31
「あんた……どうしてこんなところにいるのよ」
魔力切れのせいで全身が重く、立ち上がることが出来ない。コーネリアが睨み付けるように見上げると、執事は不気味な笑みを口元に張り付けたまま、指を鳴らした。
すぐ側で新たな爆炎が生じた。
観客が悲鳴を上げながら、兵士の声に従って避難している。その中にはエレスチャル公の姿もある。娘の名前を必死に叫びながら魔法で出した流水を会場に放つ。だがしかし、何故か炎が消えず、そのまま兵士たちに連行されていった。
「無駄でございますよ、公爵様。この魔法は数日かけて会場のあらゆる場所に刻んだ陣によって発動しております。その効果は絶大なもの……そう簡単に消し止められません」
「っ、質問に答えなさいよ!」
「口の利き方に気を付けろクソ女!」
執事から浴びせられた罵倒に、コーネリアは反射的に身を震わせた。このように口汚い呼ばれ方をしたのは初めてだった。いや、大勢の魔族から陰口を叩かれていたのは知っていたが、直接自分に向けられたことなど今までなかったのだ。
動揺を露にしているコーネリアに手を伸ばしながら、執事が喉を鳴らして笑う。
「お前に仕えているというだけでふんぞり返っていられたのは本当だ。しかし、我慢の限界というものがあるのだよ!」
髪を鷲掴みにされ、痛みでコーネリアの顔が歪む。その双眸からは次第に敵意と怒気が薄れ、絶望と恐怖が宿り始めていた。
兵士たちが炎を消し止めるべく、魔法で水を大量に作り出しているが、大して効果は見られない。それどころか勢いが更に増しており、ドームそのものを焼き尽くそうとしている。
凄まじい熱気のせいで息を吸うだけで喉に激痛が走る。まるで蒸し焼きにされているような感覚。
防壁魔法がかけられたままであれば、耐えられただろう。だがそれもシリウスに破壊されてしまい、今のコーネリアを守るものは何もない。
「こんなことをしてどうなるか分かってんの……殿下を巻き込むなんて頭おかしいんじゃない?」
「皇太子殿下なら、さっき兵士たちに無理矢理引き摺られて会場を出て行かれた。せっかくお前を助けようとしていたのにな」
「……助けて欲しいって頼んでないわ」
「最期まで生意気な小娘だ。だがまあ、復讐は果たせたんだ。俺も安心して死ねる」
目的を果たすため、大勢の命を危険に晒したのだ。それによって死罪に処されるくらいなら、今ここで人生を終わらせる。そんな歪んだ達成感に酔いしれる男の笑い声を聞きながら、コーネリアは目の前が暗くなっていくのを静かに感じていた。
今までやりたい放題に生きてきた。それらの報いかもしれない。そう思うと幾らかは恐怖が和らいだ。
最後の最後で欲しいものが手に入らず、黒焦げになって死ぬ。惨めな末路だ。母は待っていてくれるだろうか。
「……何だ?」
執事の声色が変わった。彼の視線の先には相変わらず火の海が広がっている。
だが、微かだが緑色が混ざり始めていた。
「馬鹿な……」
煌々と燃え盛る炎の中から姿を見せたのは、人が通れる程の大きさをした植物で出来たトンネルだった。よく見ると色とりどりの花まで咲いており、こんな状況でなければお洒落だと思えるようなデザインだ。
「炎が効かない!? ど、どうし……」
「コーネリア様ー? いたら返事をしてくださーい」
間延びした声が執事の言葉を遮った。誰かが走ってくる足音が聞こえてくる。
「あ……」
もう指一本も動かせないと思っていたのに、無意識にコーネリアは立ち上がっていた。執事がその体を押さえ付けようとしたが、彼女を守るように瞬時に伸びたトンネルに弾き飛ばされてしまう。
一方コーネリアはふらつきながら、植物によって作られた道を走り続けていた。どういうわけか、熱さを感じない。
内側には赤い花が咲き乱れ、コーネリアを勇気付けているかのようだった。
「コーネリア様! やっと見付けました」
そして、朗らかに笑いながら駆け寄るマリアライトの姿を見た途端、コーネリアの猫耳がぺたんと垂れた。両目からは涙が零れ出し、その場から一歩も動けなくなってしまう。
「知らない方にこちらへ連れて来てもらったのですけれど、火事が起きていてちょっとびっくりしました。そうしたらコーネリア様が中にまだ取り残されていると聞きまして。ちょうどシリウス様から耐火性のあるお花の種をいただいていたので助かりました」
「………………」
コーネリアは洟を啜りながら首を横に振った。違う。耐火性と言っても普通は火に炙られたら簡単に燃えるに決まっている。聖女の力で成長させたからこそ、ここまで強靭なトンネルを作り出せたに違いない。
そして、コーネリアを助けるためにこの場所に駆け付けたのだ。きっと損得など一切考えもせずに。
「では、ここから出ましょう」
「……うん」
マリアライトにハンカチで頬を拭われ、コーネリアは頷いた。ふわりと生地から香る仄かな花の香りに、何故かまた一粒涙が零れた。
「くそ……くそくそっ! 何だこれは!?」
燃える気配の見せないトンネルに執事は焦りを覚えていた。だったら毟り取ろうとしたがびくともせず、出口も塞がってしまってコーネリアを追いかけることが出来ない。
一体何者がコーネリアを救いに来たのだろうか。あんな女、死んだ方が得する者は大勢いるというのに……。
「これでは俺だけが死ぬことになってしまうではないか……!」
命を懸けた復讐劇がこんな形で台無しになってしまうなんて認めない。どうにかしてこれを壊さなければ、と蔓を引き千切ろうとした時だった。
上から水滴がぽたりと落ちた。雨だ。炎の音を掻き消す程の音を立てながら豪雨が降り出す。
無数の雨粒によって周囲の炎が消されていく光景を、執事は驚愕の表情で見詰めていた。
「消えた……どうして……一体誰が……」
薄れる炎の向こうに佇む一人の青年。彼の足元には青い光で描かれた魔法陣が浮かび上がり、この雨が魔法によるものだと執事に理解させた。
「兵士たちを振り払って戻ったのは正解だったな。まさかマリアライト様がここまでするとは……」
自らも雨に打たれながら、シリウスがそこに立っていた。執事は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。コーネリアと戦った際に大量の魔力を消費したはずなのに、陣を使用した広範囲での魔法を行使している。
いくら皇族と言えども、異常過ぎる魔力量だ。
「それほどの力があれば、コーネリアなど一瞬で殺せただろうに……」
「言いたいことはそれだけか」
「お、俺は悪くない! 悪いのはコーネリアだ! 今まで頑張って耐えて来た俺を馬鹿にするからいけないんだ!」
「それが犯行動機か。よし、やれ」
シリウスの声を合図にして、黒い影が執事の背後へ素早く接近した。
そして、回し蹴りを喰らわせる。
「ぐが……っ」
背中に強烈な一撃を受けた執事は水溜まりの中に倒れ込んだ。呻く男を見下しながらレイブンが笑う。
「雑魚っすねぇ~」
「こいつには他にも聞くべきことがある。自害には気を付けろ」
「はいはい……」
レイブンは炎の被害を受けることのなかった緑のトンネルを一瞥し、感心した様子でこう言った。
「あんたとマリアライトさん、超お似合いっすよ。どっちも規格外過ぎ」
「当然だ。俺のこの魔力量は恐らくマリアライト様が関係している」
「ん? どういうことっすか?」
「……無駄話は後だ。今はこの馬鹿を連れて行け」
シリウスの足元に浮かんでいた陣が消失すると同時に、降り続けていた雨がぴたりと止んだ。覆っていた黒雲が去ると、月と星々で彩られた夜空が現れる。
「けど、残念だったすねぇ。マリアライトさんにいいところ見せるチャンスだったのに」
「俺はそのような低俗なことは考えていない」
「まー、マリアライトさんがトンネルの中にいなかったら、雨でびしょ濡れになっちゃうか」
「あ、雨で濡れたマリアライト様……!?」
「………………」
レイブンは現在進行形で低俗なことを考えている主に蔑みの視線を送った。
次からは新しい章です。




