元禄赤穂事件 序・2 「遺恨あり」
これは勅使御馳走役。一般には勅使饗応役に任命された播磨赤穂の藩主、浅野長矩が、高家肝煎の吉良義央とのトラブルから即日土間切腹。赤穂家取り潰し処分となった、
「元禄赤穂事件(以降、赤穂事件)」の第一声として扱われている。
実は、「かかる遺恨」発言は昨今ブームの吉良名君論がデマカセや空論に陥る可能性があるほど重要な発言なのだ。
序論からいきなり横道にそれるが忠臣蔵、こと「赤穂事件」はその重要性の割に知名度が高い。
大名が旗本とモメて取り潰され、後日その旗本も同罪同処分になった。色々な方面で不満は燻ってはいるけど、公平な結末を迎えた。
冷静に観察すればそれだけの平凡な事件なのだ。
後世の直接の影響としては、倒幕の火種である「宝暦治水事件」。
外交的な事件としては「フェートン号・モリソン号の両事件」と「大黒屋光太夫の遭難とサバイバル、そして異国生活と帰国問題」。
思想的には「尊号一件」などの方がよほど重要な事件なのだ。
反忠臣蔵。媚吉良の著作で儲けを企む井沢は、随分と過大評価をしているが、思想面では赤穂事件は「尊号一件」と比べ台風の前の赤ちゃんが振る団扇くらいの風力でしかないのだ。
「徳川を潰さないと殺される」と島津、薩摩藩が自衛の必要性と憤怒の大海に揺れた「宝暦治水事件」。
「そもそも征夷大将軍ってナニ?」と幕府の根本が問われた「尊号事件|(一般には尊号一件として扱われている)」。
国防を問われた「フェートン号事件」、国家と国交の土台を問われた「モリソン号事件」、その後に頻発する寄港権から芋づる式に開国に繋がる外国船の接近に比べてば、騒がれたからなんとなく覚えているイベントに過ぎない。
この点は、大文豪近松門左衛門と超人的な人気劇作家の竹田出雲などの筆力企画力が事件性を事実よりも話題性を凌駕する皮肉な側面も無視できない。つまり、一流のプロデューサが中規模のありふれた事件を世紀のイベントに昇華してしまったのだと言える。
つまり、元々はいわば『日本史のジョンベネ事件』、あるいは、江戸時代のみっちーサッチー事件。
どっちも現在では化石化していて、記憶に留める人が少数派だろう。つまり時事ネタだ。
だが、クチコミと芝居が情報伝達と娯楽の主流だった時代に、「赤穂事件」は忠臣蔵として幅広く熱く支持された事実も、また認めなければならない。
これから私は『元禄のジョンベネ事件』、赤穂浅野と三河幡豆の僻地領主吉良の事件の、アレについて語ってしまうのである。大胆にも。
事前の問題は諸説あるのだが、一般には今回の主題である、
「かかる遺恨~」の言葉。
これが、合計で百人近い死傷者・失業者を生産する悲劇ドラマの幕開けとなっていることになる。それだけは間違いない。
この「遺恨」が、赤穂事件研究の基礎・第一歩となり、
・遺恨はなんだのだろうか? イジメか? 浅野の義憤か?
・浅野と吉良のペアは十九年前にも勅使御馳走役で組んでいるから、「イジメ」などなかった。だから、浅野は統合失調症の云々……。
・いやいや吉良はあちこちに憎まれていたから……。
・あれだけ自分から「やるぞ」の意味で叫んで人を殺害できない浅野は、云々……。
ところで、
時代劇や、物知り顔でナンチャッテ歴史考察をウソぶく|(特に民放)テレビ番組でも、この「かかる遺恨~」はキーワードになっている。
だが。
だが、よくよく資料を読むと、この「かかる遺恨」。
聞いた人がたった一人。
浅野長矩を羽交い締めした梶川頼照その人なのだ。
この人物は「梶川日記」を著述。それが「赤穂事件」の一級資料として現在尚、扱われている。
だが、不思議と梶川だけが、この「遺恨」を聞いている。不思議だし不自然ではないだろうか。
そのナゾは後日にして、「かかる遺恨」の問題点を提示しよう。
これまでの「赤穂事件」の研究では、浅野が明確に遺恨を抱く原因の決定、定説がないため、イジメ説が横行していた。もちろん、イジメ説それ自体が悪いわけでも、説を否定したいわけでもない。
だが、自分自身死に追い込み、赤穂藩を取り潰してしまう遺恨とは、なんだったのか。
推測ではない、資料がある遺恨はないだろうか?
これまでのイジメ説は全て「赤穂事件」が完結。
最低でも討ち入りが実行されてから、つまり吉良=悪人が確定してからの記述、「勝ち馬」に乗った資料でなければ正直前面的に信用できないのだ。
資料が。大石が討ち入る前から書かれている資料はないのだろうか。
「あった」。なんと遺恨があったのだ。それも、誰でもわかるほどありふれた資料の中から。
どんな遺恨が?