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中まで真っ黒なのかしら、というマリアライトの予想に反して城の内部は普通だった。
王太子妃教育の際に読まされた書物では、魔族の居城には討ち取った人間兵を剥製にして飾っているだとか、頭蓋骨で作った杯があるだとかそんな文が書かれていたのだが。
むしろ、シンプルかつ実用的な構造になっているのが分かる。マリアライトの国の城とは違い、金銀や宝石、動物の剥製や毛皮があちこちに飾られているということがない。
ローファスはいかに自国が裕福であるのかを示すため、城内には豪勢な装飾品やオブジェを置くものだと言っていた。それは正しいことなのかもしれない。
けれど、税金を高く設定してたっぷり徴収した金でそんなものを用意していると知れれば、民衆の怒りを買うことはマリアライトも予想出来た。
茶会の際、ローファスにそのことを相談すると、陛下に掛け合ってみると言ってくれたが何も変わらなかった。
「そなたが翡翠の聖女マリアライトか。大輪の薔薇というより、野に咲く菫のような美しさだな」
玉座に腰掛けたウラノメトリアは目を細め、異国の聖女の来訪を喜んでいる様子だった。
馬車の爆発や、レイブンを襲った氷柱は彼の魔法によるものだった。成長したシリウスがどの程度魔法を使えるのか、試してみたかったとか。
皇帝であると同時にシリウスの父である彼は、少しお茶目な性格なのだとマリアライトは感じた。
「お褒めの言葉ありがとうございます、陛下。ですが、その翡翠の聖女とは何でございましょうか? そのように呼ばれたのは初めてなのですが……」
「聖女にもその能力ごとに名称があるのだ。そなたの場合は翡翠。それもとびきりの聖力を持っている」
「翡翠……とびきり……」
マリアライトは首を傾げた。翡翠の聖女なんて何だか綺麗な呼び名だが、聖力に個人差があるのも初耳だ。
「陛下。そのことに関してですが」
ウラノメトリアへと向けられるシリウスの眼差しは、剣呑な色を宿していた。
「俺は聖女のお力を利用するために、マリアライト様を連れて来たのではありません」
「承知している。そもそも聖女に聖力の行使を命じれば、天から裁きの雷が落ちるであろうな」
溜め息を零し、ウラノメトリアはマリアライトをじっと見据えた。
「魔族の子を匿って育て続けるとは、そなたも変わり者だ。すぐに城に突き出していれば、それなりの報酬が得られたろうに。そうでなくとも、素性の知れない子供との暮らしは窮屈だったのではないか?」
「私の生家は部屋がたくさんありましたし、キッチンも広いのでシリウス様が大きくなられた後も狭いと感じたことはありませんでした」
「そのような意味で聞いたわけではないのだが、楽しく暮らせていたようなのでよいか。マリアライト、我が国セラエノはそなたを歓迎しよう。そして、そなたが望むのであればシリウスの妃となることも許す」
あっさりと言い渡され、マリアライトは目を丸くした。シリウスを見てみると彼も呆然としていた。
二人の反応に、ウラノメトリアが首を傾げる。皇帝とは思えないやや幼い仕草だった。
「どうした? もっと喜ぶと思っていたのだが。特に息子の方」
「いえ、陛下のお言葉はとてもありがたいです。ですが、こうもあっさり許可を得られるとは思いもしませんでした」
「忘れたか、シリウス。セラエノは人間を忌み嫌っているわけではない。少数ながら人間も暮らしている。魔族と夫婦となり、子を成す者もいる」
「それは民の話でしょう。皇族となると……」
「後で調べてみろ。稀だがおぬしのように人間を見初めた皇族は存在する。それに相手は翡翠の聖女で、おぬしの恩人だ。反対の声は少ないと思うがな。……尤も、あの負けん気の強い令嬢は噛み付いて来るだろうが」
最後に小声で呟いてから、ウラノメトリアは優雅に微笑んだ。シリウスはそれを聞き取ったようで僅かに眉を顰めたが、聞かなかった振りをしてマリアライトと共に頭を下げた。
その刹那シリウスの目に映ったのは、憂いの表情を浮かべるマリアライトの横顔だった。
「さて、シリウス。暫し外してくれるか。マリアライトと二人きりで話したいことがある」
「はい。それは構いませんが……」
「案ずるな。聖女としてではない。彼女個人と言葉を交わしてみたいのだ」
「……承知しました。マリアライト様、失礼します」
シリウスの影が勝手に動き出し、床から剥がれて彼の体に絡み付く。影はその状態で縮小して最後には消えてしまった。
「これでよし。……マリアライト、一つ聞きたいのだが、そなたはひょっとするとまだシリウスを恋仲の男として見ることが出来ずにいるのではないか?」
「陛下にはそのように見えますか?」
「妃の話になった時、そなたはあまり喜んでいる様子がなかったからな。かと言って嫌悪しているわけでもない。如何にも『どうしよう』という顔をしていた」
眉尻を下げながらマリアライトは小さく笑った。
「私は二度も結婚をし損ねています。二度目は、最後までお相手に愛情を抱くことすら出来ませんでした。そして、シリウス様のことも愛しいとは思いますが、それが恋によるものか家族愛から来るものか分かりません。……この歳にもなって自分の気持ちの整理がつかないのです」
「ううむ、そなたは私と似てまったりのんびりしているように見えて、わりかし難しいことを考えているな」
ウラノメトリアは小さな子供を見るような表情を浮かべていた。
「恋をして愛するのは権利であって、義務ではない。将来結婚する相手だからと、一生懸命愛そうと努力する必要はないのだ。愛せなかったからといって自分を責めることもない。その二人の間に恋が芽生えぬなら、それまでの話に過ぎぬ。政略結婚もそのようなものであろう?」
「ですが、それではシリウス様に申し訳ないのです。お気持ちを受け入れると決めましたのに」
シリウスはたくさんの言葉と愛をくれた。そんな彼を拒むという気持ちは、マリアライトには存在しない。受け入れたいと思う。
だが、いざ彼の故郷を訪れると『三度目』をどうしても意識してしまう。
三度目の別れ。それから逃れるため、無意識にシリウスに恋心を抱かず、未だに親心を持ち続けているのだとすれば。
「……マリアライト、そなたに魔法の呪文をかけてやろう」
珍しく不安な表情を見せるマリアライトに、魔族の皇帝が人差し指をピンと立てる。
「これでそなたは、シリウスを真に愛することが出来るはずだ」
そろそろ甘い感じになります。
昔のマリアライトはもっと元気でイケイケドンドン系だったけど、一回目の婚約者の浮気でメンタル壊されました。