20(王太子の話2)
ピシア国はかつて輝かしい栄誉と富を築き上げた『元』軍事国家だった。最新鋭の武器が開発されたわけでも、有能な軍師や将軍がいたわけでもない。
この国が他国を圧倒したのは恐ろしいまでの生命力を有した兵士たちだった。どんなに激しい攻撃を受けても、致命傷を負わされても翌日には何事もなかったかのように戦闘に参加しているのだ。
自身の槍で心臓を貫いたはずの、投石で吹き飛ばしたはずの兵士を見かけたという話はいくつも存在する。
どんなに倒しても倒しても蘇る不死身の兵士。本来であればピシアよりも有利だったとされる軍は疲弊し、やがて敗北を余儀なくされた。
戦争で勝ち続けることによってピシアは勢力を強め、ついには最強の国とまで称されていた。
しかし、それは二十年程の短い期間だった。その後、ピシアは一気に弱体化していくことになる。
更に国の森林や農業地帯は敵国によって焼き尽くされ、荒れ果てた大地が広がる結果となった。深刻な環境被害にピシアは頭を悩ませていたが、五年前に一人の女性が現れたことによってその問題は解決された。
その女性はマリアライトという聖女だった。
「ローファス殿下、レイフォード公より書状が届いております」
「何だ、意外と早かったじゃないか」
ピシアの現王太子であるローファスは読みかけの書物を閉じた。レイフォード公爵の娘であるリーザへ送った書状の返事だろうが、僅か数日で来るとは思っていなかった。
婚約者探しのダンスパーティーに参加してくれたことへの礼と、リーザを新たな婚約者として迎えたいという文。その内容にすぐに飛びついたということは、向こうもこの展開を望んでいたようだ。
ローファスは口元を吊り上げながら、早く書状を見せるようにと文官に命じる。
「は、はい……」
だが、文官の顔には陰りが差しており、書状も彼の手に握られたままだ。先に中身を確認しているだろう彼の様子に、ローファスは小さな不安を覚える。
まさか断られたのかと、一瞬でも嫌な考えがよぎる。それは有り得ないことだった。向こうから名乗り出たわけではない。王太子自らがリーザを選んだのだ。拒絶する理由が見付からない。
「見せろと言っている!」
逡巡している文官に声を荒らげ、強引に書状を奪う。緊張で手が震えて、上手く紙を広げることが出来ない。
文官は現実から目を逸らすように、大理石の床に視線を落としていた。
「この文字……リーザのものか?」
レイフォード公爵ではなく、彼女自身が綴った言葉。短く簡潔に纏められた文章に目を通していたローファスの目が、次第に見開かれていく。
震えが手だけではなく、膝にまで来ている。力を込めなければ、その場に崩れ落ちてしまうところだった。
いい返事に決まっているというローファスの予想は、最悪の形で裏切られた。
「これはどういうことだ、ローファス。この場で説明せよ。今すぐにな」
ピシアの国王は怒り、落胆、悲しみ、困惑、様々な思いが綯い交ぜになった表情を浮かべていた。その原因であるローファスもまた同じような面差しだった。
実の父からの詰問など無意味だ。返答するための情報をまだ何一つ得られていないのだから。
だが、このまま黙っているわけにもいかない。ローファスは上手く働かない脳をフル回転し、どうにか言葉を絞り出した。
「わ、私もこの事態は想定外でした。まさかリーザがこんなことを……」
「……それだけではなかろう」
老いて尚、鋭利な光を宿し続ける眼差しを向けられ、ローファスは怯えた動物のように体を揺らした。王太子を庇おうとする家臣はこの場に誰一人としていない。ある者は不安げに親子のやり取りを見守り続け、ある者は今回の『騒動』の行き着く先を予想しながら眉を寄せていた。
リーザは王太子からの縁談を拒否した事実を包み隠さず公表するのだという。
『このような国の王太子妃の椅子に座るつもりは毛頭ない』と強い言葉と共に。
「王太子妃になることに明確な嫌悪を示しておる。更にそのことを公にするという。余程の理由があると思うのだが……ローファス、何か心当たりはないか?」
叱責する時のような声音で息子に問いかける。こちら側に非があること前提で話を進めようとしているのだ。
国民から絶大な支持を誇る大貴族の娘が、このような行動を起こした。それは国にとって見逃せる事態ではない。
それはローファスも理解している。そして、リーザのやり方に激しい苛立ちと怒りを覚えていた。
清廉潔白であると知られるレイフォード公。その血を引く者に拒絶された王太子。国民がローファスにどのような視線を向けるのかは容易に想像がつく。
あの女がここまで陰湿だと思わなかった。悔しさで奥歯を噛み締める息子に、国王は眉間に指を当てながら首を横に振る。
「……恐らくは聖女マリアライトとの婚約破棄が不信感を生んだのであろうな」
「は……? 何故です。リーザとマリアライトは関係がありません」
「馬鹿者。歳を理由に女を捨てた奴の妃になど誰がなりたいと思うか。それも私との謁見すら許さず、餞別もろくに渡さずに城から追い出したそうではないか」
「で、ですが、あれはもう二十七歳だったわけで……というより、彼女も納得していましたし」
「ピシアに尽くし続けた聖女ですらそのような扱いを受けたのだ。リーザにはそのことが我慢ならなかったのであろうな」
乾いた笑みを漏らしながら言葉を発する国王だったが、その声はローファスには届いていない。頭の中が真っ白になり、何も考えることが出来なくなっていたのだ。
この後、ローファスは有力な貴族の娘たちに縁談の話を持ちかけるが、何と全員に断られる結果となった。
リーザのせいだとローファスは憤ったものの、レイフォード公と同等の力を持つ公爵家の令嬢からこう言われた。
「殿下はご自分がどのように思われているのか、ご存知ではないのでしょうか」
「どういう意味だ!」
扇で口元を隠しながら呆れたように吐息を漏らす彼女を睨み付ける。
こんなはずではなかった。マリアライトを手放し、自由の身となったところに多くの美女が群がる。その中から自分が気に入った女を選ぶ楽しさを味わう。そんな未来が叶わぬ夢想となり、現実に押し潰されていく。
苛立ちで顔を歪めるローファスを警戒し、彼の従者が宥めようと動く。ここで感情に任せて令嬢に危害を加えれば、ますます評判が悪くなるからだ。
「殿下がダンスパーティーの開催を思い付かれた時期と、マリアライト様との婚約を破棄された時期。ほぼ同時期であることを私たちは早い段階で存じておりました」
「な、何でそれを……」
「口の軽い配下がいらっしゃるようですね。お金を支払うだけで簡単に話してくださいましたよ」
「嘘だ、何かの間違いだ。それもリーザが……」
「この国を救ってくださったマリアライト様をご自分の都合でお捨てになった殿下。そんな方が開催されるパーティーに喜んで足を運ぶ女性がいるとお思いでしたか? あんなもの、義務として参加しただけですわ」
その嘲笑混じりの言葉にローファスは息を呑む。
『あまり女性を甘く見ない方がよろしいかと』
月光の下で言葉を紡ぐリーザの姿が脳裏に蘇る。微笑を浮かべる彼女はまるで悪魔のようだった。
書籍化とコミカライズが決まりました。双葉社様から出ます。
まだちょっと先の話になるとは思いますが、一生懸命頑張らせていただきます。




