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マリアライトが見たことのある魔族はシリウスとレイブンのみだ。そのどちらも「魔族です」と言われない限りは、人間と酷似した外見をしている。シリウスは収納自在(?)な角を持っているが、レイブンに至ってはどこからどう見ても人間と同じ見た目だ。
なので魔族とは皆そのような姿だと思っていたのだが、その予想は大きく裏切られることになる。
「あなたがシリウス殿下をお救いになった聖女マリアライト様ですね? お会いすることが出来て光栄でございます」
人々は町を訪れた魔族の兵士たちに、恐怖で震え上がっていた。
彼らの頭部は山羊、狼、猪など獣の形をしており、人間とはかけ離れた強靭な肉体を有している。そんな兵士が何の変哲もない長閑な町に大人数でやって来たのだ。
ついに魔族が侵略しに来たのだと、皆自宅に逃げ帰った。
本当にそのつもりで来たのなら、家に避難したとしても無駄なのだが。
「初めまして、私はマリアライト・ハーティと申します。皆様のお越しをお待ちしておりました」
「ういーすっ。皆さんお久しぶりっすね~」
「レイブン様、国ではあなたが反乱軍に殺されたと言われていましたよ。ですから、殿下と共におられると聞いた時は夢かと思いました」
「そんなことになってたんすか!? 陛下には定期的に報告してたんすけどね……」
中身が詰まった麻袋を抱えて深く溜め息をつくレイブンを、兵士たちが微笑ましげに見詰めている。中には目に涙を浮かべている者もいた。レイブンはそんな彼らに「そういうの恥ずかしいからやめてくんない?」と悪態をついているが、満更でもないらしい。
再会を喜んだり、それを恥ずかしがったり。その光景は人間とさして変わらない。
彼らの邪魔にならないようにマリアライトは静かに眺めていたが、数人の兵士に凝視されていると気付いた。
「私に何か御用でしょうか?」
「あっ、いえ、不愉快なお思いをさせてしまい申し訳ございません!」
猪の顔でも、慌てていることがよく分かる。マリアライトに声をかけられて、兵士たちはその場に膝をつこうとした。
「お待ちになって。あなた方は私に何の危害も加えていないでしょう?」
「で、ですが」
「あー大丈夫っすよ。マリアライト様は普通の聖女様じゃないから、ジロジロ見られたくらいで火炙りなんて言わないんで」
何だか不穏な言葉が聞こえて来た気がする。火炙り? と瞬きを繰り返すマリアライトに、レイブンが乾いた笑いを漏らしつつ口を開こうとすると、
「聖女は俺たちの国にとっても重要な存在なんですよ。それこそ皇族のように丁重に扱われる程に」
いつの間にかマリアライトの傍らに立っていたシリウスが、彼女の疑問に答えた。普段は隠している緋色の角も本日はしっかり生えている。太陽の光を受けて輝く様はまるで紅玉だ。
すると、兵士たちが一斉に片膝をついた。彼らを代表して狼頭の兵士が言葉を発する。
「シリウス殿下、よくぞご無事でございました」
「頭を上げろ。俺は長い間、国を空けていた男だぞ」
「そのようなことを仰らないでください。我々も民たちも、あなた様のご帰還を待ち望んでおります」
静かな声からは温かみを感じる。
レイブンと同じように、いやそれ以上に慕われていたのだろう。
気恥ずかしそうに視線を彷徨わせる彼の顔をマリアライトが覗き込む。
「自信を持ってください。あなたは皆様から必要とされている方なのですよ」
「……それは分かっています。ただ、少し驚いてしまいまして」
「それなら仕方ありませんね、シ……あら、いけない。あまり深く考えていなかったけれど、いつまでもこの呼び方はいけないわ」
本人やレイブンから呼び方を改めるように言われたわけではないが、皇太子を呼び捨てにしているのは不敬に当たるだろう。
マリアライトはシリウスに頭を下げた。
「これまでの非礼をお許しください、殿下」
そう言った直後、レイブンの「あ!」という声が聞こえた気がした。
ゆっくりと顔を上げると、シリウスが真顔で固まっている。翡翠色の双眸でマリアライトに視線を注いだまま、凍り付いたように動かない。
怒っているようには見えないが……。
「殿下? 如何されました? 殿下?」
マリアライトがいくら声をかけても、顔の前で手を振ってみても無反応だ。
何度も呼びかけていると、ようやく解凍されたシリウスが口を開いた。
「その呼び方はやめていただきたいのですが……」
「申し訳ありません、何か特別な呼び名があるのでしょうか?」
「ありませんが、今まで通り名前で呼んでください」
「ですが、殿下を呼び捨てというわけにはいかないと思うのです」
「はい。そこは俺も承知しています。なので、せめて『シリウス様』でお願いします」
寂しげな口調で言われてしまい、先に呼び方を確認すればよかったとマリアライトは少し後悔した。親しい者から殿下と呼ばれるのをあまり好まないのかもしれない。考えてみれば、兵士たちには殿下と呼ばせているが、彼の部下であるレイブンは『シリウス様』呼びだ。
「分かりました。ではこれからはシリウス様とお呼びしますね」
「……はい。ありがとうございます、マリアライト様」
「私のことは呼び捨てにしていただいても……」
「これからもよろしくお願いします、マリアライト様!」
どうやらこちらの呼び名は変えてくれないらしい。すると、レイブンが「セーフだからあんま気にしなくていいっすよ」とマリアライトを安心させるように言った。
「さっきシリウス様が言ったっしょ? 聖女様は皇族並みの待遇だって」
「あ、そうでした」
「……実際、シリウス様を呼び捨てにしたっていいくらいなんすけどねぇ」
マリアライトには聞こえない程の小声で呟くと、レイブンは抱えていた麻袋を側にいた山羊頭の兵士に押し付けた。
「もーいい加減重いからあげるっす」
「レイブン様、こちらの中身は何でしょうか?」
「マリアライトさんの聖力で育った林檎っす。せっかく食べ頃に育ってたのに置いて行くのも勿体ないから全部収穫したんすわ。せっかくだからあんたらで分けて食っちゃって」
背伸びをしながらレイブンが答えると、今度は兵士が先程のシリウスのように固まってしまった。
「どしたんすか?」
「せ、聖女様がお育てになった果実なんて……そんな貴重なものを気軽に渡さないでください!!」
レイブンから麻袋を託された山羊頭の兵士は半泣きで叫んだ。他の兵士からも悲鳴が上がっている。彼らの阿鼻叫喚ぶりに、マリアライトは「あら」と頬に手を当てて目を丸くした。
「でしたら、もっと育てましょう」
「マリアライトさん何言ってるんすか?」
「たくさん林檎をご用意すれば貴重ではなくなると思いまして」
「何その理論……」
数の問題ではないのだが。
責任を感じて涙目になっている山羊頭の兵士に、シリウスが「お前は何も悪くない」とフォローを入れていた。
シリウスはマリアライトにベタ惚れだけど「この人変わってるなぁ」とたまに思う時があるし、レイブンはシリウスを主と認めているけど、「この人変わったなぁ」としょっちゅう思っている。




