声が聞きたい
5
テレビを観ていても気が滅入るだけだったので、先ほど三人が見舞いに来た際に教えてもらった携帯電話の番号に掛けてみることにした。
不幸中の幸いにも頭を殴られたからといって身体の機能に不具合が生じていることもなく、公衆電話まで歩いて移動するには何の問題も無かった。
「問題なのは誰に掛けるかだな……」
颯はまず論外として、夏音か信吾か。
「夏音だな」
一番親切にしてもらったし、印象としても信吾より話し易そうだ。
新の私物らしき鞄の中に入っていた財布から硬貨を数枚取り出して緑色の箱に投下し、十一桁の数列を丁寧に入力していく。
三回程のコール音の後、受話器の向こうから早くも聞き慣れた声が。
『はははははい! こちら友利夏音です!』
番号を掛け間違えたかもしれない。こうならないよう何度も確認しながらボタンを押したはずなのだが。
『ちゃんと友利夏音って言ったじゃん。ちょっと驚いちゃっただけだよ』
「驚きすぎだろ」
『……だって新の方から電話が掛かってくるなんて今まで滅多に無かったから』
記憶を失くす前の自分は普段電話ではなくメールで連絡を取るタイプだったのだろうか。確かにその方が一般的なのかもしれない。鞄の中に携帯電話もあったはずだ。
病院内でメールは大丈夫だっただろうか、後で確認しないとなどと今後の予定を立てる新。
「ていうかこれ公衆電話だぞ。何でオレだって分かったんだ?」
『逆に今時公衆電話から掛けてくる人なんて居ないよ。考えられるのは病院に居る新くらいだから』
「そんなもんか」
『そんなもんだよ。……それに丁度新のこと考えてたところだったし』
何故か最後の方は小声だった。
「オレのことって、どうして?」
『な、何でもないよ!? 怪我したところとか記憶のこととかが心配だっただけだから!』
過剰な反応に頭上の疑問符が増えていく新。
『……で、どうしたの? 何かあった?』
「いや何かっていうほど別に何かあったわけじゃなくて、ちょっと声を聞きたくなって」
『声?』
一瞬きょとんとしたような間の抜けた声が返ってきたが、
『そっか、声……私の声を……ふふ』
と、今度は何やら嬉しそうな笑い声が。
別に声は信吾でも良かったのだが、わざわざ言うようなことでもないと思い新は適当に話題を振ることにした。
「オレって記憶を失くす前はどんな奴だった?」
『えっ、記憶を失くす前の新? うーん……』
少し考え込むようにしてから返ってきた答えは、
『フリーター?』
「ありがとう、とても参考になったよ。じゃあな」
『待って待って冗談だから!』
「何だよお前も颯みたいにからかうつもりなのか?」
『だからごめんって。許して? ね?』
「別に怒ってないからいいけど」
『でも記憶を失くす前の新かあ。良い人だったよ』
強引に話題を戻す夏音。
「何だか死んだ奴みたいな言い方だな」
しかし、記憶喪失も言い方によっては死んでいるのとほぼ同義なのかもしれない。
奇しくも先の幽霊説と繋がった。
「でも良い人って言われてもピンと来ないな」
『そうだよね。私もそう思う』
「お前が言い出したんだけどな」
『うーん……んー……』
唸るような声がひたすら受話器から漏れ続ける。
「出てこないなら無理しなくてもいいぞ。別にそれが聞きたくて電話したわけじゃないし」
『ちょっと待って。ここまで出てきてるの……』
ここまでってどこだよ。電話じゃ分からねえよ。
心の中でツッコミを入れる新。
「どう? 出てきそうか?」
『黙ってて。出てこなくなる』
どうして新が怒られたのだろうか。
そもそも考えて出てくる人柄とは。
『あっ』
「お」
どうやら出てきたらしい。良かった。
その答えは、
『新はね、行動力があって優しい人だよ』
「行動力があって優しい……」
それが『赤瀬新』の人柄。
『そうそう。一度「これ」と決めたら最後までやり遂げようとする努力を怠らないし、何よりもまず仲間や周りの人達のことを考えて行動するの。私も信吾も颯もそんな新の人となりに惹かれて、こうして集まったんだよ』
黙ってその言葉を聞く新。
夏音は続けた。
『あの通り魔事件の時だって自ら犯人をひと気の無いところに誘導して周りに居た人達を護ろうとしたり、助けを呼ぶ時に私に頼ってこなかったのもきっと力関係的に不利だって分かっていたから敢えて呼ばなかったんだと思う』
「……ふーん」
とんでもないクズだとばかり思っていたが、存外良いところもあるようだ。
今の自分ならどうだろうかと、夏音から聞いた赤瀬新像と重ねながら考える。
『何かを頑張る新はとてもキラキラしていて、輝いていたなあ。格好良かったよ』
「そ、そうか」
『自分』ではない自分を褒められるというのは少し不思議な感覚だった。
『……とまあ冗談はここまでにして』
「え、どこからどこまでが冗談?」
『あはは、冗談』
「だからどれが冗談……」
「冗談」の二文字が頭の中でゲシュタルト崩壊してきた。
「とは言えいい気分転換になったよ。ありがとな、夏音」
『いえいえ』
「じゃあそろそろ――」
切るぞ。と新が言いかけたところ『あっ……』と受話器の向こうから何か物足りなさそうな声が漏れた。
「どうした? まだ何かあったか?」
『あ、いや。何でもないよ、じゃあね』
何だか消化不良な感じが拭えないが、本人が何でもないと言っているのだから何でもないのだろう。
先ほどの赤瀬新像から考えれば「今の反応から何でもないっていうのは無いだろ。何だ、言ってみろ」とか言う方が『赤瀬新』っぽいか、なんて一瞬思った新だったが、それはただうざいだけだろうとすぐに考えを改めた。
その代わりに、
「ありがとな」
もう一度だけ礼を述べた。
『え?』
「ほら、さっきオレの怪我や記憶のこと心配してくれてたから」
『……うん。こちらこそ、電話してくれてありがとう』
またもや小声で返ってきた言葉。
新は何故か自分の胸が少しだけ暖かくなったような気がした。
「じゃあな」
それを最後に、新は受話器を戻す。
「行動力があって優しい……か」
何だろう、あまりピンとこないな。
などと呟きながら、新は自分の病室へと戻った。
6
「病院食は美味しくない」なんてことを昼間観たドラマで言っていたが、実際に食べてみたら全くそんなこともなく、これで栄養バランスもしっかり管理されているのだから素直に凄いと現代医療を支える一コマに感心する新だった。
食器を乗せたトレーを返却するついで、廊下ですれ違った看護師に携帯電話の使用について質問した。精密機器の無い待合室や病室でのメールなら大丈夫とのことだったので、新は夏音に改めてお礼のメールを送った。
アドレス帳の中には実家の番号もある。夏音達から新は普段一人暮らしだと聞いていた。
「通り魔の件は夏音から親に話してあるって言っていたけど、やっぱりオレからも連絡したほうがいいよな……時間もあるし」
そこまで考え、しかし新は指を動かし一度開いた文書作成画面を閉じた。
夏音達こそ新にとても良くしてくれているが、両親にとって今の赤瀬新は果たして本当に息子だと言えるだろうか。記憶を失くした今の新では、連絡を取ったところでかえって悲しませるだけなのではないのだろうか。
第一、連絡するにしろ何て言えばいい。「貴方がたの息子は記憶を失くしてしまって今や他人同然です」とでも言うのか。
「全く、とんだ銭腹だよ」
使ってから改めて意味の不明さに笑えてくる。
「……寝るか」
ベッドに潜ろうとすぐ脇にある机に携帯電話を乗せようとしたところで、途端にそれが小刻みに震え出す。
画面に映し出されたのは夏音からの返信メールを受信した旨の通知。
そこには一言だけ、
『こちらこそありがとうございますた』
ますた。
「あいつはパニックでも起こしているのか?」
それとも『赤瀬新』はメールすらろくに送らないような奴だったのだろうか。
いよいよあの三人と共に過ごした赤瀬新像というものが分からなくなってきた新だった。
7
明くる日の午前中には頭の包帯も取れ、午後には退院出来ると主治医に言われた新。安心すると同時にこれからの生活への不安もよぎる。
単純に生活に慣れるだけではなく、これから自分が『赤瀬新』に成らなければいけないのだ。あの三人だけでなく、もっとたくさんの人達に『赤瀬新』を求められるようになる。いつかは両親にも会わなければいけなくなるだろう。
「憂鬱だ……」
「元気出せよ新。何も悪いことばかりじゃねえ。今はまだ言えないが、これからもっと楽しいことがあるぜ」
荷物片手に病院を出ながら、左隣を歩く信吾が励ます。
「楽しいこと?」
今はまだ言えないとはどういうことだろう。
「そうですよ。まだ言えませんけどね」
大きい図体の向こう側から頭だけをこちらへ向ける颯。
「そうだよ。まだ言えないけどね」
今度は右隣から夏音の声が。
「まだ言えないってどういうことだよ」
「それは秘密。だって言えないんだもん」
「何だよ含んだ様な言い方して。そんなに言えない言えない言われたら余計気になるだろ」
何だろう。ベタに考えれば退院祝いでサプライズなどだろうか。
だとしてもこの徹底のしなさはどういうことだ。サプライズのような普通本人に言えないことはそれこそ言わないものだろう。まして色々勘繰らせてつまらなくなるのはそちらも同じだろうに。
もしや勘繰らせるのが狙いなのか。
うんうんと一人で頭を悩ませる。
その両隣で「そういえば退院祝い何も用意してないね」「別にいいんじゃねえか?」「そうですよ。銭腹はかえられません」なんて会話が繰り広げられていることにも気づかずに。
「そういや夏音、あのことは言ったのか?」
「あ、まだかも」
ぱたぱたと夏音に腕を叩かれてようやく現実世界に戻ってくる新。
「え、何?」
「明日何か予定ある?」
「予定? ……無いんじゃないかフリーターだし。バイトのシフトとかが入っているなら別だが」
そこまで言ってバイト先の人間関係も『赤瀬新』として続けていかなければいけない現実とぶつかり再び憂鬱になる。
記憶のことは言うべきだろうか。もしかしたらまた夏音が気を利かせて――
「バイトなら入院のこと伝えた時にクビになったよ」
「何だと」
これは喜ぶべきことなのか落ち込むべきことなのか。
ともかく明日自分に予定が無いことがはっきりした。
何なら明後日もその次の日だって暇である。
「そんな訳で暇だ」
「よし、それじゃあ明日朝七時に集合ね。家の前まで迎えに行くから」
と、そっと耳打ちされる。
「別にいいけど……」
しかし朝七時とは。
「そんな早くに集まって何をするんだ?」
「取り戻しに行くの」
「取り戻しにって……何を?」
何やら物騒な響きだ。取り戻す――ということは何かを失ったということだろうか。
失ったものと言えば。
新がその答えに辿り着くよりも早く、夏音は小走りで数歩先を行き新の行く手を遮るような場所で立ち止まり、振り返り様に言い放った。
びし、と人差し指を突き付けてだ。
「『赤瀬新』を――」
その記憶の数々を、
「――取り戻しに行くんだよ!」
それが本当に可能なことなら、たった昨日今日のことではあるが、今のように『赤瀬新』に振り回されることも無くなるだろう。
新の悩みの種が一つ無くなる訳だ。
しかしそれが本当に可能なら、今この場に居る「『赤瀬新』ではない誰か」はどこへ行くのか。
新の悩みの種が、一つ増えた。