23
「これ、何かの間違いじゃないっすか」
地面から拳を突き上げているような形状のトパジオスを見上げ、レイブンが何故か引き攣った顔で言う。興奮で血色のいいマリアライトとは違い、こちらは青ざめていた。
「え……?」
「だって花っぽくないし、二、三人殺った後みたいっすよ。こんなもんの周りで花とか育てんの嫌じゃないっすか?」
「守護者の風格を感じられて素敵です」
ここで育てたのなら、何があってもこのトパジオスが守ってくれそうだ。植物の天敵・害虫を握り潰してくれるだろう。マリアライトがそんな期待を抱いている時だった。
「きゃあああっ!」
メイドの一人が絹を引き裂くような悲鳴を上げる。トパジオスが突然ゆらゆらと左右に揺れ始めたと思えば、拳を開き、巨大な手をマリアライトに伸ばそうとしているのだ。端から見れば、か弱い女性を捕えようとする巨人の腕というワンシーンである。
レイブンが素早くマリアライトを抱き抱えようとするが、彼女は臆することなく自分から手に駆け寄った。危害を加えたいわけではなく、何かを伝えようとしているとすぐに感じたからだ。
トパジオスが指先をそっとマリアライトに差し出し、動きを止める。
「もしかして……よろしくってことかしら?」
マリアライトの問いかけに、トパジオスが肯定するかのように上下に揺れた。どうやら人の言葉が分かるようだ。生後数分程度なのに頭がいい。
謎の友情を感じて、マリアライトは赤い指を両手で優しく握った。これから彼女とは長い付き合いとなるだろう。勝手に性別を決めてしまう程、この植物に愛着を抱きつつあった。
「こちらこそよろしくお願いしますね。ええと……素敵なお名前をつけてあげますから、少し待っててください」
名前を付けるのは苦手なので、後で図書室から本を借りよう。そう思っていると、自分の影が僅かに揺れていることに気付いた。
その直後、影の中から銀髪の美青年が姿を見せた。兵士とメイドが慌てて頭を下げる。
「シリウス様? 今、不思議なところから出てきたような……」
「俺の魔力は闇との親和性も高いので、このように影と影との行き来も可能です。そんなことよりも何かありましたか? 何か妙な気配を感じたので、慌ててやって来たのですが」
「はい、シリウス様、こちらを見てください。新しいお友達が出来ました」
満面の笑みを浮かべるマリアライトの後ろで、赤い手がご陽気にピースサインを決めた。休み時間になった途端駆け付けたシリウスはすぐに口を開こうとはせず、真顔のままトパジオスを凝視している。
もしかしたら何か問題があるのだろうかと、マリアライトは悲しくなった。今すぐに枯らすか燃やした方がいいと言われたら……。
「……どうやら上手くいったようで何よりです」
しかし、ようやく言葉を発したシリウスは満足げに微笑んでいた。
「お渡ししたトパジオスの種に、俺の魔力を注いでおきました。俺がいない時でもマリアライト様の庭園をお守りするためです。そこにマリアライト様の聖力も注がれた結果、このような姿となり、知能を有したようです」
「そういうことだったのですか……」
あの宝石を飾り付けた箱の中に種が入っていたのも、シリウス自らが手を加えたからだったのだろう。
自分たちの力が宿った植物を見上げると、赤い指でマリアライトの頭を優しく撫でてくれた。
「この子にぴったりなお名前を付けてあげたいのですが、よろしいでしょうか?」
「全く問題ありません。何と言っても俺とマリアライト様の愛の結晶ですから。きっとあなたとよく似た清らかな心を持ち主に育つでしょう。成長が楽しみです。これから毎日日記をつけましょう。日記そのものは既にマリアライト様日記があるんですが、それとは別にノートを用意します。育児日記のようで胸の高鳴りと興奮が止まりません。ちなみにマリアライト様日記は初めてお会いした時まで記憶を遡って書いているので、現在は四冊目に突入し」
長々と語るシリウスはテンションが上がっているようで、瞳の色が血のように赤く染まっている。よく見ると、トパジオスの花と同じ色だ。彼の魔力を宿している影響かもしれない。
つまり、彼の子供のような存在と捉えるべきなのかも。マリアライトが巨木のように太ましい茎を撫でながら考えていると、夜闇の向こうから一羽の烏が飛んで来た。レイブンの頭に止まり、カーカーと鳴いている。
聞いていたレイブンの眉に皺が数本刻まれていく。
「うへー……マジっすか。来るとは思ってたけど、こんなに早く?」
「どうした、レイブン」
主の問いかけに、レイブンは大きく溜め息をついてから答えた。この世の終わりのような顔で。
「シリウス様にお客様っす。エレスチャル公のご令嬢」
その名を耳にした途端、シリウスの表情が凍り付いた。周囲にいたメイドたちや兵士もさっと顔色を変え、何故か一斉にマリアライトに視線を向ける。
「……私に関係する御方ですか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……向こうはそのつもりかもしれませんが……俺はマリアライト様にはあんな者と関わって欲しくなく……」
シリウスに聞いても煮え切らない物言いを繰り返すばかりで、よく分からない。
見兼ねたレイブンが代わりに教えてくれた。
「この国で迷惑な魔族ナンバーワン、関わりたくない魔族ナンバーワン、親が育て方を間違えた魔族
ナンバーワンの三冠女王に上り詰めた御方っすね」
こちらはこちらで直球過ぎる物言いだった。
「わざわざ茶会を中止してまで来てあげたのよ? 早く済ませたいんだから、今すぐシリウス殿下に会わせてくれないかしら」
正門に真っ赤に塗られた馬車が停まっており、乗車していた一人の女性が苛立った様子で門番に要求している。側に佇んでいる老年の執事もそれを止めようとせず、騒ぎを聞き付けた兵士たちに眉を顰めながら文句を撒き散らしていた。
「こんなところで何分待たせるつもりだ! お嬢様はご多忙の身なのだぞ!? これ以上待たせるようであれば、お嬢様への侮辱と見なすぞ!」
「お、落ち着いてください! 陛下のご許可なしに城内にお入れするわけにはいきません!」
「あんな男の許可など必要あるか! ……お嬢様、下賤な輩どもの言葉に耳を傾ける必要などございませんぞ!」
「ええ、そうね。こちらから会いに行った方が早いわ」
兵士たちによる必死の制止を無視して、女性とその執事が勝手に歩き出す。が、すぐに足を止めた。
二人の前方に目当ての人物が立っていたからだ。
セラエノ次期皇帝であるシリウス。その周囲では大勢の護衛兵が剣呑な面持ちで二人を睨み付けている。有事の時はすぐにでも剣を抜く、とでも言うように。
そして、シリウス自身も相手を射殺すような眼差しを向けている。
だが、女性は怯むどころか、獰猛な肉食獣のような目で『彼』を見詰め、舌なめずりをした。
「あんなに可愛い坊やだったのに、噂通り素敵なお姿に成長されたのね。いいわねぇ……絶対に欲しいわ」
エレスチャル公爵の令嬢、コーネリアは毒を含んだ笑みを浮かべた。




