3
その子供は自分が『シリウス』という少年であること以外は、何も明かそうとしなかった。どこからやって来て、どうしてマリアライトの家にいたのかも答えてくれない。というより、答えられない様子だった。マリアライトが質問をして、返せる答えがない時は「ごめんなさい」と頭を下げる。
「謝らないでください。あなたにも何か事情があるのでしょう?」
「……うん。ありがとう」
小さな声で礼を言ってからぽろぽろと涙を流し始める姿を見て、マリアライトは何とかこの子を助けたいと思った。
恐らくシリウスが孤児で、行く当てもなく寒さを凌ぐために家に忍び込んでしまったのかもしれない。孤児院に連れて行くか迷ったが、角が生えた子供なんてどんな扱いをされるか容易に想像が出来た。
恐らくは魔物と人間のハーフなのだろうが、この国では禍物とされて迫害されているのだ。
というわけで、マリアライトが自らシリウスを育てることにした。
二人分の生活費を稼ぐため、早速マリアライトは動き出した。
「何をしてるの?」
せっせと庭の草むしりをしていたかと思えば、倉庫に眠っていた農具を持ち出してわしわしと土を耕し始めたマリアライトに、シリウスが瞬きを繰り返す。
「お花や木が過ごしやすい土にしているのですよ」
聖女の力を使えばどんな植物でも育ってくれるが、劣悪な環境の中で成長した彼らは少し苦しそうなのだ。豊かな土で育った時は、そういったことがない。
マリアライトは何度か説明したのだが、まともに取り合ってくれる人間は王宮の中には誰もいなかった。
「いっぱい育ってくださいね」
植物の種を数種類撒いてから祈りを捧げると、あっという間に成長していった。
撒いた種は林檎や柑橘類、野いちごなどの果実系。あとは美しい花を咲かせる種類だ。それらを収穫していく。木は収穫しやすくするため、あまり高くならないように調整した。
「綺麗……」
その様子を眺めていたシリウスがぽつりと呟いた。
「綺麗でしょう? 私もこのお花が大好きなのです」
「ううん。お花も綺麗だけど、マリアライト様がとっても綺麗」
「ありがとうございます、シリウス」
全身を土まみれで果物を収穫する姿なんて美しいとは思えないけれど、シリウスが優しく微笑みながら言うので素直に言葉を受け取った。マリアライトとしてはシリウスの方がよほど綺麗だ。誰かに見られないようにシーツを被っているので今は見えないが、その下には美しい銀髪が隠れている。
顔も少女のようにとても可憐だ。『可もなく不可もなしという顔』と評価を受けたことのあるマリアライトとは大違いだった。
収穫した果物や花を売りに出かける。が、素通りされるか、一瞥してから通り過ぎるかのどちらかである。一個も売れない。
そこで試食を用意してみた。皮を剥いて一口大に切った果物を食べてもらう。
「うお……何だこりゃ! うめぇ!」
「甘くてとっても美味しいわ! いくらでも食べれちゃう!」
「驚いたねぇ。この季節にこれだけ甘みのある果物が食べられるとは思わなかったよ」
その瑞々しさと甘さに皆驚き、飛ぶように売れていく。客の一人が言っていたように、初夏のこの時期は林檎も柑橘類も酸味が強いものばかりが店頭に並ぶ。初めは誰も見向きしなかったのはそのためだった。けれど、甘いと分かれば買ってくれる。
花もよく見れば花屋で売られているものよりも質が良いと、女性客に喜ばれた。
「あんた、この辺じゃ見ない顔だな。どこから引っ越して来たんだ?」
「旦那さんはいるのかい? え? 独身なのか……」
彼らはマリアライトの顔を見ても、ローファスの元婚約者だと気付かない。かと言って、かつてこの町に暮らしていた住人であることも知らないようだった。次期王太子妃なのに話題に挙がることは滅多になく、町に住んでいた頃も殆ど目立たない地味な女性だったのだ。
「今夜の晩ご飯はシチューを作ろうと思うのですが、シリウスは食べられますか?」
「シチュー……?」
「お野菜をミルクが入ったスープでじっくり煮込んだお料理です。優しい味がしてお野菜も柔らかくて美味しいですよ」
「うん、食べれるよ」
ハーフは食べられないものも多いと聞く。例えば、ヴァンパイアとのハーフはニンニクやオニオンなど、刺激が強い野菜を苦手としている。狼男とのハーフは肉中心の食事でなければ、すぐに衰弱してしまう。
なので逐一食べられるかどうか、シリウスに確認するようにしている。今のところは、何でも口に出来るようで好き嫌いもない。養われているので我が儘は言えないと無理をしている様子もなく、美味しそうに平らげてくれた。
独りで過ごすはずだったマリアライトの人生は、シリウスの出現で大きく一変した。