事情は正直に話しましょう
「……ディ、そりゃ俺の干し肉だ。返せ。さもないと黄金の右がテメエの顎を打ち抜く」
「あら、この世の全ては神が遣わしたもうたもの。本来は所有者なんていません。というわけで、ぱくり」
「…ったく、ドンキーといい、テメエといい……神職がそんな自由でいいのかよ? もっと清貧に務めるのが神職ってもんじゃねえのか? 偉い司祭サマが言ってたぜ」
「ああ、マンダリネル派の方ですね。あっちは実は少数派なのです。清貧に務める、なんて時代遅れですし、もっと宗教は柔軟に対応していかないといけません。それがバスコルディア教会の方針です」
「二人しかいねえ教会に少数派なんて言われるとは向こうも思ってねえだろうな……。なことより、テメエ本当に食いやがったな。こっちも食らいやがれ! 黄金の右!」
スカリーが放つ右ストレートをマイディは上半身の動きだけで回避する。
「スロー過ぎて子供でも避けられそうです。本当、スカリーって素手は素人同然ですね」
「おめえやらドンキーが化け物なだけだよ」
そんな子供の喧嘩のような会話を聞きながら、気を失っていた少女は目を覚ました。
むくり、と少女は起き上がり、ぼうっとする頭で現状を確認する。
右のパンチを放つ賞金稼ぎ風の男性と、そのパンチをひょいひょいと避けている尼僧服の女性がいた。
周りを見てみると、どうやら部屋の中のようだ。
少女は一つだけあるベッドに寝かされていたらしい。
そして、目の前の男女は部屋の中央に置かれている机に載った酒を空けていたようだった。
全て蒸留酒。
数は空になっているものだけでも6つはある。
少女は酒には詳しくなかったが、普通の人間なら一瓶も空ければ、大抵はまともに動けなることぐらいは知っている。
しかし、目の前の男女はまるで酔っていないかのように片方はパンチを放ち、もう片方はそれを完璧に回避していた。
「ちっ、ホントに全部避けやがる。そっちのモードでもつええな」
「失敬な。わたくしは裏表のない、誠実な神の信徒なのですよ?」
「誠実にぶっ殺すけどな」
「手を抜くことは失礼ですから」
『ぶっ殺す』という単語に少女の記憶がよみがえる。
あの教会で起こった惨劇。いや、一方的な殺戮。
いま、パンチを躱していたこのシスターが五人の男たちをほんの数十秒で殺してしまった、
ということを思い出す。
「……ぅ……ぁ……」
人が死ぬのを見るのは初めてだった。
ガタガタと体が震え出す。
あんな風に自分も殺されてしまうだろうが?
それは嫌だ。せっかく逃げ出せたのに。
嫌だ、死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
強すぎる思いは時として、人間の行動を狭めてしまう。
今の少女がそうだった。
死にたくないという思いが強すぎて、結果、起き上がったまま、声を発することも出来なくなってしまっていた。
だが、じゃれ合いのようなことをしていた二人は少女が起き上がっていることに気付く。
「まあ! やっと起きられたのですね。早速ですけど、貴方のお名前と、なぜ誘拐されたのかを聞かせてくださいな」
スカリーのことは無視して、マイディがにっこりと笑って少女のほうに近寄ってくる。
山刀こそ持っていないものの、その笑顔がひげ面の男を殺した時のものと寸分たがわず同じものであることが少女の恐怖心更に煽った。
「……ひぃ! ……助けて! 殺さないで!」
守るように、頭を両手でガードして少女はマイディに命乞いをする。
あまりの少女の怯え様に、流石のマイディもどう声をかけていいのかわからなかった。
「……こりゃおめえじゃ無理だな。俺が聞いてみるわ」
やれやれというように頭を振りながら、スカリーがマイディを追い払う。
追い払われたマイディはなにか傷ついた様子で椅子に座り、酒瓶から直接酒を呑み始めた。
「いよう、嬢ちゃん。俺はスカハリー・ポールモート。スカリーって呼んでくれて構わねえ。アンタの名前を聞かせてくれないか?」
言葉遣いはマイディよりも乱雑だったが、今の少女にはそちらのほうが安心できた。
「……ハンリッサ。ハンリッサ・ゴートヴォルク。みんなはハンリって……」
少女、いや、ハンリは多少警戒しつつも、正直に答える。
ここで嘘を吐いてもなんの意味もないという判断もあった。
それにもし、嘘がばれた時に、今は酒をぐびぐび呑んでいる尼僧服の女性がどういう対処をするのかが全く予想がつかなかったのもある。
最悪殺されるかもしれない。
すでにハンリの中でマイディの印象は最悪だった。
「わたくしはマイデッセ・アフレリレンです! 愛称はマイディ!」
「ひいぃ!」
スカリーが自己紹介をスムーズに済ませてしまったのが悔しくて、マイディは大声で自分をアピールする。
だが、逆効果だった。
ハンリは悲鳴を上げながら身をすくめてしまう。
「……マイディ、ちょいと黙っててくれ。嬢ちゃ……ハンリが怯えちまう。お前の間違った評価は後で挽回してやるからよ」
「スカリー……あなたにもそんな甲斐性があったのですね。お礼に、今度わたくしが稽古をつけてさしあげます」
「まだ死にたくねえから断っとく」
少しばかり潤んだ瞳のマイディに感謝をされるものの、スカリーはあっさりと断る。
そのあとに椅子を引き寄せてハンリが寝ていたベッドの近くに椅子を持ってきて、それに腰掛ける。
足を組み、猫背になって、ハンリと目線を合わせる。
「さて、嬢……ハンリ。俺たちに聞かせてくれねえか? アンタはなんで誘拐されたんだ?」
マイディは笑顔で失敗したので、スカリーはなるべく表情を表に出さないようにして尋ねる。
ハンリの中ではマイディよりもスカリーのほうが危険度は今のところ低い、という評価だった。
しかも、マイディがキレる直前、隠れるように促してくれたこともあり、多少はスカリーに対しての印象もよかった。
マイディの評価が最悪過ぎて、相対的にスカリーの評価が上がっている面もある。
「たぶん、わたしがゴートヴォルク家の人間だから……」
伏し目がちになりながらハンリは答える。
「あん? ゴートヴォルク? どっかで聞いたような……なんだっけな? ここまで出てきてるんだけど思い出せねえ」
「……五大貴族の……」
「ああ、思い出した。五大貴族の一角、ゴートヴォルク家。工業に関するほとんどの利権を握ってて、最近はめちゃくちゃ羽振りがいいって話の……って、おいおい……マジかよ?」
こくり、とハンリは頷く。
後ろの方でマイディは酒瓶を空けてしまったので、次の瓶を開けていた。
「じ……ハンリ、それが本当ならアンタをバスコルディア(ここ)に置いとくのはたしかにまずい。なんてったって、ここは無法都市だからな。何が起こるかわからねえ。アンタに何かあったら、ゴートヴォルク家は総力を挙げてバスコルディアを潰しにかかる可能性だってある。俺としてもそれは避けたい。だが、アンタが本当にゴートヴォルクの人間だって証明できるのか?」
スカリーの質問に対して、ハンリは胸元からペンダントを取り出す。
見事な細工が施された銀製のペンダントにはゴートヴォルク家の象徴である雄牛と星が刻まれていた。
ハンリから渡されたペンダントをスカリーは慎重に調べる。
細工の細やかさは一流の職人によってつくられたことを示していたし、ところどころにはめ込まれた宝石も本物であり、このペンダントだけでもかなりの値がつくことは明らかだった。
そして、裏には『ハンリッサ・ゴートヴォルク』の名前が彫り込まれていた。
おいおいマジかよ……、と思わずスカリーは呟いてしまう。
スカリーにはハンリのことが山積みになった爆薬に思えた。
(この嬢ちゃんがいるってだけでやべえ。関わらないのが正解、だな)
もし貴族に、しかもロンティグス大陸でも有数の権力を持つ五大貴族の人間になんらかの不利益をもたらしたら、その場合の報復は個人でどうにかできるようなものではない。
なんの後ろ盾もないスカリーには、ハンリの後ろにあるゴートヴォルク家というものはとても敵わない怪物であった。
そんなものと関わりたくはない、というのが一人の賞金稼ぎであるスカリーの考えだった。
だが、同時に分からないこともある。
ゴートヴォルクの人間が誘拐なんてされるだろうか?
警戒は当然のように厳重、近づくことさえも出来ないはずだ。
あるとすれば……
(内通者、か。当然、あの汚え格好した盗賊くずれどもじゃねえ。護衛か、世話役が手引きしたってところか)
そうなってくると、これは単純な誘拐ではなく、貴族同士の権力闘争の様相も呈してくる。
平民がそんなことに首を突っ込む必要は無い。
突っ込んだ首が胴体から離れてしまうだけだ。
結論として、スカリーはハンリを放っておくことにした。
とりあえずはバスコルディアから出してしまえば、スカリーに影響が及ぶことはない。
適当な乗合馬車にでも案内しようとスカリーは考えた。
そこまで考えて、スカリーはペンダントを持ったままであることに気づく。
「ありがとうよ、ハンリ。返すぜ」
正直、バスコルディア以外なら、このペンダントをハンリ以外が持っているだけで処刑されかねない。
身にかかる火の粉は払うが、厄介事には仕事以外では首を突っ込まない、というのがスカリーのやり方だった。
ペンダントをスカリーから受け取ったハンリはそのままスカリーをじっと見つめる。
嫌な予感を覚えてスカリーは目をそらす。
(やめてくれよ……頼むからその先は言うんじゃねえ……頼むぜ)
「あの……スカリー、さん。わたしのお願いを聞いてもらえませんか?」
「なんだよ、ハンリ。まあ、聞くだけならいいぜ」
(いやいやいや、ホントに勘弁してくれ。俺はしがない賞金稼ぎなんだぜ?)
心の声を悟られないようにスカリーは表面上、平静にハンリに聞き返す。
が、その内心はとてつもなくあせっていた。
海千山千の賞金首やら魔物やらとやりあってきた経験が辛うじてスカリーの表情筋を押さえ込んでいた。
「わたしを、オルビーデアまで護衛していってもらえませんか? 報酬はしっかりと払います。それとは別に、父にも報奨を出してくれるように取り計らいます」
オルビーデアはゴートヴォルク家の本屋敷がある都市である。
工業都市であり、その上にゴートヴォルク家直轄ということで、その生活の質は高く、人口も多い。
賞金稼ぎとはいうものの、その実態は何でも屋のついでに賞金首を狩っている者が多い。
スカリーもその例に漏れず、何でも屋で生計を立てているほうが大きかった。
五大貴族の一角であるゴートヴォルク家なら報酬も弾んでくれることだろう。その上に、ゴートヴォルク家に縁故ができる。
これから先、生きていく上で五大貴族の縁故を頼れるというのはこの上なく頼もしい。
つまり、この依頼を受けないという選択肢は本来ならばスカリーにはないはずのものである。
「ダメだ」
しかし、スカリーの答えは冷たいものだった。
「なぜですか!? 報酬はちゃんと払います! わたしから言えば、父もきっと色々と便宜を図ってくれるはずです!」
見えた光明に縋るようにハンリは食い下がる。
「俺は確かに何でも屋みたいなこともやってるし、護衛依頼も受けたこともある。だが、ハンリ、そういうのには前金っていうものが必要になってくるんだ。今、カネを持ってるのか? オルビーデアまでなら一月はかかる。必要経費なんぞもあるから子供の小遣いでまかなえる金額じゃねえぞ?」
もっともらしいことを言ってはいるものの、内心、どう断っていいのかをスカリーはかなり考えていた。
下手に断って、後腐れを残してもまずい。
となると、カネの話にしてしまうのがいいだろうという判断だった。
「……どのくらい、お金は必要ですか?」
「あー、そうだな、前金で金貨百枚。五大貴族を誘拐して、そのまま放置ってコトはないだろうから、あの盗賊くずれどもが死んだこともそのうちに分かっちまう。そうなったら確実に追っ手がかかるだろうし、そのくらいだろうな」
護衛依頼で金貨百枚はすさまじいふっかけ方だった。
贅沢をしなければ数年は暮らせる金額である。
元々、断るために理屈づけしたかったので、払えそうにない金額をスカリーは提示したのだった。
「……スカリーさん、わたしのブーツはどこですか?」
「あ? ここにあるぜ」
ハンリが履いていたブーツはベッドに寄せて置いてあった。
何も言わずに、ハンリはそのブーツを手に取る。
踵の部分を捻ると厚みのあるヒール部分が外れた。
空洞になっていたその中には絹で包まれた何かが入っていた。
「これで足りますか?」
ハンリはその包みをスカリーに渡す。
怪訝に思いながらもスカリーは包みを開ける。
重さは大したことないし、大きさも手のひらに収まってしまうサイズだ。
もし、金貨が入っていたとしてもせいぜいが二、三枚。
スカリーが提示した金額には遠く及ばない、はずだった。
包みを開いたとき、スカリーの手の上には様々な宝石が載っていた。
ダイアモンド、エメラルド、サファイア、ルビー。
どれもこれも大粒のものであり、すでにカットも施され、そのまま宝石店に持ち込めば値段がつくのは明らかだった。
予想もしていなかった事態にスカリーは固まってしまう。
「ちょ……ちょっと待ってくれ」
ハンリにそう言うと、スカリーはすでに三本目を呑んでいるマイディの元に行く。
「おいマイディ、俺は宝石に関しちゃ素人だ。おめえは詳しかっただろ? これ、いくらぐらいになる?」
金貨百枚未満であってほしかった。
「ざっと見ても金貨四百枚。持ち込むところを選べば五百枚はいきますね」
スカリーの儚い希望をマイディは粉々に打ち砕いた。
「……そうか」
「それよりも早くわたくしに対する誤解を解いてください。なんならわたくしも一緒にいきます」
マイディのその言葉にスカリーはひらめく。
「いいのかよ? 教会の仕事はどうするんだ?」
「司祭様には伝言を残しておきます。でも報酬は山分けですよ? お金はあってこまるものではありません。神の教えをこのバスコルディアに広めるのにもお金が必要なのです」
マイディにもハンリにも悟られないようにスカリーは心の中でぐ、と拳を握っていた。
マイディが付いてくるなら護衛の危険性はかなり下がる。
見張りの問題も解決する。
何よりも、責任を負うのが一人ではなく二人になる、ということが大きかった。
マイディと組めば、多少の無茶は出来るようになる。
おいしい話を逃すのはバスコルディアの住人として、らしくない。
ならば、スカリーがやることは一つだった。
再びスカリーはハンリの元に行く。
「わかったよ、ハンリ。アンタをオルビーデアまで護衛していくっていう話、受けよう」
「本当ですか!?」
ハンリは顔を輝かせる。
「本当だ。ただ、あっちのマイディも一緒だ。あいつがいるなら心強い」
「……そう、ですか」
明らかに嫌そうなハンリにスカリーは苦笑する。
「安心しな。あいつに『あの言葉』さえ言わなきゃいいんだ。それならちょっとばかり自由過ぎるシスターってだけだからな」
よろしく、と言いながらスカリーは右手を差し出す。
お願いします、と言いながらハンリはその手を握った。