15
シリウス帰還の知らせは、国中に広まっていたらしい。馬車が帝都に入ると、大勢の魔族に出迎えられた。
「シリウス殿下のご帰還だ!」
「皆、花を用意しろー!」
「あ! でんか、おおきくなってるよ!」
「こら、馬車に向かって指を指しちゃ駄目!」
「ああ……素敵だわ、殿下……」
夜だというのに帝都は賑やかだった。
至るところにシリウスが魔法で作ったような光球が浮かんでいて、屋根に登った男たちが馬車目掛けてバケツを引っくり返すと、中に入っていた彩り鮮やかな花びらがひらひらと舞い散る。
空から轟音が聞こえたので、マリアライトは馬車から顔を出して見上げた。すると、星のない夜空を背景にして花火が打ち上げられている。
マリアライトの国でも花火は普及していたが、こちらの方が技術が上のようだ。赤、青、緑、黄、紫、白と様々な色が使われており、大きさも段違いだ。
そして、花火の音を掻き消す程の歓声。
「お祭りのようですねぇ」
「実際お祭りっすよ。反乱軍に殺されかけた皇太子が、やーっと国に帰ってきたんすから」
「俺は普通に出迎えて欲しいと、陛下に言ったはずだが……」
肝心の本人はあまり喜んでいないようだ。足元に視線を下ろして身を固めている。
「ここまでされると反応に困る」
「んー、でもシリウス様のためだけに、こんな派手にやっているわけじゃないみたいっすよ」
外から聞こえてくる歓迎の言葉。それらにはマリアライトに対するものも多く含まれていた。
「ようこそお越しくださいました、聖女様!」
「シリウス殿下を救ってくださったと聞いております!」
「あの美しい女性が聖女マリアライト様だろうか……」
「とてもお優しそうなお顔をされておられますな!」
「あ、お母さん! 今マリアライト様がこっち見て笑ってくれたよー!」
大人から子供まで大騒ぎだ。このような経験のないマリアライトにとっては新鮮な光景である。人前に出たことなど殆どなかったので当たり前なのだが。
帝都の街並みをゆっくりと進み続けていた馬車の前方に、巨大な城が現れた。
最初は視認出来なかったが、よく目を凝らすとそこに建造物があるのが見えた。
「黒いですねぇ」
「はい。久しぶりに見ましたが、黒いです」
花火の光で照らされた城は黒一色だった。そのせいで夜の闇と同化しかかっている。
「あの城は建国記念に建てられましたが、敵軍を欺く目的があったと言われています」
「ちゃんと考えられていたのですねぇ。てっきりデザインされた方のご趣味かと思ってしまいました」
「好みだけでこんな城を建てたら批難がとんでもないことになりますね。……それから馬車から降りる前に、一つだけお願いがあります」
馬車の外を一瞥し、シリウスが声を低くした。
「何があっても俺から離れないようにしてください」
「はい。知らない土地ではぐれて迷子になったら大変ですものね」
「そういうわけではないんですが……」
ただ素直に従ってくれると分かったので、それ以上何かを言うつもりはないらしい。レイブンはシリウスの『お願い』の意図に気付いているのか、顰め面で外を眺めている。
和やかだった馬車の中の空気が僅かにひりついていると、正門前で馬車が停まった。
城へと続く道には、重厚な鎧を装備した兵士が並んでいる。その厳かな雰囲気を物ともせず、「はいはい、ご苦労さん」と軽口を叩きながらレイブンが最初に降りる。次にシリウスが降りると、中に残ったままのマリアライトに手を差し伸べた。
「どうぞ、マリアライト様。俺の手に掴まりながら降りてください」
「よろしいのですか?」
「はい! このシチュエーションに憧れていましたので是非どうぞ!」
満面の笑みで言われたので甘えることにする。自分よりも大きな手を握り、そっと馬車から降りた途端、マリアライトの体はシリウスの腕の中にあった。
そして、すぐ近くで聞こえた轟音。
「あら、馬車が」
たった今まで三人が乗っていた馬車が木っ端微塵に爆発していた。
火柱を立てて燃え上がっているが、火の粉や馬車の残骸がマリアライトに振りかかることはなかった。マリアライトとシリウスを守るように、赤い膜を二人を包み込んでいる。
シリウスが素早く防壁魔法を使ったらしい。
「マリアライト様、お怪我はありませんか」
「私は大丈夫ですが、馬車の馬は無事でしょうか……?」
「ご安心を。転移魔法ですぐに別の場所に移したようですから」
「はい。安心しました」
「マリアライトさん!? あんた今爆死しかけたのにちょっと冷静過ぎない!?」
ホッと安堵の溜め息をつく聖女にレイブンが驚愕する。
そんな彼を目掛けて、上空からは巨大かつ鋭い氷柱が数本落下しようとしていた。
「レイブン、今すぐしゃがめ」
「へ? は、はい!」
言う通りにしたレイブンの真上に炎の壁が出現し、氷柱を全て受け止める。氷柱は炎に触れた瞬間に蒸発して水滴すらも残さない。
ついでにレイブンの頭頂部が焦げた。
「あっっちぃぃぃっ!!」
「すまない。だが、そのうち生えて来るだろうから、あまり気に病むな」
「気に病むくらい燃えたの!? 俺の頭今どうなってる!?」
半泣きに髪を確認しているレイブンだったが、焦げたのは僅かな量だったので地肌が露出するまでには至らなかった。
「シリウス様、私とレイブンさんを助けてくださってありがとうございます」
「俺が原因のようなものなので、お守りするのは当然です。レイブンはついでですが」
「もう離していただいても大丈夫ですよ」
「………………まだ何かあるかもしれないので、もう少しくっついていましょう」
何故かレスポンスまでに妙な時間があった。シリウスも突然のことで動揺しているのか、彼の心音による振動がよく伝わり、呼吸が少し荒くなっている。
「おお、その姿。随分と男前に成長したものだ」
古風で、おっとりとした口調だった。
いつの間にか火が消えていた馬車の残骸の上で、一人の男が優しげに微笑んでいる。
外見年齢はマリアライトと同じ程だろうか。月の光を閉じ込めたかのような淡い金色の髪と、静謐な湖底を彷彿させる青色の瞳。
そして、その頭部からは黄金に輝く角が生えていた。
「息子の成長ぶりを早く目にしたくてな。居ても立っても居られず、宮廷から抜け出してしまった」
「だからと言って、このような形で俺を試すのはどうかと思いますが。マリアライト様に被害が出るところでした」
シリウスは男に呆れを含んだ物言いをしながら、マリアライトの体を一層強く抱き締めた。
一方、レイブンや兵士たちは彼に向かって膝をつき、頭を垂れている。
もしかして、とマリアライトは口を開いた。
「あなたが……この国の皇帝陛下でございますか?」
「うむ、当たりだ。賞品代わりに飴などは……いや、無駄話の前に自己紹介といこう。私の名はウラノメトリア=セラエノ。この国の皇帝なんて大それた肩書きを持つ者だ」
魔族国家の皇帝は、息子と聖女に緩く手を振った。