、またあのかけがえのない時間を過ごすんだ。
彼女の想いに応えるかのように、霊力が高まる。
秘中の儀は潜在能力を解放、あるいはその持てる力をさらに高める儀式。極限状態の中、渚の強い決意と生きたいと願う生物としての本能により、彼女の潜在能力が解放された。
枯渇しかけていた霊力が一定にまで高まり、立ち上がった渚の手の中で収束していく。
それは刃の無い鍔のついた日本刀の柄だった。だが驚くことに、次の瞬間に霊力が収束して刃が形成されていく。ついに、渚が霊器を顕現させたのだ。
さらに渚は常に持ち歩いていた、護身用の回復の霊符を式神を使い父に送り届ける。気休めにしかならないだろうが、無いよりはマシだろう。
(なんとか時間稼ぎを……)
もう自分しかいない。霊器を顕現させたとはいえ、勝ち目など無い。しかし時間を稼げばきっと助けが、真夜が来てくれる。あの時のように。
(絶対に諦めない!)
渚は刀を構え、幻那を睨み付ける。絶望的な状況でも決して諦めない。
ザシュ
「えっ?」
しかし、そんな彼女の想いは無情にも打ち砕かれる。真夜の守りを突破した幻那の一撃が渚を切り裂き、彼女は他の京極一族と同じように意識を失い、血まみれで倒れ込むのだった。
◆◆◆
「お前達はこちらに向かってくる者達の排除に向かえ。六家の援軍が来られても面倒だからな」
京極一族のほぼすべてを下した幻那は、配下の妖魔達七体に命じる。七体の妖魔達は忠実に命令に従うと、そのままこの場を離れ、こちらに向かってくる邪魔者の排除へと向かっていった。
幻那の展開した結界を破壊するほどの使い手ならば中途半端な戦力では返り討ちに遭うだろう。ならば時間稼ぎも含めて、残った戦力すべてを差し向けた。
死屍累々。半数近くはまだ生きてはいるが、その約半数以上もこのまま放置しておけば遠からず命を失うのだろう。
「くかかか。これが最良の退魔師の一族の成れの果てとはのう。尤も今回ばかりはこやつらを笑えぬ。相手が悪かった。それに尽きるからな」
ぬらりひょんは京極一族の評価をさほど落としてはいなかった。彼の言うとおり、相手が悪かった。
それも入念な準備を重ね、強力な配下まで従えていたのだから。
「残念ながら無駄話をしている時間は無い。それはすべてが終わった後だ。すぐにでも儀式を始めるぞ」
幻那は術の起点となる場所まで移動すると、そこへあらかじめ用意しておいた蠱毒の壺を取り出し、地面に置くと壺に赤く染まった呪符を貼り付ける。
すると月の光が壺と呪符に集まりだした。月の光に映し出された影が徐々に大きくなっていく。それはまるでアメーバのように伸び縮みし、徐々に触手のように無数の腕を増やしていく。
パリンと壺が音を立てて砕けた。壺の中からは現れたのは真っ赤に染まった一匹のムカデ。
影が蠢き、ムカデを飲み込むと触手に変化が現れ、赤のラインがいくつも入ったムカデのような姿へと変貌していく。
無数の影のムカデが動き始め、それらは死骸や戦いで命を落とした京極家の退魔師達の遺体を這いずり回ると、身体の一部を咀嚼する。
彼らの肉体をむさぼるにつれ、赤いラインが不気味に光り出す。
「では最後の仕上げを行おう」
幻那が呪詛を唱える。赤いラインに梵字のような文字が多数浮かび上がったムカデ達は一斉にまだ生きている京極家へと向かい、その身体に触れるとまるで刺青のように彼らの皮膚に浮かび上がった。
「事は成った。生者の命を奪い、宿主を殺すことでこの術式は完成する。これで京極は滅びる」
京極を滅ぼす呪いが発動した。取り憑かれた者達は皆が意識を失っていも、身体が痙攣しうめき声を上げている。悪夢が彼らを苛む。
「幻那よ。あとは待つだけなら、長話も構わんじゃろ? この術の詳細を聞いてもいいかのう?」
「ああ、構わんよ。……もう星守真夜も間に合わんだろうからな」
真夜ならばもしかすればこの呪いを解呪出来るかもしれないが、呪いにより彼らの命が尽きるのは時間の問題だった。星守の本邸からここまではどれだけ早くても十分から十五分は移動に時間がかかる。
霊力が高く、抵抗力のある者なら死ぬまでの時間は伸びるが、それでも十五分もかからないだろう。
「この術は妖魔達の京極への恨みと憎しみや、京極の未練や生への執着、恐怖、絶望などの様々な感情を吸い、それに方向性を持たせたものだ」
使い捨てにした妖魔達の怨念すらも利用し、京極家の者達の生きたいという願いとなぜ自分達が死ななければならないのかという未練の感情を利用し、それを悪意へと変貌させる。
渚達本家を生かしたまま呪い殺しているのは、彼らの血が色濃く、その血をたどって呪いを広げるためだった。この場の京極を呪い殺した後は、その血をたどり、この場にいない者へと呪いは対象を移す。
京極家の者達の怨嗟が伝染するように。この呪いは京極の血が濃ければ濃いほど、強力な呪詛となり対象を襲う。直系に近ければ近いほど、彼らの死に引きずられるように、その命を急速にすり減らしていく。
また血が薄くなっていっても次世代へと命を紡ぐ子を成すことが出来なくなる呪いでもあった。
「他家に流れる京極の血は薄くなるごとに効果は半減するが、子供が生まれにくくなる。この呪いは私が発動させたため、私クラスの術者で無ければ解呪もままならん。他の六家であっても、それこそ京極の浄化の儀の規模の術でも発動させねば難しいだろうな」
幻那が京極家の者を一気に殺さなかったのは、彼らの負の感情を高め、集め、利用するためだった。
またこの術は幻那を殺したところで意味は無い。発動は幻那だが、媒体と媒介させた物は別なのだから。
この呪いの広がりを止め、打ち消すにはそれこそ奇跡の御業と呼ぶほどの浄化の力か、神域の力が必要となるだろう。
「これで私の復讐も終わりだ。京極一族はこれで末代となり、血筋は途絶える。ようやく悲願が叶った」
「おめでとうと、言っておいてやろう。多少盛り上がりには欠けたが、まあワシも楽しめたから良しとするかのう」
だが彼らに新たに襲いかかる者がいた。
炎と風と雷の三重奏が幻那とぬらりひょんを襲う。しかし幻那は片手をかざすことで簡単に防いでみせる。
「ほう。奴らを突破してきたか」
感嘆の声を上げる幻那の視線の先には朱音、凜、彰の姿があった。目立った消耗や外傷がないため、単純に妖魔達を倒して来たと言うわけではなさそうだ。
「妖魔達の反応はある。他の六家が足止めしてお前達が先行してきたというところか。だが遅かったな。もはやことは成った。いや、その前に来ていたとしても結果は変わらなかったであろう」
「なんで、なんであんたが生きてるのよ!? それにっ!! 渚ぁっ!」
朱音は幻那の姿を確認すると驚愕に表情をゆがめるが、すぐに血まみれで倒れ苦しんでいる渚の姿に気がついた。今は問い詰めるよりも渚の身が心配だった。
「足止めはしてやる! とっとと行け!」
彰が吠えると、彼は幻那に向かい飛びかかる。幻那に右手の霊器を突き立てようとするが、見えない障壁が彰の攻撃を防ぎきった。
「くっ!」
「雷坂の人間か。中々に強いが、私に勝てぬと理解できていないわけではあるまい?」
「はっ! そんなことは承知の上なんだよ! けどな、だからこそ戦い甲斐があるってもんだろ!?」
「足止めと時間稼ぎか。いいだろう。もはや呪いは誰にも止められぬ。私も今は気分が良い。多少は付き合ってやろう」
大人と子供以上の力の差。敗北は必至。それでも彰は目をギラつかせ、幻那へと戦いを挑んだ。
「くそっ、やばい状況だってのによ! こんな時にお前みたいな奴を相手にしないといけないなんて」
「くかかか! そう言うでない。少しはワシに付き合ってくれんか? まだ身体が火照って遊びたい気分なんじゃ」
凜もぬらりひょんと対峙する。彰の援護に回らなければならないのだが、ぬらりひょんは決して放置して良い相手ではない。
そんな二人を尻目に、朱音は渚の下へと駆け寄った。
「渚っ! しっかりしなさい!」
呼びかけるが返事は無い。身体が異様に熱い。彼女の体表ではムカデの影が動き回り、彼女を苦しめ続けている。
「真夜の霊符……、なんで効かないのよ!?」
預かった四枚の霊符の内、残っていた一枚を渚の身体に貼る。だが彼女の症状は一向に改善しない。
いかに強力な霊器の霊符でも真夜が近くにいなければ効力は最大限に発揮されない。ある程度の距離ならば問題ないが、今は真夜との距離が離れすぎている。
だがそれだけではない。幻那の呪いが強すぎて、一枚ではどうにもできないのだ。傷も治りが遅い。
「嘘でしょ? 嘘よね? お願い、何とかなってよ!」
自らの霊力や自分が使っていた真夜の霊符の二枚を試すが、ほとんど同じだった。
「がっ!」
彰が幻那に吹き飛ばされた。ほんの少しの時間しか経っていないのに、すでに彰の身体は傷だらけだった。
真夜の霊符の強化で何とかやり合えていたが、地力が違いすぎる。
凜もぬらりひょんを相手に攻めきれない。
後続の六家の援軍も超級妖魔達に苦戦しているのか、ここに来る気配もない。
(だめ! このままじゃ渚が死んじゃう!)
自分の時のように、都合良く真夜が助けに来てくれないか。そんな他力本願な事を朱音は願ってしまう。
だが真夜は星守の救援に向かい、そちらが片付いたとしてもここに戻ってくるまでには時間がかかる。
そもそも外部との連絡が遮断されている今。この事態を把握しているのかもわからない。
「あか、ね、さん…し、んや、くん…」
「渚! しっかりして。お願い! 死んじゃだめ! お願い、誰か……真夜っ!」
かすれるような渚の声に朱音は必死に呼びかけ、彼女の手を握る。だがもう握り返す力も残っていない。朱音は悲痛な声を上げる。
幻那の策は、悲願はここに成就される。
はずだった。
ゾクリ
この場の全員がその気配を感じ取ったと同時に、カッと真夜の五枚の霊符が何かに共鳴するかのように光輝いた。
「なっ!?」
幻那は思わず目を見開いた。空間がきしみ、悲鳴を上げるかのように音を立てている。
既視感を覚える光景。朱音と渚がいる場所の手前の空間に罅が入っていく。
「奴め! まさか異界との空間だけでなく、この世界でも空間を破壊し、つなげられるとでも言うのか!?」
幻那が叫ぶと同時に空間の亀裂がはじけ飛ぶ。
漆黒の堕天使・ルシファーとそれを従える最強の退魔師の少年・星守真夜。
彼らがこの絶望的な戦場に姿を現すのだった。
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