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Listen to Notes!!  作者: 瀬名隼人
第二章 想い出の場所とハーフアップ
6/42

サークルバンド

10

 散々言ったところで友利夏音も立派な大人であり、目的地に着く頃にはすっかりいつも通りに戻っていた。


 道中で直しに行かなかったことからようやく気付いた新だったが、この日夏音は化粧の類をしていなかった。もしかしたら普段からしていないだけかもしれないが、彼女だって大人の女性である。友人とは言え同年代の男と二人で遊びに行くことを予定していたなら、意識してオシャレに徹しようとするものではないだろうか。化粧などに頼らなくても自分の容姿に自信があるというのなら分からなくもないが(事実素顔でも十分端麗ではあるのだが)、それこそそんな柄ではないことくらい先までの言動を見ていれば分かる。


 さすがに偏見が過ぎるか。


 やはりあんなことを言ってはいたが、夏音にもデートなんてつもりは全く無かったのだろうと結論付ける新。


「どうしたの? 難しい顔して」


 そんな新の様子に気付いてか、そう訊いてくる夏音。


「いや、何だか無理させて申し訳ないなあ……って」

「何でそんな哀れみの視線を向けられてるの私? 無理なんてしてないから大丈夫だよ」


 何か変だよ、とまで言われる始末。


 お前にだけは言われたくない。


「あ、居た。おーい!」


 そうしている間にどうやら目的地に到着したらしい。夏音が視線の先に居る二人に向けて声を掛ける。


「おーい! 夏音、新ー!」

「待ちくたびれましたよ!」


 呼びかけに気付いてそう返してきたのは本多信吾と五十川颯だ。


「……あれ、でもここ普通の住宅街だよな? これと言って想い出の場所になりそうなものは見当たらないが」


 目前に広がるのは民家の数々。


 高校や大学のように日常的に通うような建物があるとは思えない。


「あれ、気付かない?」

「何に?」

「これ」


 そう言って夏音は新の真横を指差した。


「これって――壁だろ?」


 紛うことなき壁。あるいは塀と言った方が正しいのかもしれないが、少なくともこれが想い出の場所になるなんて全く――


「そうじゃなくて、その向こう。もうちょっと目線を上げてみて」


 そう指摘され、言われるままに視線を上に向ける。


 次の瞬間、新は息を呑んでいた。


 思わず言葉を失う。


「こ、これは」

「ここは僕の家です」


 いつの間にか合流を果たした颯が口にする。


「……凄い」


 そこは大豪邸だった。


 一体何坪あるのか、ちょっとした博物館並みに大きなそれが場違いな程にこの民家の並ぶ住宅街の一角にそびえ立っていた。


 それに気付かなかったのはその規模が大きすぎて、かえって視界に入り切って無かったからか。


 とにかく、


「漫画の世界だ……」

「おや、新君記憶が無いのに漫画のことは分かるんですか?」

「え、そういえば」


 だが漫画の豪邸が具体的にどのようなものだったかと思い出そうとした瞬間、まるで消しゴムで消したかのように頭の中が白で埋め尽くされる。


 しかし同様に、消しゴムを使った記憶も無いのに『消しゴム』を知っている。


「多分、失われたのはあくまで『記憶』だけで、『知識』として知っていることは残っているんだと思う。だからオレは『漫画に出てくる豪邸が大きい』ということを知識として知っているが、『何の漫画のどのシーンでどんな外見か』という記憶までは持ち合わせていないんじゃないか?」

「なるほど、つまり記憶が無いのに言葉が話せるのも『知識』として知っているからなんですね」

「でも自分の名前を思い出せなかったりしてるし、いまいち『知識』と『記憶』の境界や基準は分からないんだけどな」


 恐らく明確な線引きは無いのだろう。


「つまり新が漫画の内容を知っているのに憶えてねえ……いや、内容までは知らねえのか。でも豪邸を知っている……? ああもう分からん! どういうことだよ颯」

「多分信吾君には難しすぎる話だと思いますよ。――皆さん、中に入りましょう。いつまでもこんなところで立ち話して熱中症になっても困りますからね」


 どうぞこちらへ、と颯が洋風の門をくぐったところで、新は昨日夏音を家まで送ろうとした時に言われたことを思い出した。


「なあ、颯」

「どうしました?」

「その、オレの記憶のこと……」

「それなら大丈夫ですよ、両親にはすでに話してあります。それに父は仕事、母は買い物に出かけていてしばらく帰ってきません。安心して家に上がってください」

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 爽やかな笑みを浮かべる颯。


 今日まで散々毛嫌いしていたが、思っていたほど嫌な奴でも無いのかもしれない。


 そんなことを思っていた矢先、


「でも入場料は一人千円ですよ」

「……お前」

「冗談です」


 やっぱりこいつとは馬が合いそうにないと感じる新だった。



11

 案内されたのは豪邸の地下にある一室。防音室らしい。


 一体どこからツッコミを入れればいいのかと迷っていた新だが、そこに広がる光景を見て何となく理解した。


 ――何となく、絶望した。


 白い壁に囲まれて置いてあるのは人数分の椅子に、ギター、ベース、ドラム、マイク。他にもパソコンにマルチエフェクター、アンプ――とそこにあるもの全てが音楽関係の楽器や機材で、それらを新は全て『知っている』。


「新君は病院で『自分達は一体何友達なんだ』と訊かれましたよね。僕達はバンド仲間です」

「俺達は学生時代、お前の立ち上げたバンドサークルで知り合い、活動していた。そしてそれは卒業後も続いて今に至る」

「って言ってもたまに曲をネットに上げる程度で、全然バンド活動っぽくは無いんだけどね。信吾が作った曲に颯が歌詞を乗せて、それを私が歌いあげる。ちなみに信吾がドラム、颯がベースで新はギター。リーダーだって新がやっていたんだから」


 三人の視線が新に集まる。


 だが、新には他に思うところがあった。


「……昨日言っていた『言えないけど楽しいこと』って」

「そう、今月末にインディーズバンドの大きなイベントがあるの。業界の偉い人も集まるから、そこで成果をあげればデビューだって夢じゃない。実際に毎年やっているそのイベントからデビューして人気者になった人達だって大勢居るんだよ」


 楽しそうに語る夏音とは対照的に新の表情は曇っていく。


 今までずっと付いて回ってきた鬱憤が本格的にその姿を露わにしていく。


「つまりそのイベントにオレ達が参加する、と」

「そういうことだ。俺達はそのイベントの為に毎日練習を重ねてきた」

「だから新君には早いところ記憶を取り戻してもらわなくてはですね」


 颯がそう言い終わる頃には新は完全に下を向き、両の手を固く握り締めていた。


 それには気付かず「さあ、早く練習しよう」と夏音が言い、それに続いて信吾、颯も部屋の中へ入っていく。


「ほら、皆早く」


 違う。


「あ、僕お茶入れてきますね」


 そうじゃない。


「いつまでそんな所で突っ立ってるんだよ新、早くこっちへ――」


 胸の内から得体の知れない醜くどろどろした何かかがせり上がり、口から内臓を吐きだすかの如く溢れだす。


「無理だよ」


 その一言で、まるで時間が止まったかのように三人の表情が固まった。


「ど、どうしたの? 無理って何が」

「オレは全てを忘れてしまった。夏音と同じ大学へ進んだことも、そこでバンドサークルを立ち上げたことも、ここで練習を積んできたことも、それが夏のイベントの為だということも全部」

「新君、一度落ち着いて――」

「それだよ!!」


 颯の言葉を最後まで聞かずに叫ぶ。


「皆して新はどうだった新は何をしたってもううんざりなんだよ! 今日の想い出の場所巡りだってそう、お前達の中にあるのはいつも『赤瀬新』であってオレじゃない。なのに何でオレばっかり『赤瀬新』のことで頭を悩ませないといけないんだ! いい加減にしてくれよ!!」


 病院や『赤瀬新』の家で感じたことが一斉に彼の脳内を侵食する。


 今日一日夏音と共に行動し、そこで味わった苦痛が再び彼を苦しめる。


 ここに居るべきは、自分じゃない。


 そんな彼に何と話しかければいいかも分からず、三人はその場で杭を打たれたかのように身動きも取れずに、叫ぶ彼を見つめることしか出来ない。


「お前達が必要としているのは『赤瀬新』であってオレじゃない。友情ごっこは余所でやってくれ、オレには関係ない。関係無い奴を巻き込んでんじゃねえよ。何が通り魔だ、何がバンド活動だ? 知らねえよそんなもん。オレはオレだ、『赤瀬新』じゃない!!」


『赤瀬新』ではない誰かは関係の無い人達に向かって怒鳴り散らす。


「そもそも大前提から色々とおかしいんだよ。目が覚めたら知らない奴等が居て、そいつから『お前は赤瀬新だ』って言われて、誰がそんなこと鵜呑みにするんだよ。偶然記憶が無い奴が居て、丁度いいと都合のいい誰かに仕立て上げようとしたんじゃないのか!?」


 病院のテレビで観たイタコがちらつく。


 馬鹿げていると切り捨てたはずの幽霊説が現実味を持って蘇る。


「お前達は、オレが何も憶えていないことを良いことに居もしない奴の情報をこれでもかと与えて人格を刷り込み、『赤瀬新』をでっち上げようとした。でもそれは元あった人格を殺す殺人行為だ! オレは殺されたんだよ! お前達のエゴによって!」

「新君……」


 颯が何かを言おうとするのを信吾が片手で制す。


「オレは――『赤瀬新』じゃない……!!」


 遂にはその場にうずくまって両手で顔を覆った。


 ここに居るべきは自分ではない。


 では、『自分』は一体、どこの誰だ。


『誰でもない』自分に、居場所なんてあるのか。


「おい颯、これを持て」


 そんな新に何か言うでもなく、信吾はおもむろに颯にベースを手渡した。


「夏音もマイクの前に」

「信吾、何をするつもり?」


 夏音の問いには答えずに、信吾はうずくまった彼の前に立つ。


「お前」

「……何だよ」

「ギターは弾けるな?」

「はあ? 記憶が無いのにどうやって――」

「知識はあるだろ」

「……あるけど、それだけじゃ『赤瀬新』だって証明には」

「とりあえずこっち来い」


 信吾が無理矢理立たせ、ギターとピックを握らせた。


「チューニングはこっちでやっておいた。――颯、夏音、いつもの曲やるぞ」

「やるぞって、信吾君一体何を」

「いいから、やれ」


 信吾に睨まれ、言葉も返せずベースを構える颯。


「俺がドラム鳴らすから、入れるところで適当に二人とも合わせてくれ」

「は、はい」

「分かった」


 ほんの僅かな静寂の後、ドラムを叩く音が鳴り渡る。


 それに続いてベースが鳴り、夏音の歌声がそれに乗る。


「こんなことして一体何になると言うんだ」


 信吾は曲を聴かせることで記憶を取り戻させようとしているのだろうがお生憎様、何も思い出さない。


 狙いは大きく外れた。


 しかしそんな折、夏音の歌を遮るように信吾の怒号が飛んできた。


「何をぶつぶつ言ってんだお前! 口を動かす暇があったら手を動かせ!」

「手を……ってそんな無茶苦茶な」

「リズムなんて無視していい! 音が外れてたって気にしねえ! とにかくそのギターを弾き鳴らすんだよ!!」


 信吾の言葉を聞き、小さく舌打ちする。


 そこまで言うならやってやる。


 大音量で掻き鳴らしてこんな歌もお前がやろうとしていることも全部台無しにしてやる。


 彼はピックで弦を(はじ)く。


 防音室に耳障りな音が反響した。


 が、それも長くは続かない。


「……!?」


 一瞬何が起きているのか理解出来なかった。


 ――彼の音は見事に曲に乗り、メロディーを奏でている。


 信吾達が合わせているのではない。彼の手が、自然と曲の一部となるように動いているのだ。


 これは『知っている』とは違う。


「オレは、この曲の弾き方を『憶えている』……!?」


 記憶が残っている訳でも戻ってきた訳でもない。


 憶えているのは彼の身体。


 記憶を失くすずっと前からこのメンバーで奏でてきた音の一つ一つが、彼の身体に刻み込まれている。


 その様子を横で歌いながら見ていた夏音の表情には笑みが浮かんでいた。


 この日何度も見た、純粋で何の汚れも無い笑み。


 そこで彼は大切なことを思い出す。


 記憶を失った後、それでも僅かに積み重なった記憶のほんのひと欠片。


『お帰りなさいませ、ご主人様』


 夏音のその一言と共に浮かんだ笑顔は、確かに他の誰でも無い『自分』に向けられていたものだったはずだった。


 曲が――終わる。


 再び訪れる静けさの中、信吾が口を開く。


「確かにお前は『赤瀬新』じゃないかもしれねえ。かと言って、全く無関係な奴に嘘の記憶を刷り込ませようとした訳でもない――そして、今のこのバンドには俺達の曲をよく知ったギタリストが必要だ」


 ドラムを離れ、ギターを握る彼の前に回り込む。


 その両の目は、しっかりと彼の瞳を見据えている。


「俺には――俺達には、『お前』が必要なんだよ」


 夏音も颯も余計な口は挟まない。


 信吾も黙って彼を見つめ続ける。


 後は、彼の返事を待つだけだった。


 ――彼は、


「……これ、全然チューニングがなってないじゃん。音も外れすぎだし、恥ずかしくて人に聴かせられたものじゃない」


 信吾を見つめ返して、答えを提示する。


「ほら、いつまでそんな所で突っ立てるんだ信吾。チューニングし直したら、もう一回練習するぞ。本番まであと一ヶ月も無いんだ」


 それを聞いて、信吾の顔に喜びと安堵感が洪水となって流れ出す。


「……お前、ありがとう!」

「うわっ、何で抱きついてくるんだよ気持ち悪い!」

「ありがとう……ありがとう……!」

「泣くなオレの服で涙を拭くな! ちょっと、夏音、颯! 助けてくれ!」


 そんな二人の姿を見て、夏音と颯は同時に溜息を吐く。


「助けてくれって言ってるよ、颯」

「嫌ですよ。銭腹はかえられませんからね」

「そんな薄情な! お前後で憶えてろよ!」

「何も憶えてない人が何か言ってますよ。ああ、怖い。銭腹銭腹」

「『くわばらくわばら』みたいに銭腹を使うな!」

「ちょ、やめて……ふふ、お腹痛い……!」

「夏音も笑ってないで助けてくれよ!」


 練習が再開されるのは、それからしばらく後のことだった。

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