殺しても死なないような人には帰ってもらうのが一番です
「……うぅ……あぅ……」
リリゼットが意識を取り戻し、最初に感じたものはひどく痛む顔面の感覚だった。
(あたた……何であたしの顔がこんなに痛いわけぇ?)
うろんな頭で考える。
(……あ、そっか。双山刀に殴られたんだった)
最後の記憶はマイディの拳だった。
とりあえず、目を開けてみる。
薄々感じていたことではあったのだが、自分が地面に倒されているということを知る。
ついでに全身を厳重に縛り上げられており、身動き一つできない状態になっていた。
「ねぇ、ちょっとスカリー。これはあんまりなんじゃない?」
すぐ近くで一人、干し肉をかじっていたスカリーに声をかける。
面倒くさそうにスカリーはリリゼットの方を見た。
「んだよ、気がついたのか。……マイディにぶん殴られて喋れるってことに驚くな」
「あたしは特別なのよ」
「その特別様は今現在、縛られて地面に転がっている訳なんだが、どう思う?」
「そうねえ、どうせ寝かせるんだったらちゃんと羽毛のほうがいいわね。高級とまでは行かなくとも、レディはベッドまで運ぶのが男の甲斐性ってヤツなんじゃないかしら?」
「おめえをベッドに運ぶぐらいなら赤竜の巣でラインダンスを踊ったほうがマシだな」
「ひどいわねえ。人をまるで化け物みたいに」
「みたい、じゃなくて正真正銘の化け物だろ。なんでマイディに殴られて人間が生きてられるんだよ。普通頭が砕けるだろ」
「そこは……ほら、普段の行いよ」
「へいへい……で、起きたのなら俺がやりたいことも分かるな?」
ホルスターから拳銃を抜いてスカリーはリリゼットに銃口を向ける。
「何かしら。愛の告白? ご愁傷様だけど、あたしはもっとお金持ちじゃないと受け付けないわ」
「んなわけねえだろ。訊きたいのはおめえに依頼したヤツだ。一体誰だ? そして、何のためにハンリを狙う?」
「言えないわね。契約した以上は守秘義務があるもの」
縛り上げられ身動きも満足にできない状態で、その上に銃口を向けられてもリリゼットは答えなかった。
それどころか、うっすらと笑みを浮かべている。
十数秒、両者は見つめ合っていたが、そのうちにスカリーは拳銃をホルスターに戻す。
「ありがとうよ、リリゼット。おかげでちっとは絞り込める」
「何のことかしら? あたしはただ、掃除屋としての義務を果たしただけよ」
「そうかい。俺も知った風なことをぬかしているだけだ」
スカリーはリリゼットに背を向ける。
その視線は、武器の回収から戻ってきたマイディと、ついて行っていたハンリを捉えていた。
「あら、その情けない黒服女、気がついたみたいですね。ではさっそくバスコルディア教会式尋問術をご披露しましょう」
笑顔のままで、リリゼットが起きたことに気がついたマイディはそんなことを言う。
「おめえはどうしてそう血の気が多いんだよ。聞きたいことは聞いたからあとは解放してかまわねえ」
「な⁉ なぜですか、スカリー! わたくしがあんなに苦労したのに解放するだなんて!」
マイディはスカリーに詰め寄る。
「納得のいく説明をしてください。そうでなければ、わたくしがこの女の首を縛り上げます」
回収した山刀を持ったままなので、その気になればマイディはスカリーの首をはねることもできる。
だが、スカリーは特に動じた様子もなかった。
「リリゼットのヤツは依頼人について『言えない』ってぬかしたんだ。それは依頼人が相当に権力を持つ存在だってことだよ」
興奮しているマイディをなだめながらスカリーはナイフを取り出す。
「そんなことがなぜ言えるのですか? ただ単に契約を守っているだけなのかもしれませんよ?」
「自分の命と契約、どっちが大事かぐらいは分かるだろ? それでも契約を守らないといけねえってことは、契約違反をしたときの報復がリリゼットだけに限らねえってことだ」
リリゼットが店を構えてるっていうマイセンタの街に何かしらの不利益があるのかもしれねえな、と言い訳のように呟きながらスカリーはリリゼットを縛る縄の一カ所を切る。
「おら、縄は切ったからあとは自分で抜け出せるだろ。俺たちはもう出発するが、ついてくるんじゃねえぞ」
「しょうがないわねえ。ま、失敗しちゃったからにはあたしは引き下がるわ。顔がめちゃくちゃ痛いしねえ。あたしの美貌がこれ以上崩れちゃっても困るし」
「……女の賞金稼ぎっていうのはどいつもこいつもこうなのかねえ」
一向に調子の変わらないリリゼットに対して、ある意味でスカリーは感心する。
一方、マイディはわかりやすくふてくされていた。
「……この黒服女が再び襲ってこないという保証はありません。いまこの場で殺しておくのが良いのではありませんか? いえ、むしろそうするしかありません。わたくしは合理的なのです」
据わった目つきでリリゼットを見ながら山刀を構える。
そんなマイディの頭をスカリーは軽く小突く。
「腹が立つのは分かるが、一度失敗した依頼は二度と受けない、っていうリリゼットの流儀は知ってるだろうが。コイツがそれを曲げてまで襲ってくる心配はねえよ。なにせ、違反したら死ぬんだからな」
あまりに突飛なスカリーの発言にマイディも、そしてハンリも顔の上に疑問符を浮かべる。
「なんで死んじゃうの?」
「東大陸の魔法やら技術っていうのは制約が必要なんだ。それをコイツは『失敗した仕事は二度と受けないし、受けたら死ぬ』っていうものにしてる。そういうわけだよ」
不思議そうに尋ねるハンリにスカリーはあっさりと答える。
ハンリはなにやら納得した様子で「東大陸って……怖い」と呟いていた。
マイディのほうはしばらく逡巡していたのだが、やがて、ため息を一つ吐くと山刀をしまった。
「……分かりました。この黒服女がいなくなってしまったら崩れるバランスもあるでしょうから、今回はわたくしが大人な対応をしましょう」
渋々といった様子でそのまま馬車の荷台に乗り込む。
「さあ、スカリー。とっとと行きましょう。これ以上はその女の顔を見ていたくありません」
それだけ言うとマイディは荷台に引っ込む。
「んじゃ、行くか」
「うん」
ハンリは荷台に、スカリーは御者台に上ると、馬車はゆっくりと広場から出ていった。
もぞもぞと動いていたリリゼットはスカリー達が見えなくなったことを確認してから縄を引きちぎる。
立ち上がって、近くに放り出されていた愛用の細剣を拾い上げる。
「あー、もう。まさか負けちゃうなんてねぇ。ヒヨッコ二人だと思って油断しちゃったかな」
ジャケットの裏地に縫い込んでいた帰還の札を起動して、リリゼットは自らが拠点にしているマイセンタに飛んだ。
廃墟の町は、ただ戦いの跡だけが残った。
「ねえ、スカリー。なんでマイディとリリゼット……さん、があの壁の向こうに居るって分かったの?」
放棄領域の町を出てからしばらく馬車を進めたところでハンリがスカリーに尋ねた。
リリゼットがマイディを追っていった後、スカリーは別のアーチをくぐってそのままあの壁の向こうでマイディ達がやってくるのを待っていたのだった。
「何だ、気になるのか? ハンリ」
「うん、気になる。だって、あの時スカリーがいなかったらマイディは負けてたのかもしれないんでしょ?」
「そうだな。マイディ一人じゃあリリゼットには勝てなかっただろうな」
頷きながらハンリは肯定する。
「簡単だ。あの町は俺が十の頃まで育った町なんだよ。放棄領域に指定されてからは誰も入っていねえから造りも変わってねえ。なら、どこをどう進んだらどこに出るのかぐらいは分かる」
あっさりとスカリーは白状する。
「スカリーは放棄領域の出身だったのですか⁉」
荷台からマイディが顔をだす。
「おう、そうだよ。そういやおめえには言ってなかったな」
振り向きもせずにスカリーはマイディの言葉を流す。
「今更ですが、わたくしに対するスカリーの扱いは雑ではありませんか?」
「かもな。おめえのことだし、いいだろ」
「よくありませんので、今ここでじっくりと話し合う必要があります」
「頭の上に山刀振りかざしてやるのは話し合いって言わねえぜ?」
「わたくしは話し合いと言います」
「もう! 二人とも暴力的なのはダメ!」
いつもの調子でじゃれる二人にハンリが割って入る。
「二人が喧嘩しちゃうのは、嫌だよ……」
悲しげな顔をするハンリを見て、スカリーとマイディは顔を見合わせる。
「ハンリちゃん、これは別に喧嘩しているわけではありません。わたくしとスカリーのいつものやりとりなのです。いわば、世間話に毛が生えたような物ですね」
「世間話の延長で命の取り合いする奴はいねえよ。だがハンリ、俺とマイディの会話についてあんまり考えるのはやめとけ。意味なんてねえよ」
それぞれの言い分でマイディとスカリーはお互いをかばう。
「喧嘩……じゃないの?」
疑わしそうな目でハンリはマイディに問う。
「もちろんです。神に誓ってもいいですよ」
胸を張ってマイディが宣言する。
「なら……安心」
神の名を出されたことでハンリはマイディの言葉を信じることにする。
そんな二人にスカリーは意味ありげな視線を送っていた。
「なんですか、スカリー。その目は?」
「いや、おめえがドンキーにぶっ飛ばされて矯正されている頃にそっくりだと思ってよ」
「ああ……懐かしいですね。わたくしの若かりし頃……」
「一年経ってねえだろ。時間感覚がおかしいのか、頭がおかしいのか、どっちだよ」
「スカリーがおかしいのですよ、きっと」
言葉での殴り合いを続けながら、馬車は荒野を進んでいった。
三日ほどは特にトラブルもなくスカリー達は進むことができた。
そのうちに、荒野から草原へと景色は変わっていく。
「あら。そろそろ放棄領域を抜けますか? もしかして」
「ああ、よくわかったな。もうすぐ街道に入るぜ。そしたらすぐに街があるからそこで補給だな」
「今度も温泉はありますか?」
「ねえよ。マイディ、おめえはどんだけ温泉が好きなんだよ」
「三つ首鳥の丸焼きぐらいです」
「わかんねえよ」
御者台に座っているスカリーとマイディは適当な会話を繰り広げる。
「ないの?」
荷台からハンリが顔を出してスカリーに残念そうな顔を向ける。
やや呆れた目線をハンリに向けて、スカリーは嘆息する。
「言っておくけどな、今度の街では泊まらねえからな。やることやったらそのまま出発だ」
「スカリー、どういうことですか? わたくしやハンリちゃんが垢にまみれてしまっている状態がどんなに世の中にとっての損失であるのか、ということを分からせられたいのですか?」
すかさずマイディが噛みつく。
「うっせえ。俺たちの目的は何だ? ハンリをオルビーデアまで送り届けることだろうが。おめえの旅行じゃねえんだ」
「第一目標はハンリちゃんの護衛ですが、第二目標はわたくしが楽しむことです」
「言い切りやがったな、この野郎……」
「神は言っておられます。人を救うためには己自身が楽しめなければならない、と」
「そりゃドンキーの奴が言ってる解釈だろうが」
「バスコルディア教会の解釈です」
「破門されちまえ」
「もうなってます」
「……教会の本部はまともで助かったぜ」
マイディには何を言っても無駄だと分かりつつも、ついつい反応してしまう自分をスカリーはアホだなと思う。
「んなことよりも、今度の街は魔法で有名な都市なんだからくれぐれも騒ぎを起こすんじゃねえぞ。俺も対策はしてるが、もめ事はなるべく避けたいからな」
一応はマイディに釘を刺しておく。
「……わたくし、魔法って嫌いです。ちまちま相手に気づかれないように不意を打つしか能が無いんですから。やっぱり白兵戦こそ正しい戦い方だと思うのです」
「相手が正しい戦い方をしてくれるかどうかは分からねえだろうが」
「それなら戦わなくてはならないように仕向けるだけです」
「分かってるじゃねえか」
二人の会話に不穏な物を感じつつも、ハンリはとりあえず突っ込まないことにした。
三人が乗る馬車はかつての魔法都市の一つ、エルフとドワーフが治める都市、ミルトラに向かっていった。