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「腹減った」と寝言でむにゃむにゃ言っているので、マリアライトは急いで買い物に出かけて食料を調達した。シリウスに聞いたところ、彼と同じように何でも食べるし強いていうなら肉が好物と聞いたのでステーキ用の肉を買ってきた。
「あんな奴にそのような気遣いは不要です」
「けれど、シリウスのお友達なのでしょう? だったらご馳走をご用意しないといけません」
「友人ではないのですが……」
「お友達でなかったとしても、あなたにとって大切な人のように見えましたから」
今更何の用だとぶつぶつ言いながらも、レイブンという少年を家の中に運んだのはシリウスだった。先にマリアライトに「こいつを休ませてもいいでしょうか? 駄目なら庭に捨てておくので気にしないでください」と確認していたが。
シリウスはマリアライトからの言葉に翡翠色の視線を彷徨わせた後に答えた。
「あれは俺の護衛だった男です。自他ともに認める戦闘が苦手な奴でしたが、誰よりも逃げ足が速かったので俺を逃がす役目を任されました」
「それではあなたはあの子と一緒に逃げていたのですか?」
「はい。ですが、その途中ではぐれてしまったんです。死んだものだと思っていました」
「またこうして会えてよかったですねぇ」
きっとレイブンも大変な思いをしていたのだろう。彼は初めてシリウスと出会った時のように衰弱していたのだ。
果物は林檎をよく食べていたとシリウスから教えてもらったので、林檎のコンポートも作ることにした。スライスした林檎、砂糖、レモン汁、水を入れて煮詰めていく。
甘い香りがキッチンに漂い始めた頃、レイブンが白目を剥いた状態で起きて来た。
「んがが……甘い匂いがするっす……」
「白目ですけれど、ちゃんと前が見えているのでしょうか?」
「見えていないかと。おい起きろ、マリアライト様の前で恥を晒すんじゃない!」
シリウスがレイブンの頭を鷲掴みにする。するとレイブンは体を大きく震わせ、目を限界まで見開くとシリウスの手を振り解いた。
そして、そのまま天井に張り付いてしまった。僅か数秒の出来事である。
「ひぃぃぃぃ! 何か知らないけど命だけは取らないで欲しいっす~!!」
「お前の命などどうでもいい。それよりもいつまで寝惚けているつもりだ」
「うひゃあああ……ってあれ、シリウス様じゃないっすか。俺何で蜘蛛みたいなことやってんの……?」
ようやく意識が覚醒したらしい。自分の奇行に驚きながら、危なげなく床に着地した。
側にいたマリアライトと視線が合うと、訝しげな表情を見せた。
「……あんた誰っすか?」
「マリアライトと申します。ステーキのお肉を買ってみたのですけれど、お食べになりますか?」
「ステーキ!?」
「はい、ステーキです」
マリアライトには、レイブンの顔に「食べたい」という文字が浮かんで見えた。
「シリウスからお肉が大好きだと聞きましたので。林檎のコンポートも作っています」
「こんぽーとって何すか?」
「果物を甘く煮込んだデザートです。そのまま食べてもパイに包んでも美味しいのですよ」
「すっげー美味そうなんすけど……え? そんな豪華なモン俺なんかが食ってもいいんすか!?」
「俺もそう思ったが、マリアライト様がご馳走を用意すべきだと。マリアライト様のご厚意に感謝しろ」
「あんたはもう少し思いやりを持つべきっす!」
シリウスの素っ気ない物言いに、レイブンが頬を膨らませる。大体十五、六だろうか。声変わりはしているものの、顔にはまだ幼さが残っている。
「つーか、何でシリウス様そんなにでっかくなってんの……? 俺より大きくなってて威圧感半端ない……」
「マリアライト様のおかげだ。俺が孤児だと思い、ずっと育ててくれた」
レイブンにそう答えながら、シリウスはマリアライトの手を優しく握った。彼女に向ける眼差しがどうにも『育ての親』に対するものだと思えず、レイブンは口元をひくつかせた。
「え……? 怖い怖い。あんたそんな人じゃなかったでしょ。ザ・闇って感じの子供で視線だけで敵を殺すような……」
「まあ、シリウスは昔そういう子だったのですか」
「そのくらいのタマじゃないと、生きていけない世界だったんすよ、当時は」
「確かにちょっと警戒心が強い子でしたけど……そういうシリウスも見てみたかったかもしれません」
純粋な好奇心から出た呟きだった。それを聞いたレイブンは「そんなに面白いものでもなかったすよ」と、下を向いて言った。