第1話 山本五十六の夢
「フジヲアオイデ・一二〇八」
日米開戦は12月8日に定まった。もう後戻りはできない。あの日から大日本帝国は変わってしまった。とある科学者が一つの偶然の過ちから百を超えて千を超えて億の力を生み出す。
「人工石油恐るべし。無限の石油があれば勝てぬ戦も勝てるのか」
山本五十六はポツリとつぶやいた。日本海軍連合艦隊司令長官として日米開戦に反対してきたが世界は彼の希望と反対に動く。アメリカが戦争に仕向けてきた。自分たちが自制心を保っても相手が保てていない。ヨーロッパではナチス・ドイツが暴走した。日独伊三国同盟の締結は痛恨だったが、巡り巡って貴重な増援を受け取ることができ、なんだかんだうまくいって苦笑いを覚える。こんな激流にのみ込まれるぐらいならば自ら波に乗るんだ。
先人たちがせっせと拵えてくれた装備と自らが用意してきた装備が揃っている。日米開戦に間に合わない物もあれど、いつか戦線に加わってくれると信じて待ち、それまでに勝利を重ねておきたかった。総力戦研究所の報告では敗北と導き出される。山本五十六が秘策を講ずることで勝利に大きく傾けてやった。なにも海軍だけじゃなく、陸軍も同じであり、民間も抱き込む。なんなら、傀儡政権を置く中国もだった。
「佐藤研究所には感謝してもしきれん。もはや、新生財閥だが致し方あるまい。軍艦を動かす重油から航空機を飛ばすガソリン、戦車を動かす軽油まで、ありとあらゆる場面に佐藤印の人工石油だ」
たった一人の科学者が発明した人工石油が日本を変えてしまう。ドイツが生み出した技術とは完成度が異なった。日本人の自由な発想が凌駕する。必要なのは石炭と水と空気だ。石炭も天然資源だが国内で産出する。中国から掘り出すこともできて無尽蔵に存在した。これに事実上の無限資源である水と空気を組み合わせる。人工石油の完成なのだ。当初は荒削りのため質に劣ったが未来の技術と認める。国策と保護して大牟田に大規模な研究所兼工場を構えた。遂には軍需から民需まで賄うまでに至る。
「自動車がひっきりなしに走り回る。都心部だけじゃない。農村部は適材適所の自動車が走った」
人工石油さえあれば何でもできた。さすがに言い過ぎかと思われる。人工石油のおかげで経済は潤った。日本も遅ればせながら自動車の時代が到来して自動車が快適に安全に走行できるように国土改造が進められる。幹線道路を中心に舗装が進んでトラック輸送が加速した。各社の民生品が軍の目に留まって軍用品に昇格する事例が相次ぐ。農村部も一定程度は舗装されたが林道や山道は整える程度に収まった。日本特有の地形もあってトラックではなく、三輪トラックやバイクが小回りの良さから幅を利かせ、これも軍用品として採用される。
民間が潤えば軍隊も潤った。貧弱な大地の上に豪邸が建てられるはずがない。おかげで動乱という動乱も起こらずに安定した運営を続けた。諸外国が暴れ狂う中で安寧を享受する。なんなら、諸外国から人財を引き受ける程だ。それも終わる。日本の一人勝ちを認めたくなかった。欧米諸国は次第に対決姿勢を強める。彼らが喧嘩を吹っかけてきた以上は買わねばサムライでなかった。サムライとは一方的に侮られてはならない。我慢が美徳であることはいただけなかった。今こそ旧時代の産物である白人至上主義を否定する。世界に真なる太平をもたらすのだ。大日本帝国は前大戦に認められなかったアジアの民族自決を実力で手繰り寄せる。
「賽は投げられた。もう後戻りはできない。ハワイを落とせば自由に行動できる。ミッドウェーも同時に落とせば盤石でいられる。奪還に来れるものならくればいい。八八艦隊だけじゃない。大空母艦隊と大潜水艦艦隊が待ち構えた」
自然と笑みがこぼれた。自分が若いころには到底も考えられなかったことが実現しようとしている。無尽蔵の石油を元手に大規模な軍拡に成功した。海軍軍縮の流れもあったが人工石油がある中では無意味である。各国が恫喝してこようと意に介さなかった。八八艦隊は紆余曲折あれど実現して航空機の進化から鳳翔に始まる空母艦隊が生まれる。超漸減邀撃作戦による潜水艦艦隊も達成した。もう資源で困ることはない。
鉄に関しては人工石油をバーターに中国の鉱山を開発した。あと半年も建てば本格稼働して無限の石油と無限の鋼鉄を確保できる。しかし、ゴムや希少金属など不足も否めなかった。一層の盤石を期して仏印を開発中である。蘭印の電撃的な制圧を計画した。こちらは陸軍の仕事なので任せる。アジアの解放というが実際は戦略的な資源の確保だった。もちろん、現地には大なり小なりの不便を強いる。人工石油マネーを振りかざした。
「入ってよい。ボウっとしているだけだ」
「失礼します」
連合艦隊司令長官の執務室の重厚な扉がノックされる。一人でボウっとする時間を過ごしていた。一瞬で仕事モードに切り替える。数万の兵士の上に立つ者らしく、来る者は拒まなかった。ゆっくりと入室してきたのは馴染の主席参謀である。若き天才と評された。自己主張を苦手として調整役に回ってしまう。そこを拾い上げた。自身と同じく航空主兵論を掲げて何かと馬が合う。海軍に慣れたベテランは惰性で動きがちだ。まだまだ若手の軍人は自由に考えて優先度を公平に考えることに長けている。
「まぁ、座りなさい。ちょうど、水羊羹が余っていたところだ」
「ありがとうございます。喜んでいただきます」
「うん」
座るように促して大好物の水羊羹を出した。一人占めしては面白くない。仲間でシェアしてこそ楽しかった。お堅い話をするにしても甘味は欠かせない。糖分は頭を働かせる際にエネルギー源となった。水羊羹の口触りの良さは喋りの円滑さにつながる。
「12月8日に開戦の方向で動いております。すでにハワイ近郊まで山口機動部隊が迫り、ミッドウェーとの連絡線に三川艦隊が展開しており、上陸部隊も西村提督の指揮で待機しました。すべて順調に進んでおりますが懸念事項があります」
「なんだね。今のうちにサラにしておきたい」
「ウェーク島攻略の戦力です。陽動作戦を兼ねて展開する予定ですが、それにしても戦力に不安が残り、守備隊に沿岸砲台と飛行場まで総合的に評価すると、少々不足気味に思われます」
「あぁ、それか。すまなかった」
「はい? 何がですか?」
「これは機密保持のために主席参謀にも知らせていなかった。ウェーク島は潜水艦を用いた奇襲攻撃である。敵守備隊は海上の戦力に注目して陽動を為した。まさか、突如として、自分たちの眼前に上陸部隊が現れるとは思うまい」
「それなら、早く言っていただければ…」
「だから、謝ったじゃないか。この水羊羹は詫びの品と思ってくれ」
ニンマリとした笑顔に憎悪は生まれなかった。敵を欺くには味方からと言われる。情報共有の観点では最悪であるが多少は見過ごしてほしかった。特段の切羽詰まった場面でない。主席参謀はふぅと息を吐いて落ち着きを得た。お茶をズズッと飲み干す。静岡の緑茶は世界一だ。緑茶と甘味があれば大抵のことは許してやろう。
「比島に関しては台湾航空隊と鹿屋航空隊が制空権を確保します。米軍の重爆B-17を凌駕する。我らの深山がどこまでやれるかです」
「期待しようじゃないか。どっしりと構えるんだ。どっしりと」
「どうも若輩のため難しくあります」
「経験だよ。経験だ」
時計の針は確実に進んで運命の日が刻々と近づいた。
続く




