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次こそ王太子の話にやります。
二日後、平和な町に重厚な装備をした兵士が百人も訪れる。しかも全員が強い魔力を有した魔族。
ちょっとした大事件なのだが、町人たちはいつも通り平和に暮らしていた。
何故ならこのことを知る者は誰一人としていないからである。
「だって、言えないでしょ。皇太子殿下とその皇太子妃候補を回収するために精鋭兵がわんさか来る予定になってますーなんて」
「候補というのは、もしかしたら私のことでしょうか……?」
「あんた以外誰がいるんすか」
溜め息混じりに答える黒髪の少年に、マリアライトは視線を彷徨わせた。次に何を言えばいいのか分からず、林檎を薄くスライスする作業を続ける。
隣に立っているレイブンも慣れた手つきで林檎を切っている。ただし、キッチンに常備されている包丁を使っているマリアライトと違って、レイブンは小型のナイフだ。シリウスを連れての逃亡生活の最中は、山や川で採れた食材を調理していたらしい。
「お上手ですねえ」
「シリウス様に不味い物を食わせたって知れたら、殺されるっすからね。最低限のことは出来るようにしてたっすよ」
「旅の最中、普段はどのようなものを召し上がっていたのですか?」
現地調達したもので食事を作るというのは、普通の生活を送って来たマリアライトとは無縁の世界だ。
聖女の職務を行うために辺境の地を訪れた時も、必ず料理人が同伴していたし食料も多く持参していた。現地での料理に毒を盛られる事態を恐れてのことだろう。周囲に農村のない荒野に赴いた場合も、その場でいつでも調理が出来るように大掛かりな準備がなされていた。
マリアライトの聖力は植物に対してのみだ。自身が毒に冒されたとしても、それを瞬時に癒す術がない。護衛のために来てくれていた兵士たちは、たまに珍しい見た目の木の実や果実を美味しそうに食べていたが、それを食べさせてもらうことは出来なかった。
なので本人たちは大変な思いをしてきたと知りつつも、マリアライトにとっては一種の憧れなのだ。
「あー……うん、あんまり聞かない方が思うんすけど」
レイブンは少し気まずそうだった。
「申し訳ありません、思い出されたくないのならお答えいただかなくても……」
「俺はそんな気にしてないけど、女の人にはちょーっと刺激が強いお話かと」
「私なら平気ですので、お聞かせください」
「……芋虫の塩焼きっす」
均等に切った林檎に視線を落としながらレイブンが重い口を開いた。
「毛がもしゃもしゃ生えてる奴は駄目っす。表面がつるんとしたのに塩を振って串に刺して焼くんすよ……」
「どのような味だったのでしょう?」
目を輝かせながら味の感想を聞いてみると、レイブンはぎょっとした様子を見せながらも答えてくれた。
「う、うーん、虫だって思わないで食えば結構食える味……ってあんたそこまで聞いちゃうすかぁ」
「? はい」
「女の人って虫嫌いじゃない?」
「私は平気ですよ。虫がいるということは、自然が豊かな証ですから」
マリアライトも昔であれば虫を見かけただけで悲鳴を上げる程苦手だったが、いつの間にか気にならなくなっていた。中には不衛生な場所に集るような種類もいるものの、虫は基本的に緑が豊かな地域で多く見かけるものだ。
名前も知らないような虫との出会いが増えていくうちに、嫌悪感を抱くことも少なくなっていった。
「俺の母ちゃんなんて蝶を見ただけで奇声上げるんすよ」
「蝶は飛んでいる姿が綺麗なので好きです。特に真っ白だったり薄黄色の翅を持つ子は、見ていて可愛いと思います」
「あー春頃によく見かけるやつっすね?」
「はい。あの子たちを見かけると春を感じるのですよ」
寒い冬を越えた後、柔らかな色の翅で空を舞う彼らを見付けるのがマリアライトは好きだった。
レイブンもうんうんと深く頷いていると、一人部屋に籠っていたシリウスがキッチンに現れた。レイブンの烏を使って皇帝と会話をしていたはずなのだが、やけに嬉しそうに頬を緩めている。
「マリアライト様、俺をお呼びになりましたか?」
「いいえ。呼んでいませんけど……」
マリアライトがそう答えると、シリウスは真顔で首をひねった。
「今、マリアライト様のお声で『好き』、『可愛い』と聞こえて来たのでてっきり俺の話をしているのかと」
皇太子がご陽気だった理由が判明した。
「ごめんなさい、今はレイブンと蝶のお話をしていたのです」
「蝶……ああ、レイブンはよく蝶を油で揚げて食……」
「はーい、シリウス様。この林檎甘くて美味しいから食べてみてくださーい」
嫌な予感がしたので、レイブンは切ったばかりの林檎をシリウスの口に突っ込んだ。
「レイブンさん? 何だか慌てているようですけれど……」
「何でもないっすよ。ほら、ちゃちゃっと林檎切っちゃいましょうね~」
ちなみにマリアライトとレイブンがせっせと切っている林檎は、この後ドライフルーツにする予定だ。
シリウスとレイブンが聖女の育てた果実は甘くて美味しいと報告したところ、彼も食べてみたいと言い出したのである。
しかも変わった食べ方で、と注文もつけて。
「ドライフルーツなんてあまり珍しくないと思うのですが、陛下にご満足いただけるのでしょうか?」
「こちらでは干した果実はさして珍しくもないようですが、魔族の国では果実は皆酸味が強いものばかりです。更に乾燥すればより酸味が増すので、新鮮なうちに砂糖や蜜をかけて食べるのが一般的になっているんですよ」
シリウスが説明をしながら、レイブンからナイフを取り上げようとする。何事? とレイブンが訝しげに眉を顰めた。
「マリアライト様の手伝いを任せて済まなかったな。後は俺が入るからお前は休め」
「いや主様に労働させといて、ぐーたらするとか畏れ多すぎて出来ないんすけど……」
「いいから休め」
マリアライトと共同作業がしたい。くっついていたい。そんな強い思いを持つ男にこれ以上何を言っても無駄である。レイブンはリビングに引っ込むとソファーに寝転がり、数分後には寝息を立て始めた。彼は彼で長旅で疲れていたので、シリウスの命令はわりとありがたいものだった。




