鳩時計 赤ペン貸してください
(訳が分からない。睦先輩はいつも視点が違う。今日みたいに睦先輩の発言が理解できないことはよくあるけど今回は特に訳が分からない。)
図書部副部長の一翔は、部長である睦の発言に今まで幾度となく悩まされてきた。その度に必死に考える。
(今回図書部がしようとしていることは学校にとって触れてほしくない部分。つまり、図書部は学校のパンドラの箱を開けようとしている。それなりの覚悟で挑む。なのに成功させなくてもいいってどういうことなんだ?睦先輩の言う真髄って何?)
(あー、物理の問題解くより難しい。)
「だめだ。分かんないや。」
「何か分からないことがあるんですか?」
カウンタ―に座って考え込んでいた一翔に声をかけてきたのは、一年生の藤下加月。
「おはよう、加月。早いね。」
「もう、みんな来てますよ。」
(えっ?)
一翔はそのとき初めて、自分の耳に雑音が聞こえていることに気付く。思わず周囲を見渡した。
「考え込みすぎてたみたいだ。」
額に手を当て自分自身に呆れた。
学校に着いた一翔は最終調整を行うため図書室に来た。部員がそろい次第、朝会を予定している。生徒会の会議に参加している数名の部員以外はみんな揃っている。
(春と比べるとずいぶん活気のある部になってきたんだ。)
もはや、体育系の部活と同じくらいの団結力があると言ってもいい。
(それだけ他の部員もこの文化祭のために頑張ってるんだ。成功させないと。)
一翔は責任の念に駆られた。
図書部の部員は一年10人、二年生8人、夏に引退しなかった三年生5人の23人だが、部活動といえるものに参加している部員は16人。文化部で顧問がゆるいため100%の参加率にはならないが、これでも去年と比較すると部活動への参加者は30%は増えている。
実のところ一年前の一翔は不参加の部員だった。
「中川先輩、最終確認していきますか?」
加月は状況判断が一年生の中では一番長けており、一翔の右腕になるであろう期待の一年生。
「睦先輩なしでもできるところからやっていこうか。」
加月は一翔の言葉に一瞬笑顔を失う。
「そうですね。でも、いつも部会の進行と決議するのは副部長の中川先輩ですよね。睦部長がいなくても中川先輩の一存で決まるんじゃないんですか?」
そう、第三者の目からはそう見える。
しかし一翔は部会の取り決め事に、自分の見解で判断を下したことはない。睦の普段の会話や行動の事象をパターン化し、それを筋に判断している。
睦の言動はよく分からない冗談や取るに足らない会話以外は事実に基づいている。筋が通っている。
例えば先日睦と一緒に図書室で校内新聞の記事の添削をしていたときのこと、赤ペンのインクが無くなってしましい、一翔は睦に赤ペンを借りた。会話は次の通り。
「睦先輩、赤ペン貸してください。」
「貸してちょんまげ。って言ったらいいよ。」
「他あたります。」
「あーあ、全然面白くない。それじゃあモテないぜ。一翔君。」
「赤ペン貸してくれないんですか?」
「好きなだけ使え。」
「じゃあ、すみません借ります。」
「何で?」
「え?」
「今の流れだと、ありがとうじゃない?」
「そうですか?」
「ペンがなくて困っていて、ペンを借りれて助かったんだからお礼でしょ?
もし、俺が赤ペンを使っているのに貸してくれたのなら、やっていた作業を中断させるからその場合はすみません。だけど。」
「ありがとうございます。」
「おっと、それも!今、本当に俺に感謝して言ったか?そう言われたからで、内心感謝なんてしてないだろお前。」
「…そうですね。」
「あぁ、分かってないなぁ一翔。これだから世の中のありがとうの価値がさがっていくんだよなぁ。」
「先輩、」
「何?」
「先輩ももてないっすよ。」
「・・・・・・・」
この調子から、睦に赤ペン一本借りるにも苦労することが分かる。という話ではない。睦はその言葉の本質的な意味が軽視されることを悲しみ嘆く。
この事象をパターン化すると、
「言葉の意味と使い方を大切にしよう。」
これを反映した事例は次の通り。
以前、部活動の一つにあるお昼の朗読について、改善点を部会で議論した。
・語り手の声が暗い
・アンケートで意見を聞く
・聞いてない人の方が多い
・そもそもやってる意味があるのか
以上の意見が上がった。ここで確認することは今回のテーマの意味だ。すぐさま電子辞書で引く。
改善 ⇒ [名]悪いところを改めてよくすること。
・そもそもやってる意味があるのか
は朗読の有無を問うもので、議論するのに妥当でない。次に、
・アンケートで意見を聞く
これは改善するための参考に実施するもので、改善点には当たらない。よって今回の議論すべき改善点は残りの2個となる。
この様にテーマから論点が外れていないかを慎重に吟味する。よって、部会だけ見ている他の部員にはすべて一翔が仕切っている様に見えるが、その陰では睦の思想が大きく影響している。
しかし、そんな曖昧なやり取りは第三者に説明し辛いし面倒なので、あえて説明する気は一翔にはない。
今回も加月に、そうだね。とだけ返した。しかし近い未来、加月にはきちんと話しておきたい内容ではある。
「では、部室へ集合するよう、皆さんに伝えてきます。」
「ありがとう。」
年齢関係なく、あいさつ、お礼を伝えることは一人一人を傾聴している表れ。
この心遣いも一年前の一翔にはなかったもの。
睦の一風変わった考え方や一翔への心遣いが、今の一翔に大きく影響しているのは本人にも自覚がある。
今まで人に対して興味を持てなかった一翔にとって人に影響を与える睦は異世界の人間に感じる。