12(王太子の話)
この日のために大がかりな準備を行った。ダンスホールを改装し、他国で名を馳せている料理人や音楽隊も呼び寄せた。料理に使われる食材も最高級品ばかり。王族ですら普段口に出来ないものばかりをふんだんに取り揃えている。
そして、夜空には純白の満月がその姿を雲で隠すことなく浮かんでいた。
最高のダンスパーティーだと、ローファスは満足げに微笑んでいた。
「今宵はどうか楽しんでもらいたい」
ダンスホールの中央でそう告げると、ドレスに身を包んだ女性たちは優雅に微笑みながら頭を下げた。パーティーに招いたのは女のみだったが、数人ほど男が混ざっている。訊けば彼女たちの執事であるらしい。
余計な異物だとローファスは微かな苛立ちを覚えたものの、ここで目くじらを立てて追い出してしまえば場の空気を乱してしまうかもしれない。
それに彼らは野蛮な平民や頭の悪い兵士とは違い、自らの立場を弁えて行動が出来る生き物だ。不愉快と感じる場面は少ないだろう。
「殿下、今宵はパーティーにお招きくださいましてありがとうございます」
「君も来てくれたのか、リーザ。こちらこそ礼を言うよ。そのドレスもよく似合っている」
「まあ、嬉しいお言葉ですわ。こちらは母が選んでくれたドレスなのです」
興奮や緊張を表に出すことなく、物静かな雰囲気を崩そうとせずに高貴な笑みを湛える姿は、他の令嬢とは明らかに大きな差異がある。淡い青色のマーメイドドレスは彼女の知的さを引き立てており、宝石を使った髪飾りはシャンデリアの光を反射して星のような輝きを放っていた。
レイフォード公爵の一人娘であるリーザだ。温厚な性格で勉学に励んでおり、芸術にも精通している才女とされている。
また、彼女の家は王族に次ぐ権力を持つ。レイフォード公爵は厳格でありながら、常に『弱者のために』という思想を掲げる人格者だ。
爵位の高い一族にしては珍しく私欲に溺れず、不正や悪事を強く嫌悪する。一部の者たちはその在り方を快く思わないが、平民からの信頼は厚い。
王族としては何としてでも自らの懐に置いておきたいと考えている。レイフォード公との友好をアピールすることで平民からの好感度を集める目的もあるが、有能な人間が敵に回った時程厄介なことはないのだ。
「ここだけの話だがね……」
ローファスはリーザの耳元に唇を寄せた。周囲がこちらに視線を向けているが、気付かない振りをして意図的に低く甘い声を出す。
「私は君がやって来るのを今か今かと待ち詫びていたんだよ」
お世辞ではない本音だった。自国のみならず他国の貴族の娘も集めさせたが、正式に妃にするのであればリーザ一択だとローファスは考えていた。
顔だけで選ぶな。それが父である国王陛下から告げられた言葉だった。
そこはローファスも承知している。不要になったとはいえ、聖女との婚約を破棄したのだ。そうするだけの価値がある、マリアライトよりも妃に相応しいと思える女性を選ばなければならない。
リーザはその条件を見事に満たしている。平民から高い支持を得ている貴族の令嬢であれば納得することだろう。
「……殿下、小耳に挟んだのですが、今回パーティーを開いた目的は新たな婚約者探しというのはまことでしょうか?」
さりげなくローファスから距離を取りつつ、リーザが訊ねた。
「どこでそのような噂を?」
「それは殿下が一番ご存知ではありませんか?」
ローファスはその指摘に返答せず、口元に弧を描くだけだった。
噂を流させたのは他でもないローファス自身だ。その甲斐あって皆、王太子に気に入られようと並々ならぬ熱意を秘めてパーティーに出席している。
美女たちが自分を取り合って熾烈な争いを繰り広げる。その中にローファスを心から愛する者がどの程度いるかは不明だが、殆どが王太子妃の椅子目当てであるのは分かり切っている。
自分に媚び諂う理由などどうでもいい。リーザを妃として、他に好みの女性がいれば愛妾にしてしまえばいい。ローファスはそう考えていた。
「彼女たちには悪いが、私は君こそが未来の王妃に相応しいと考えているよ」
人払いを済ませたバルコニーにリーザを連れ出し、自分の思いを告げると彼女は「ありがとうございます」と頬を綻ばせた。大袈裟な反応はせず、静かに喜び感謝する。
まるでマリアライトのようだ。
「…………」
ローファスは一瞬でもかつての婚約者を脳裏に浮かべた自身に驚いた。聖女であると判明してすぐに王宮に連れて来られて、ローファスの未来の妻となった女。
歳が離れすぎていると思ったが、国王は聖女を妃にすることを望んでいたし、顔もそれなりによかった。それに何でも言うことを聞く従順そうな性格だったので、ローファスも気に入っていたが次第に不快感を抱くようになっていた。
彼女はいつも穏やかな笑みを浮かべていたが、心の中では年下の自分を見下しているのではと思うようになったのだ。
それに式を挙げるまでは、同衾してはならないという決まりもローファスを苛つかせた。いくら見た目がよくても歳を重ねれば肌も老いる。そんな女と子を作らなければならない。そんなのはごめんだった。
「未来の王妃……ですか。私には勿体ないお話でございます」
「謙遜しなくていい。王宮でも君がいいのではという声は多い。それは君も薄々気付いていたはずだ」
「私にはマリアライト様の代わりなんて務まりませんわ」
月明かりに照らされたリーザの横顔は、感情を削ぎ落としたように見える。美しいと思えるのに、どこか不気味だった。
「……私はマリアライトの代わりだと思っていない。もうこの国に聖女は要らなくなったんだ」
「ええ……そうでしたわね。魔導具さえあれば聖女様のお力をお借りする場面はなくなるでしょう」
魔導具。それは予想以上に人々の暮らしに変化を与えた。
魔石と呼ばれる虹色に光る結晶をあらゆる道具に埋め込む。たったそれだけで燃料を使わずに火を起こしたり、大量の水を生み出したり、様々な動力源にもなる。植物を急速に成長させることも出来る。
これなら魔法を自在に操る魔族国家とも堂々と渡り合えるはずだ。
そして、魔道具のおかげでローファスはマリアライトを捨てることが出来たのだ。リーザが思い悩む必要はない。
「自信を持つんだ、リーザ」
「……少し考えさせてください。それと他の方々ともお話がしたいので、そろそろ失礼いたします」
「あ、ああ。……今の話は本当だ。前向きに考えてみて欲しい」
「はい。ところで殿下にお伝えしたいことが一つ」
「何だ?」
予想とは裏腹にすぐに頷いてくれなかったことに焦れつつ、ローファスが訊ねるとリーザは唇だけで笑みを作った。
「あまり女性を甘く見ない方がよろしいかと」
「誤解だ。私は君をそのように見ているわけではないんだ」
「……私だけのお話ではありませんよ。では、また後程お話いたしましょうね」
美しい笑みを顔に張り付けてリーザが去っていく。
公爵の娘と言えども、自分よりも二歳年下の娘の言葉に、ローファスは何故か背筋の震えを感じていた。
次回からは魔族の国メインになります。