赤瀬新
1
『人は他人と仲良くなれるか』と問われたとする。これに対する最も正しい解とは何であろうか。
これは回答者がよっぽどのひねくれ者、または社会不適合者でもなければまず「はい」と答えるだろう。どんなに仲の良い親友、恋人、果てには夫婦だって最初は名も知らぬ『他人』だからだ。
だが、あるケースではそれが困難な場合がある。
それは『片方からしたら知人』だった場合だ。
人は人種、性格、年齢、性別程度のズレなら物ともせずに仲良くすることが出来るが、『時間のズレ』だけはどうしてもそういう訳にはいかない。埋められるものが存在しないからである。人は人との間に溝を感じた時、心のどこかに突っ掛かりのようなものを感じて自然と他人行儀になる。
時間のズレを埋めることができるのは、やはり時間でしかなく。
そう考えると『友情』なんてものは巷で謳われるほど尊いものでも綺麗なものでもないのかもしれない。
2
赤瀬新が目覚めると、そこには知らない顔が三つほどあった。
「おい、目を覚ましたぞ!!」
「本当ですか!?」
「これで……これでまた全員集合だね……!」
ずきずきと激しい痛みで考えがまとまらないままの頭を片手で押さえながら、新はゆっくりと上体を起こす。
どうやらここは病院の一室で、その頭には包帯が巻かれているらしい。
「あ、無理しないで。まだ完治ってわけじゃないから」
三人の内の一人、ロングヘアの女性によって優しくベッドに寝かせられる。
「……貴方達は?」
とりあえず危害を加えるような人達ではないと判断し、新は三人に話しかけた。
「ああ……」
女性は優しい笑みから一変、何かを察したかのような苦しそうな顔をして俯き、口をつぐむ。
「お前、記憶……無いのか?」
一番図体の大きな男が代わりに新に問いかけた。
「記憶……?」
そう口にして新は気付く。
目の前に居るこの三人のことだけでなく、どのような経緯で自分が今こうして包帯を巻かれ眠っていたのか。そもそも自分は一体どこの誰なのか。
赤瀬新は『赤瀬新』を知らなかった。
場に沈黙が流れる。
「と、とりあえず自己紹介をしましょう」
眼鏡の男がそう提案した。
「そうだね。せっかく目覚めたのに皆して俯いていても仕方ないよ。死んじゃったわけじゃあるまいし」
女性が引きつった笑みでそう返す。
「ほら、じゃあまずは信吾から」
信吾と呼ばれた一番図体の大きな男が新の近くに歩み出る。
「本多信吾だ。こんなこと言うのも何か変な感じがするが……よろしくな」
「よ、よろしく」
新は言葉を返しながらとりあえず差し出された手を握った。普段は力仕事をしているのか、割と硬く頼もしい掌だった。屈強そうな印象から、とりあえず怒らせてはいけない人だと新は直感する。
「じゃあ次は颯」
信吾に言われ、眼鏡の男と位置を入れ替わる。
「僕は五十川颯といいます。お金のことに関してなら僕に相談を。この病院も僕の父の物ですし」
「は、はあ……」
「ちょっと颯、いきなりお金の話なんてされて困ってるでしょ。――あ、私は友利夏音。よろしくね!」
未だに固い笑みのまま夏音は手を差し伸べる。
握ってみると、緊張こそ伝わってくるが柔らかくどこか安心するそれであり、信吾の時とは違う頼もしさがあった。
「よろしく」
その声を聞き、夏音もどこか安心したようで「うん!」とその笑みも握った手からも緊張の色が無くなっていた。
「じゃあ何か聞きたいことある? 何でも答えるよ!」
手を離しながら夏音は新に問いかける。
「うーん、じゃあまずは」
「何かな?」
「オレの名前を教えて」
「あ」
3
夏音達に教えてもらったことを頭の中でまとめてみる。
二十四歳の赤瀬新はある日通り魔に遭遇し、凶器である棒状の何か(恐らく工具のような物)で頭を強く殴られ、そのショックで記憶を失くしてしまったらしい。
直前に信吾と颯に助けを呼んでいたらしいのだが一足遅く、二人や彼等が連れてきた警察達が現場に到着した頃には全て終わった後。犯人は現在も逃亡中。
「病院に居る間は大丈夫だと思うけど、退院してからもしばらくは必ず誰かと一緒に行動するようにして。人通りの少ないところに一人なんてもってのほか。いい?」
夏音が人差し指を立てて忠告する。
「ああ、分かった。ところで……」
新は先ほどから気になっていたことを口にした。
「オレ達は何友達なの?」
「何友達って?」
「ほら、何がきっかけで集まったメンバーなのかなって。歳から言って仕事仲間とか? オレって普段何してるの?」
「何って……」
夏音は言い淀みながら信吾、颯と順番に目を合わせ、
「フリーター?」
「無職」
「親の脛かじり」
と口々に答えた。
咄嗟に言葉が出てこなくなる新。
あれ、赤瀬新ってどうしようもないクズなのか? と自らに疑問を持つ。
「じゃ、じゃあここの入院費とか治療費とかもオレじゃなく、オレの両親の財布から出てるのか? テレビや冷蔵庫が備え付きの個室なんて高そうな部屋――」
「それはご心配なく」
遮るように答えたのは颯。
「先ほども言った通り、この病院の院長は僕の父です。その辺は少しばかり融通を利かせてもらっているんですよ」
「そうなんだ。何だか悪い――」
そこまで言いかけて、ふと新は気になった。
「……なあ、付かぬことを訊くようだけど」
「何ですか?」
「ご職業は?」
「一生遊んで暮らせるほどの財産を持っているのに何故汗水流して働くようなことをしなければいけないのですか?」
果たして今の自分に彼に対して礼を言う義務があるのだろうかと新たな疑問にぶつかる新だった。
「冗談ですよ」
そんな新の視線に気付いたからか、すぐさま補足する颯。
「じゃあ仕事は」
「無職です」
「そこは冗談じゃないんだ……」
だが彼が居なければ治療一つ満足に受けられず大変な有様になっていたかもしれないことは確かであり、話によれば記憶を失う前の赤瀬新が助けとして頼りの綱としていたのも彼。つまり目の前で笑みを浮かべる青年は赤瀬新が以前信頼を置いていた人物ということである。ここは友達(らしい)のよしみとしても、礼を言っておくべきだろう。
「ありがとう。オレの為にここまでしてもらって、悪いな」
「いえいえ、他でも無い新君のピンチでしたから。銭腹はかえられません」
「え、ぜ……ぜに?」
「あー気にすんな。こいつ金が好きすぎるあまり『背に腹はかえられない』って言葉の『背に』を『銭』と間違えたことがあって、それ以来何故かそれが気に入ってしまったみたいでよく言うんだよ。『銭腹はかえられない』って」
信吾が横から詳しく説明してくれた。
「へ、へー。ちなみに意味とかあるのか? 『銭腹はかえられない』に」
「『お金の為なら多少の犠牲は仕方ない』という意味です」
「じゃあここで使うの間違ってるじゃん!」
「え」
「え、なんでそんな意外そうな顔するの? 犠牲? オレお金の為に犠牲になるの!?」
「冗談ですよ」
再び爽やかな笑みを浮かべる颯。
「颯の冗談はいまいち笑えないよ……」
「これこそまさしく『銭腹』です」
「略しちゃったよ。もう全然原型留めてないよ! そんでもって金と犠牲どこ行った? ていうか『銭腹』ってどこの誰だよ!」
「新君の頭を殴って逃げた人ですかね」
「銭腹ぁ!!」
「冗談ですよ」
「だから笑えねえよ!!」
颯は楽しそうにくすくす笑っていたが、新はそれこそ冗談じゃないとばかりに息を切らして肩を上下させる。
何がそんなにツボにはまったのか夏音は終始笑い悶え、一時まともに言葉も発せないほどだった。これはまさか面会に来た人物にナースコールが必要かと危惧されたが、すぐに回復して変なところで安堵することになる新。
「ああ、おっかしい……」
目尻に涙まで浮かべている夏音。どうやら笑い上戸らしい。
「オレとしては一切笑えなかった訳だが、何がそんなに面白かったんだ?」
「私も何でかよく分かんないんだけど、とにかくおかしくって」
「なあ信吾、こいつらはいつもこうなのか?」
新は現状一番まともそうな信吾に訊いた。
「まあ、そうだな。お前も含めて」
「……そうか」
何だかもやもやした気分になる新だった。
「全く銭腹だよ」
「それを言うなら『業腹』ですよ新君」
「お前に訂正されるとは思わなかったよ」
4
面会時間が終わり、新の病室にひとまずの静けさが訪れた。
とりあえず退屈しのぎに点けたテレビ(入院費とは別料金なのだが、遠慮なく颯もとい颯父に甘えることにした)で流れていたドラマの再放送。病院のベッドで横になっていた登場人物の女性が「きっとこの花の花びらが全て散る頃に私の命は終わるんだわ」なんて言っていた。
ふと実際に窓の外に目をやった新だったが、どうやらタイミングが良かったのか悪かったのか、その時期は夏も真っ盛りで、緑の葉がびっしりと生い茂っていた。
「オレは当分死ぬことは無いな」
新はリモコンを適当に操作してチャンネルを回す。
「……友情って何なんだろうな」
唐突に口をついて出てきたそんな疑問。
孤独な病室でその問いに答えてくれる人など無く、発する言葉もテレビの音に掻き消される。
――人が死を恐れるのは死ぬことを『知らない』から。死の先にあるものを、又は無いものを知らないから。人が怖いのは『死』ではなく『未知』であり、『無知』は『罪』であると同時にその人の生き様自体が『罰』なのである。
なんてのは全部先まで観ていたドラマの受け売りなのだが。
しかし、その理屈を自分に当てはめればなるほどと頷ける。
自分以外は皆自分のことを知っているのに、自分だけが何も知らない。
赤瀬新だけが『赤瀬新』を知らない。
周りが当たり前のように知っていることを知らないというのは、ぞっとする。
ぞっとしないし、ぞっとする。
自分のことを知らないのに相手なんて知っている訳も無く。
「結局、他人なんだよなあ」
赤瀬新は『赤瀬新』と他人同士であるのと同様に、友利夏音達とも他人ということになる。
それなのにわざわざ無駄に金を使ってまで、こんなことをする必要があるのだろうか。
今自分がとんだ恩知らずになっているのも分かっているが、それ以上にあの三人の考えていることが分からない。
「友情って何だろう」
再び浮かんだそんな疑問も、液晶画面と一体になったスピーカーから発せられる「幽霊は居た!? 世界のUMA特集!!」の一言で途端に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
興醒めもいいところだ。
「完全に変える番組を間違えたな」
再びリモコンを使ってチャンネルを変えようとした新だったが「幽霊って未確認生物なのか……?」と自ら発せられる問いによってその行動は阻止された。
その番組で取り上げられていた特集は「国内某湖で河童が発見された」「アメリカの大統領は私達の知らない間に偽物にすり替えられている」「都内某所の駐車場にUFOが停められていた」「イタコによって現代に蘇る武将」など、いまいちホラーにしたいのかファンタジーにしたいのかよく分からないようなラインナップだった。
「眉唾なんてレベルじゃないな」
少なくともギャグであるのは確かだが。
「でも、幽霊……か」
興味が無いと言ったら嘘になるが、それは別に信じているからとか実際に見たことがあるからなどではない。
そもそも彼は先ほど目覚めたばかりであり、幽霊はおろか生きた人間でさえまともに信じられるような状態では無い。見たことがあるなんてもってのほかだ。
でもこれは先ほどの「友情とは何か」という問いにも繋がる話だった。
例えば、今テレビに映っているイタコ。
霊の口寄せを行ってその身に死者の魂を宿し、生者と死者が意志疎通を図れるようにするといったものである。
もし、例の通り魔事件で赤瀬新は命を失っていて、『誰でも無い』他人の身体に『赤瀬新』の魂を口寄せしていたとしたら。
記憶が無いのはまだ定着してないに過ぎず、時間の経過と共に少しずつこの身体が『赤瀬新』として機能していくのだとしたら。
「……無いな」
それこそ馬鹿馬鹿しい。
そもそも霊の口寄せというのは人が死んだ『後がある』という前提がある。
ついさっき「人は死の先にあるもの、又は無いものを知らないから怖い」って話をしたばかりじゃないか。
でっちあげが過ぎる。
「そもそも死んだ後にああやって生きている人と話せるなら、生きている意味が薄れるっての」
病院なんて商売上がったりだ。
颯辺りが嘆きそうな話である。
「チャンネル変えるか」
次に画面に映し出された番組のテロップには『激論! 年々増加する若者自殺の闇に迫る!』と大きく記されていた。
思わず言葉を見失う。
――生きている意味なんて、もうとっくに薄れているのかもしれない。
そんな声がどこかから聞こえた気がした。