涙が一向に止まらない
「俺、彼女の事が好きなんだ」
親友から告げられたその一言に俺の身体は石の様に動かなくなった。
それは突然だった。前振りなど一切なく、ポツリと、少しずつ増し表面張力で張った水が耐えきれず器から零れてしまうかのように、彼の口から静かに吐き出された。
彼の性格はかなり慎重だ。どんな事だろうとしっかり順序を踏み、下地が整ってから行動に移す。そんなタイプな筈の彼から何の前触れもなくその言葉が零れたのは、積み重ね続け、積もり積もった気持ちの表れなのだろう。
彼は今まで恋愛に興味、関心がなかった。だが、ある機会にとある女性と出会い、数々の交友を重ねるうちにその気持ちが恋慕へと移り変わったのだろう。
心から祝福してあげるべき。だからこそ、その成就の応援と共に祝福を謳う声を心から取り出そうとするも、その言葉が見当たらないことに気付いた。隅から隅まで、幾ら何処を探そうともその声は見当たらない。
おかしい。そうは思いながらも、実は気付いていた。心から祝福できないその理由を。
俺自身も彼女の事が途方もなく好きだったのだ。小さな頃からの初恋だった。その気持ちが俺の心から親友を祝福する言葉を捨て去ったのだろう。親友に対して心からの祝福をしてやれない。これが親友と呼べるのだろうか。ここでの模範解答は何なのだろうか。
声だけのおめでとうを告げ彼を祝福する?
自分も彼女が好きだと告白する?
自分の気持ちを隠して彼を出し抜く?
どれが正解なのか、まるで分らない。それもそのはず。はなから正解なんて用意されていないのだから。自分が選択した行動が解答になり、それが成績となりその場で反映される。人生とは抜き打ちテストの様に一発勝負の連続でできているのだ。
もし恋愛に対して予習でもしてくれば正解は導き出せなくとも、最適解に近い回答は得られたであろう。だが、事は急であった。しかも恋愛に興味を持っていなかった彼が動き出したのは予想外でしかなく、何の用意もしていなかった俺にはそんな回答を出すことは叶わなかった。
しかし、時間は残されていない。沈黙は長くは続かない。俺はそのことを自覚し始めると、心の中身を整理し始め、取捨選択を行った。本当に必要なモノだけを残し、捨てるべきものを捨てた。思い入れの深いモノも当然見つかった。しかも二つ。だがその二つのモノは対極にあり、何方かを取るならば何方かを捨てるしか無かった。両方取るという選択肢を俺は導き出せなかった。
そして数分程用いて心の中を整理し終えた俺は親友に厳選し、選び抜かれた一言を告げようとする。だが、声帯を抜き取られた様に声が出ない。
わかっている。この一言を吐き出せばもう後戻りはできない。だからこそ吐き出せ。全てを捨てる気持ちで。
「おめでとう、応援するよ」
ようやく吐き出されたそれは、心から取り出した一言だった。
俺は彼女への気持ちを心の中から抜き取り、捨て去った。親友が幸福であるために。自分を殺し、彼を祝福する。この気持ちを取り除くのに随分と時間を使った。取捨選択の大半が彼女への想いと彼との関係に用いたと言っても過言ではない。そのくらいに二人に対する思い入れは強く、そして心から運び出すには重かった。だが俺は親友を取った。彼女を取れば最悪親友は親友ではなくなる。しかし親友を取れば彼女と友人関係を保ちつつ、彼とは親友でいられる。それがおれの導き出した最適解だ。当然、それを丸をつける人なんていない。
「あ、ありがとう、お前に言ったお陰でスッキリしたよ。よし、今からアプローチしてくる」
振り切ったような爽やかな笑みを浮かべながらそう言う彼に俺は一言「行って来いと」告げると、彼は後ろを振り返らず駆け出して行った。
そして俺は一人になる。喉の辺りに多少の違和感を覚える。
どうしてだろうか。よくわからない。喉だけじゃなく、胸の辺りも異物があるようにどうしようもなく苦しい。彼の後姿を見ていると更に苦痛は増す。思わず彼の方向に手を伸ばす。その行動の意味は俺にはわからない。何かを掴もうとするように無意識に伸ばすその手は、彼が見えなくなると自然に下ろされた。そこまで来てやっと気づいた。
あぁ、どうやら俺は整理し損ねたんだなと。だから心を中を覗き込み、決別したはずの彼女への想いを隅々まで探る。しかし、何処を探そうとも見当たらない。この感覚から彼女への想いで間違いないはずなのに、その一かけらとして見当たらない。
悩ましい事態に首を傾げながらふと気持ちを捨てる心の穴に視線を向ける。するとそこには崖の端を掴んでギリギリ耐え凌いでいる様な彼女の想いが必死に留まっていた。
何を未練たらしく留まっているんだ。離してくれよ。諦めてくれよ。もう見逃して楽にならしてくれよ。
頬から涙が数滴零れ落ちる。割り切っていれば、ちゃんと捨て去っていれば流れるはずもなかった涙。あんな数分で手放せるはずがなかったのだ。幼き頃からの初恋がそう簡単に。
手を伸ばして救い上げたい。まだ彼女の想いを手放したくない。しかしその気持ちに手を伸ばすも、理性がそれを妨げる。もう俺は答えを解答用紙に書き込み、提出してしまった。もう反映されてしまった。自分で言ったんだ。後戻りはできないと。だから俺は心を鬼にし、その気持ちを切り捨てた。
今度こそもう無いだろう。そうだ、新しい恋を探せばいいんだ。
気持ちも切り、換えた。
彼女の想いも無くなった。
なのに何故だろう。
「涙が一向に止まらない」
整理したはずの心には妙なわだかまりが残っていた。
気持ちは消せても、持っていた時の思い出は消えない。
↑ジャンプとかの後書き風。
ありきたりかな…。教訓を意識してみたつもり。
読んでいただきありがとうございました。