14
「智恵理、結婚しよう」
満面の笑みで私の手を握る変態。
「はあ?結婚なんてするわけないでしょ。私はね、私にお似合いの地味で平凡で穏やかーな人と結婚するの!間違ってもあんたみたいなキラッキラした人間とは結婚しないからね!しかもあんた私のストーカーじゃない。なおさら怖くて無理だってば!」
キーキー騒ぐ私を色気を含んだ流し目で見ながら、変態はくっくっ、と笑う。
「でも智恵理、君の指にはもう、俺のものだっていう証があるじゃないか」
何言ってるんじゃコイツ、と思いながら自分の手を見てみると、なんともドデカイ ダイヤが薬指に光っている。
……えっ。ちょっとね、意味わかんないんですけども。
「ちょっと、説明してよ!これ要らないよ私!」
指輪を指から抜こうとするけど、指の関節に引っ掛かって、全然抜けない。そんなあ…一度指を通ったのが軌跡だよ。なんで抜けないの。
何とかして抜こうと試行錯誤する私を見て、更に笑みを深める変態。
「…その指輪、返さなくてもいいから」
「はあ?そんなわけにいかないじゃん!こんなのもらえないし」
「…いいんだ。別に本気で贈った訳じゃないしな。捨てても構わないし、売ってくれても構わない」
冷たい声音で告げられて、私の手が、ぴたりと止まる。……えっ、今なんて?
固まってしまった私を見て、やつがフッ、と鼻で笑う。
「俺になびかない女が初めてだったから、少しからかっただけだ。…まあ、もう飽きたし、そろそろ潮時だとは思っていた。遊びにしては楽しませてもらった。それは謝礼として、とっておいてくれ」
えっ…何、それ。あんなに私に好き好き言ってた癖に…それって全部、嘘だったの?それに、婚姻届まで勝手に準備してたじゃない…遊びで、あんな事するの?
「もう関わることもないだろう。さようなら」
今まで聞いたこともない、冷酷な声音と凍てつくような鋭い視線。やつの目には、私なんて もう映ってなかった。やつはくるりと背をひるがえすと、その長い足で、あっという間に私の前から去っていった。
なんで急に…昨日、私に優しくしてくれたの、本当は嬉しかったのに。後ろから見てくれてたのも、正直に言えば、見守ってくれてるんだ、って思って、安心してたんだよ?
「遊び、だったんだ…」
私の頬を、冷たい雫が撫でる。
あれ、泣いてんの私?やだやだ、あんな最低なやつに流してやる涙なんて、1滴もないっつーの!!
…ないって、言ってんのに。
なんで溢れて、止まらないかなあ。おかしいでしょ。涙腺壊れちゃったのかなあ?
あんなやつ、どうでもよかったはずでしょ?自分で言ってたじゃん私。どうせ暇潰しか、からかってるだけなんだって。それが予想通りだったって訳じゃん。…私が傷付く必要ないよ。ただ、いつもの日常に戻るだけ。地味な私の地味な日常に。
ほら、いつもみたいに、私を起こす目覚ましの音が聞こえる。起きなくちゃ。
…ん?起きなくちゃ?
意識が覚醒した瞬間、私はベッドから飛び起きた。
「夢かよっ!」
未だにピピピピ、とうるさく鳴っている携帯のアラームを止めて、ちょっとぼんやりする。
「…なんて夢見てるの。これじゃあ、あいつの事夢にまで見るほど、い、意識してるみたいじゃん」
しかも、何故か私が振られて泣きまくる夢。
恥ずかしい。寝起きから猛烈に恥ずかしい。しかも、夢の中の自分、あいつに酷いこと言われて かなりショック受けてるみたいだったし。
…いやいや、まさかね。それって私が少なからず あの変態に好意を寄せてるみたいじゃない?そんなことあるわけないってのに。
頭をブンブン振って、馬鹿な考えを頭から振り落として。ベッドから出て、時計を見ると。
「ぎゃあ、もう時間ないしっ?!」
あわや遅刻、という時間になっていて、私は急いで身支度をして、学校へと走った。
「間に合った…」
何とか間に合って、乱れた髪と呼吸を整える。まさにタッチの差でギリギリセーフ、という私に、微妙にぬるーい視線が集中している気がする。まあまあ、君たちの気持ちは分かるよ。こんな髪バサバサにして、眉だけ描いて、ボーイッシュ系…ですか?みたいな いかにも適当な服着た女が全速力で教室に飛び込んできたら、私でも見ちゃうと思うな。
「おはよ、智恵理」
「おっ、おは、おはよっ…!」
今日の一限目は、唯と同じ講義。教室を見渡した時に、ずらっと並んだ机と椅子の群れの中に、気だるげに座る唯がパッと目に入ってきて。そのまま真っ直ぐに唯の隣に走ってきちゃった。
「髪の長い男が飛び込んできたのかと思った」
「えっ、さすがにひどくない?」
鞄をあさってテキストとルーズリーフを取り出す私。唯の呆れを含んだ嫌味もスルー。いつもの事だしね。
「あれ、ペンケースがない。忘れて来ちゃったのかな」
鞄を いくらあさっても出てこないペンケース。朝あんなに慌てて出てきちゃったから、家に置いてきちゃったのかも…
どんより、とブルーな空気をかもし出す私の前に、そっと黄色いペンケースが差し出される。唯、私と並んで空席だったはずの隣には いつのまにか人がいて、しかも私が落としたペンケースを拾ってくれたらしい。なんて優しい人なんだろう。
「ありがっ…!」
とう、ってお礼の言葉を、最後まで言えなかったよ。だって、今朝の悪夢の張本人が、もさもさしたカツラかぶって、わざとらしく野暮ったいメガネをかけて、私に笑いかけてるんだよ?
今ここで、叫ばなかった私を誉めてあげたいくらい、です。