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聖女としての力に目覚める前から植物を育てるのは好きだった。たっぷりの愛情を注いでいれば育つわけでもなくて、与える水や肥料の量も考えなくはならない。無事に花を咲かせてくれた時の感動や達成感は言葉で言い表せるものではなかった。
世話が難しいとされる花をうっかり枯らしてしまった時もあったが、その失敗を教訓にして再び挑戦した。一風変わった見た目の植物の株を買い、両親や婚約者から少し引かれたこともある。
だからこそ、人間の国では発見されていない植物がセラエノにたくさん存在すると知った時、マリアライトは子供のように目を輝かせた。
是非育ててみたい。シリウスに可能かどうか訊ねてみると、何故か驚いた表情をされてしまった。
「申し訳ありません、難しいのであれば……」
「いえ、それ自体は全く問題がないのですが、今はその必要はないのではないでしょうか?」
シリウスの声には困惑の色が混ざっていた。自分がいるから、そんなものに現を抜かすなということだろうか。
必要がない、と言われればそうかもしれない。趣味の一つを失ったとしても生きてはいけるのだから。
けれど、シリウスはそのようなことを言う人物ではないはずだ。マリアライトが発言の意図を読み解こうとしていると、シリウスが何かに気付いたようで目を見開いた。
「……ああ、そうか。人間の国ではそれが当たり前だったか」
小声で呟きを漏らしたかと思えば、マリアライトに「俺こそ申し訳ありませんでした」と頭を下げようとするのでやんわりと止めた。
「ひょっとして……こちらの国だとガーデニングはあまり一般的ではないでしょうか?」
「仰る通りです。国が違えば、風習や文化も異なります。そのことをすっかり失念して、あのような発言をしてしまいました」
「やっぱりそうだったのですね」
セラエノだと植物の栽培は、完全に仕事の括りに入っているらしい。栽培自体は国が成り立つ以前から行われていたものの、その大半が食用で観賞用を育てるという概念がなかった。楽しむためではなく、生きるために生産していたのだ。
建国後間もない頃は、どの家庭でも菜園が作られていた。
だが暮らしが豊かになり、食料の供給が安定するとそれらは不要とされる。今でも菜園を持つ家は少なくないが、あくまで食費を減らすためで『趣味』の一環としてではなかった。
純粋に見て楽しむ植物の栽培が始まった時も、好き好んで自分で育てるという者はごく僅かだったという。
「マリアライト様が庭で果実や花を育てていたのも、俺を養うためだと思っていました」
「確かにそれが一番の目的ではありましたけれど……」
「なので食べる物に困らない今の生活になったのに何故? と疑問だったんです。観賞用の花も店で購入して花瓶に飾るのが一般的かと」
そういえばと、マリアライトは数日前の記憶を思い返した。
多くの護衛兵付きで帝都の街を案内してもらったのだ。案内主はレイブンだった。本当はシリウスが行く気満々だったのだが、文官から相談を受けた書類の件が中々解決せず長期戦に突入したのだ。
兵士の予定もあるので簡単に延期にするわけにはいかない。
そこでシリウスは、レイブンに頼むことにしたのである。本人は微妙そうな顔をしていたが、ステーキ食べ放題に釣られて張り切って引き受けてくれた。
ずっと夜が続いていることと、人々の外見が少し異なる以外は、人間の国と大差ない平和な街並み。レイブンに案内されながらの帝都散策は楽しいものだった。まるでいつまでも終わらない夜の祭りの中にいるかのようで。
けれど、どの民家の庭でも観賞用の植物は植えられておらず、花壇は見掛けることすらなかった。
「そのようなことでしたら、ガーデニングは控えた方がいいかもしれませんね」
「いえ、あくまで必要がないというだけで、忌避しているわけではないんです。今、そのための場所もご用意しますので」
「今……?」
「はい! お任せください!」
きょとんとしたマリアライトを連れてシリウスがやって来たのは、宮廷の西側で佇む小さな建物だった。ここもやはり黒い材質で作られている。
その周囲では雑草が元気いっぱいに生い茂り、人の気配も感じられない。主に見捨てられてしまった建築物なのか、寂寥感を纏っていた。
「ここは第五皇子が所有していた貯蔵庫です。あの兄は財宝コレクターで各地から集めたり、無理矢理買い取ったりしたアイテムをこの中に納めていました。毒で暗殺された後は中身を全て取り出され、現在は空の状態です」
「ご立派な建物ですねぇ……」
「はい。いつまでも放置しておくのは、資材が勿体ないので撤去します。父上から命じられていたのでちょうどよかった」
シリウスが懐から取り出した乳白色の小瓶の蓋を開ける。すると、貯蔵庫全体がゼリーのようにぶよぶよと震え出した。
やがてそれは溶解し黒い液体となって、音を一切立てることなく小瓶の中へと吸い込まれていく。
十秒程前まで貯蔵庫が聳え立っていた場所には、平らな更地が広がっているのみだった。
「さあ、どうぞお使いくださいマリアライト様」
「……ありがとうございます!」
ダイナミック撤去作業だった気がするのだが、マリアライトはあまり深く考えず喜ぶことにした。




