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「善は急げと言います。今すぐその王太子を殺しに行きましょう!」
全てを聞き終えてからのシリウスの第一声は、どちらかと言えば善ではなく悪属性だった。しかも満面の笑みでの言葉である。
レイブンは口元を手で覆って固まっている。
二人の反応を見て、マリアライトは頭の上に疑問符を浮かべていた。
「あの、どこかおかしかったでしょうか……?」
「おかしいっすよ!? 一から十まで全部おかしいっすよ!?」
「レイブンと同じ意見です。マリアライト様、あなたはそれを円満な婚約破棄だと本当に思われているのですか?」
怒りを堪えているような低い声で問われ、マリアライトは頷いた。互いに愛し合っていない同士での結婚が回避出来たのだ。政治や国が絡んだ結婚が悪いわけではないが、恋愛で結ばれた人と生涯共にありたいと思う。
だから、これでよかったと安心したくらいだったのだが。
「婚約破棄そのものは構いません。畜生にあなたを奪われずに済みましたので。ですが、その理由は万死に値します」
「そうっすよ! 自分たちの都合で婚約者にしておいて、歳を理由に破棄するなんて有り得ないっすよ!? 王族だからってあんたのこと雑に扱い過ぎ!」
「え、えっと……」
シリウスだけではなく、出会ったばかりのレイブンも憤っている。それもマリアライトではなく王族に対して。
狼狽えるマリアライトに、レイブンが泣きそうになりながら溜め息をつく。
「もう……大体魔道具があれば、聖女なんて必要ないって考えがまず傲慢の極みっす」
「あの道具は誰でも聖女と同じ力を使えると聞きましたけれど……」
「魔導具なしじゃ何も出来ねえ大勢の人間と、魔導具なしでも聖法使えるあんたってかなり差があると思いますけどぉ!? あんたはすごい人なの!」
「……そう、でしょうか」
マリアライトは薄青の瞳に動揺の色を浮かべた。
聖女だと判明し、次期王太子妃とされ、国のために力を使い続けていてもマリアライトを称賛する声はなかった。
神から授かった力を国のために、国王のために、人々のために使うことは当然。義務をこなしただけであって、褒められることではない。何度もそう言い聞かされてきた。
だが、レイブンの言葉はそれらの思想を真っ向から否定するものだ。
「この国って何年か前から聖女様が頑張って緑を増やしてるって噂だったけど……用済みになったらポイとか、神に喧嘩売ってるようなもんすからね」
「その前にまず俺に喧嘩を売っている……」
ぼそっと低い声で発言したのは、こちらも未だに怒りを冷め止まぬ様子のシリウスだった。
「あなたのような美しく慈愛溢れる方を、利己的な理由であっさり切り捨てる奴らの神経が理解出来ません。あなたのお心が歪になってしまったのも、恐らくはそのせいでしょう」
「歪になっている自覚はあまりないのですけれど……おかしいでしょうか?」
「……言葉を選ばずに言うのであれば、とても哀れです」
「大変ねぇ……」
「あ、駄目だこの聖女様。あんま分かってないっすー!」
レイブンがぼんやりと遠い目をしつつ、冷めてしまったステーキを一気に口の中に放り込む。もごもごと咀嚼し、飲み込んだところでマリアライトに提案をする。
「マリアライトさん、うちに来るっすかぁ?」
「うち……?」
「そそ。魔族の国にご招待ってことっす。聖女云々関係なく、あんたはシリウス様の恩人だから大歓迎だと思うっすよ。それに贅沢三昧し放題!」
「私は贅沢をしたいと思っていませんよ?」
今の生活で満ち足りているので、持て囃されたいという願望はない。気遣ってくれるレイブンには申し訳ないが、どうにか断ろうと考えている時だ。
シリウスが探るような視線を従者に向けた。
「それはつまり内乱が終わったということか?」
「そうじゃなかったら、軽いノリで来るかどうか聞かないって。使いの烏から報告をもらったんす。反乱軍の鎮圧に成功。首謀者の一族は全員処刑コースで。陛下があんたの帰りを待ってるみたいっすよ~」
「そうか……」
頷いてからシリウスはマリアライトの方を向き、彼女の目を真っ直ぐ見据えた。
「マリアライト様、この国にいてはあなたは幸せになれません。俺と一緒に来てください」
「どうしましょうか。優しい子に育ってくれたシリウスと、もっと一緒にいたい気持ちもありますが……」
朗らかに微笑みながら彼の頭を撫でてあげようとすると、指が銀髪に触れるより先にシリウスに手を掴まれる。
そして、彼はマリアライトの手の甲に口付けを落とした。
「下心込みでの優しさですよ。俺はあなたを一人の女性として愛しているんです」